1899年 倫敦『大顎』

 本文書を作成するにあたり、再度、各国の調査機関に史実の精査を依頼した。

 問いかけたのは『怪獣』の出現した時期についてである。

 『空中雷海月』による、電波障害がある中、各国機関からは様々な情報が齎された。この場を借りて、感謝したい。

 調査の結果、死体等が残存し、確実にその場所に『怪獣』が存在したと、分かるのは、一般的に知られている1899年、倫敦での事例である事が改めて確認された。

 印度からは、それ以前にも目撃情報がある、との新情報(※1)が今回、齎されたが、物的証拠はなく、100歳を超えると自称する老婆の証言のみである為、本文書では扱わない。印度から英国へ渡ったのではないか、という指摘は古くから提示されてきたものであるが、それならば何故、印度で『怪獣』が同時期ないし、より前に発生しなかったのか?(※2) という疑問が生じるが、それに答えたものは未だ存在しない。


 当時の倫敦は世界都市であった。

 大英帝国の栄光は陰りつつあり、新大陸の時代の足音は聞こえつつあった時代だったが、その足音が聞こえていた者がまだまだ限られ、間違いなく倫敦は世界の中心であった。

 19世紀最後の年にして、長きに渡り大英帝国を率いてきた女王の最期が迫りつつあったこの年、人類は奴らに遭遇した。

 

 そう、最古の怪獣である『大顎』である。

 

 『大顎』は、一見巨大な蟻の姿(※3)をしており、その生態も蟻に酷似していることは、広く知られているが、この年、倫敦に出現したそれは大きなニュースになることはなかった。

 これは、第一に犠牲者の多くが倫敦のスラム街で発生したこと。第二に、今日、脅威となっている個体群に比べ、当時の銃火器でも容易に駆除が可能であったこと。第三に、『大顎』最大の特徴である圧倒的な『数』がこの時は見られず、僅か数十匹しか出現しなかった為である。

 犠牲者は数人とも、数十人とも言われているが、今となっては分からない。

 判明していることは、軍は勿論、警察も動かなかった本事件を、解決したのは当時駆けだしの生物学者であり、後の『怪獣』研究の先駆けでもあるホプキンス博士(※4)と、スラム地区を担当していた教会の牧師(名前は伝わっていない)の二人だったことだ。

 この二人の活躍は映画にもなっているので、広く世に知られているが、問題は人類が初めて『怪獣』に遭遇した、という今日の世を考えれば一大事件を、当時の世界が黙殺したことだった。

 学会に持ち込まれた数少ない『大顎』の死体は、偽物だ、と罵られた挙句、切り刻まれ、標本にすらならなかった。

 事件を解決出来なかった警察は、貴重なサンプルであった死体を事件の証拠として、博士達から取り上げ、焼却廃棄した。

 そして軍は、軍事利用出来ないか、と考え生きた個体の一匹を密かに飼育した(※5)。


 結果、人類は『大顎』をこの時期に叩ききる、という決断をせず、無為に時を浪費することなった。歴史にIFはないと言うが、少なくともこの段階で倫敦及び、英国各地に対して徹底的な掃討作戦が展開されていたならば、世界各地にこれ程までの惨禍を齎すことはなかっただろう。

 『大顎』の生息地域は、今や、英国に留まらず、ユーラシア大陸一帯に広がっている。寒冷地域ですら、活発に動き回る新種(※6)すら報告されており、年々、その脅威は大きくなっている。このままいけば、遠からず、人類は、空路、海路に続き、陸路をも失うだろう。残存する陸路の死守は人類種にとって、極めて重大である(※7)。

 今度は、間違いなく徹底的にやらなけれればならない。1899年と異なり、最早、『大顎』の全てを掃討することは不可能なことは分かっていたとしても。


  

 


※1.

2020年代に行われたAIによる、『大顎』の生息範囲分析により、印度から英国へと渡り、拡大した事が判明している。なお、DNA分析からは、様々な種の情報がごちゃまぜになっており、AIは『明確に人為的に産み出された生物』という結論を出している。


※2.

現時点においても不明。有力論としては、最初の繁殖地として知られる倫敦の下水で繁殖したとされるものだが、やや根拠に乏しい。


※3.

1899年に出現した当初は、全長0.5m程。それが年々大きくなり、今や、全長3mの個体も確認されている。また、我々が長年「『大顎』と呼んでいた個体は、幼生体だったことも明らかになっており、成虫となった『大顎』は人類が持つ一般的な火器では討伐困難である。『女王』の護衛種ともなれば、重砲の直撃にすら耐えた事例すら報告されている。


※4.

『将来的に、本生物は人類を脅かすだろう。我々が団結しなければ』との言葉を遺した南アフリカ生まれの生物学者。1945年没。


※5.

約1年ほど飼育した後、射殺処理。この個体から、様々な研究データが得られたが、英陸軍が公式にこの事実を認め、世界に公表したのは半世紀以後の事である。なお、それ以後も各『怪獣』の生息個体を捕獲、研究した事例は数多あるものの、全て、1年以内に大規模な襲撃を受けている。英国の事例はその、唯一の例外である。


※6.

数こそ既存のそれよりも少なく、動きも鈍いものの、小火器ではまず駆除不能。


※7.

現時点で、既に人類は、それら三つをほぼ喪失。大規模護衛がなければ、空・海・陸も使用することが出来なくなっている。例外は、南米地区に設けられた『大壁』内と、未だ『大顎』の侵入が確認されていない豪州のみである。

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