能ある鷹は爪を隠すーⅡ
「事実は小説よりも奇なり」
この世界における有名な小説家、
彼女の文才は他を圧倒する。
人間を引き付ける――惹きつける文章。言葉。単語。
人を魅了して止まない彼女の才覚は、他を圧倒し、蹴散らし、君臨していた。
いや、君臨していたということはないか。
彼女の文章は他を魅了し、惹きつけ、神裂文音という一作家に没頭する
なんの前触れもなく現れた、神裂文音という存在に、人々は一時の心の癒しと救済を求める。
彼女の書く小説が、魔物によって存続を脅かされているこの世界において、一つの支えになっていることは間違いない。
文芸も進化し続け、もはや目の肥えた消費者達の欲求に応えられる作者という存在が、もはや人類という中でも最少の絶滅危惧種であるというこの状況下において、彼女の存在は、とてつもなく大きく、尊く、希少。
彼女の描く物語が、人類の希望であると過大評価をした専門家がいたとして、それが過大評価であると酷評する専門家はいない。誰もが彼女の作品を認め、求める。
それが、神裂文音という小説家の描く小説である。
そして今日この日、彼女の最新刊が発売された。
タイトルは「能ある鷹は爪を隠す」
首吊り自殺をした女の子の友達が、その女の子の彼氏と関係を築いていく内に、その死の真相とやらに辿り着くというなんともベタな話。
しかし彼女の文章は人を惹きつける。それがどれだけ王道だろうとベタだろうと、テンプレートだろうと、彼女の文章に惹かれる人間は、巨万と存在する。
内容がどれだけ奇をてらっているかではない。文章がどれだけ人を惹きつけるか、それが彼女の小説におけるミソなのだ。
故に言ってしまえば、彼女の作品。全一六の作品は、どれもこれもベタな設定ばかりだ。故に書こうと思えば書けてしまう。
しかしそれが彼女のそれと同様におもしろくなるのかと言えば、そうならないのが面白く、難しいところだった。
そんな彼女の作品に、魅了された一人。
イールクラッド・スウィフトシュア。
魔導師候補生にして『空挺の魔女』の異名を持つ、候補生の中でも優秀な金の卵。
大量の戦艦を召喚するという、稀有で強力無慈悲な異能力者。
元々スウィフトシュア王国は軍国家。それが彼女の魔導に起因しているのか、それとも偶然か。偶然と思うにはあまりにも、空軍陸軍海軍まで揃って、国の最終兵器が戦艦スウィフトシュアとなれば、偶然と思うのは逆に難しい。
彼女の魔導はとても豪快。戦艦による一斉砲撃が攻撃手段なのだから、間違いなく人間を相手にするための魔導ではない。
しかしそれを扱う彼女の魔導は、至って繊細だ。
それもそうだろう。戦艦なんて複雑なものを構築、召喚するという芸当をやってのけるのだから、繊細でなければならない。戦艦に関する膨大な知識と、それを編める繊細な魔力操作があるからこそ、彼女の魔導は最強とすら呼べる代物となっている。
そしてだからこそ、イールクラッドは繊細な文章である神裂文音のファンである。
全一六巻揃い踏み。その本の帯とそれについている栞まで揃え、保管してあるほど、彼女は神裂文音の小説が好きだった。
母国が遠いために寮住まいだが、それらすべてを持ってくるほど好きだった。
彼女は新刊発売その日にそれを買った。
親の仕送りで買ったのが若干心苦しかった。本来ならばバイトでもして金を溜めて、自分の小遣いでそれを買いたかった。
が、彼女も軍国の姫君。常にボディーガードがついて回る存在だ。気安く一般人と一緒にバイトなどできない。無論、魔物討伐ならば話はべつだが。
だがしかし今は一学生の身でもある。国にいた頃は軍の一兵として出撃していたが、今はそれも許されない。
魔物を相手取るには、本当ならば許可が必要なのだ。免許がいる。それを持っていないということは、彼女がまだ魔導師ではなく、あくまで候補生である証拠と言えた。
――「能ある鷹は爪を隠す」というけれど、それってただ単に自分の力をわかってないってことだと思わない? 火事場の馬鹿力っていうかなんていうか、爪を隠すっていうよりは、自分の持つ爪に気付いてないだけだと思うの。じゃなきゃ、能ある鷹が人を助けられなかったとき、言い訳ができないじゃない?――
責任の在り処。
それを問う一説が、イールクラッドの身に沁みる。
一国の姫として、そして魔導師として「能ある鷹」でなければならない立ち位置。
しかし「爪を隠す」ことはあってはならない。
もしも誰かを助けられなかったとき、「爪を隠していた」では言い訳にならないのだ。
それならばまだ、元から爪がなかったか、自らの爪に気付いていなかったか、その方がまだ言い訳になる。今後に繋がる。
故に自分達は「能ある鷹」でありながら、決して「爪を隠す」存在になってはならない。
この時代この世界における、異能者の弱体化を嘆くが如く投げられたこの一説に、イールクラッドは感銘を受けたと言っても過言ではないほどに、影響を受けた。
その日のうちに読了したイールクラッドだったが、翌日も大学に持ち込んで読んでいた。
それほど面白く、読み返せば読み返すほど、新たな発見がある。
「おぉ、イル。久し振りやなぁ」
そう話掛けて来たのは、
入院していたと聞いていたが、
入院から二週間と三日。そろそろ出ないといけないと思って無理矢理出て来たか。左腕には、包帯が巻かれていた。
「愁。体はもう大丈夫なのか?」
「まぁ、ぼちぼちでんな。何読んではるん?」
「神裂文音の新作だ! 知っているだろう?」
好きな本に興味を持ってもらうと、幾分か興奮する。イールクラッドもそれは例外ではない。
そして好きなことに関する話題ができると嬉しいのも、例外ではなくて。
「あぁぁ、
イールクラッドの頭の中に浮かぶクエスチョンマーク。
愁思郎のまるでその、本人が直接「今度本を出すの」と言って来たかのような言い方に、ちょっと疑問を感じた。
探る、というのがあまり得意というか性分ではないので、直接的に。
「ハハハ! 愁、それではまるで本人に言われたような言い方だぞ?」
と、指摘すると。
「ん? あぁいや、本人に言われたんやけど」
と返って来たので驚愕のあまりに立ち上がって。
「神裂文音と知り合いなのか?!?!」
と、柄にもなく荒い声を上げてしまった。
周囲を含め、愁思郎もかなり驚いた様子でイールクラッドを見上げて言葉に迷い、言ってしまったことを若干後悔しながら、しかし事実を告げる。
興奮状態のイールクラッドに「まぁまぁ」と言い聞かせて座らせ、とりあえず治めてから。
「まぁ知り合いやな。うちの母親の妹の子……やったかな? まぁそんな感じで仲良うしてもらってるわ」
「そうだったのか……神裂文音と親戚とは、羨ましい……」
本当に羨ましがっているイールクラッドを見て、愁思郎は冥利に。
「なぁ、神裂文音ってそんなに今有名なん?」
目の前のイールクラッドに聞こえないようにヒッソリと問う。
冥利はまるで、歴史上の偉人を知らないのだが何をした人かと聞かれたが如く、何故そんな周知の事実を問うてくるのかわからないという顔を一瞬してから。
「現代においてはとても有名な作家かと。小説を読まない方でも知っている方と思います」
と、冷たく言い放った。
「そ、そうか……」
(もしかして知らんのはうちだけか……?)
愁思郎の場合、身内の話だから逆に知らないというか、身内が有名だと逆にその情報をシャットアウトしてしまいたくなる性分というか。
ようは少し恥ずかしいのと、悔しいのだ。
魔導の世界で天下を取りたい愁思郎。小説という一分野の話だが、それでも先に天下を取られたような気がして、そして何よりそれが身内で、悔しいのと恥ずかしい。
そこまで情報を遮断していたつもりはないのだが、しかしどうや自然とそうなってしまったようだった。
別段、愁思郎は彼女と仲が悪いわけではない。むしろ良すぎるくらいに仲がいい。
神裂文音。それは彼女の人としての名。
そう、神裂文音は妖怪だ。
藁垣百鬼夜行幹部、
書物に取り付く妖怪であり、書物を読んだ際に生じる人の感情をエネルギーとする。
しかし近代は本を読む若者が減少している時代。
そこで彼女は労力を振り絞って、老体に鞭を打って、老若男女に好かれる書物を、あろうことか自分で書こうと思い立ち、神裂文音というペンネームで作家活動を始め、五年。登りつめて、ついに現代で名を知らぬ者はいない作家になってしまったのである。
本を読まれれば読まれるほどエネルギーを得て、強くなる彼女。
故に自分の書いた作品を、誰かが書いた本を、昔に書かれた書物を、読まれれば読まれるほどに力を増すが故に、彼女は自分の本の宣伝に余念がない。
愁思郎にも、自分の作品をガンガン宣伝するように言っているくらい、彼女は特に自分のことを包み隠せとは言わない。
が、包み隠さないといけない部分はある。無論それは、彼女が妖怪であるということだ。
故に彼女のことを説明するとき、愁思郎は自分の母親の妹の子、つまり愁思郎にとって従姉妹のような存在という、架空の人物としている。それが都合がいいからだ。
だが実際、愁思郎はそこまで彼女の宣伝をした試しがない。
何故ってそれは、一度たりとも、一回きりもなく、彼女の作品を読んだことがないからだった。
昔はよく本を読み聞かせてくれたし、国語の読解問題も教えてくれたし、その代わりにお薦めの本を教えてあげる仲だったけれど、しかし彼女直筆の作品を読んだことはない。それは何故か。
恥ずかしいからだ。
作家は他人に恥部を見せて生きるというが、見られる方よりも見る方が実は恥ずかしかったりするものだ。
とくに身内にとっては、身内の恥部を見せつけられて、いやどうしろと言うのか。
世間にいくら好評でも、身内からしてみれば恥部は恥部。見ていて恥ずかしい思いをするのは、いつだってそれを見せつけられる身内なのだ。
以上の理由から見たことがないために、神裂文音の作品を宣伝して来なかった。故にほとんどわかっていなかったのだ。
だから非常に困っていた。しかしそれは、イールクラッドのようなファンと作品について語り合えないことではなく。
「そない好きなら、サイン貰って来たろか? 明日うちに来る予定やし」
「来る?! 来るって、神裂文音がか?!」
「シー! シーや、声でかいで! イル!」
「す、すまない……興奮してしまって……」
(それほどのふあんってことやなぁ……っていうか、周りも凄いこっちに耳傾けてるんやけど……文姉、そんなに人気あったん? 時代に乗り遅れたなぁ……)
と思いつつ、やっぱり恥ずかしいので読むことはない愁思郎。
しかし百鬼夜行幹部の小説がそこまでの人気だったと知って、もちろん嬉しさもあって。だからやっぱりちょっと読んでみようかな、と思ったりもしなくない。
だがおそらく、愁思郎は読まないだろう。
そもそも読書が苦手で、率先してやろうとは思えなかったのである。
「そ、そんな、頼んでしまっていいのだろうか……」
「快お受け入れてくれる思うで? 苦情は受け付けとらんけど、サインならいくらでも受け付けるぅて、本人言うてたし」
「そうなのか……だがあの人のサインなんてほとんど見たことがないが……」
「あぁそりゃそうや。だってうちに言わんと受け付けとらんもん」
「なんて狭い窓口……」
それはいないはずである。
「まぁそういうわけや。で、どないする?」
「……頼みたい」
「よし来た。じゃあ何にサインしてもらえば――」
「いやそうじゃなく……直接、会えないだろうか」
「あぁぁ……」
そう来たか……と愁思郎。
今までサインを求められたことはあるが、実際に会いたいと言って来た人は、イールクラッドが初めてだった。
さてこの場合、どうするべきか。
「あ、愁思郎いたぁ!」
と、やって来たのは
今日は遅れてのご登場。
経緯を説明すると――
妖怪とて生物。腹が減っては戦はできぬ。
朝餉を終えて、大学に向かう人の背後に転移を繰り返してここまで来たので、遅くなってしまった次第だ。
「やっと追いついたぁ……」
イールクラッドや周囲の耳があるために声で応えるわけにはいかない。
故に愁思郎は後ろで手を組むフリをしつつ、背後に憑いた後神に手を伸ばす。
そしてそれに応じた後神がその手を取ると、優しく包み込んだ。
「そうだ! 愁思郎、伝言!」
「ちょっち待ってくれ、イル。冥利、なんやて?」
と、冥利が隣から何か言ったのを聞き取れなかった風を装って、後神からの伝言を聞く。
昔もこんな手が使えれば、もっと楽だったのになと。昔はわざわざ教室を抜け出したり、内容に驚かないよう無反応を貫き通したり、色々大変だったのだ。
「文姉が今朝、愁思郎と入れ替わりで帰って来たの!」
「は? 明日言うてたやないかい!」
「神裂文音が来ている、のか……?」
察しがいい。
愁思郎の台詞しか聞こえていないはずだが、実に察しがいいことだ。
イールクラッドがどれだけ、神裂文音に会いたいかということでもあるのだろう。
愁思郎としては、それが結構嬉しくて。
「うん……どうやら、そのようや。会いに行くか? 今日」
「あ、あぁ……頼む!」
こうして、神裂文音とイールクラッドの会合の場を設けることとなったのだが、先に言ってしまうと、神裂文音は彼女のイメージとは若干ズレた人柄だったようだ。
とても大人びていて、落ち着いていて、色々なことを考えながら行動する人と思っていたらしい。
しかし実際の彼女は慌ただしく、予定を立てるもののそうはいかないし、自らいかせない。
予定を立てたら十分前行動は当たり前。だけどその予定は実に衝動的。
やりたいことをしている間に別のやりたいことができてしまい、それも予定に組み込んでしまうために自分自身に翻弄されている、あわてんぼうの文車妖妃様なのだった。
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