壁に耳あり障子に目ありーⅡ
一二時将という、この世界における頂点である魔導師が一二人、存在する。
それぞれがその役割と特性から、暦の名を世界に与えられており、さらにもう一つ通り名的あだ名が存在する。これは彼らが一二時将としてなる前より、世間からそう呼ばれたものだ。
『睦月の魔導』“科学師”マーシャル・ヴィルクラウブ・ロー。
『如月の魔導』“雷皇”ハンニバル・クラウドリー。
『弥生の魔導』“聖女”ジャンヌ・ドラゴニオ。
『卯月の魔導』“英雄”ベルクラシオ・レイニードル。
『皐月の魔導』“狩人”フリン・クーアラン。
『水無月の魔導』“女帝”
『文月の魔導』“悪魔”ジルクラッド・アドバン。
『葉月の魔導』“騎士”シャルロット・マーニャ・イフォン。
『長月の魔導』“処刑人”クロス・ヴォイ・シンドラー。
『神無月の魔導』“メイカー”フルスピア・カーノット。
『霜月の魔導』“魔王”
『師走の魔導』“キング”ブラッドレィ・アルトニクス。
噂では一三人目が存在するともあるが、しかしこの一二人が、この世界で最強の一二人とされている。
その中の一人にして、この世界で最強の魔導師はこの男。
『師走の魔導』は
ブラッドレィ・アルトニクス。
「すまない、そこの君」
年齢五六。
鼻下に黒い髭を生やした老紳士。
生まれつき弱視で眼鏡をかけているが、年齢と共にさらに悪化し、白杖代わりに杖をついている。
現在とある軍事国家の魔導第大群を率いる現役の軍人であり、そのため軍服姿。地位は大将。現役の同僚に元帥の地位を譲っているからだ。「兵士の方が気が楽だ」と言うのが彼の言い分である。
そんな彼に声を掛けられたその少女は、思わず目を丸く見開き固まった。
魔導師を目指す者ならば誰もが憧れる存在。アルトニクスに声を掛けられて、平然としている魔導師候補生などいるわけがない。
「ん? 失礼、どこかでお会いしたかな。君の顔に少し見覚えが……」
「わ、私はアリスクイーン・トリスメイヤ。トリスメイヤ皇国、第二皇女です。直接的な邂逅はなかったかと思われますが」
「これは失礼をいたしました、アリスクイーン様。まさか貴殿がこのような場所におられるとは。第三魔導大学に通っておられるので?」
「え、えぇ」
片方は皇女。
片方は世界最強の魔導師。
互いが相手を尊重し、敬意を敬う姿勢。しかし、アリスクイーン個人からしてみれば、憧れの魔導師たるお方が自分に対して丁寧語を使ってくることがなんとも凄い違和感で、彼女にとって皇女という立場がこれほど邪魔になる瞬間はなかった。
尊敬すべき対象を、純粋に尊敬の眼差しだけで見られない。
必ずそこには皇女としてのプライドと、皇女としての立ち振る舞いが邪魔してくる。このときばかり、自分が皇女でなければと思ってしまう。彼女自身、都合が良すぎると思うのだが。
「それで、何用です?」
「少し道を尋ねたいのです。生憎と目が悪くて道路標識が読めず、困っていましてね」
「わかりました。できる限りの協力をしましょう」
ラミエルシアが、藁垣家のお泊りを決めたのは二日前のこと。
まさか藁垣家当主の戦闘育成係、
しかしその後悔も、ほんの少しだけ。
ラミエルシアは愁思郎の実力を実際には目にしていない。
アリスクイーン戦は皇女の自滅だったし、赤舌との戦いは見ていない。さらに言えば、最後の瞬間は目を閉じられて見させてもらえなかった。
無論、最後の惨い敵の死にざまを見せなかったのは、愁思郎の優しさであることはわかっている。だけどもそのおかげで、愁思郎の実力はまるで見られなかった。
だから嬉しかった。特訓という場だけでも、愁思郎の実力がわかった。
体術は上級レベル。
魔力量は中の上。
咄嗟の判断力や危機回避能力など、それら能力値を総合的に見れば、世界にある全一六の魔導大学、それぞれの頂点たる学生と戦って、引けを取らないだろうと思えるほどのものだ。
実際自分が戦っても、敵わないんだろうなと思ったラミエルシア。
今後、実戦訓練などで手合わせをすることもあるだろうが、それ以外の場ではなるだけ戦わないことを決めた。
少なくともアリスクイーンのように、自分から喧嘩を売るような真似はしない。
と、彼女のことを思い描いていたからなのか。口には出していないが「口から出た実」なのか。「藁垣愁思郎!」と、相変わらず喧嘩腰の皇女様の声が玄関の方から聞こえて来た。
「客か?」
「あの声は、皇女様か……」
「知り合いなのか」
「腐れ縁や。それより隠れた方がえぇ。皇女様は妖怪を知らん」
「止むを得んか」
組み手の決めとして、両腕を愁思郎の背中で捕まえていた針女は、それを離して実体を消す。
それを合図に藁垣家の妖怪全員がその実体を消し、今さっきまで賑やかだった藁垣家は、静謐と化した。
腕を痛めかけた愁思郎は、その手をさすりながら、自分より先にダウンしていた
そして、その頭に手を置いて褒めた。
針女の組み手はまったく手加減抜き。愁思郎も、何度も骨を折られたことがある。
だがそれ故に、愁思郎の体術はかなりのものに育っている。それでもまだ、針女には届かない。彼女の特技はその髪の針を使った弓矢だが、彼女は愁思郎よりもずっと高いレベルだ。
そんなレベルの針女との組み手で怪我をしなかった冥利に、愁思郎は関心していた。
彼女の戦闘は前回の実技の授業で見てはいたが、格下相手だったために実力の底は見えなかった。だからこそ、格上相手の針女との組み手で、負けはしたものの怪我をしなかった彼女を褒めた。
愁思郎の中では、戦闘に置いて怪我をしないことが一番難しいと考えている。
体のどこかを棄ててでも勝利するのは、実はそう難しいことではない。
負けながらも怪我をしないことの方がとてつもなく難しい。怪我をしないとはすなわち、それだけの基礎を覚え、実践できるということなのだから。
だから愁思郎は褒める。ただ手を置き、そのまま撫で下ろしただけだったが、しかし冥利としては充分に褒められたことに値し、嬉恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「なんやねん、皇女様。喧嘩なら今はよしてくれへんか?」
「うっさい。あんたに用があるって人を、連れて来たのよ。感謝なさい」
愁思郎は細目だが、決して視力が悪い方ではない。
だが皇女様の声が聞こえたことで、そこにいるのは皇女様だけと勝手に思い込み、先入観から見ることを中途半端にしてしまった。
故に玄関を開けた瞬間から皇女様と今のやり取りをして、そこから彼女の隣にいる人間が誰なのかを確認する時間ができてしまった。
これは失態だったと、愁思郎は次の瞬間には思った。
彼女の隣にいる人物にはすぐに気付き、すぐさま最大の敬意を払っておくべきだった。かの最強魔導師、ブラッドレィ・アルトニクスがそこにいると知っていれば、こんなボロボロの姿で迎えることもなかったというのに。
(ってかなんで、魔導のキングがここにいんねん?! あの国の王様は今、隣の王様と会談中のはずやろ?!)
「君が藁垣愁思郎くんかね?」
「は、はい……お初にお目にかかります、藁垣愁思郎です。失礼ですが、ブラッドレィ・アルトニクス……さんで?」
「ほぉ、私を知っているのかね」
(いや知らん方がおかしいわ……! 逆になんで向こうがこっち知ってんねん?! その方がおかしいわ!)
まさか変化の類の異能ではないかと魔力感知を試みたが、そもそもアルトニクスの魔力をちゃんとは知らないためにそうかどうか見分けられない。
まだまだ無名の魔導師候補生の名を、天下の魔導師が知っている。嬉しい反面、こんなにも怪しく見えてくる。
「いい反応だ」
そんな言葉が突然に。これには愁思郎も不意を突かれた。
「私が本物かどうか判断できないのだろう。魔力感知で個人を識別するとは、応用力に長けた証拠だ。学長の言う通り、君は筋がいい。少々魔力の放出が荒いが、治せば相手に勘付かれることもなくなるだろう」
まさかの高評価。
最強の魔導師にそんなことを言われて嬉しくないはずはない。
だがまだ怪しい部分は抜け落ちておらず、素直に喜べない。そんな、何とも言えない気持ちで受け止めようとすると、アルトニクスは笑いだして。
「そうかそうか! まだ本人確認もしていないというのに、素直には喜べないか。ではこれで、信じてくれるかね?」
そう言って、彼が差し出したのは名刺だった。
一二時将の名刺は特注品で、本人でなければ作ることはできない。それだけで充分な身分証明書。それを見せられれば、信じるも信じないも、もう本物と断じるほかなった。
「御無礼いたしました、“キング”ブラッドレィ。して私に何用でしょう」
「そう畏まらんでもいいさ。まぁ好きに呼んでくれて、構わないがね」
立ち話もなんなのでと部屋に上げられたアルトニクスは、出された茶を啜ってホッと一息。
その目の前で彼と対する愁思郎は緊張ばかりで、故に他に意識を向ける方向があれば、そちらに突っ込んでしまうわけで。
「なんで皇女様もいるんやっけ?」
「何よ、悪い? かの“キング”がいらしてるのよ? 貴重なお話が聞けるかもしれないじゃない。ここに来るまでに許しも得ているしね」
(まぁ元々、ここに来る予定だったし……もっともそんなこと、死んでも言わないけど)
前回訪れたときと、同じ用件で上がり込んだアリスクイーン。
しかし前回は針女の緊急要請で相手にしてもらえず、代わりに冥利と何か話したようだったが話題は愁思郎も訊いていないので知らない。
故に今回も何故彼女が来たのか知るはずもなく、愁思郎は彼女の言い訳を聞いて(まぁそれもせやな……目の前に“キング”がいて、いなくなる方もどうかしとるわ)と納得していた。
「あぁ……茶が美味い。君が淹れたのかね? 実に美味いよ」
さすがというべきか、落ち着きを払ったアルトニクス。
二人の若き魔導師候補生から至近距離で注目を浴びながら茶を飲み、非常に落ち着いていた。彼の地位となれば人から注目されることばかりだろうし、慣れているのだろう。
「さて美味い茶も頂いたし、本題に行くとするか」
アルトニクスはそう言って、愁思郎に一人の名を出し、知っているかどうかを訊いてきた。
愁思郎は知っていた。何故ならそれは愁思郎やアリスクイーンが通う大学、そこの学長の名前だったからである。
「彼と私は級友でね。毎年入学した生徒の中に逸材を彼が見つけては、私が品定めをしているのだよ」
「ま、まさかその逸材がうちなんて話じゃ……」
「生憎とそう言う話だよ。彼も今年は豊作だと随分喜んでいた」
学長からのお墨付き。
この上なく嬉しい話だ。
行く行くは学長と接触し、コネクションを築くこともできるかもしれない。そんな期待を膨らませている愁思郎の隣で、アリスクイーンはなんとも言えない顔をしている。
「というわけで早速、君の実力を見せて欲しい。突然押し掛けたんだ、今がダメなら別の日にしてくれて構わない。他にも品定めしなければいけない生徒がいるからね」
「え……」
(うちだけやないんかい?!)と愁思郎が思ったのは無理もない。
今のアルトニクスの話では、逸材は一人というニュアンスを想起させるものだった。冷静に考えれば「今年は豊作」と言っている時点で一人なわけがないのだが、しかしぬか喜びだったと愁思郎は自惚れていた自分を責めた。
そしてその側では、緊張と期待のアリスクイーン。アルトニクスがもう一人以上の逸材の可能性を口にしたことで、それがもしも自分だったらという可能性が出て来た。
学長のお墨付きで魔導世界の“キング”直々の品定め、皇女でもこの先一生ない栄誉を得られるこの機会。逃したくはない。
「で、受けてくれるかね?」
今はあくまで愁思郎の品定めかと、アリスクイーンは問わなかった。
いつか自分にも来るのなら、そう焦ることも急かすこともない。落ち着いて待つことを選ぶ。
そして愁思郎もまた、選択を迫られる。
今さっきまで針女相手に組み手をやっていた。正直ベストコンディションではない。
だがそれを理由に逃げていいものか。相手は“キング”。万全の状態だったとしても、現段階の実力で勝てると思うほど自惚れることはできない。
「――よろしくお願いします。うちの力、試させてください」
試してみたい。
敵わないとはわかっている。が、それでも今の段階でどこまで通用するのか。
その背中はまだ遥か彼方か。それとも肉薄できるのか。“キング”と呼ばれる男と自分の距離は、果たして実際にはどれくらいで、どこまで迫れるか。
この機会を逃しても、“キング”は待ってくれるかもしれない。だけどチャンスというのは本来いつまでも待ってくれているものではない。
思い立った瞬間に掴めなければ、それは気泡となって手から抜ける。
戦闘に置いてそれは命取りであり、今後魔導師として生きることを望むのならば、鍛えておいて損はない能力と言える。
だからこそというわけ、だけでなく、実際に“キング”を目の前にして、試してみたいという欲が強く出たという話である。
「そうか。では急かすようだが、早速始めよう」
「そういえば、具体的には何を……?」
「ん? 言ってなかったかな?」
そういえば言われていなかった。
“キング”の品定めというものだから、勝手に彼との組み手を想定していた愁思郎だったが、本人はまだ組み手だなんて一言も言っていない。
今さっきまでそれをしていたこともあって、脳の思考ベクトルがそっちに傾いていた。
「これから私と、魔物討伐に出てもらう。私の目の前で魔物を倒してくれればそれでいい」
「その討伐、私も同行しても構いませんか」
アリスクイーンが名乗り出る。
彼女もまた組み手であると勝手に想定していたがために、魔物討伐と聞いて我慢ならなかったのだ。魔物討伐なら、愁思郎の隣で魔物を狩り、その実力を診てもらえる絶好の機会。消極的だが、例え学長の目に留まっていなくても、これなら見てもらえる。
「私は構わない。が、それを決めるのは君だ、藁垣くん」
「う、うちですか?」
「そうだとも。君の実力を見るんだ。君が邪魔だと感じないのなら、何人連れて行っても構わない。あまり遊び感覚の友人を連れられても、困るがね」
「いいでしょ?」
アリスクイーンの実力は、前回の授業である程度わかっている。
彼女なら、魔物と相対してもある程度なら問題はないだろう。それよりかむしろ、それが狙いなのだろうことは、愁思郎でも想像がつく。
別にそこは独り占めする気はない。彼女もまた魔導師として、高みを目指す者。ライバルだ。いずれ蹴落とすことになるかもしれないが、蹴落とすのなら実力が備わったときに直々に。それでこそ、天下だろう。
そんなわけで唐突ながら、“キング”による品定めが始まった。
場所は闇紅の隣国、
昔に大型の魔物が現れて滅んだ、今も尚レベルの高い魔物が生息する、第二高位危険地域に指定された場所である。
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