壁に耳あり障子に目ありーⅨ
淡雪にて謎の女と戦った
病院がすぐ隣国で見つかった理由としては、その病院自体が淡雪が危険地域に認定されたが故に建てられたからということで、都合がよかったというよりは、淡雪で怪我をすれば送還されるべきだったのだ。
そして病院と、愁思郎らが通う第三魔導大学も近い。
無論それもまた、病院の近くに大学が設立されたからであり、都合がいいというよりは都合をよくしたという方が適切だ。
そして大学に近いということは路面電車を使えば藁垣家からも通える距離であるということで、愁思郎の病室には藁垣百鬼夜行の面々が見舞いに訪れていた。
今日で入院一週間。愁思郎が寝るベッドの側で、
一週間分の勉強をせねばという愁思郎に、玉藻の前が付き合ってくれている形だ。
しかし玉藻の前としても愁思郎には充分に英気を養ってほしいばかりで、本を捲るよりも愁思郎の好物である梨を剥いてあげたいというのが本音だった。
勉強熱心はいいことだが、しかし愁思郎の場合は、熱心過ぎるところも無きにしも非ず。
「今回も無理をなさいましたねぇ」
「ホンマ、こんなになるはずはなかったんやけどなぁ……あの場で逃走も考えたけど、あれが淡雪を出ることも考えられたさかい、まぁ討ちとれてよかったわな」
「その結果全治三週間の大怪我では、あまり良い結果とは言い難いです。針までいてこれでは……」
針、とは
元々古い仲だそうで、立場的にも上位に立つ彼女だけが、武人のような針女のことを針と呼び捨てることができる。他の者に、そのような度胸はない。
「まぁ姐さんは最終手段。そない簡単に最終手段を出しちゃあうちの面目も立たへん。それに姐さんはそもそも今回の出掛けで、うちに取り憑くつもりはなかったやろ。長く離れてたうちの腕試し……程度にしか思うてなくて、本来は手を貸すつもりもなかったやろな」
「まったく……教育係としては一流なのですが、もう少しお手柔らかにならないものですかね……紹介してしまった私も、責任を感じてしまいます」
「そないなことないって。むしろ針女の姐さんのお陰で、今の自分があるのや。あの人には感謝せんと……って、そういや姐さんは?」
「それが……」
と言い含んだ時点で、なんとなく想像はできていた。
入院してから三日目に目を覚ましたのだが、その時点で針女はいなかった。
そのとき憑いていた
「旦那様の無事を確認すると、すぐに帰ったと」
やっぱり。
彼女はそういう人だ。生きてさえいれば心配なんてしていない。
そんな彼女の帰った針女組は、藁垣百鬼夜行の中でも最強の武闘派である。
彼女が束ねているのだから、強いのは間違いない。ただし強すぎて、愁思郎のことを主と認めていない者も他の組より多い。今回のことを知れば、さらに反感を高めるだろう。
無論それは針女がこの情報を持って帰ればの話だが、間違いなく持って帰るはずだ。
彼女が物事を包み隠すようなことはしないだろう。そういう性格をしている。
玉藻の前は百鬼夜行の足並みが崩れることを危惧しているようだが、しかしそれも針女ならばあり得まい。
繰り返し言うが、彼女が束ねる針女組は武闘派だ。つまりは実力がものを言う場所。
針女がその組で最も強い限り、彼女が抜けると言わない限りは誰も文句を言わない。文句はあるが、しかしそれを口に出すことはない。
故に彼女が誰かに負けない限りは安心だし、彼女が負けることなど想像もできない。
彼女が負けたのは、愁思郎が知る限り一度きり。
その一度を成したのが、自慢ではないが愁思郎自身だ。
だからこそ、針女は愁思郎を認めている。
ただ愁思郎からすればそのときの決着は奇跡に次ぐ奇跡が続いた結果なので、実際には着いていない勝負だと思っている様子だが。
「まぁ姐さんなら心配はいらん。心配なのは……」
と言葉が詰まる。それは今後の展開を想像してしまったからだ。
針女のことだ。次に来たときに「あのとき負けたのだ。より一層の鍛錬に励まないとなぁ? 総大将?」とかなんとか言ってより凄まじい訓練をさせてくるに違いない。そちらの方がとてつもなく怖かった。
想像すると、本の内容がまったく入ってこないくらいだ。
「怖いわぁ……怖いわぁ……」
そう震えると、玉藻がよしよしと撫でてくれる。だがここで慰めるわけでもなく、さらに現実を直視させてきた。
「ところで旦那様、先日大学から連絡がありまして」
「大学から? なんやねん」
「その……入院での長期休暇はいいのですが、テストは受けないと単位あげられないと……」
単位。
その言葉が愁思郎の頭の中を一瞬で真っ白に満たして、次に心配と不安が大量の汗となって噴き出してきた。
「あぁぁぁ……単位が! そうや単位がぁぁ!」
玉藻が稼いでくれているから金銭的な問題はないとして、しかしマズい。
将来天下を取る男、藁垣愁思郎。留年経験ありはかの一二時将の面々にも何人かいるが、しかし今回に限ってはその原因がマズい。
天下を取るはずの男が敵にやられて大怪我をし入院。結果、単位を取り逃す。
これはマズい。あまりにもカッコ悪すぎる。
別段、格好つけたいわけではないのだが、しかし格好がつくのならそりゃつけたい。輝かしい経歴にも、傷がないのが好ましい。
故にこの場で考えることと言えば、どうやったら単位を取れるか。しかしそれには随時行われるテストをクリアしなければいけない。だが病院から出られないとなると――
「失礼するよ」
そんなとき、唐突に病室の扉がノックされた。
そして入って来たのは、なんと“キング”ブラッドレィ・アルトニクス。彼はその手に果物が大量に入った籠を持ち、にこやかな笑顔を浮かべていた。
「傷の具合はどうだい?」
淡雪での戦闘で、愁思郎と
冥利の怪我は肋骨の骨折で、大事には至らなかった。
本人の逆転の魔力による応急処置が、そうさせたのだ。
結果、彼女は病院の治療魔術によって、愁思郎が目覚めるよりまえに完治したと聞く。
現在は大事を取って大学に通うべく、
そして愁思郎は何よりも左腕の怪我だ。
女に噛まれたうえ、冥利と共に吹き飛ばされたときに至る箇所を折られており、さらにそれを凍結による応急処置を施したことで、死にはしなかったが長期療養が必要な大怪我となってしまった。
確かに現場で戦闘可能状態を継続するためには、凍結させてしまうのが手っ取り早い。故にあの場で傷口を凍結させたのは、最善の手だったろう。
しかしこれからの長期的な目で見れば、それは悪手へと転じる。
凍結させた細胞は解凍するとそのショックで幾分かは破壊された状態になるため、あまり怪我をいい状態では保たない。生きている人間の細胞なら、尚更だ。後々傷口は悪化し、最悪腐ってしまう。
その場限りで見ればいい手なのだが、これからの生涯を捨てるようなものだ。
つまりあの戦いで、愁思郎は天下よりもその場での勝利を取ったとも言える。左腕を捨ててでも、倒さなければいけないと本能的に察したのだ。
それだけの強敵だった。もっとも左腕を捨ててでも、愁思郎は天下になるつもりだったろうが。
しかしどちらにしても、悪手だったことに変わりはない。
怪我の具合を聞いたアルトニクスは、包帯がグルグル巻きにされた肩の傷に触れて、弱視でそれをジッと見つめると、わざと大振りで愁思郎の肩を叩いた。しかも怪我をしている方だ。
痛みで強く歯を食いしばって呻く愁思郎に、“キング”は一言。
「君は思い切りがいい」
と褒めて。
「最善手をすぐさまに思い付き、それを実行する決断力と行動力。実際に見ることは叶わなかったが、しかしこの傷が何よりの証拠だ。君は戦士としては実に優れた人間だよ」
突然の褒め殺しに、愁思郎は言葉が見当たらない。もっとも彼が部屋にやってきた時点で脳の回転はほとんど遅くなっていて、完全に不意を突かれた形だった。
そして置いてけぼりになりそうになる愁思郎を置いて、“キング”はすぐに「だが――」と続けて。
「戦士としては有力だが、魔導師としてはまだまだ卵のようだね」
突然のこの評価である。これが衝撃を受けなくてどうするか。
また違う意味で、思考回路を遅延させられる。
「魔導とはそもそも、星の魔力を自らの魔力として扱う代物だ。君の使うそれは、自らの中で完結してしまっている。確かにそういう魔導がないわけではないが、しかし君のはあまりにも閉鎖的なのだよ。自分だけの強さで、戦っている」
「そないなこと……!」
ないと言って、どうなる。
愁思郎は瞬間的にそう考えた。
妖怪の存在は世間的にも、愁思郎しか認知していないと考えても過言ではないほど、人々の認識の外の存在。それの力を借りているなどと言ったところで、理解されるはずもない。
仮に理解されたとして、だからどうなる。
愁思郎の魔導が、例えばアリスクイーン。はたまた“空挺の魔女”たるイールクラッドらと比べれば、酷く小さく粗末なものであることは変わりない。
そう、考えてしまった。
「君はもっと周囲を頼り給え。彼女達にも悪いとは思わんのかね?」
「……はい、すんません」
「謝るのは私にではないだろう? ホレ、まずはそこの彼女にだろう」
ここで愁思郎は「へ?」とまるでとぼけたような返事を返してしまった。
当然だ。何故ならたった今“キング”が差した彼女達が、冥利やアリスクイーン、ラミエルシアを差したと思ったからだ。
何故ここで、玉藻の前が出てくるのか。そんな驚愕の愁思郎を置いて、“キング”はさらに。
「今日はずっと背中にくっ付いていた女の子はいないのかね? あのときいた目玉の魔物くんに、白い女の子もだ。彼女達には特にちゃんと謝るべきだよ」
「ちょ、ちょい待ってください……え、その……失礼ですが“キング”――この子らのことを知って……ってか見えて?」
「ん? あぁやはり認識をズラす魔法でも使っていたのかね? 第二皇女や他の学生が反応しないからおかしいとは思っていたのだが」
(こ、こん人……霊が見えるんか……!)
“キング”が唐突に入って来た瞬間、玉藻はすぐに霊体化して隠れていた。その場にはいたが、姿は見えないはずなのだ、本来は。
だが“キング”は普通に見えていた。本当に弱視かと問いたいくらいにハッキリと見えている――いや、霊視に視力は関係ないのだが――様子である。
「まぁともかく、君がその隣にいる彼女達のような存在から、何かしらの力を貰い受けていることは感じていたさ。これでも世間じゃ、大魔導師として通っているからね」
「いやぁこれにそれ関係ないと……って、そこまで見えて……」
「なんだ。そんなに驚くことだったのかね? 余程この魔法には自信があったか。はっはっは」
と笑って見せる“キング”。
愁思郎はそこで一つ決心をした。玉藻の前に霊体化を解除させ、自分はベッドの上で正座。そしておもむろに頭を下げて。
「参りました」
何もかも見透かされていた。何も隠し通すことができなかった。別段、そのような勝負ではないのだが、このとき愁思郎は負けたと思った。無論、今のところは、だが。
そんな愁思郎の土下座を見て、“キング”は一瞬何故だろうという顔をした後で心中を察したように。
「どれ、話を聞こうか。何やら、訳がありそうだ」
妖怪の存在。そして魔物との違い。
妖怪について他人に話したのはこれで三人目。
この短期間に三人もの人に話すことになるとは思っていなかった愁思郎は、三人目とあって少し自身の舌がうまく回っていることに気付く。
最初こそどこから説明すればいいのかわからなかったが、短期間に三人目ともなれば、それなりに順序がわかってきていた。
愁思郎の話を聞き終えた“キング”は「ふぅむ……」と唸ると顎を撫でながら。
「歳は取るものだ。まだまだこの世界には私でも知らないことがたくさんある。先ほどは大魔導師などと言ってみたが、恥ずかしい限りだ」
と謙遜を含めながら、どうやら妖怪の存在を胸に留めてくれたようだった。
「しかしそうか。なるほど初めて聞く魔導だ。てっきりゴーレムやホムンクルスの類に貯蔵した魔力を取り出す魔法かとも思ったが、それよりも実に応用の利く代物らしい。だがそれなら尚更だ、藁垣くん。君は彼女達……妖怪と言ったか。その存在をもっと知ってもらうべきだ」
「せやからうちは、魔導師の天下を目指しとるんです。妖怪の力を扱える俺が天下を取れば、妖怪の力を皆が認識してくれる。それも敵ではなく味方として。そうすれば……」
「なるほど、大きい夢だね。しかしそれでは遅い。それに唐突にそのような秘密を打ち明けられても、多くの人間は受け止められないものだ。受け止めたとしても、藁垣くんのような手を取り合うやり方をしない者がきっと多い。人間と妖怪の溝は、増す一方ではないかね?」
「そ、それは……」
否定できない。実際にその問題は、愁思郎自身も懸念していたからだ。
妖怪の力を知った人間が、妖怪を知恵ある道具として使わないとも限らない。
現に人類は先ほど“キング”が例に挙げたゴーレムやホムンクルスなどの知恵ある生物兵器を作り出しているのだから。
「そこでだ。君の夢の第一歩として、まずは第三魔導大学に妖怪という存在を浸透させてみてはどうかね?」
「浸透て、そないうまく……」
「無論、ただ公言するだけでは何も解決しない。我らの懸念する利用する人間、が必ず現れるだろう。そこで、こういうのはどうかね?」
そこで“キング”が出した提案は、確かに効率的。しかしかなりリスキーな方法だった。
所謂、ハイリスクハイリターンという奴だが、これは博打に近い。
だが確かにやる価値はある。短期的な目でしか見られない愁思郎にとって難しい、長期的な目で見る妖怪の存在を浸透させる計画。根気のいること間違いはない。
「大学には私が話しをつけてあげよう。それでも不安なら、無理にとは言わんが」
「いえ。わざわざありがとうございます。藁垣愁思郎、頑張りたいと思います」
「よく言った。本当に君には決断力がある。あとは行動するだけだ。周囲が妖怪の存在を知れば、周囲も君との連携がうまくやれるだろう。さらに妖怪の存在を知っていれば、君もコソコソと回りくどい戦いをせず、孤立せずに済む。大いに魔導を繰り出せるぞ」
確かにメリットだらけだ。ただその分、利用というデメリットも存在する。さらに言ってしまえばこの場では出てこない脅威だってあり得る。
だがやるしかないのだ。天下を取る男、藁垣愁思郎。
妖怪浸透計画、開始である。ただし、二週間後の話ではあるが。
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