第2話 アプローチ
その日、全体の練習が終わった後、俺は居残りの自主練で、パスを投げていた。それは、まず遠投から始め、その後、的に向かって本気でボールを投げるという、俺が(1年生の頃から)ずっとやってきた練習であった。
ただ、その時期は自分でも、
『少し追い込み過ぎなのではないか?』
と思うほどの、練習量であったことは間違いない。しかし、こんな所で自主練をサボるわけにはいかない。俺は、絶対にQBとして、このチームを優勝に導くんだ。そして、俺の将来を、切り開くんだ―。俺は、そう自分に言い聞かせた。
そして、俺は的に向かい、パスを投げ続けた。投げて、投げて、投げて、投げて―。
オーバーワークだろうが関係ない。俺はそう思いながら、ボールを一心不乱に投げた。
そうしているうちに、肩が悲鳴をあげた。
俺は最初、その痛みを無視していた。これは、自分のパスの精度を上げるための「成長痛」なんだ、俺はそんな風にしか、思っていなかった。それに、
『多少の痛みなんかで練習を休んでいたら、QBなんて務まらない。』
とも、俺は思っていた。
しかし、その日はそんな俺のオーバーワークがたたったのか、肩の痛みがピークに達し、俺はパスを投げられないどころか、その場にうずくまり、動くことすらできなくなっていた。そして、そんな俺を、たまたま練習場に残っていた後輩の部員が見つけ、病院まで運んでくれたのである。
「あなた、肩を酷使されてますね。野球か何かを、されているんですか?」
「いえ、俺はフットボール選手で、QBをしています。」
「なるほど。どちらにしろ、肩を使うスポーツですね。」
これは、医者に運ばれた俺と、その医者との、会話の一部である。ちなみに俺が運ばれた病院は、関西第一大学の地元、神戸市の某地区にある総合病院で、そこにはスポーツによる肩の負傷を治す、名医がいるということであった。
そして、
「大丈夫です。この怪我なら、手術をしたら、元通りに投げられるようになりますよ。
ただ、そのためには、安静にする期間が必要です。
とりあえず、3ヶ月間は投球動作は控えてください。そしたら、手術なんかの処置によって、6ヶ月で元の状態に戻るでしょう。
その間、マメにこの病院へは、通ってくださいね。」
との、ことであった。
…普通の選手なら、ここで
『とりあえず、元に戻るのか。良かった。』
と、胸をなでおろす所であろう。しかし、俺は、違う。
「先生、3ヶ月間投球動作禁止というのは、何とかなりませんか?俺、12月に、大事な試合を控えているんです!そのためには、予選にも出ないといけないし…。そんな時に3ヶ月も投げる練習を休むわけには、いきません!」
「…あなた、12月って…。
今は5月ですよ。まだ半年以上もあるじゃないですか。
その予選も、ねえ…。」
「それでも、俺には時間がありません。自慢じゃないですが、先生は『甲子園ボウル』って知っていますか?俺、その試合の4連覇がかかってるんです!だから…。
もう少し早く回復する方法は、ありませんか?
例えば、1週間以内とか?」
「1週間って…。
あなた、自分の状態を、全く分かってへん。さっき、私『この怪我なら』って言いましたが、あなたが分かってないんで、その発言は撤回します。
あなたは、安静が必要な状態なんです。とりあえず、練習は控えてください。いいですね?
そうしないと、もう2度と、ボールを投げれられなくなりますよ。」
「そ、そんな…。」
俺は、途方にくれた。
とりあえずその日は、レントゲンを撮るなどした後、俺の下宿先のアパートに、帰ることになった。そして、例の医者から、
「家にいる時も、くれぐれも肩を使わないように。私は、あなたのためを思って言っているんです。分かりましたね?」
と、釘を刺される始末であった。
ちなみに俺は、普段の食事は自炊をしている。それも、ただ好きな料理を作るのではなく、フットボールに必要な栄養は何か考え、料理を作っているのだ。
まあその料理も、実際にやってみるとなにげに楽しく、また、自分で言うのも何だが割とこういったことも得意で、俺は料理を、いい気分転換になる趣味にしていた。そしてその日も、作り置きの、野菜の煮物があり、練習後に食べよう、そう思っていた。
しかし、その日はその煮物を、食べる気は全くしなかった。それより、
『こんな日は、浴びるように酒を飲みたい。』
俺は、そんなことを考えていた。(ちなみに、俺は体のことを考えて、普段はアルコール類は口にしない。)
しかし、ここで自暴自棄になっても仕方がない、俺は何とかそう思い直し、食事に手をつけ始めた。
『そうだ。先生はああ言っているけど、もしかしたら、回復が早くなって、すぐに実践に復帰できるかもしれない。
そうだ!それを信じよう!』
俺はそう考え、とりあえず次の診察を、待つことにした。
そしてすぐに、次の診察日がやって来た。肩の痛みが少し和らいだ(まあ自分の主観だが)と思った俺は、少しの希望を持ちながら、病院に向かった。
しかし、
「あなた、全然良くなってないですよ。
『自分では少し肩が軽くなった気がします。』
ですって?ダメですダメです。
…とりあえず、今は安静にしてください。すぐに手術とその後のリハビリの手配、しますんで。」
とのことであった。
(この医者は、スポーツ診療の権威である、と聞いたが、物の言い方が、少し毒舌であるように、感じられた。まあ、関西弁だから、あと、俺の精神状態から、余計にそう感じたのかもしれないが。)
そして、俺は病院の待合室で、手術等の段取りができる間、待つことになった。何でも、「今日中に段取りはできると思うんで、ちょっと待合室で待ってもらえます?
まあ、一旦家に帰ってもらって後日説明、でもいいですけど、あなたも面倒くさいと思いますし、今後の日程、早く知りたいでしょ?」
との、ことであった。
『くそ、こんな所、早く抜け出して、練習に戻らないと、マジでヤバい…。』
俺はそんな気持ちを抱えながら、待合室で手持ち無沙汰に過ごした。(一応、テレビはかかっていたが、くだらないワイドショーで、俺は全くそれを見る気にはなれなかった。…まあ、どんな番組であれ、その時の俺は見る気にはなっていないだろうが。)
そして、俺が焦る気持ち、やきもきする気持ちでいっぱいで、イライラしている時…、
彼女が、やって来た。
その子は、黒髪の長いストレートヘアーで、遠目から見ても、美人と分かる顔立ちであった。まあ、入院しているからなのか、服装はパジャマのような院内用の服であったが、そんなことは関係ない。
「じゃあ川野(かわの)さん、ちょっとここで、待っててくださいね。」
付き添っていた看護師がそう言い残し、その、川野さんという女の子は、待合室の俺の座っている所の近くに、座った。
近くでその、川野さんを見ると、派手な顔立ちというわけではないが、目鼻立ちは整っており、浴衣や振袖が似合うような、和風美人だ、と俺は勝手に思った。あと、年齢は俺と同じくらいに見え、
『大学生だろうか?』
とも思った。また、その佇まいも落ち着いており、川野さんは、凛とした雰囲気を持つ、女性であった。
「お待たせしました、川野さん。じゃあ、行こか。」
川野さんより少し年上に見える看護師にそう呼ばれ、川野さんは椅子から立ち上がり、別の部屋へと移動していった。そしてその間、俺は不覚にも、川野さんに見とれてしまっていた。そして、フットボールでの怪我のことも、何もかも、その一時は、ほんの一瞬だけだったが、俺は忘れてしまっていた。
「立川さん、…聞いてますか。
先生がお呼びです。どうぞこちらへ。」
俺は、川野さんの影響でボーっとした頭から、看護師の一言で呼び覚まされた。
「え、あ、はい。すみません。ちゃんと聞いてなくて。」
「いえいえ。落ち込まないで、これからできることを、しっかりやりましょね!」
「はい…。」
俺は、看護師にそう言われた。しかし、俺はその時、自分でも信じられないが、フットボールのことから、完全に頭が離れていたのである。
「じゃあ立川さん、一応あなた向けの、スケジュール表作りました。
…って、聞いてます?」
「す、すみません。」
「まあいいでしょう。
とりあえず、明日もまた、来てください。
これから、精密検査ももっとしていきますんで、よろしくお願いします。」
「分かりました!」
俺は、力強く返事をした。
その日の帰り道、俺の頭の中は、川野さんのことでいっぱいであった。
『でも、明日も俺は、あの病院に行かないといけない。
…ということは、川野さんに、また会えるかもしれない!
そうだ、きっとまた会える!
…明日俺、どんな服来て行こっかな…?」
俺は、そんなことを考えていた。そして、怪我をして連れられ、その時は嫌で嫌でしょうがなかった通院を、俺は楽しみに思うようになっていた。
『でも、もし川野さんに会えたとして、俺は果たして、川野さんに話しかけることができるだろうか?
俺、フットボールは得意だけど、その辺、全く自信ないな…。』
俺は瞬時に、こうも思った。実際、俺は今まで、(例えば高校時代など)彼女はいなかったわけではないが、決して恋愛上手、というわけではなかった。また、大学に入ってからは、本当にフットボール漬けの毎日で、彼女なんて、作る暇もなかった。(というより、作る気がなかった。)
そんな俺が、こんな気持ちになるなんて…。
俺は、自分の中に芽生えた、恋かもしれない思いに対して、自分でも驚いていた。
「こんにちは、立川さん。
…って、今日はえらい派手な格好ですね。」
「え、そうですか?一応、おしゃれして来たつもりなんですが…。」
「…病院におしゃれして来るもんですか?あなたまだ若いし、まあそんなもんなんでしょうかね…。
あと、最近の若い子のおしゃれはよう分からへんわ。」
翌日。俺は川野さんに会った時のために、自分で考えられる、また手持ちの服で合わせられる最大限のおしゃれをした。しかし、その「おしゃれ」はどうやら不評のようで、ある程度の歳の医者の先生だけでなく、若い女性看護師も、少しひいているようだ。
『やべ、今日の格好失敗した…。とりあえず、早く帰りたい…。』
俺は、そう思うしかなかった。
「さあ、今日は終わりですよ。また明日も、来てくださいね。」
俺は医者のその言葉を聞き、一目散に下宿先へ、帰ろうとした。
その時…。
川野さんが、またやって来た。
「川野さん、ちょっとここで待っててくれる?」
川野さんは昨日と同じように、看護師にそう言われ、待合室の椅子に座った。
『これは…、話しかけるチャンスだ!
でも、この格好じゃあな…。』
俺はそう思って躊躇したが、心がためらっている間に、俺の体は川野さんの方へ向かって、進んでいた。
そして、半ば無意識に、俺は川野さんの隣に、座っていた。
『何か、今日の俺、ちょっとおかしいぞ…。』
俺は、そう思った。この時俺は、俺の深層心理は、表面上のためらいなど無視できるほど、強い気持ちだったのかもしれない。
そして俺は、
「あ、あの、初めまして!」
川野さんに、話しかけていた。
「…、初めまして…。」
「お、俺、立川勇樹って言います!
あ、あなたの名前、訊いてもいいですか?」
「…うち?
うちは、川野美沙(かわのみさ)って、言うんやけど…。」
「川野、美沙さん、ですか。
…いい名前ですね!」
『俺、何言ってんだ…?しかも、川野さんの名字は、看護師から盗み聞きしてる、っていうのに…。』
俺は、自分の言動に、自分自身で呆れ返っていた。
「うーん、そうかな?
自分では普通やと思うんやけど…。
ってか、これって、『ナンパ』ってやつやんな!?」
次の瞬間、川野さんは嬉しそうに、飛び跳ねるくらいの勢いでそう言った。
「い、いや、ナンパなんて…。
そんなんじゃないですよ!」
「でも、知らん女の子に、いきなり声かけるんは、『ナンパ』って言わへん?」
「まあ、一般的には…。」
「じゃあこれも、『ナンパ』やんな?」
「え、でも…。」
「あれ、認めたくないん?」
その間、川野さんは俺の目を見つめながら、やっぱり嬉しそうにニコニコしている。
「俺は、たまたま近くになったんで、話しかけただけ、っていうか…。」
嘘だ。この状況は客観的に言っても、明らかにナンパである。
「じゃあ、うちやなくても、誰でも良かったん?」
「そんなことないですよ!」
俺の顔は、心なしか赤くなっている、そういう風に(俺自身は)感じた。
「え~そうなんや!
ってかあんた、ちょっとほっぺた、赤くなっとんで。」
…やっぱり、俺の感覚は正しかった。
そして、俺が次の言葉を継げないでいると、川野さんが、俺に話をして来た。
「実はなうち、こうやって男の子に話しかけられるの、初めてやねん。
うち、物心ついた時から、ほぼずっと、ここに入院しとるから…。」
えっ!?
俺がその言葉を聞き、固まっていると、
「ええよ、気ぃ使わんでも。
うち、それにも慣れっこやから。」
川野さんは、こう言った。
そして、
「川野さんお待たせ!
じゃあ、行こか。」
看護師が、このタイミングでやって来た。
「あ、もう行かなあかんわ。
あんた、立川くんやったっけ?
また、ここに来るん?」
「え、あ、はい。
しばらくの間、通院しますけど…。」
「じゃあまた、うちに話しかけてな。
それと…、」
「何ですか?」
「その格好、どないかならへんのん?」
川野さんの、俺のファッションに対する指摘は、的確だった。しかし、
「分かりました。じゃあまた、会いに来ます!
…服装も考えます。」
俺は、小さな喜びに、支配された。
俺は、下宿先についた後、少し後悔していた。
なぜなら、
『俺、今日はちょっと喜んじゃったけど、本当にそれでいいのかな?
川野さんは、ずっと入院してるって、言ってた。
それなのに俺は、川野さんと話をすることができて、次の約束もできてって、喜んでばっかりで…。
自分のことしか、考えてない気がする…。』
と、思ったからだ。
1つ言えることは、俺は川野さんに、恋をしてしまった、ということだ。
遠くで見た時の川野さんは、とても綺麗で、ついつい見とれてしまうほどであった。そして、実際に川野さんと話をしてみると、川野さんは、クールビューティーな感じに似合わず無邪気で、純粋な感じがして…、とにかく、俺は川野さんに、自分のハートをがっちり掴まれた。
と、同時に、俺は川野さんの、病気のことが気になった。
『川野さんの病気は、深刻なものなのかな?
俺に、何かできることがあればいいけど…。
でも自分から、これ以上は訊きづらいな…。』
俺はそう思いながら、その日は眠りについた。そして、その次の日も、俺には診察の予定があった。
「あ、こんにちは!」
「こんにちは!」
「あんた今日の格好は、おしゃれやな!」
川野さんに昨日の(変な)服装を指摘され、俺は今日は、黒のジャケットにジーンズという、シンプルな服装で病院に来た。
『よし、今日の格好は正解だ!』
そして、川野さんのファッションチェックを受け、俺は心の中で、大きくガッツポーズをした。
「それで、あんた、立川くん、やったっけ?
何で、ここに来とるん?」
「えっと、それは…。
と、その前に、俺のことは、勇樹くん、でいいですよ!川野さん。」
「分かった。
ところで、勇樹くんは何歳?」
「22歳で、大学4年生ですけど…。」
「あ、じゃあ、うちと同い年やん!
そやから敬語はなしにしよか。あと、うちのことも、『美沙ちゃん』でええで!」
…美沙ちゃんの一言は、俺の感情を昂ぶらせた。ただ、言葉遣いが敬語からタメ口に、そして呼び方が下の名前になっただけなのに、こんなに嬉しいのは、どうしてだろう。
「分かった、美沙ちゃん!
実はおれ、スポーツやってて、怪我しちゃったんだ。」
「あ、それは大変やなあ…。
勇樹くんは、何のスポーツをやっとるん?」
「アメリカンフットボールって、知ってる?」
「ああ、アメフトか!
ルールとかよう知らんけど、聞いたことはあるで!確か、防具みたいなんつけてやる、スポーツやんな?」
「ちょっとごめん、いいかな?」
「何!?」
俺は、やはりフットボールのことになると、スイッチが入るようだ。
「その『アメフト』って呼び方なんだけど、俺、あんまり好きじゃないんだ。俺は、アメリカンフットボールの本場のアメリカで使われている、『フットボール』って呼び方が好きだから、今度からそっちにしてくれる?」
「え、あ、分かった…。
何かごめんな。」
そう美沙ちゃんに言われ、俺はハッとした。
「…ごめん美沙ちゃん!俺、こんなこと言うつもりじゃなかったのに…。
俺、フットボールのことになると、ついつい熱くなっちゃって…。」
「ええよ。
それだけ勇樹くんが、フットボールのこと好き、ってことやもんな!」
「ありがとう美沙ちゃん!」
「うん!
それと勇樹くんは、出身はどこなん?
何か、この辺の言葉やないけど…。」
「あ、俺は東京出身だよ。」
「へえ~東京かあ~。
原宿とか、渋谷とかやんな?
うちも行ってみたいわあ~。」
「うん、まあね。まあ俺の実家は、世田谷区だけど…。
原宿や渋谷には、何度も行ったことがあるよ。」
「そっか。じゃあ今度、連れて行ってな!」
「もちろん!」
美沙ちゃんはこう言って、笑った。もちろん、美沙ちゃんは冗談のつもりで言ったのだろうが、その言葉は俺を、ドキドキさせた。
『東京でも神戸でも、どこでもいいから、美沙ちゃんと2人で、デートしてみたいなあ…。』
「ちょっと、勇樹くん、聞いとるん?」
俺は、少しの間、ボーっとしてしまっていたようだ。
「ごめんごめん。」
「ええよ。でも、勇樹くんは、東京の大学に行こうとは思わへんかったん?」
美沙ちゃんにそう訊かれ、俺は、甲子園ボウルについて、また俺たち関西第一大学の3連覇などについて、説明した。(その間の俺は、多分一方的に説明するだけの嫌な奴になっていたと思うが、美沙ちゃんは最後まで、しっかり聴いてくれた。)
そして、
「へえ~甲子園で、そんな試合があるんや!知らんかった。
甲子園って言ったら、阪神と高校野球のイメージしかなかったもん!
それと、勇樹くん、1年からレギュラーで、3連覇!?すごいなあ…。」
「いやあ~それほどでも。
まあ、甲子園って言ったらそうだろうね。
でも、甲子園ボウルは、俺たち大学生のフットボール選手にとって、夢の舞台なんだ。だから、こんな怪我、早く治して、練習しないといけないんだ。それで…。」
「川野さん、じゃあ行こか。」
俺が話を続けようとしていた途中に、看護師がやって来て、その日はお開きとなった。
「ごめん、うち、行かなあかんわ。
また、明日も来る?」
「うん、明日も通院予定だよ。」
「じゃあ明日、フットボールのルール、教えてな!
それと、うちの話も、聴いてな!」
「OK!分かった!」
そう言って俺は、美沙ちゃんと別れた。
「あ、勇樹くん!」
「美沙ちゃん!」
その日も、俺たちは病院の待合室で少し時間を作り、話をした。
「じゃあ今日は、うちの話から!
うちな、実は実家は姫路にあるねん。
…姫路市って、知っとる?」
「あ、知ってるよ!確か、…姫路城とか?」
「そうそう、姫路城!
行ったことある?」
「いや、行ったことはないんだけど…。
でも、写真で見ただけでも、綺麗だよね!」
「うん!
ちなみに姫路城ってな、『世界で行きたい城ランキング』で、2位になったこともあるんやで!すごいやろ?」
「へえ~そうなんだ!じゃあ、今度連れて行ってね!」
「ええよ!」
こう俺たちは半分冗談、半分本気で言い合い、笑った。
「じゃあちなみに、1位はどこの城?」
「それは…、
ドイツにある、『ノイシュバンシュタイン城』やで!」
「ノ、ノイ、…何って?」
「ノイシュバンシュタイン城な。
勇樹くん、知らんのんやあ~!
ちなみにその城は、東京ディスニーランドの、『シンデレラ城』のモデルになった城なんやで!」
そう言われた俺は、少しピンと来て、すぐにスマホで、「シンデレラ城 モデル」という風に検索した。
「あ、この城、見たことあるかも!」
そう言いながら俺は、自分の学の無さが、少し恥ずかしくなった。(前にも言ったが、俺は勉強は苦手で、歴史もその例外ではない。)
「そっか。
でも勇樹くんって、歴史とか苦手?」
「え、あ、うん、まあ…。」
「じゃあ、ドイツは知っとった?」
「それくらいは知ってるよ!」
美沙ちゃんの冗談は、俺を恥ずかしい気分から、解放させた。そして、その時に見せた笑顔は本当に無邪気で、見ているこっちまで、楽しい気分にさせてくれる。
「それで、うちのことなんやけど、うち、生まれた時から大きな病気があって、地元の姫路の病院では見きれん、って言われて、ここ、神戸の病院に入院しとるんや。」
「そうなんだ…。」
俺は、訊きづらかったことを美沙ちゃんの口から直接聞き、そのため俺の気持ちは、少し重苦しくなった。
「ちょっと、気にせんでええよ!
…ごめんな、こんな話して。」
「いや、俺の方こそごめん。
どういうリアクションしていいか、分かんなくって…。」
「普通でええよ。
でもな、何かな、うちが入院しとる間に、医療が進歩したらしくって、薬も良くなって、それで、今度手術をして、それでうまくいったら、病気が治る、って聞いた!」
「えっそうなんだ!良かったじゃん!
手術頑張ってね!俺、応援するから!」
「ありがとう!」
美沙ちゃんは、その日1番の笑顔を見せた。
「じゃあ、俺も頑張らなきゃな~。
実は俺も、今肩を怪我してるんだけど、今度手術を受けるんだ。
だから、美沙ちゃんも俺のこと、応援してね!」
「うん、分かった!」
この時、まるで、QBである俺から投げられたパスが、綺麗にレシーバーに通るように、2人の心が繋がった、と感じたのは、俺だけだろうか。
「そや、うち、フットボールのルールが、いまいち分からへんねん。
素人のうちでも分かるように、教えてくれへん?」
「もちろん!
えっとね…、」
そうして俺は、フットボールのルールについて、美沙ちゃんに説明し始めた。その間美沙ちゃんは、分からない所は訊き返しながら、真剣に俺の話を聴いてくれた。そして、そんな美沙ちゃんを見て、俺は美沙ちゃんを、今すぐに抱き締めたい衝動にかられたが、もちろんそんなことをしてはいけないので、試合前、いつもそうするように、俺は平常心を保とうとした。
しかし、そんな空気を一変させることを、俺はしてしまった。
それは、説明が最後の方にさしかかり、フットボールのポジションについて、俺が語り始めた時だ。
「それで、今度はフットボールのポジションについて、説明ね。まず、俺のポジションの、QBから…、」
「クォーター、バックか。」
「…それで、WRと、RBがいて…、」
ここまでは良かったのだが、次の説明で、俺は地雷を踏んでしまった。
「あと、ディフェンス陣、オフェンシブライン、キッカー・パンターについても説明なんだけど…。
まあこいつらは、どうでもいいポジションだよ。」
「どうでもええポジション?」
「そう。どうでもいいポジション。
まずディフェンス陣は、攻撃陣をタックルで止めるだけ。オフェンシブラインは、QBとかが相手のディフェンス陣にタックルされないように、体を張ってブロックするだけ。キッカー・パンターは、ボールを蹴るだけ。
もちろん直接は言ってないけど、俺はこいつらのことを、それぞれ『タックル部隊』、『ブロック部隊』、『キック部隊』って、心の中で呼んでるんだ。まあこの辺は、誰でもできるポジションだね。
でも、うちのチームと来たら、WR陣、RB陣もそうなんだけど、この3部隊も、しっかりしてないんだよね~。はっきり言って、みんな下手クソ。こんなんで本当に4連覇できんのか、って思っちゃうよ~。」
俺がそこまで言い終わるか、言い終わらないかのうちに、
「そんな言い方って、あんまりやない!?」
という声が、美沙ちゃんの方からとんできた。
「えっ…!?」
「まず、みんな真剣に練習しとるはずやのに、自分のチームの選手を、『下手クソ』って何なん?
それに、自分の味方の選手を、『何とか部隊』って、調子乗りすぎちゃう?
うち、フットボールのことは、さっきルールを聞いたばっかりやし、よう分からへん。
でも、一生懸命やっとる別のポジションの人のことを、『誰でもそのポジションはできる』みたいな言い方、間違っとると思う。
そら、あんたは1年からレギュラー張って、うまいか知らんけど、そんな考え方やったら、周りのみんなは、あんたについて行かへんわ。
…それに、あんた、スポーツをしたくても、できひん人のこと、考えたことある?うち、ホンマはテニスが好きで、病院のテレビでテニスの中継見る度に、
『うちも、あんな風にプレー、してみたい!』
って、ずっと思っとってん。
でも、それは病気でずっと叶わんかって、それで、やっと手術で病気が治りそう、ってことになって、
『ああ、やっとテニスができる!』
って、楽しみにしとるねん。
あんたの言い方は、そんな多くの人を、バカにしとるわ。」
美沙ちゃんは、それまでの態度と違い、一気にまくし立てた。そしてその間、美沙ちゃんは一度も俺のことを、「勇樹くん」とは呼ばなかった。
「ご、ごめん…。いや、でも…。」
「川野さん、そろそろ時間やで。」
「…はい。」
美沙ちゃんは、この、最悪のタイミングで、看護師に呼ばれ、待合室を後にした。そして俺は、美沙ちゃんに嫌われたショックを引きずりながら、その日は病院を後にした。
その日、俺は下宿先のアパートに帰った後、
改めて今日美沙ちゃんに言われたことを、考えていた。
『今日は、美沙ちゃんを怒らせちゃった…。やっぱり、俺が悪いのかな?』
俺はそう思いながら、おもむろにフットボールの教則本を、開いて読み始めた。
その本は、俺がまだ小さかった頃に、父親に買ってもらった本だ。その頃、フットボールを習いたてだった俺は、必死にその本を読み、練習をした。そして、そんな「初心」を忘れないため、俺は大学に入ってからも、実家からその本を、持って来ていたのであった。
また、俺は小さな時から、QBになることしか考えず、その他のポジションに対しては、QBより一段低いもの、と見ていた。
『でも、美沙ちゃんの言うことは、分かる。…俺は美沙ちゃんの、
『スポーツをしたくてもできない。』
っていう気持ちを、踏みにじったんだ。それに、フットボールの他のポジションに対しても、偏見を持っていたのかもしれない…。』
そう考えながら俺は、フットボールの、ポジション紹介の所を、改めて開いた。
そして、それを読むだけでは不十分だ、と感じた俺は、スマホでフットボールのポジションや、戦術について、調べ始めた。
ディフェンス、オフェンシブライン、キッカー・パンター…。
こうしてフットボールの戦術について調べてみると、俺が「タックル部隊」、「ブロック部隊」、「キック部隊」と呼んでいたポジションがいかに重要かということを、俺は思い知らされた。
まずディフェンス。フットボールは、攻撃と守備で成り立つスポーツだ。だから、いくら俺たちQBを始めとしたオフェンス陣が頑張っても、ディフェンスが相手の攻撃を止めなければ、勝利することはできない。
それに、ディフェンスにも、様々なポジションや、戦術がある。ラインバッカー、ディフェンシブライン、ディフェンシブバック―。詳しい説明は省くが、ディフェンス陣はそれぞれのポジションが、フォーメーションを組むなどして連携して、敵の攻撃を止めているのだ。
そして、オフェンシブライン。このポジションは基本的にボールに触ることができないため、俺は今まで、「ブロック部隊」とバカにして来た。しかし、それはQBとして、あるまじき行為だ。どんなQBも、オフェンシブラインの働きなしでは、才能を輝かせることができない。なぜならオフェンシブラインは、QBが、サッカーに例えるなら「フリー」の状態になるように、タックルに来ようとするディフェンス陣を必死で止める役割を、担っているからだ。そして、俺たちQBはそのポケット(オフェンシブラインが敵の前進を食い止め、そのオフェンシブラインの後ろにできたスペースのことを、そう呼ぶ。)の中にいてこそ、気持ちよくパスを投げられる。確かにオフェンシブラインは、派手なポジションではないかもしれない。しかし、オフェンシブラインが機能しないと、QBも機能せず、オフェンス陣全体が機能しなくなる。
そして、キッカー・パンター。この選手たちは、普段のプレーには参加せず、キック・パントが必要な時にだけ、フィールドに出てプレーをする。だから俺が、「キック部隊」とバカにしてきたポジションだ。しかし、それも違う。
まず、キッカーがいい働きをしないと、フィールドゴールが決まらなくなる。つまり、確実に3点が欲しい時に、その点をもぎ取ることが、難しくなるのだ。もちろん、タッチダウン(その後のポイントも含めて)時の7点に比べて、3点は少ない。しかし、例えば試合終盤には、この3点が、大きくものをいう時がある。そして、良いキッカーになればなるほど、よりゴールポストより遠い所から、キックを決めることができる。そうすれば、どうしても点が欲しい時に、キッカーに頼りやすくなるわけだ。
また、パンター。このポジションも、パントを蹴る時にだけ使われるポジションだが、そのパントも、実は奥が深い。まず、パンターは、パントをキャッチした後、攻撃に転じてくる相手が、より後方から攻撃を仕掛けなければならないようにするため、できるだけ遠くにボールを蹴る能力が求められる。そして、相手チームがリターン(パントをキャッチした後の、攻撃)をしにくくするために、滞空時間の長い、パントが求められる。なぜ滞空時間が長い方が良いかというと、その長い滞空時間中に、パントを蹴った側のチームが、ボールをキャッチするであろう相手チームにプレッシャーをかけ、良いリターンを防ぐことができるからだ。この、キッカー・パンターも、確かに地味かもしれないが、このポジションが機能しないと、オフェンスやディフェンスに、支障をきたしてしまう。
俺は、スマホで一通り調べた後、激しい自己嫌悪にかられた。
『俺は、今まで、どうしてこんな基本的なこと、フットボールにとって当たり前のことを、見過ごして来たんだろう?何が『何とか部隊』だ。フットボールで勝つためには、QBだけじゃない、全てのポジションが、力を合わせて頑張らないと、ダメなのに…。』
そして俺は、こうも思った。
『俺、美沙ちゃんにひどいことを、してしまった。美沙ちゃんには、謝らないといけない…。
いや、俺もう美沙ちゃんに、嫌われちゃったかな?…それでもいい。俺は美沙ちゃんに、しっかり謝りたい!
それに、美沙ちゃんのおかげで、俺はフットボールの基本を、知ることができた。フットボールは、チームでやるスポーツ。今まで俺はQBとしてたくさん試合に出て、勝って来たけど、それは、俺一人の力で、勝ったものじゃない。
そうだ、たくさんの人の支えがあって、俺は試合に出られたし、勝利も収めることができたんだ。
だから、それを確認させてくれた美沙ちゃんに、『ありがとう』の言葉も、伝えないといけない。
…俺は嫌われてもいい。俺には、美沙ちゃんに、伝えないといけない言葉が、あるんだ!』
そう思った俺は、晴れやかな気分になった。そして、明日、美沙ちゃんに会えることを楽しみに、俺はその日、眠りについた。
「あ、美沙ちゃん、おはよう!」
「おはよう…。」
その日、朝から通院していた俺は、たまたま美沙ちゃんに、会うことができた。
そして、先に待合室の椅子に座っていた俺の隣に、美沙ちゃんはいつものように、座った。
「あ、あの…。
美沙ちゃんごめん!俺、昨日はひどいこと、言っちゃった。美沙ちゃんの気持ちも考えないで、一方的に話しちゃって…。
それに、俺、美沙ちゃんのおかげで、大事なことに、気づけたんだ。フットボールは、俺1人でプレーするものじゃなく、みんなでプレーするものだ、ってこと。それに、俺はQBだけど、俺が気持ちよくプレーするために、今まで俺が見下していたポジションも含めて、みんなの支えがあった、ってこと。そしてこれからは、そんなみんなと力を合わせて。優勝目指して頑張っていきたい、ってこと…。
とにかく、俺は美沙ちゃんから、フットボール、いや人生において大事なことを、教わったんだ。だから…。
ありがとう、美沙ちゃん。」
そこまで、俺は一気に美沙ちゃんに話した。そして、俺が話を終えた後、美沙ちゃんはにっこり笑い、俺にこう言った。
「ええよ。もう怒ってないから。うちの方こそ、フットボールのことなんて何も知らんのに、知ったような口きいてごめんな。」
「いや、美沙ちゃんが謝ることじゃないよ。」
「ありがとう。
それで、もうちょっとうちの話すると、うちな、病気のせいで、まともに学校も、行けてへんねん。物心ついた時から、家と病院との往復か、入院で…。
うちがそんなんやから、たまに学校に行ってもな、話しかけても無視されるし、いじめにもあうし…。とりあえずなうち、学校にいい思い出、あらへんねん。
そやから、勇樹くんみたいに、学校に普通に行けて、それに、やりたいこともしっかりあって、それで結果も残せとる人が、羨ましかったんや。
…確かに昨日の発言は許せんけど、勇樹くんやったら、自分の悪いとこ、絶対に分かってくれるって信じとった!そやから…、
これで仲直りな、勇樹くん!」
「うん、本当にありがとね、美沙ちゃん!」
俺は、美沙ちゃんがそんな苦労をしていたなんて、全く知らなかった。そして俺は、美沙ちゃんの笑顔の中に、ただの嬉しさの感情だけでなく、その内に秘められた芯の強さを、感じることができた。
「よし、俺、手術もリハビリも頑張る!それで、絶対にチームに復帰して、チームメイトのみんなと一緒に、甲子園ボウル優勝、目指すんだ!」
「その意気や勇樹くん!何か、かっこええなあ。
じゃあうちも、手術頑張るな!」
「そうだね!お互い頑張ろうね!」
そして俺は、少し訊きにくいことではあったが、美沙ちゃんに思い切って、訊いてみた。
「…ところで、美沙ちゃんの手術って、いつ行われる予定なの?」
「それは、まだ先なんやけど、今年の8月の予定やで。
それがうまく行ったら、病気は完治するらしいんや。…前も言ったかしれんけど…。」
「そっか。俺の予定はすぐで、手術は1週間後なんだ。そんなに難しい手術ではないらしいんだけど、その後のリハビリが、大変だって聞いてて…。
それで、3ヶ月間は投球動作禁止で、早くて半年で、復帰できるらしいんだけど…。
とりあえず、お互い頑張ろうね!」
「そやな!」
…正直、今の俺には不安しかない。もちろん、俺の場合は美沙ちゃんのように生死がかかった手術ではない。今は痛み止めを使っているが、とりあえず手術が成功したら、日常生活には何の支障もないそうだ。
でも、術後に俺がQBとして、ハイクオリティのパスが投げられるかどうかは、はっきり言って未知数だ。実際、例えば野球のピッチャーなんかでも、俺と同じ怪我をして、選手生命を絶たれた人も、少なからずいるらしい。
しかし、俺は美沙ちゃんの前で、そんなことは言えなかった。美沙ちゃんは、俺とは比べ物にならないほと、難しい手術を受けるんだろう。そんな美沙ちゃんを前にして、弱音なんて吐けない―。
『絶対に、俺はカムバックする!』
俺は、気持ちを強く持った。
そして、俺にはもう1つ、美沙ちゃんに伝えたいことがあった。
「あとね美沙ちゃん、これは、美沙ちゃんの手術と、俺の手術やリハビリが成功して、俺たちが甲子園ボウルで優勝できたら、の話なんだけど…。
俺、美沙ちゃんに、伝えたいことがあるんだ。」
「え~何何!?
それ、今やったらあかんのん?」
「うん。今はまだ秘密。
でも、俺、頑張るから…。
だからその時まで、待ってて欲しい。」
そして、美沙ちゃんは少し考える表情をした後、こう言った。
「うん、分かった!じゃあ楽しみにしとくわ。じゃあ、頑張って優勝するんやで!」
「もちろん!」
その後、美沙ちゃんはいつものように看護師と共に、別室へ行った。そして俺の心の中には、晴れやかな気持ちと、甲子園ボウルに対する静かな闘志とが、あった。
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