壁に耳あり障子に目あり

壁に耳あり障子に目ありーⅠ

 ラミエルシア・ホル・インデックスについて少しだけ。

 彼女は北東の貴族インデックス家の長女として生まれ、他の王族貴族同様に魔術、魔法、及び魔導の英才教育を施された。

 一三歳のときにある出来事がきっかけで本格的に魔導師になることを志し、現在通う第三魔導大学への入学を果たした。

 現在は闇紅の隣国にある別荘地にて使用人らと暮らしており、徒歩と路面電車で毎日通っている次第である。


 その敷地内での藁垣愁思郎わらがきしゅうしろうと妖怪赤舌あかしたの戦いから二日後のこと、ラミエルシアは自室に籠り、本日受けた授業の内容を復習していた。

 魔物の種類別に、それとの戦闘の仕方を学ぶ授業。

 この日はトカゲ型の魔物についてだった。

 しかし愁思郎が二日前に狩った大顎のオオトカゲではなく、四足歩行でチラチラと舌を覗かせ、自ら尻尾を切って逃げることもある、割とオーソドックスな魔物だった。

 対処法としては目が頭の左右にあるために横にはつかないこと、切り落とした尻尾には毒があり、体表から溶けて気化し始めるので近付かないこと。討伐方としては真正面が死角になるので真正面から脳天を穿つ、もしくは遠距離から炎系統の魔術で焼き殺す。毒は熱処理できるので、後者が最も効果的である。

(私炎系統の魔導使えないんだよね……皇女様とかが羨ましい)

 どうして皇女と王女は炎系統と縁があるのかなぁなどと思いつつ、ラミエルシアはノートを閉じる。

 明日から二日間の休日を挟むため、その休日の準備を始めた。普段ならば魔導師になるための参考書を読み耽るか、趣味の散歩で遠出するかだが、今回は違う。

 歯ブラシと歯磨き粉のセット。

 着替えはスペアも含めて三着分。

 読書のための眼鏡と眼鏡拭きも付けて、あとはあれとこれと――そう、明日から一泊のお泊りだ。生まれて初めてだから緊張もあるが、しかし楽しみの方が大きい。

 初めて泊まる友達の家。両親がいる頃ならあり得なかった初の試み。ちょっとした背徳感も感じつつ、しかしそれ故の好奇心がとどまることを知らない。

 そんな両方のドキドキを胸に秘めて、迎えた翌日。集合場所である大学の門前に十分前に着いたのに、相手はもうすでにそこにいた。

「おぉい! 愁思郎!」

「おぉ、来たな?」

 待っていたのは藁垣愁思郎。

 青い着物に身を包んだその姿は、完全にプライベートスタイル。

 しかし袖の中には愛用の魔術礼装【種子島たねがしま】が仕込まれており、例え今すぐ出動となっても臨戦態勢へと持って行ける。

 ラミエルシアも軍服ではなく軽装だったが、その背に背負っているリュックの中には愛用の礼装が入っていた。

 魔導師を目指す者、いついかなるときにでも戦闘できるようにしておくのは初歩的な身構えということである。

「早めに来たつもりだったんだけど、もしかして待たせちゃった?」

「いいよいいよ気にせんで。うち、女の子との待ち合わせんときは三〇分まえに集合してるタイプやねん。デートには遅れたくない主義なんや」

「アハハ! そっかぁ! デートだって思ってくれてるんだ、嬉しいな! ありがと、愁思郎!」

 狙ってか天然か、若干前傾姿勢での上目遣い。

 異性にそんな姿勢を軽くやってみせたラミエルシアに、嫉妬めいた感情と視線を向けるのは「デート行ってくるわぁ」という出かけの愁思郎の発現を聞いて飛んできた、雪女ゆきおんな美白みしろだった。そのすぐ側には、付き人ならぬ付き妖怪の雪女郎ゆきじょろうが一人。

「何あの子……愁思郎にあんな、あんな……!」

 美白が爪を立てた電信柱が凍り付く。雪女郎はちょっといたずら心が働いて、もう少し嫉妬に燃える上司を見て面白がりたいという遊び心から、それを止めなかった。雪女と共に、連れ添って歩く二人を尾行する。

 愁思郎とラミエルシアの距離が近ければ「近い……」

 愁思郎がラミエルシアを他の通行人から庇って寄せるように肩を抱けば「か、肩?!」

 ラミエルシアが愁思郎に行きたい店を示そうと袖を引っ張れば「あの子ぉ……」と、反応する美白がとにかく面白くて、雪女郎は後ろでクスクス。美白はそんなことなど構うこともなく、尾行を続けた。

 実際、霊体化すれば尾行など誰にも怪しまれずにできるのだが、美白はそんなことなど忘れて実体のまま、高校の制服のままで尾行していた。

 故に周囲からは変に見られているのだが、そのことにも気付かない。それだけ彼女は愁思郎の尾行に集中していて、かつそれしか目に入っていなかった。

 雪女郎は機転を利かせて自らも実体を持ち、愁思郎の背を追いかける美白のポケットから携帯端末を抜き取ると、操作がわからないので電話をするフリだけをして。

「はいもしもし……えぇ、はい。ただいまです。彼女、とってもよさそうな人ですよ? 安心してくださいな」

 と、兄を慕うあまりに心配でデートを尾行してきてしまったという、なんとも非現実的なくらいお兄ちゃん大好きっ子という設定を勝手に設けることで、周囲の怪しむ目を回避した。

(まったく霊体化すればよろしいのに……そうすればあの方みたいにできますのにね?)

 と思う雪女郎。その視線の先には、ラミエルシアと愁思郎のデートに引っ付いている彼女がいた。

「そういえば愁思郎、あの子は一緒じゃないの?」

「おるで? 今は自分の後ろに」

「え、ホントに?!」

 そう言って、背中を見ようとするラミエルシア。当然背中が見えるはずもないし、その背後に憑いている存在も見えるはずはない。

「霊体化しとるから見えはせんよ。ここで見えたら大変や」

「愁思郎には見えてるの?」

「そういう魔導やからな」

「ふぅん……」

 と、最寄りの路面電車乗り場まで歩いて、そこから路面電車に七駅ほど乗り、さらにそこから徒歩で十分ほど歩けば、藁垣家に到着であった。

 門前にはいつも通り、石畳の玄関に並ぶ四つの石灯篭。そのうちの一つに目玉が現れ、二人を仰ぐ。

「ただいま帰ったわ、灯篭どうろう

「おぉ旦那。おいみんな! 旦那が帰って来たぞ!」

 裏庭から回って来たのは、箒そのもの。進むだけで道を掃くそれは愁思郎の目の前でピョンピョンと跳ねると、柄を使って器用に玄関を開けてみせた。思わずラミエルシアから

「おぉ……」と漏れる。

箒神ほうきがみ、掃除ご苦労さん。今日はちぃと熱いさかい、早めに上がってえぇで」

 箒神と呼ばれた箒は釈をすると、その場からまた道を掃きながら去っていく。

 化け灯篭といい、ラミエルシアからしてみれば新鮮な光景で、緊張とワクワクが同時に込み上げて、表情を染めていく。

 さらに玄関から入ると、長い廊下の両端で妖怪が列を作っていて「お帰りなさいませ」と首を垂れて出迎える。

 貴族の生まれであるが故にその光景も決して見慣れないものではなかったし、幼少期には自分も度々受けて来たが、しかしラミエルシアは驚いた。

 何せ出迎えているのは人間ではない。人型のそれもいるが、明らか人とは違う異形のそれが、人間である愁思郎を敬い、こうして出迎えていることに、驚きを禁じ得なかった。

「怖いか?」

 驚いているラミエルシアに、愁思郎が訊く。ラミエルシアは首を横に振って「愁思郎ってすごいんだなぁと思ってさ」と返した。率直な感想だった。

「そんなこと言われたのは初めてやわ。まぁいいわ、上がり」

「お邪魔しまぁす!」

 愁思郎が家に入ったことで、ずっと背後に憑いていた後神うしろがみも顔を出す。愁思郎の頬に頭を擦り付けてアピールし、その頭を撫でられた。

 その様子を見たラミエルシアはちょっとウズウズした様子で、後神の頭を撫でたそうにしていたが。

「すまんが、この子はうち専用や」

 と愁思郎に言われてしまった。

「実体化してていいんだってさ……」

「妖怪を見ても驚かない子なんて何年ぶりだろうねぇ」

「旦那様はご理解のあるご学友をお持ちだ」

 そんな、妖怪達のささやきが聞こえる。自分が稀有な存在なのだと言うことを、ラミエルシアはここで自覚した。そして同時、愁思郎が色々な呼び方で呼ばれていることに気付く。

 「旦那様」「愁思郎様」「親方様」「主様」種類はあるが、系統は同じ。どれも愁思郎を主と仰ぎ、敬うものばかりだった。誰一人として、寝首を掻いてやろうという者がいない。

 いやまぁ、人前でそんな野望を口にする者もいないだろうけれど。

 愁思郎から、百鬼夜行とは言っているが、すでに百なんて超えていると聞いた。それだけの存在をまとめ上げるには、どれだけの努力が必要だったのだろう。その努力を、今も尚続けているはずだ。

 そしてこうして実際に彼らを見てわかる。彼らは決して、愁思郎の力に屈しているだけで、着いて来ているのではない。

 彼らは器に惚れたのだ。

 例え力が自分の方が上でも、どこか別の部分で敵わないと、愁思郎に惚れ、認めているのだ。

「粗茶ですが」

「あぁ、どうも……って、え?」

 見えなかった。そう思った。

 粗茶ですがとお茶が出て来たのはいいとして、それを出してくれた存在も、その手の指先すらも見えなかった。何が起きたのかまるで理解できない。

 お茶を出したのは影女かげおんなで、その特性故に姿を見れないことなど仕方ないのだが、それを知らないラミエルシアは(こんなすごい実力者まで従えてるって、愁思郎って何者……?!)と一人驚愕しながら茶を啜った。

 そうしていると、愁思郎がやってきた。

 ラミエルシアはちょっと緊張の面持ちだ。

 ちょっとした自慢になってしまうが、愁思郎が通した客間はラミエルシアの自室より狭い。故にその空間に、男女二人切りでいるということにドキドキしていた。今回のお泊りで、緊張していた理由の一つでもある。

 そんなことなど知ってか知らずか、愁思郎は後神も憑けずに入って来て。

「さ、修行と行くか!」

「へ……?」

 間抜けた返事を返してしまったラミエルシアは、愁思郎に連れられて庭へ。

 すでに愛染あいぜん冥利みょうりが、手ほどきを受けている最中だった。

 透き通った蒼い長髪。

 普段からそうなのかそれとも手解き中だからそうなのか、上半身はノースリーブ。

 しかし下半身は和装の鎧をがっつり着込み、足袋まで履いている。上半身の装甲は左胸と右腕だけという、なんとも奇抜な格好をしている女性だった。

 無論、彼女も妖怪の一体。

 

 藁垣家百鬼夜行幹部妖怪が一体、針女はりおなご


 赤舌事件の際に救援を求めていた妖怪で、そのときは無事に先遣隊が間に合い、救出された。

 しかし本人としては愁思郎にとってのいい戦闘経験値を積む機会だと思い、わざと信号を送ったらしい。彼女は昔より愁思郎の戦闘指導を担当しており、その実力は百鬼の中でもずば抜けているタイプだった。

 針女はその髪を針のように鋭いものへと変え、相手を襲う攻撃的な妖怪である。

 元は人間を追いかけ回し、家に逃げ込めばその針で家の戸をズタズタにしたことからその名がついたとされている。執着の具現化のような存在だ。

 後神のように、名や存在の由来がそのまま性格になっているかはわからない。しかし彼女の性格は、執着の具現化として相応しいものをしていた。

「愁思郎、遅かったな」

「あぁすまんな姐さん。ちょいと影姉と話し込んでもうて――」

「今は終わったのだろう? ならば、さっさと準備しろ。約束したはずだ、私がいる間は手抜きは許さんと。その剽軽な態度もすぐさまやめろ。本気で来い、さもなくば殺す」

「いやぁ、その、今は友達もいるしそういう過激な発言は――」

「発言は、なんだって? 私と、約束したよな?」

 ラミエルシアはもちろん、愛染もゾッとする笑みを向けてくる。

 その指には自身の髪を抜き取って作った矢が挟まれており、いつの間にか握り締めている弓で愁思郎に向けて放とうとしていた。

 というか、もう二撃放たれて、首を傾げた愁思郎のすぐ側を通過していた。

 愁思郎も笑顔だが、若干顔が青ざめている。

 針女の髪はその名の通り鋭利な針で、障子などいとも簡単に切り裂き、さらに石でも貫通する威力だ。頭なんて、簡単に貫かれる。

 それを躊躇いなく放って来る針女が、正直怖く感じてしまった女子二人。

 彼女は一度決めれば絶対に曲げることなく、超絶ストイックにやり遂げる。

 故に愁思郎に戦闘について師事をされた彼女はその約束を遂げるため、しつこいくらいの執着心とストイックさで愁思郎を鍛え続け、今に至る。

 今の愁思郎の戦闘力は、彼女の手によって磨き上げられたものだと言っても過言ではない。

 故にあまり上から物を言えない愁思郎だったが、正直怖いしときどきしつこいなぁと思わなくもなかった。

 だがやっぱり戦闘の上では師であるため、反論はできず。

「おまえが愁思郎の学友か。妖怪の存在を認めている稀有な人間だとか。初めまして、私は針女。今日はとことん、おまえを鍛えてやろう。そういう約束、だからな」

 約束を守るためなら手段を択ばず、さらにどこまでも付いて来る。まさに執着心にも似たその指導方針の凄さに、ラミエルシアは自分から頼んだこととはいえ、二日前の自分をちょっぴり恨み、後悔することとなった。

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