後ろ髪を引かれる思いでーⅧ

 妖怪、赤舌あかした

 その姿は獣のごとく、常にその名の由来となっている舌を出した妖怪である。

 『口は災いの門』という諺を体現した存在とも呼ばれ、出している舌はその災いを表しているとか。

 水門に住まうことからその災いは水に関するものとされ、水を操る妖怪ともされている。地域によっては水の神と崇められ、その怒りを買うと水を絶たれるとされてきた。


 しかしそれも昔の話。今は妖怪という種族は魔物と同一視され、そもそも妖怪という区別さえされていない。

 神や仏と同じくその存在が不確定とされている妖怪は、その姿形を魔物と見られて、異能力者らの駆逐対象へとなっていた。それがかつて人々が崇めていた神だろうと、関係なく。

 故に妖怪らは行き場を失い、実体を持つことも許されない。

 霊体ならばほとんどの人間には見えなくなるし干渉もできないが、しかし愁思郎しゅうしろうのような稀有な存在に見つかれば、即刻その首を落とされかねない。

 妖怪らに安息はなく、自分が殺されるときを恐れながらヒッソリと霊体で暮らすか、その異能で人間らを襲い、自らの恐ろしさを知らしめて悠々と生きてみせるか。どちらも危険な綱渡りであるが、しかし選択肢はこの二つである。赤舌はその後者を選び、貴族の私有地内に縄張りを作り上げたということらしい。

 かつて神とすらされていた赤舌の能力は凄まじい。

 雨雲など自ら発生させ、そこから降らせる大砲のような雨。風をも吹かせて嵐のような速度で襲い掛かって来る水が、愁思郎から呼吸を奪う。

 雨風の中で体を動かすストレスと負荷、さらに体温が下がっていくことで、愁思郎から体力と気力までもを奪っていく。

 連続で魔弾を放ち、嵐の防壁に風穴を開けるが、すぐさま閉じて突破口が開けない。自分を吹き飛ばしそうなほど強烈な雨と風に耐えるが、愁思郎は自身の体力がすり減っていくのを感じて歯軋りした。

「どうしたどうした! 殲滅するのではなかったのか、人間! 天下を取るなどと宣った割にその程度か! 下らんぞ、実に下らん!」

 赤舌も勝った気なのだろう。

 いや、実際この状況では勝っていると思っても仕方ない。

 配下の魔物もまた、自身が繰り出す雨風のせいで体力を奪われ、愁思郎の妖怪らに倒されていることなど、別段危機に感じていない。他の妖怪も、愁思郎と同じく弱らせることができているからだ。

 魔弾も雨風の防壁を射抜いては来るものの、赤舌までは届かない。届いたとしても触れるまえに落とされてしまうくらいに弱弱しく、なんの問題もなかった。

 しかしこの状況。愁思郎ならば銃弾が赤舌に触れてさえいればまだ脱することができる。そうしないのはそうできないから。

 雨と風の凄まじさで呼吸が難しいこの環境では、視界は三メートル先すら利かず、赤舌の位置を魔力で感知してはいるものの、銃弾が実際に届いているかどうかは、雨風が弱まっていないことから、当たっていないと察する他なかった。

「攻撃力が足らんのぉ」

「あいつの後ろに回っちゃえば?」

「奴の位置がわからんとなぁ」

 後神うしろがみの能力も、対象となるものの位置を把握できていないと発動できない。正確な位置を把握していないで使うと、そこに遮蔽物があった場合、思い切り激突する。

「そぉら、とっとと吹き飛んでしまえ!」

 声のする方向に撃てば当たる、なんて簡単ではない。

 余裕からだろう、赤舌は最初の位置からずっと移動していない様子だが、雨音が凄すぎてぼんやりとしか聞こえない。侮辱しているのはなんとなく、途切れ途切れでもわかるのだが、今必要なのは話の内容ではなくて。

「おのれ、まだ耐えるか……ならば――喰らえ!」

 その言葉の直後に愁思郎に届いてきたのは、なんと赤舌の舌。

 水をまとった舌が伸びて来て、愁思郎の腹を抉る。水も高圧高速で叩き込めば、鉄筋コンクリートくらいの硬度と化し、凶器になるのだ。

 この一撃で、赤舌は確実に愁思郎の臓器を潰したと、その感触から確信した。

 高笑う。嘲笑う。

 こんなものか、この程度で天下を取るなどとよくもほざいたものだ。

 くだらない。くだらない。やはり人間はくだらない。この程度の種族に何を怯える必要がある。異能を発揮した人間が、何故そんなに恐ろしく思える。

 妖怪と比べれば寿命は十分の一にも満たず、転べば怪我をする脆弱な肉体。そして自分達と異なる形の生物を見ればすぐさま気味悪がり、さらにそれが言葉を話せば駆逐の対象として見る浅ましさ。そんなにも臆病で、自己防衛が過剰な生物もほかにいない。

 何も臆することはない。何も怯えることはない。

 妖怪よ、立ち上がれ。

 人間は脆弱なり。

 我ら妖怪こそ、すべての生物の頂点に立つべき存在――と、そこまで赤舌の思考が発展したところで、それらの思考は崩れ去った。

 理由としてはただ一つ。その眉間に、銃口を突き付ける人間がいたからである。

「よぉ。なんか感じるから言っとくわ。久し振りやな」

「き、貴様……!?」

 手ごたえはあった。

 確かに臓器を潰し、殺したはずだった。

 だがそこに、藁垣愁思郎はいた。赤舌は先ほどまでと今の自分の現状の違いに、驚きを禁じ得ない。

 全身が鎖で雁字搦がんじがらめにされていて動くことができず、その二丁の銃口が眉間に密着していて、それを握り締める愁思郎が赤舌の長い舌と鼻の頭を足場にして、やっと捕まえたぞと言わんばかりの笑みを浮かべている。

 今さっきまで雨風の中で弱弱しかった人間が、いつの間にか自分に銃口を向けているその光景の違いが、赤舌に混乱を招く。事態の理解が追いつかず、その場で硬直するしかない。

「さぁ終いにしよか」

「ま、待て――」

「待たんわ」

 【種子島】に、湿気の量は関係ない。それどころか、水中ですら撃てる代物である。

 一縷の望みとして、火薬の湿気で銃弾の不発を願った赤舌だったが、しかしその望みは叶わなかった。嵐のような雨風の中にいたというのに、なんとも乾ききった銃声が響く。それと同時に赤舌の巨体が木から落ち、水溜りに体を打ち付けて飛沫を上げた。

 しかし、赤舌は生きていた。

 眉間を撃たれたのに外傷はない。いつの間にか鎖による拘束も解かれ、その場から逃げ出すこともできる体勢であるはずなのに、赤舌は逃げようとしない。逃げないのではなく、逃げられない。その巨体には今、一つの魔術式が全身を巡って、体の自由を奪っていた。

「安心せい、ただの“重力弾”や。己に普段の五倍の重力をかけた。どや、自分の体が五倍重くなった感想は」

 たかが五倍程度と思うかもしれない。

 しかし赤舌のような巨躯を持つものからしてみれば、自分の体重が五倍になるとこの上なく重い。それこそ、動くことなどほとんどできないくらいに。

 今さっきまで相手の自由を奪っていたのに、今度は自分が自由を奪われる。この皮肉な状況に、赤舌は納得ができなかった。一体何が起こったのか、理解しようと頭を動かすが。

「何が起こったかわからんっちゅう顔やな。なぁに簡単なことや。己が出してきた舌を受けて、それを伝って肉薄。んでそのまま雁字搦めにした後、眉間に銃口突き付けてご覧のとおりや。どや、単純明快やろ?」

 言われてしまえばたったそれだけ。確かに、それだけのこと。なのに赤舌が理解できないのは、あれだけの手応えがあって愁思郎が無傷であることだ。

 人間の臓器など軽く潰れる攻撃力のはずだった。繰り返すが、手応えもあった。なのにどうしてそれを喰らってなんともないのか。

 そのトリックはこうだった。

 舌が迫って来たとき、愁思郎はいち早く察して“重力弾”を撃っていた。

 撃たれた舌はそれによって重さを削られ――もはや重さがなくなっていたと言ってもいい――テレフォンパンチと化していた。

 それを鎖を巻いた腹で受けることは造作もないことで、カウンターする形でその舌のする方向にのみ意識して魔力探知を行えば、索敵完了。

 あとは銃が投げて届く距離まで跳び、そこから操作魔術で飛ばして捕えるだけ。

 と、最初の攻撃を喰らう前に対処していただけの話であるが、愁思郎が語らないために赤舌は何故、どうしてと自分の脳内で繰り返すばかり。だがすでに猶予などなく、眉間に再び銃口が突き付けられる。

「終いにしよか、赤舌」

「ま、待て……待て――」

「なんやねん、命乞いか? でもまぁせやなぁ、己、うちの百鬼に加わる気はあるか?」

「き、貴様の百鬼にだと――」

「この世界じゃあ何かと生きにくいやろう。うちら藁垣家の門下に加われば、それなりの生活を保証しようやないか。今のところ食うに困っとるもんもおらんしな」

 妖怪が人間を襲っているのは、この妖怪が生きにくい世界に憤慨しているが故だ。赤舌もまたその類であることは、これまで多くの妖怪を勧誘して来た愁思郎も理解していた。

 だから百鬼に加えることで、知性のない魔物を従えてお山の大将を気取っているこの妖怪を、救えると思った。

 自分の百鬼で喰い逸れている者は今のところいないし、玉藻たまもの仕事――株取引を仕事と言っていいのかはわからないが――も順調かつ好調だ。何より仲間達といることで、人間社会に圧し潰されそうになっているその心を救うことができると考えた。

 現に百鬼に加わることで、救われた妖怪も多いと愁思郎は思っている。単なる自己満足かもしれなかったが、しかし見過ごすことはできない。

 それが百鬼夜行という魔導を持つ、自分の責務だと愁思郎は考えていた。霊体化している妖怪の姿すら捉えられる自分は、そういう役目を負っているのだと。

「さぁ、どないする?」

 自己陶酔と言ってもいい。言われても仕方ない。

 だけど助けたいと思ってしまう。今も背に憑いている後神のように、本当は人間と一緒に――

「愁思郎?」

 不意に、愁思郎は自分の名を呼ばれて振り返る。

 そこに何故彼女がいるのかわからなかったし、一瞬思考が停止した。

 しかしそこにいたのは間違いなくラミエルシアで、彼女以外にあり得なかった。

 そして気付く。ここはだということを。

 同時、赤舌が動いた。

 愁思郎の意識がラミエルシアへと削がれたその一瞬の刹那に、その体を雲のようにとろかして滑り、ラミエルシアへと向かって行く。

(馬鹿め油断したな人間め! 貴様のように甘い言葉で惑わせて、自分だけ密を啜る人間を我は知っているぞ! むしろそれしか知らん! そこについている阿呆共のように、我はいかんぞ。今はこの人間を人質にしてでも、ここは撤退して――)

 と、自身でも意外と冷静じゃないかと思うくらいに冷静だった赤舌は、自らの体を雲のように流動にするという、逃避のためにしか使えない、しかし確実なる奥の手を繰り出し、ラミエルシアを人質にして逃げようとした。

 が、その眉間に銃口が突き付けられる。それは後神の能力でもって、赤舌よりもずっと速くラミエルシアの背後を取り、肩を抱き寄せる形で護りつつ、その銃口を赤舌へと向けていたのだった。

 事態の把握に追いつかないラミエルシアだが、突然異性に抱き寄せられて目の前には自分を狙って迫って来ていた敵。

 それから護ってくれる愁思郎の今の立ち位置は、まるで童話の中のお姫様を護る王子様のようで、護る立場になりたいラミエルシアですらも、幼い頃に愛読した童話が頭の中で重なってときめきそうになるくらい、異性からしてとても魅力的なものであった。

「それがお前の答えか?」

「あ、あぐぁ……」

「残念やなぁ……ホンマ、残念や」

 愁思郎は今まで、数多くの妖怪を勧誘して来た。

 しかし決してそのすべてが、愁思郎の門下に加わったわけではない。人間という種族を信じられず、愁思郎に最後まで牙を剥き、人間を殺そうとした者達もいた。

 だから仕方なく。まさに後ろ髪を引かれる思いで、引き金を引く。

 ラミエルシアの目をとっさに覆うと同時に、轟いた乾ききった銃声。寂しく響くそれが反響して、愁思郎らの耳に返って来る頃には、赤舌の断末魔がかすれて聞こえなくなっていた。

「愁思郎」

 後神が優しく、肩に乗せている手を回して愁思郎のことを後ろから抱く。

 その腕にラミエルシアを抱いていた愁思郎だったが、背後から顔色を覗き込んでいる後神に向いて、とても寂しさのこもった笑みを見せた。

「しゅ、愁思郎? どうしたの、苦しいよぉ」

「あぁ、すまんな。女の子にこんなとこ見せんのもあかんなぁ思ってな」

「……そっか、愁思郎は優しいね」

 「それにしても……」と、ラミエルシアは周囲の魑魅魍魎に気付く。とっさのことで皆が実体のままであり、姿を隠すことができないまま、ラミエルシアに見られてしまったのだった。

 このまま妖怪らを掃討するため戦うラミエルシアと即戦闘、と思っていた愁思郎だったが、しかしラミエルシアは「えぇぇ、っと……」と間を溜めてから。

「とりあえず、うち来る?」

 と、まさかのお誘いをしてきたのだった。

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