1910年 巴里『大殻』
その生物が何処から現れたのか、当時ですら情報は錯綜していた。
ある者は、セーヌ川から上がってきたのを見た、と証言した。
ある者は、パリ東部のヴァンセンヌの森からやって来くるの見た、言った。
二十一世紀を迎えようとしている現在、この『大殻』と呼ばれる巨大な陸貝の『怪獣』が何処からやって来たのかは、最早分からないだろう。
分かっている事は、1910年に巴里を初めて襲った個体の生き残りが繁殖し、今日ではユーラシア大陸全土(※1)にその勢力を拡大していることだ。
『大殻』はその見た目故に、巴里襲撃は世界中で大きく報じられた。
次々と、巴里の街並みを溶かしながら食べ、跡地には何も残さない。
現生の陸貝は、カルシウム摂取しその殻を形成するが、この『大殻』も同様だったのだ。ただし、この生物が食べる物は近代都市を主として構築するコンクリート・金属であったが。
この年、巴里に出現した個体数については、未だはっきりとした事は分かっていない。
6月15日夜更け、市民からの通報で4名の警官が現場(※2)へ急行。
その場で、体長5mを超える『大殻』数体と遭遇し、発砲するも効果なく、逆に触手に捉えられ3名が殉職。
唯一生き残った1名は辛うじて生還するも、この時点で事態をまるで把握していなかった警察上層部は、報告者を拘束、尋問。この時点で、貴重な時間が喪われた。
翌16日、早朝。巴里市内の警察の電話回線は、市民からの通報でパンク。
『市内各所に大きな蝸牛がはい回っている!』
ようやく事態を把握した警察上層部であったものの、余りの事態にまともな対応は出来ず、各地に警官を派遣するも、通信途絶が相次ぐ。
ことここに至り、自分達で手に負える案件ではないと認識し、政府中枢へ『軍の派遣』を要請するも……時は1910年。
独逸及び
が……そんな彼等も『大殻』が進撃し、自分達の目でそれを確認すると青褪め狼狽した。
ただちに即時動員出来る軍による駆除が行われたが、この『怪獣』は彼等が思う以上に、凶悪だった。
まず第一に、背負っている殻に対して小火器は無論、軽砲ですら効かず、中口径砲ですら弾いた。
加えて想像以上に俊敏であり、重砲で狙う事は不可能だった。
そして、これが最大の問題であるが……『大殻』は、人の味を覚えるや積極的に人を襲い始めたのだ。
結果――大混乱が巻き起こった。
逃げ惑う一般市民。
各地で、建物を食べ、線路を食べ、そして人を食べる『大殻』。
初動対応さえ、出来ていればこのような事態にはならなかったかもしれないが、時代は未だ『怪獣』の真の恐怖を知らず……。
政府対応が後手後手に回る中、凱旋門が食われ、エッフェル塔が食われた段階において、ようやく対応策がまとまった。
詳細作戦については、余りにも有名である為、割愛する(※3)が……結果として、多数の『大殻』を撃破し、巴里はこの時点において救われ、以降、この都市は対『怪獣』用要塞(※4)として再整備が進められることとなる。
その規模は、襲撃を受ける度に拡大。今では、古都としての外観は消失した
――「たゆたえど沈まず」(※5)。確かに、巴里は未だ健在である。
が……その運命は、予断を許ささない。
『大殻』は1910年のそれに比べて、強大化しており(※6)、また『大顎』『大蚕』の生息も確認され、それらは互いに支配権を争っている。
我々は先人に習い、戦力を集中しこれらを叩く必要があるだろう。それが、なされなれければ、先年崩壊した、東欧、南欧諸国と同じ運命を、この都市も辿ることとなる事は目に見えている(※7)
我々には、最早時間がない。
そう、初動を間違えた巴里の警官達のように、間違えるだけの時間は。
※1.
2030年現在、その生息数は『大顎』よりも多い、との試算もある。20世紀主要都市は、既にその過半以上が、溶かされている。
※2.
臨時仏国政府は初遭遇場所を未だに公表していない。当時の政府高官の名誉に関わるらしい。編者は、赤ペンで走り書きで『度し難い愚かさ』と残している。
※3.
勇敢な市民の一部が、自らを餌とし、『大殻』を誘導。そこへ重砲の一斉射が行われた。『構うなっ! 撃て!』の決別文は有名。
※4.
巴里市街、約1/4が甚大な損害を受けた、この第一次襲撃後に着手されたが、当時の軍高官の日記からは、あくまでも『対独逸』用と明記されている。
※5.
Il tangue mais ne coule pas。パリ市民の標語。
※6.
体長だけを見ても、最大個体は2000年時点で、三倍強となり、殻の装甲はより分厚くなり、かつ賢さを増している。
※7.
2009年、第七次巴里攻防戦により、陥落。仏国は自国内での核使用を決断。古代以来続いた、街並みは完全に崩壊した。なお、使用から1年後、長距離ドローンを用いた強行偵察では、『怪獣』の姿はなく、旧市街において豊かな動植物の生息が確認されている。
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