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「俺らにしてみりゃ、王なんて存在は、いようがいまいが関係ねぇ。国事を滞ることなく行い、民が飢えや住む家に困らず、安心して生きていけるだけの場所を提供してくれさえすれば、それがどんな統治者だって構わねぇんだよ。俺らに税を納める義務があるのと同じように、役人には民の安全と安心を守る義務が発生するんじゃねぇのかって話だ」
「しかし、王が存在しなければ、国の理が傾きます。いずれは崩壊するでしょう」
「そんな脆い理ならさっさと崩れちまった方が民のためには良識的だ」
「たとえ王という概念が消え去ったとしても、必ずそれに代わる地位の者が現れます。民の物差しで物事を測れば、王という象徴的な存在が残ろうと、また別の新たな誰かがそれと同等の立場に立とうと、関係がないのではありませんか?」
「そこだ、寡黙な方の旦那。王ってもんは、国にとっての象徴でしかないわけだ。実際政ってのは、ほとんど臣下が行うものであって、王はそれに目を通し、御璽を管理するだけでいい」
「それではあまりに短絡的思考というものだろう。国王だって政には介入している」
「だが、その存在がなくとも、国が成り立つのは確かだ」
「……結局、何が言いたい?」
「極端な話、王や統治者なんかは必要がない。実際に民草たちは、王なんていませんでしたと言われても、これっぽっちも驚かないだろうよ。そんなものは架空の人物だって構わねぇんだ。いると思いこませれば、それと面識を得る機会のない俺たちとっては、幻すら現実になり得るんだからな」
「そんなものは極論でしかないだろう」
「極論でもなんでも、それが民草の考える現実なんだよ。なぁ、旦那。あんた方はさっきから存王派の肩を持った発言ばかりだが、そこらをほっつき歩いてるやつを捕まえて尋ねてみるといい。ほとんどが滅王派主義者なんだぜ」
悠玄は卓に頬杖をつき、腸では煮えくりかえるような感情を抱いていたとしても、決してそれを表に出そうとはしなかった。何でもない素振りで振る舞ってはいるものの、卓の下に隠した左手は、震えるほど強く拳を握りしめていた。
「上のやつらがどれだけ涙ぐましい努力をしていようと、俺らにとっちゃ知ったことじゃねぇ。だろ? 努力したから誉めてくれじゃ、まるで子供と同じじゃねぇか。結果がすべてなんだよ。それまでの過程になんて興味はないね」
そうなのだ。いくら努力をしたところで、それが目に見えて分からなければ、まったくもって意味をなさない。だが、努力は目に見えるものではないのだ。認めてもらうために努力するのではないと分かっているのに、悠玄は男の言っていることに、酷く憤りのようなものを感じた。
当たり前のことを、当たり前のように望むことは、決して悪ではない。けれど、このご時世ではそれすら望めない絶望に、民はそれほどまで落胆しているのか。
「――っと、ずいぶん話が脱線しちまったな」
嫌に真面目な顔をして話を続けていた登尊が、そう言って曖昧に微笑んだ。
「俺の持論なんか聞かされたって酒が不味くなるだけだってのになぁ」
「いや、興味深い論点だった。お陰で思わず真剣になってしまった」
「なかなかこんな話をする機会もねぇもんだから、つい饒舌になっちまう」
もう酒がないなと瓶の底を覗き込み、次を注文しようと男が振り返ったところを狙い、悠玄は表情を消して静かに息を吐いた。出会って間もないが、男が知的なことは窺い知れる。
「悠玄様のおっしゃっていた言葉の意味が分かりました」
まだ一度も手をつけていない杯を見つめていた視線を上げ、あちらを向いて新たな酒を注文しようとしている登尊の姿を見て目を細めた志恒は、続けて言った。
「彼との会話は、内容がどうであれ、運びが面白い」
「お前なぁ……」
「私はあなたほど意見が存王派に傾いてはおりませんから」
「そうだったな。俺としたことが、忘れていたよ」
話ばかりにかまけていたため、すっかり冷めてしまった料理に悠玄は手を伸ばした。しゃきっとした野菜の歯ごたえが冷めてもなお続き、味も悪くない。
魚に箸で切り目を入れて骨を抜き取っていると、登尊が思い立ったように、隣で仲間内と盛り上がっていた男たちに向かって、まるで十年来の友人であるかのように声をかけた。
「廉州へは久しぶりに戻ったんだが、驚いたね。平定されてきたと思ったら、また賊が流行はじめてるんだって? 朱翔の坊がどうだとか聞いたが」
「あんた、双師匠んところの坊と知り合いか?」
「まあ、顔見知り程度だがねぇ」
先ほど、別の場所で話題に持ち上がっていた朱翔という人物を、登尊が知っているとは思えない。それなのに、話慣れた様子の登尊は、不審そうにしている悠玄に片目を瞑って笑ってみせると、興味津々という顔をして男たちに向き直った。
「いやねぇ、実はその双朱翔宛に一通の書状を預かってきてるんだが、取り急ぎの用らしいんで早いとこ済ませちまいたかったんだよ。ここにくりゃ確実に会えるって話だったんだが、姿が見あたらねぇっていうじゃないか」
「まあ、賊に入られたってのは間違いないらしいな。邸の前に住んでる長屋の住人が、不審な集団を見たとか、見ないとか。とにかく、最近は賊が目立つんで、とりあえずお役所に届けは出したらしいんだが、当の坊が朝から見あたらないんで、話にならないってよ」
寸前までは疑るような目で登尊や悠玄たちを見ていたというのに、とある人物の名前を出し、親しげに話しかけてみれば、まるで今までの警戒が嘘だったかのように男は詳しい話をはじめた。
その様子を胡散臭そうに眺めながら、悠玄はふと思う。
確かに、関所を抜けた辺りで声をかけられた時は、層登尊という男を警戒をしていたはずだった。だがどうだろう、今は油断をすればその警戒すら忘れ、話に乗せられている自分がいる。志恒ですら会話に参加してくるほど、注意を怠ってしまっている始末だ。
不思議な男だと悠玄は思った。人の心を開かせる話術に長けているのだろうか。
これまでの会話に嘘を交えたつもりはなかったが、口にする必要のないことまで語っていやしなかっただろうかと、考えを巡らせる。
「念のために職場も見に行ったそうだが、もぬけの殻だったって言ってたっけなぁ。廉州府が管理してる書庫で、担当の官吏も来てねぇし、施錠もされたままだったらしい。最悪賊に連れ去られたんじゃねぇかって話だ」
「今どきの賊が拉致なんて面倒な真似をするか? 姿を見られて都合が悪いなら、その場で叩き切ればすむことだろう」
骨を几帳面に取り去った魚を頬張りながら、悠玄が何のこともなさそうに言うと、常連客らしい男たちは、一度は解いた警戒の色を悠玄と志恒に投げかけた。すると、すかさず運ばれてきた新しい酒を振る舞いながら、登尊は笑顔を見せる。
「こいつらは俺が雇った傭兵さ。こっちの武人は廉州の麓路出身だから、いわば同朋みたいなもんだろうが?」
「廉家お膝元の麓路と亦呉じゃ、同朋なんて失礼なことは言えねぇだろうよ。オレら下々の者から見りゃ、麓路は貴族の都だからな」
「言うほどご立派ななお家柄でもねぇって、なあ」
その廉家出身だ、などと容易に言えるはずもなく、悠玄は酒を飲みながら小さく肩をすくめて、その場を誤魔化した。
たったそれだけの共通点で態度が一変したと分かる様子を目の当たりにし、志恒は僅かに呆れ顔だ。人は自分との共通点を相手に見つけては、交友関係を拡大させていく。対して、共通点の存在しない者は付き合うに値しないと、簡単に切って捨てるものだ。
「このところ亦呉で出回ってる賊は、基本的に家主の留守を狙って侵入する手口がほとんどらしいぜ。しかも、一体何が目的なのか、金品の類や穀物にも一切手を触れた跡がない上に、家主へは危害を加えないとも聞いている」
「……たったそれだけなら、それを賊とは呼ばない」
賊とは相手の都合など関係なく家を荒らし、命を奪い、金品を強奪する。年頃の女は否応なく攫い、闇市で売りさばくのだ。
「それに、その双朱翔という人物の邸に押し入った者たちが、他の件と同一人物だという確証もないはずだ。全く別の集団なら、双朱翔なる人物を攫い、その存在を消す、もしくは攫うことによって得られる利点を利用しようと、条件を提示してくるはずだろう」
「そうは言うが、もう坊には身内なんかいやしないぜ。元々拾われ子で、養い親も三年前に死んじまったからな。それに、兄ちゃんが言ったように、別の賊が犯人だっていうならおかしなもんだ。あの邸には、売れば相当な値になる刀剣が何本もあるってのに、それらも手付かずだったって、お役人が話してたのを聞いたぞ」
「――刀剣?」
するとそこで、悠玄は妙な引っかかりを覚えた。何か重要なことを忘れてしまっているような気がする。それは何だったかと考えながら、これまでの会話をゆっくりと辿っていった。答えは必ず、その中に隠れているはずだ。
「……双、何といった」
「坊のことか?」
「違う、もう一人の方だ」
「双師匠のことを言ってんなら、双龍彰だが」
悠玄様、と志恒が囁くように呼びかける。どうやら、志恒も思い出したようだ。
下唇をゆっくりと指先で撫でながら、悠玄は卓の一点をじっと見つめ、呟いた。
「元廉州軍将軍だな」
面識を得たことは二、三度あっただろうか。自身の父と比べても寡黙だった印象があると、悠玄は記憶の中の面影を追いかける。
浄州に璃衒、廉州に龍彰ありと謳われるほど、二人は比較されることが多かった。英雄と囃し立てられようとも、決して驕ることなく、己の技術に溺れることをしなかった男たちだ。
「後期大戦中の三英雄の一人ですね」
「ああ。現役の最中、突然将軍職を退いたと聞いてはいたが、既にお亡くなりになっていたか」
内乱が終結したのは二年前だ。三年前に他界していたのなら、その知らせが届いていなくとも無理はない。元州軍将軍だろうと、それを辞した後ならば、ただの人でしかないのだ。相手が英雄であれ、喪に服している場合ではなかった。
「確か、その将軍職を辞したのも、朱翔の坊を引き取った辺りだったとか、誰かが言っていたな。今からかれこれ十八年、いや、十九年か二十年くらい前の話だ」
今度こそ、悠玄と志恒は顔を見合わせた。
その年代ならば、いろいろと辻褄が合う。英雄として名を馳せるような男が突然子供を引き取り、将軍職を退いたりする理由は、一体何なのか。
悠玄は何かを掴みかけたような気がして、思わず卓に両腕を付き、僅かに身を乗り出した。
「それで、その賊に関する情報は何か得られているのか?」
「そんなこと俺らに聞かないでくれよ、分かるわけがねぇだろ。お役人だって多くを語ってくれるわけじゃねぇ。知りたきゃ常闇にでも行ってみるんだな」
「あそこか。やはり州都機能が移動すれば、後から付いてくるもんなんだな」
「まだ坊が攫われたと決まったわけじゃないが、頼まれたっていう書状に関しては、諦めた方が得策だろうぜ」
「それが無難だろうが、まあ、もう少し手を尽くしてはみるさ。いろいろ聞かせてくれてありがとよ。せっかくだから、この酒も飲んじまってくれや」
両腕で取り上げた二本の酒瓶を隣の卓に置いた登尊は、僅かに酔いの回ったような顔で立ち上がった。つられるようにして悠玄と志恒も、同様に椅子から腰を上げ、隣の男たちに軽く目礼をする。
「女将、勘定だ」
懐から金を出そうとすれば、すぐにそれを制され、二人はそのまま飯堂の外へと押し出された。白く染まる息を吐き出しながら、すぐ側で燃える松明の炎に、僅かばかりの暖を求める。
明朝からの旅で、身体は少なからず疲労を感じているはずなのだが、先ほど聞いた話が原因で頭は冴え渡っていた。宿に戻ったところで眠れはしないだろうと思いながら、悠玄はふらふらとした足取りでやってくる登尊を振り返った。
「こりゃいけねぇや、いい気になって飲み過ぎちまったらしい」
「あんたはとんだ大ホラ吹きだな」
「なぁに、あれしきのことはホラにもならねぇよ」
松明に向かって倒れそうになった登尊の腕を掴み、悠玄は呆れたように笑う。
「誰が一晩中付き合わせるだって?」
「こりゃ悪いね、旦那」
ちりりと、微かに燃えた襟足の髪が、独特な匂いを醸す。手を放せば覚束ない足取りながらも宿に向かって歩き出し、二人はその後ろに続いた。
「悠玄様、いかがされますか」
前を行く頼りない後ろ姿を監視するように見つめながら、志恒がそう口を開いた。
「先ほどの話、無視をすることはできません」
「俺もそう思う。だが、先にこの男をどうにかしてしまおう――登尊殿」
宿を通り過ぎていこうとした男の背を呼び止め、悠玄は宿の敷居を跨いだ。
奥から出てきた主人に出迎えられながら、昔馴染みだという登尊を差し出す。どうやら半分夢うつつのようだ。器用に歩くものだと、悠玄は妙に関心してしまう。
「おやおや、こいつは随分酔っぱらったもんだ。昔から酒には弱いくせに、口ばっかり達者でね。私が部屋まで運んでおくよ」
「よろしく頼む。俺たちはまだ何件か回って来るよ」
「うんと遅くなるようなら、帰りは裏の勝手口を使っておくれ。鍵を開けておくからね」
「分かった」
ここが生まれ故郷だといっても、たいして懐かしくは思わない。
廉州の空気も、浄州の空気も大差はなく、王都で過ごした月日を考えれば、廉州での生活など僅かなものでしかなかった。
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