後ろ髪を引かれる思いでーⅡ

 東西南北とその間にそれぞれ一つずつ。

 さらに中央と、計九つの大陸によって構築されているこの世界。

 藁垣わらがき愁思郎しゅうしろうが住まうのは北東の大陸。

 その大陸の中でも小国に位置づけられる国、闇紅やみくれない

 愁思郎と百を超える魔物――妖怪達の住まう屋敷が存在する場所である。

 正面に立派な門を構え、周囲は塀が囲んでいて中を窺うことはできない。

 仮に塀を乗り越えたとしても愁思郎と妖怪らが張った特殊な結界が侵入を遮り、やはり中を窺い知ることは叶わない。

 木造建築で、立派な瓦屋根の大きな家だ。そこに愁思郎と、百を超える妖怪達が住まっている。

 藁垣家の朝は早い。

 というよりも、妖怪達はほとんど寝ることがないので、基本的にいつでも賑やかだ。

 魔導師になるべく日々夜遅くまで勉学に励み、就寝時間もままならない愁思郎であるが、もう慣れてしまい、彼の平均睡眠時間は四時間を切っていた。

 それで充分な体になってしまったので、問題はないのだが。

「おはようございます、旦那様」

「あぁおはようさん。すまんが、飯食い終わったらみんなを集めてくれるか?」

「は……」

 妖怪達の彼の呼び方は、統一はされていない。「愁思郎」と呼び捨てる者もいるし、愛称をつける者もいる。「旦那」「大将」本当に様々だ。

 だが彼らの愁思郎に対する忠誠心は、同じく高い。

 それが憧れか、焦がれか、期待か、その種類はまた様々なれど、愁思郎という器に惚れ込んでついてきたことだけは、事実である。

 故に愁思郎が招集をかければ、皆が黙って従う姿勢。

 中には愁思郎と出会うまで暴力的だったり、残虐な妖怪も多いが、彼らはその牙をさらに鋭く尖れつつも、愁思郎という存在によって丸め込まれ、実に大人しくなっていた。

 集合場所は決まって、藁垣家二階の大広間。唯一、愁思郎と藁垣家の妖怪全員が集まれる場所だ。無論数がいるので、天井裏などにも何体か潜む形だが。

 愁思郎が上座に座り、その前に藁垣家にて妖怪達を仕切っている、いわば幹部と言える愁思郎の側近らが座布団に座す。そしてその周囲に、他の妖怪達がゾロゾロと群がっている形だ。

「朝っぱらから呼び出してすまんのぉ、己ら」

 妖怪一同、首を垂れる。

 何も言わなかったが、主の招集ならばいつでも駆けつけるという、彼らなりの忠誠の証だった。

 藁垣家本家の妖怪をまとめる幹部は十体。その中でも最高幹部と言われるのが、愁思郎の一番近くに座る彼女である。

 名を玉藻たまもの前といい、妖怪世界では知らぬ者はいない大妖怪。

 またの名を九尾の妖狐と呼ばれ、その名の通り九つの尾を持つ狐の妖怪である。普段は女性の姿をしており、紅葉柄の着物をまとった端麗な人だ。

 そんな彼女が代表し。

「とんでもございません、旦那様。我々藁垣百鬼夜行、総勢八〇四。旦那様のためならば、いついかなる時でも応じましょう」

「ありがとうな、玉藻姉。さて、今回呼んだのはほかでもない。昨日、大学のに行って来た。今年合格したんはおよそ七〇人弱。倍率三五〇倍の中から合格できたんは、みんなの協力あってのことや。改めて、お礼を言わせてもらいます。ホンマ、ありがとう」

「もったいないお言葉にございます」

 全員、再び首を垂れる。

 この重々しい空気は愁思郎の望むところではなかったが、しかしこれもまた慣れてしまった。

 まるで極道の世界のようだが、別段意識したつもりもない。ただ自然と、そうなってしまったのだ。

 ずっと古くから生きている妖怪の世界では、このような上下関係が当たり前なのだろうことを想起させる。最も他がどうかは知らないし、他があるのかも知らないが。

 ともかくそんな空気を裂いて発言するのは、ほんのわずかばかりの心労が嵩むのだが、しかし繰り返す通りもう慣れてしまった愁思郎はみなに頭を上げさせて。「そういうわけで、大学生になるわけやけども……」と少し言いにくそうにしながら話を続ける。

「これを機に、うちに憑くもんの数を減らそうと思う」

 ざわざわっと、魑魅魍魎がざわめく。

 彼らにとってのざわめきとは怪異的な現象を差し、この場に一般人がいればすぐにでも悪寒を感じ、毛布にくるまるくらいはしたかもしれない。

「旦那様、それは……理由をお聞かせくださってもよろしいでしょうか?」

「前の試験でわかった。高校でもそうやったけど、うちは少し自分らの力に頼り過ぎてる節がある。もっともうちの魔導は、自分ら妖怪の能力を引き出して借り受け、発現するっちゅう代物。頼らざるを得ないのは、間違いないんやけどな」

「そういう魔導なんだから、仕方ないじゃない。なのに何が不満なの、愁」

 そう意見したのは幹部の一体だ。

 妖怪としてはメジャーだろうその存在を、雪女ゆきおんな

 水色の飴のような透き通った長髪に真白の着物。真白の肌と蒼い双眸、と、諸説ある雪女伝説を体現したかのような姿と美しさだ。

 愁思郎のことを「愁」と呼び捨てる彼女は、この百鬼夜行の中では古株である。愁思郎との付き合いも長い。

 普段は実体を持ち、愁思郎の従姉妹という設定で住まう妖怪だが、度々愁思郎に憑いていっている。

 やはり彼女も、愁思郎の器に魅了された妖怪の一体であることは間違いない。故に今回の「人数を減らす」宣言は、少々納得のいかないところでもあった。

 しかし雪女がそう言ってくることも、愁思郎からしてみれば想定の範囲内であって。

「せやけどこれからは、うちもうち自身に鬼にならなあかん。いつまでも自分らに甘えて、お山の大将決め込むわけにもいかんのや……うちは、天下を取る。そのために自分らの力を借りるのは当然やけど、借りてばかりもあかんのや。うち自身の向上が、まるで見込めん。成長途中の身で停滞はあかん。しゃんとせなあかんのや」

 その言葉に、彼なりの決意が現れているのは聞こえて取れた。

 故に誰も意見する者はいない。大将が自らの成長を望んでいるのに、それを止める者は阿呆だろう。

 天下を取るという彼の悲願のためにも、必要なことなのだ。愁思郎ももう一八。独り立ちする時期である。

 だが雪女が言った通り、受験の実技試験でも圧倒した魔導は、妖怪達の力あってのもの。完全に一人にすることはできないが。

「そこでや。今日からいつも五人憑いてくれてたんのを、二人にしよう思うてる」

「いきなり二体とは、少なすぎませんか? せめて三体に……」

 ちなみにだが、妖怪の数え方は魔物と同じく一体、二体と数える。

 愁思郎が一人、二人と数えるのは、妖怪と魔物をまったくの別物と捉えているところが大きい。彼にとって人型にもなれ、意思もある妖怪と何もない本能だけの異形の魔物は、まるで違う存在であった。

 妖怪の間では魔物と同じ数え方が通っているので、彼女達はこの数え方だが、愁思郎は気にしていない。

「前の試験で、大学のレベルは大体わかった。やっぱり噂通り、弱体化しとるわ。二人だけで事足りるやろう。もちろん、試験とかのときは三人……もしくは四人で行こう思うてるけどな」

「……わかりました。それが旦那様の御意思とあらば」

「心労を掛けて申し訳ないな、玉藻姉」

「いえ。それで、本日は誰をお憑きにいたします?」

「まぁまずは、後神うしろがみ――」

「やったぁ!」

 そう言って、背後から抱き着く後神。

 背後霊と似て似つかない彼女は全身を愁思郎に押し付けて、強く抱き着く姿は愛情表現の一つなのだろう。

 彼女は愁思郎が憑かせる数を減らすと言ったから心配していたようだが、周囲からしてみれば彼女は確実に憑いて行かせるだろうと思っていた。愁思郎に最も長い間憑いている彼女を除いて、愁思郎の護衛などあり得ないと誰もが思っていた。

 故に愁思郎に憑いて行けるのは、あと一体。

「あとは……」

「旦那! 旦那ぁ!」

 話を遮って、屋敷に轟く声。

 それは玄関からで、門から玄関までの道に並ぶ灯篭の一つ、化け灯篭という妖怪のものだった。

 石の灯篭の中に目玉が一つ。普段は灯篭になりすまし、侵入者を許さんと見張っている。そんな彼が呼び時は、来客のときだが。

 愁思郎は二階から、化け灯篭のいる石畳を見下ろす。

「どないした、化け灯篭。今集会中なんやけど」

「わかっとる! 無礼を承知だが、旦那! お客さんだ!」

 化け灯篭には、客が来たらいち早く知らせるよう言ってある。しかし彼には微弱ながら念波を送る能力があり、普段はそれで知らせてくるのだが、声で教えてくるところ、どうやら化け灯篭の存在を知っている者のようだ。

 この屋敷とは別の場所に住まう妖怪が、挨拶にでも来たのか。

「わかった! すぐ行くから待っとれ!」

「旦那様、念のためにお供を」

 何度か愁思郎を蹴落として自分が百鬼夜行の主になろうと画策した妖怪が、挨拶しに来たことがある。そのときは本当に挨拶だけだったり奇襲を仕掛けて来たりと様々だったが、とりあえず警戒はして損はないだろう。

「せやな……後神、そのまま背中に憑いとれ。羅刹女らせつにょ天夜叉てんやしゃ!」

「おぉよ!」

「……はい」

 羅刹女。

 長身で若干筋肉質。露出が多めで、特に一本筋の入った腹部は見せびらかしたいらしい。長刀を武器としているが、レスリングやプロレスまで齧った藁垣家の警備妖怪だ。

 天夜叉。

 物静かで「静謐」を体現したかのような静かな女性。夜叉であるのに般若の面を被っており、素顔はほとんど晒すことがない。しかし実力は羅刹女に次ぐものであり、彼女と同じ藁垣家の警備妖怪である。

 その三体を引き連れて、愁思郎は玄関へと赴く。門の前には確かに妖怪の一行が待ち構えており、その組のだろう家紋が描かれた旗を翻していた。

 周囲の人々が何も反応しない辺り、人の視線を外す能力か魔術の類を使用していると見られる。

 「あなたか、藁垣愁思郎様は」

 と、鬼の妖怪に訊かれたので「そうや、うちが藁垣愁思郎や」と返す。向こうがこちらのことを知っているのにこちらが向こうを知らないということは今までにも多々あり、愁思郎は警戒を始めた。

「なんや、失礼ながら見たことない家紋やけど。自分らどこのもんやねん」

「我らは大妖怪、ぬえ様に仕える者。今日はお主に挨拶に参った」

(鵺やと……?)

 鵺のことは知っている。

 愁思郎の百鬼夜行にはいないが、しかし親しい仲だ。

 随分前に牛鬼という妖怪を鎮める際、共に戦った仲である。しかし家紋を知らないとなると、分家ということか。もっとも、分家と本家で家紋が異なるなんてことはありはしないと思うのだが。

 ともかく、鵺は知っている。

 しかし鵺が何用だろうか。その共に戦ったとき以来、手紙でのやり取りはあったものの、こうした接触はなかった。余程の一大事なのか、それとも暇潰しに喧嘩でも吹っ掛けに来たか。彼がそんな性格でないことは、知っているのだが。

「鵺か……久しく会うてないなぁ……元気か?」

「えぇ、まぁ……

 探りを入れたつもりだが、少々事情がありそうだ。鵺に何かあったらしいが、それを報告するためにも挨拶に来たのかもしれない。

「今日は会っていただきたい方がいるのです」

「ほぉ、うちに? なんや、うちの百鬼に加わりたい言うなら考えんでもないで?」

「まぁそれも含め、まずはお会い頂けますでしょうか」

「なんや、急かすなぁ。まぁうちもこれから学校さかい、ほなら早う会おか」

「おい!」

 鬼がそう呼ぶと、首のない数体の妖怪によって籠が運ばれて来た。

 江戸時代くらいから存在していたかのように感じさせる古いつくりだが、しかし綺麗な籠だった。妖怪という古い生き物といるとはいえ、割と古風な登場に、愁思郎は少し驚かされた。

 籠なんて、愁思郎自身乗ったことはない。

 そんな籠から出て来たそれを見て、愁思郎はさらに驚かされた。

 妖怪世界の言葉で言えば「化かされた」のだろう。

 紫色の頭髪に緩めに被った帽子。

 ゆったりとした真白の服装。

 顔以外では唯一露出している肩と絶対領域が米のように白く、服と引けを取らない。紫色の双眸で愁思郎を見上げたとても小さな女の子は、甘えるような微笑を浮かべてくる。


 愛らしい。


 そう、直感で思わされるほどの愛らしさを、その小さな体躯に詰め込んだ少女は、愁思郎にその小さな頭を下げて。


「お初にお目にかかります、藁垣家総大将。私の名は愛染あいぜん冥利みょうり。あなた様の戦友、鵺の娘にございます」

 そんな感じで、色々あったこの日初の登校は、五分ほどの遅刻をしてしまった。

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