衝突 -1-
廉州から浄州へ向かう者の中には、商人が多い。
浄州は他州に比べ物価が高く、冬を目前にしている今は、特に高騰するのが通例だ。田畑を耕す作業が進んでいても、収穫することのできる量はごく限られている。浄州は他州からの物資に頼って生きて行くしかない。一冬を越すための穀物や、その他食糧の類を蓄えるには、そういった商人たちの存在が必要不可欠だった。
対して、浄州から廉州へ抜ける者の多くは民草ばかりで、国府はそれを止める手立てを知らない。一冬を浄州で暮らしていくだけの財力がなく、気候的にも寒さの厳しい土地であるため、致し方ないことなのだろう。誰にも、出て行こうとする者を止めることはできないのだ。
「予定よりも早く亦呉に到着しそうですね」
「そうだな」
関所を抜けたのは僅かに前のことだ。その際に、監守から差し出されたのは、廉家当主名代からの書簡だった。悠玄と志恒が関所を抜ける頃を見越し、手渡すように命じてあったのだ。緊張に震えた手から受け取ったその書簡には、未だ目を通していない。
関所を抜けた辺りから、周りには常に人の姿がある。
それは親子連れであったり、行商人であったりと様々だ。旅人をはじめ、傭兵の風貌を漂わせる男の姿もあった。
悠玄はその男に対して僅かに警戒の色を見せたが、その男は先を急ぐ旅なのか、我先にと馬の背に跨り、駆けて行ってしまった。どうやら悠玄の警戒は杞憂に終わったようだ。
時刻が午を過ぎていることもあり、通行者たちが一様に目指しているのは、関所から一番近い亦呉の町だろう。急げば、その先の町までたどり着けはするだろうが、他の者たちの中に紛れて移動する方が、今の二人にとっては安全だった。
「なんとも立派な馬を連れてるなぁ、旦那方」
手綱を引きながら歩いている悠玄の背後から、誰かが気安げに声をかけてくる。
歩みを止めないまま振り返れば、軽装ではあるものの、旅人風の浅黒い肌をした男が、物珍しそうに悠玄の馬を眺めているのが見えた。
悠玄は一度志恒を見やり、軽く肩を竦めてから男に視線を戻す。
「こりゃ軍馬だな。旦那、軍人さんか何かかい?」
「そういうあんたは?」
「名乗るほどのもんじゃねぇさ。その太刀も、見間違いじゃなけりゃ、相当な名刀だ」
「何故そうと分かる?」
「商売柄武人と関わることが多くてね、ひと目見りゃ大概は分かるもんさ」
「生業は鍛冶屋か。蹄鉄も打てば馬にも詳しくなる」
「こんな立派な軍馬にはそうそうお目にかかれはしねぇがなぁ」
何気ない会話を悠玄が装っている傍らで、隣を歩く志恒が、代わりに警戒の目を男へと向けていた。武人風の二人組を捕まえて会話を目論むなど、相当な物好きか、もしくは何かを企んでいるのではないかと疑られるのは当然のことだろう。
「言ってしまえば、俺ぁ元々葵州の出でな。師匠は葵家お抱えの、それなりに名の知れた刀鍛冶だったんだが、死んじまったあとは兄弟子が後を継いでいい暮らしをしてるってのに、俺ときたら哀れなもんさ。腕だけは一級品と自負してるが、この通り随分と口も達者なのが玉に瑕。それが原因で、兄弟子ともめにもめて、最終的には破門ってわけだ」
べらべらと、よくもこう安易に語って聞かせるものだと呆れたような表情を浮かべながら、悠玄は不自然ではない程度に、男の身なりを今一度盗み見た。
薄汚れた手拭いを頭に巻き付け、後頭部でそれをしっかりと縛り、固定している。見るからに固そうな髪が僅かに覗き、太い眉と意志の強そうな目が強調されたむき出しの顔は、非常に彫りが深い。着ている衣は薄汚れ、所々継ぎ接ぎをあてがった箇所も見受けられた。履いた沓には何度も修復した様子が見て取れる。爪先が破損しているのか、細い麻の紐で固定しているようだ。
「それで拠点も構えずに旅から旅の生活を? 失礼だが、それほど儲けているようには見えない」
「旦那のおっしゃる通りよ。腕がいいだけじゃ、この商売は上手くいかねぇ。葵州ではもう鍛冶屋としてやってけねぇもんだから、外へ出てきたわけだが、ご覧の通りこのナリに、このザマだ」
「葵州でそれなりに名の通った鍛冶職人といえば、昔から林一門が有名だな」
「さすがに詳しいねぇ、旦那。俺がいたところは林門家筋の、層ってんだ。層登尊、それが俺の名前だった」
「あいにく聞いたこともない名だ」
「こりゃ容赦のねぇお方だ。気に入ったぜ、旦那」
一言で切って捨てた悠玄に、男は一瞬言葉を失い、瞠目して見せた。
しかし、次の瞬間には腹を抱える勢いで爆笑をはじめ、もう数年来の友人にそうするように、悠玄の腕を親しげに叩く。
「今晩の宿はもう決まっているのかい?」
「いや、亦呉の宿を適当にあたってみるつもりだが」
「そんなんじゃ今晩は野宿になっちまうぜ。安いだけが取り柄の宿でよけりゃ、一緒にくればいい。主人が昔馴染みなんで、部屋の二つくらいすぐに空けてくれるさ。別途で厩代をぼったくられる心配もねぇ」
「せっかくのお申し出ではありますが――」
「志恒」
すぐさま断りを入れようとした志恒の言葉を遮るように、悠玄は片手を持ち上げた。その制止に押し黙った志恒は、気に入らないといった表情を微かに滲ませたまま、前方に目を向ける。
悠玄がその横顔をじっと見つめていれば、そこに男がにじり寄ってきた。自身よりも背の高い悠玄の耳元に顔を寄せ、こっそりと囁いた。
「そっちの旦那はずいぶんと気難しそうだ」
「気にするな、いつものことだ。顔に似合わず人見知りをする体質らしくてな」
聞こえているとでも言うように向けられた視線に、悠玄は小さく苦笑し、隣を歩く男を見下ろした。
「迷惑でなければご一緒したいが」
「迷惑なもんか。このところひとり旅が続いていたんで、退屈していたところだ」
「無口な同行者とはなかなか会話が弾まなくてな」
「酷い言われようじゃねぇか、寡黙な旦那。言い返してやらないのかい」
快活そうな笑みが自分を見上げていようと、志恒にとって知ったことではないらしい。ただ無愛想な一瞥をくれてやるだけで、新たな旅の同行者を快く迎え入れてやろうという気は更々ない様子だ。
「俺のこたぁなんと呼んでくれても構わねぇが、旦那方の名は?」
「では、敬意を持って登尊殿とお呼びしようか。俺は悠玄、これは志恒だ」
「悠玄の旦那か、いい名だな。確か今の廉家長子も同じ名だった」
「あんたに知らないことはないとみえるな」
「廉家といえば剣豪を多く生み出すことで有名だからな、鍛冶屋としては当然の知識じゃねぇか」
「その調子だと葵家にもいろいろと詳しいのではないか?」
「そりゃまぁな。とはいえ、さすがに葵家三兄弟と面識を得たことはねぇが」
ちょいといいかいと、手を伸ばしてきた登尊は、悠玄の腰から剣を鞘ごと抜き取ってしまった。悠玄は異を唱えることなくその様子を見守っていたが、半歩後ろを来る志恒が、静かに柄へ手を伸ばす気配を感じ取っていた。
まずは鞘の装飾を興味深そうに撫で回していた登尊は、手慣れたように鞘から剣を解放する。青白い光を放つ刃に触れながら、にやりと癖のある笑みを浮かべた。
「これは刀匠、蔽剋の白蒼だろう。癖のある刀ばかりを作ると敬遠されがちな刀鍛冶だが、一度馴染めば二度と手放せなくなると聞く。よく手入れをされているな、自分でしているのか」
「そんなご大層な太刀だったとは意外だな」
「馬鹿を言え、蔽剋本人から直接買い取ったんだろうが? こだわりのある刀匠は、売り手の太刀筋にもこだわる謂われがある」
「ならば、登尊殿も相当なこだわりをお持ちだろう。どんな太刀を打つのか興味がある」
「ああ、俺は駄目だ」
ゆっくりと鞘に収めると、登尊は剣を差し出してきた。悠玄は登尊の表情を窺いながら、それを腰に佩き直す。
「こだわりと言うより、意固地なんだ。商売のために鉄を打ちたくない。量産型の剣なんざ、殊更ごめんだ。人を殺すための道具と分かっていて、それを何の人となりも知らねぇ武人に振り回されるのは、まっぴらだからな。俺は誰かのためじゃねぇ、自分の満足のために太刀を鍛える。まぁ、こんな悠長なこと言ってるから破門をくらうんだが、これだけは譲れねぇってか」
所詮、無名刀鍛冶の戯れ言でしかないんだがな――真剣そうな面持ちから一変、にへらと何かを誤魔化すように笑んだ登尊を見て、悠玄は目を細めた。
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