壁に耳あり障子に目ありーⅧ
妖怪、
産女と書くこともあり、死産してしまった子供を探し続ける妖怪として知られる反面、他人の子供を自らの子供として育て魂を引き抜く恐ろしい怪鳥の妖怪として描かれることもあり、二面性を持った妖怪だ。
しかしその基本は自らの子供を探し求め、育てたいという衝動で満ちている。
愁思郎、十一歳。
魔術師だった父は仕事中に謎の死。
魔法師だった母もまた、未開の土地を探索中に病原菌に感染し、この頃入院したばかりだった。
母方の親戚の家に預けられていた愁思郎は、心身共に不自由することなく育てられていたが、実の父と母のいない空間が嫌で、学校帰りに遠回りをして帰っていた。出会いは、その道中の話。
まだ冬の寒空が、太陽の日差しを温かいと感じる程度に凍えていた時期である。
愁思郎少年はこの日、今までに通ったことのない道を通ろうと思い立ち、山林の獣道を抜け出た先にある、一面の田畑広がるあぜ道を歩いていた。
冬ということもあり、すでに収穫が終わっている田畑は何かと寂し気に移る。
人けもなく、魔導四輪の通りも少ないあぜ道には、愁思郎一人しかいなかった。
別段、この光景を特別に寂しく感じることはない。
家にいても、同じような寂しさを愁思郎は日々感じていた。親戚が冷たいわけではなかったが、しかし母の温もりが恋しかったのは事実である。
母の温もりを求めてか、この日はいつも以上に遠回りをして帰ろうとしていた愁思郎。
決して一人ぼっちでいないようにしなさいと母親に言われていたが、そんなことなど忘れて一人ぼっちの帰路。だからこそ、愁思郎は彼女と出会ったに違いない。
姑獲鳥との出会い。それは彼女が、一人で歩いていた愁思郎に跳びかかり、あっという間に攫って行ったところから始まる。
両親が魔術師、及び魔法師のために、魔物の存在は愁思郎にとって既知の存在。
故にこのとき、愁思郎は魔物に襲われたと思い込み、子供ながらにジタバタと抵抗を試みた。
が、結局拘束を振り払うことはできず。愁思郎は獣道のあった山林の奥へと連れ込まれた。
「
彼女の住処なのだろう。鳥の巣のような場所に放り込まれた愁思郎は、赤ん坊を意味する稚子と連呼する彼女を仰ぎ見る。
地面を這うほど長い茶色の長髪。赤く染められた横髪を留める羽飾りを双方につけて、夕日色の着物を身にまとっている。
後から考えれば、母性の象徴なのだろう大きく張った胸部を含む肉付きのよい体は、人間にしか見えない。
唯一人外たり得た部分といえば、振袖の中に隠れている両腕に、茶色の羽が生えていることだった。
「稚子……稚子……」
無論この頃の愁思郎に稚子なんて難しい言葉はわからないし、彼女――姑獲鳥の習性も知るところではない。
故に同じ言葉を繰り返す彼女に対して、恐怖に似た感情を持ったのはおかしくないわけで。
ちなみに先に言っておくと、この頃の愁思郎はまだわざとらしい訛りなど使っておらず、決して剽軽でもなかった。
「あの……僕、ややこさんじゃ……ないのです、が」
このとき姑獲鳥は驚いた。しかし驚いたのは愁思郎が我が愛しの稚子でなかったということではなく。
「僕、私のことが、見えるのですか……?」
霊体化していた彼女を、愁思郎が見えたことだった。
* * * * *
「あのときは本当に驚きました。まさか霊体化してた私を認識できるだなんて」
「っていうか、なんであんとき霊体化してたんや?」
「それは……稚子が見つかったと興奮していたら、気が動転してしまって……」
七年後、愁思郎一八歳。
危険地域にて未知の女と戦い、勝利の果てに表層より意識を喪失。
その意識は深層心理の奥深く、過去の死人と対話ができる場所にまで沈み、本体は深い眠りについていた。
死んだ相手ならば誰でも出会えるわけではない。今までに会えているのは姑獲鳥だけだ。それこそ、彼女が愁思郎と縁の深い妖怪だからかもしれない。
そして彼女の魂が、未練によってまだ浄土へと送られていないからかもしれなかった。
「姑獲鳥、まだ成仏できんか……?」
元々姑獲鳥とは、死産した自分の子を探すためにこの世に残り続ける女の霊。
妖怪としての死を迎えたとして、その本懐が遂げられていない以上、成仏は難しいのだろう。
彼女もまた自身の未練を理解しているようで、半ば諦めたような表情で微笑を浮かべる。
しかし同時、彼女も理解しているはずなのだ。
死んだ我が子は、すでに浄土で待っているということを。故に成仏してしまえば、すぐに我が子に会えるかもしれない。
だが彼女はひたすらに、成仏しようとはしない。何故ならそれは――
「まだ、見てませんもの。あなたがこの世界の天下を取るところ。私は、それを見届けたいのです」
「そ、そうか?」
「えぇ。あなたはもう、私のもう一人の稚子なのですから」
愁思郎の頬が紅潮する。「そないなこと言われたら照れるやないかい」と、本当に照れていた。
彼女が母親代わりだった時期も、短かったがある。あの日攫われた日から始まった数か月は、愁思郎にとってかけがえのない日々だ。
そして今の言葉で、彼女にとってもそれだけ大事な日々だったのだとわかった。それが嬉しかったのだ。
それに何より、もう一人の稚子と言ってくれたのが嬉しかった。母親代わりにしていた愁思郎と同じように、息子代わりにしてくれていたのだと知れたからだ。
「ほな、さっさと天下取らんとな。それまで見ててくれるか、姑獲鳥」
「えぇ、もちろん。しっかり見ていますよ」
「おぉ! 俺が天下取るとこ、よぉ見ときぃ!」
「はいはい。さぁ、あまり友達に心配をかけてもいけません。早く戻ってあげなさい」
「……せやな。そうするわ」
意識が表層へと戻りつつあるらしい。
転移の魔術が頭の中にイメージとしてあるせいか、転移の魔術陣に乗っているときのような光に包まれる。
そのとき「あ! そうだ言い忘れてました!」と姑獲鳥が何かを思い出した様子。何かと思えば――
「愁思郎! 決して軽々と女の子に手を出してはいけませんよ!」
「って、重大なこと思い出したみたいにしてそれかい! ってか、何心配してんねん!」
「だって、最近人間の女の子と一緒にいること多くなってきたし……とくにあの鵺の子とは同棲までしてるし……」
「大丈夫や! うちを信じ! うちはそないな腰振り男やないから!」
「そ、それは信じていますが……」
「……大丈夫や、姑獲鳥。うちを信じ。いずれあんたの墓の前に、別嬪のお嫁さん連れてくるさかい、楽しみにしとりや!」
そう言い残して、愁思郎は深層意識の中から消えていった。
またいつ、ここに潜って来れるかもわからない。
姑獲鳥は表層へと上がっていった愁思郎の残滓を見上げて「お嫁さんか……」と溜め息交じりに漏らすと。
「えぇ、楽しみにしていますよ。愁思郎」
こうして、愁思郎は怪我にによる意識の喪失から戻って来た。
そしてベッドの周囲を見ると、側で寝ている
姑獲鳥の気掛かりに対して「まさかな……」と若干の不安を感じつつ、杞憂だろうと思いたい愁思郎。
そんなわけがないと完全に否定しきれなかったのは、たしかに囲まれていて嫌な気分はしないくらい、彼女達が美しく可愛い女性だったからに違いない。
愁思郎は自身に、これから先理性を保ち続けられるかと問うたが、できると言い切る自信は、やはり希薄だった。
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