後ろ髪を引かれる思いで
後ろ髪を引かれる思いでーⅠ
「おまえ、あの問題できた?」「いや、俺は全然。君は?」「うぅん、私も微妙……」と、今日で会ったばかりの彼らは、互いをライバルと認識しつつも、情報交換し合って次の実技試験へと気持ちを向ける。
午前の筆記試験で散々だった者も午後の実技試験で高得点を取れば、まだ合格の道が開けるとあって、皆が本気だ。
その中の一人が、
念のために受けた滑り止めの受験は見事合格した。
滑り止めはあるのだし、後はこの本命の大学で合格するだけである。
そのためにも、実技試験でよい結果を出したいところ。(筆記テストはぼちぼちだったなぁ)くらいの感触だったからというのもあるが、しかしそうでなくてもいい結果を残して悪いなんてことはないはずであるから、意気込みは大事だと彼は自分に言い聞かせていた。
「ねぇ君! こんなところで何をしてるの?」
とりあえず午後の実技試験に向けて、腹いっぱい食っておかなければと、人けの少ない階段下のフロアで弁当を食べていたとき、一人の青年が声を掛けて来た。
高校の制服かだろうかそれとも私服だろうか、まるで軍服のような衣装に袖を通した女性だ。左右で色の違う瞳は一瞬、カラーコンタクトを入れているのかとも思ったが、どうも体質によるものらしい。何千人に一人くらいの、稀なケースだ。
快活な様子の女の子は愁思郎の隣に座ると、その色の違う双眸で表情を覗き込んでくる。瞳そのものに何か仕込んでいるのか、それとも元々そういうものなのか、彼女の双眸には美しい花が咲いているように見えて、綺麗だという感想を愁思郎は抱く。
「いやいや、まぁ綺麗やけどな」
「?」
「あぁいや、なんでもあらへんよ」
独り言だと、その場は済ます。愁思郎は誰もいない自分の背後に一瞥をくれると、目の前の彼女の質問へと立ち返り、剽軽に。
「なぁに、午後の試験に向けてたんまり食うておこう思うてな。腹ごしらえしてたんや」と返すと「そっか! わかるわかる! 私もいっぱい食べて、ちゃんと試験合格しなきゃ!」
なんとも元気のいい子だ。第一印象は、誰もがきっと好印象を抱くだろう。感じられるものといい、彼女は人としても実力者のようだ。愁思郎はその判断から、彼女をライバル視し始めた。
「うちは藁垣愁思郎、自分は?」
「私は、ラミエルシア・ホル・インデックス! みんなからはラミって呼ばれてるの! よろしくね、愁思郎!」
「おぉ、よろしくな」
実技試験は受験番号の順に行われ、二人の出番はまだ遠い。故に時間があり余っていて、二人はその間に情報交換をすることにした。
時代は百年も前のこと。繁栄を築いていた人類の文明を、突如として怪物らが襲って来た。
当時の兵器では歯が立たず、人類は為す術もなくその数を七分の一にまで減らされた。しかし人類は滅亡までのカウントダウンが始まるか否かというところで、最後の足掻きに出た。
人類はそれまで、怪物――後に魔物と呼称されることとなるそれらに対抗すべく、より強力な兵器を作ることばかり執着していたが、とある生物学者によって、人間の体そのものを開発する研究が行われた。
その結果、人類は進化に成功した。
脳を開発することでそのリミッターを九割解除し、体内の生命エネルギー、魔力を元とした異能の力を発現することに成功したのである。
その力の名は大きく三つ。
特定の媒介と魔力を元に発現する魔術。
体内エネルギーの魔力でのみ発現させる魔法。
そして、体内だけでなく星の力そのものをも巻き込んで発現するものを魔導と呼んだ。
その規模の大きさと威力及び効力から、下から魔術、魔法、魔導の順で力の序列があり、さらにそれを扱う者もまた同じ順で、魔術師、魔法師、魔導師と階級がある。
愁思郎とラミエルシアを含む生徒達が今この場で受けているのは、その中で一番上の存在、魔導師を目指す者が誰しもが憧れる、とても大きな大学の受験である。ちなみに会場は、大学ではない別の公民館だ。
実技試験は己が得意とする異能を用いての戦闘試験である。
異能を発現させたそもそもの目的、魔物討伐を現段階でどれだけ実践できるかという試験だということだが、詳細はそのときになってわかるらしく、どのような試験が行われるのか、具体的にはわかっていない状態。
しかし噂だけは流れてくるので、今はそれを頼りに、どのような試験が行われてどんな対策が必要か、その議論を交わしているのだが。
結局二人の議論は白熱したもののそれ止まりで、対策を立てるまでには至らなかった。放送によって受験番号を呼ばれ、それぞれ指定された試験会場へと向かう。愁思郎が向かった会場はドームになっていて、そこで三つほどの試験が同時に行われているようだった。
「受験番号8091、入れ!」
会場には監督官の魔導師による結界が張られており、流れ弾が外へと行かないようになっている。その外の観客席で他の受験生が試験を受けている人の戦いの様を観戦できる仕様だ。もっともほとんどの受験生は自分のことで手一杯で、他の人のを見ようなどという余裕はなかったが。
その中で他の受験生の試合を見ていた数少ない受験生の一人だった愁思郎は、受験番号を呼ばれて観客席から華麗に飛び降りる。余りにも自然に身を任せて飛び降りて着地したので、誰にも咎められることはなかったのだが。
「ハハハ、すまんすまん」
独り言かと誰もが思う中、愁思郎は試験管の元へと赴く。実技試験の詳細が、ここに来てようやく発表されるのだ。
「今回は魔物討伐を想定し、私が召喚する召喚獣と戦っていただきます。戦闘の勝敗は合否には直接関係ありません。主に戦闘の内容を審査します」
「もしもの場合ですけど、瞬殺ぅなんてことになったらどないなるんですか?」
失礼なのは承知の上ですが、と付け足す。
「何も召喚するのは一体だけではありません。こちらの審査が終えるまで、戦い続けて頂きます。なので仮に瞬殺だったとしても、なんの問題もありません。どうぞ全力をお出しください」
「はい、ありがとうございます」
すなわち魔物と対峙したときの戦闘力――体力。応用力。忍耐力。魔力。その他もろもろ、戦闘に関する現段階でのすべての力を見られるわけだ。筆記試験で知力を見られたあとは、その知力を持って備えられた戦略を自ら実践できるかどうかを問う。なるほど合理的である。
「あぁ、腕がなるな」
「何か?」
「あぁいや、なんでもありません」
「そう、ですか……」
(ハッキリなんか言ってたけどなぁ……)とは思いつつ、まぁ独り言だろうと結論付けて、試験官は試験を始めることとした。その後もブツブツと呟いている、それも誰かと話しているような愁思郎に対して、独り言が多いなとは思ったが、試験管もそれ以上は何も思わなかった。
「では試験を始めます。準備はよろしいですか?」
「いつでも来てください!」
「では、受験番号8091。藁垣愁思郎。試験開始!」
試験開始のブザー。
試験管の召喚。
愁思郎が自身の愛用武器を現出する。
そして繰り出す魔導の魔法の詠唱を紡ぐ。
これら一切の動作がすべて同時に行われた直後、武器を持った愁思郎の眼前に美しい毛並みを有した三つ首の狼の召喚獣が現れ、その召喚獣の咆哮と愁思郎の体から魔力が雷電のような形で可視化されて光るのが、また同時に発生した。
愁思郎愛用の武器。その姿が見えた時、周囲から何とも言えない声が聞こえて来た。驚愕と、「どうしてそんな武器を使ってるの?」と言いたげな声が混じったそれは、愁思郎からしてみれば、そりゃそうだろうなと思えるものだった。
形は、二丁の拳銃をとてつもない長さの鎖で繋いでいるというもの。無論、魔術や魔法を繰り出すのに必要な術式が組み込まれているが、皆が疑問に思ったのは形状の方だろう。
鎖鎌などの武器が鎖で繋がれているのは、基本的にリーチを稼ぐためだ。
また鎖を使って、相手の動きを止めたり鈍らせたりと言った使い方もできる。
しかしそれでも、あくまで直接攻撃がメイン。リーチを稼ぐとはすなわち、その直接攻撃を命中させる確率を上げるため。
だが愁思郎のそれは、二丁拳銃だ。中、長距離用の武器であることは間違いない。
拳銃であるからそこまでの距離の敵を射抜けるわけではないが、しかし遠くの相手を撃つ武器である。リーチを稼ぐ意味は、ほとんどない。
鎖鎌は先に刃物や鈍器がついているから意味があるのであって、拳銃を投げたところで何の意味もない。ただ当たれば少し痛いくらいだ。
なのにそれらが鎖で繋がっていることに、何かしらの意図を感じてならない。
もしも片方が刃物の類だったなら、まだいくらか愁思郎の戦闘スタイルを構想することもできただろうが、二兆の拳銃が繋がっている利点を誰も気付くことができなかった。
そんな周囲の反応に対して「ほなよぉ見とき」と愁思郎。三つ首の狼が六つの眼で自分の姿を映したと見えると、二丁の拳銃を水平に構えて発砲した。
高さおよそ二メートル半。
頭から尾までの長さ、六メートル強。
体重七八〇キロ――と推定。
銃弾を躱すには巨大すぎるその体で、三つ首は銃弾を躱し、駆け抜けていく。動く的には中てられないだろうという算段をしているのかいないのか、愁思郎の弾丸をひたすらに躱し続けていた。
ちなみにだが愁思郎の撃つ弾丸は、ごく普通の銃弾である。
仕込まれている魔術はまだ起動しておらず、まだ様子見と言った感じだ。
普通なら銃弾を媒介として魔術を展開。“
愁思郎の弾丸を躱せると判断した三つ首は、その通り三つの首を向けて突進してくる。
その顎で愁思郎の体を噛み砕こうと、磨き上げられた犬歯を晒し、舌から垂れる唾液を振り撒きながら、三つ首は銃弾の弾幕を避けつつ突っ込んできた。
「わかっとるわい」
再び誰かに何か言われたかのように返す愁思郎は、新たな弾丸を放つ。しかしこれもただの銃撃。仮に当たったとして、三つ首の皮膚を抉り、貫くようなことはできない。
しかしその弾丸の一つが三つ首の頭の一つに弾けると、愁思郎は「やっと当たったわ」と役目は終えたくらいの勢いで、構えを解いてしまった。
銃弾が当たったものの見事に弾かれ、砕かれたことで、諦めたのだと思われたのだろう声が聞こえる。愁思郎は「違うねんなぁ」と誰のとは限らずにすべてのそんな声に対して返答すると、すかさずその場から跳躍した。
垂直に跳び上がり、突進して来た三つ首の頭上を取る。すると二丁拳銃を繋いでいた鎖が思い切り引かれ、三つの首を一束にして縛り上げた。
唐突に呼吸を奪われてもがく三つ首のその頭の上に、愁思郎が乗る。そしてそのまま銃口を突き付け、今度は三つ首の脳天を貫いた。
魔導も魔法も、魔術すらも使わずして、魔物を屠って見せた愁思郎。持ち前の魔力だけで看破してみせた彼に、観客席から感嘆が漏れる。ここまでその芸当をしてみせたのは、ごくわずかな生徒だけだ。五人もいない。
試験管も、自分の担当する試験では初めてのことで驚きを隠せない様子。三つ首が消滅してから、次の召喚獣召喚までのタイミングが半歩遅れてしまった。
次なるは巨躯の鬼。牛の角に赤い肌。下腹部を獣の皮で覆い隠し、その毛皮に括り付けていた金棒を持ち上げて、仰々しいくらいに愁思郎を威嚇した。
「次は鬼さんか……うちにいるのより大きいわぁ」
「――」
「せやな。ここは……」
鬼が金棒を振り回す。数トンはあろうそれを軽々と振り回して、愁思郎を攻め立てるその様はまさに鬼。難易度のランクを現わす際にその名前が度々出てくるのも頷ける馬鹿力で、徐々に愁思郎を追い詰めていく。
が、その攻撃が次第に乱雑になり始めた。最初は攻撃を躱していた愁思郎も、その動きが徐々に少なくなり、ついには動かずとも金棒が見当違いの方向に飛んでいくため、まるで当たらない。周囲がその不気味さに気付いたときには、鬼の脳天を弾丸が射抜き、決着していた。
「まだやります?」
周囲が状況にまるでついて行けていない中、愁思郎がそう訊ねる。試験官が次の召喚獣を酔おうとしたそのとき、一人の男がやって来て、それを中断させた。
ここでの詳細な紹介は省くが、彼は世界中の誰もが知る大魔導師と呼ばれる男で、近年とある大学にて教諭を務めている。そのとある大学が、愁思郎らが受験しているこの大学だったということだ。
その彼が愁思郎に武器を仕舞う様手で促して、試験の終わりを告げた。そしてすでに自身の中で回答が出ているのだろう様子でありながら、愁思郎に問う。
「今のは……魔法。いや、魔導か?」
「自分だけの、固有魔導です」
「その歳でもう自分だけのもん持ってるのか……だが納得だぜ」
「……」
「合格だ、8091番。学長には、俺が話を通してやるよ」
「ホンマですか? ありがとうございます!」
他の受験生の誰も、彼からお墨付きをもらっての合格などなかった。初めてそんな受験生が現れて、ズルいと思う者も若干名いたが、大多数は愁思郎の戦闘を見て、自分でも理解できない境地にすでに辿り着いているのだと納得していた。
その魔導の実体を掴めている者は、まるでいない。だが二体の召喚獣をいとも簡単に退けたという事実が、愁思郎の実力を疑わせなかった。
試験の合格、受験の合格を言い渡され、気分のいい愁思郎。舞台袖へと消えた愁思郎の肩に、這い寄る手が――
「愁思郎!」
抱き着いたのは黒い長髪の女性。
オフホワイトの死に装束のような着物を身に着け、青い帯で締めている。真白の肌が見えるが、しかしその顔の肌は半分剥がれており、その下から黒い肌と黄金の眼光が見えるが、その半面を隠すために前髪を伸ばしていた。
もう片方の人の皮を被っている方の青い瞳で、愁思郎を慕う視線を送る。
「やったね! 愁思郎!」
「あぁ、よくやったな
その言葉が合図だったかのように、愁思郎の周囲に次々と姿を見せる者達。
その姿は多種多様。人の姿をしている者もいれば、先ほど愁思郎が戦った鬼もいて、さらに蟲や動物の姿をしている者まで。
魑魅魍魎、その例えが正しいだろう。
「合格おめでとうございます、旦那様。今日は赤飯にいたしましょう」
「祝い酒にしようぜ祝い酒! いいだろ、愁思郎!」
「酒、赤飯……どっちも、好き」
「あぁ、今日はみんな豪勢にやってくれて構わんよ。うちの合格と、魔導師としての第一歩を祝して、パァっとやりましょか」
魔物の種類は多種多様。
人型もあれば、鬼の異形種、三つ首の狼。様々である。
その中で、実体と霊体を使い分け、人間社会の陰に太古より存在する者達のことを、この世界では妖怪と呼んだ。
百鬼夜行を引き連れて、藁垣愁思郎、世界に名を轟かす大魔導師への第一歩。
ここに果たす。
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