テレ東


 水曜日の午後、私は今日もブラウン管のテレビの電源を付けて、すぐにチャンネルをテレ東へ変えた。

 ソファーに座って退屈そうに本を読んでいた彼は、そのままの姿勢で私に声をかけた。


「今、何してる?」

「NALUTO、懐かしいね」


 彼は少しだけ目を本から話して、「ほんとだ」と呟く。

 彼がひいひいひいひいおじいちゃんの形見だというブラウン管テレビは、カラフルに輝いているが、やはり液晶に比べると色がくすんでいるように見える。


「私が小さい頃の記憶では、もっと綺麗な色だったと思うよ」

「ロマンが無いなあ」


 彼は大きく伸びをして、改めて座り直すとテレビを見た。


「これって、ハッピーエンドだったけ」

「多分」


 ラストの記憶が曖昧な私は、それだけ言って、テレビの前から離れた。

 夕食を作るために、リビングに彼だけを残して、キッチンに向かう。


 殆ど空になっていた冷蔵庫を探って、何とかレタスとレモンと冷凍の唐揚げを取り出した。

 他に食べられそうなものが見当たらないので、改めて彼の方を振り返った。


「ごめん、タルタルソースとかないから、唐揚げにレモンでもいい?」

「いいよいいよ。むしろ大歓迎」


 彼はテレビに向かって笑い声を上げた後に、軽い調子でそう答えた。

 私はそれを聞いてほっとして、業務用サイズの唐揚げ袋を開ける。そこからは、油を温めたり、レタスを洗ってちぎったり、もちろん唐揚げを揚げたりと、とにかく忙しい。


「手伝おうか?」


 いつの間にか、彼がキッチンとダイニングを挟むカウンターの前に立って、こちらの方を覗き込んでいた。

 彼の方からそんなことが言われるのは初めてだったので、私は最初に自分の耳を疑ってしまった。


「え? 手伝ってくれるの?」

「何、珍獣を見るような顔をして。手伝うよ、今日くらいは」


 彼が少し傷ついた顔をして言ったので、私は正直に彼をキッチンに入れた。

 つけっぱなしのテレビは、いつの間にかアニメが終わっていて、何の番組か分からないけれど、ステレオになっていたオーディオからゆったりとしたダンスチューンが流れていた。


 しかし、今まで男子厨房に入らずを守ってきた彼に、いきなり何をやらせばいいのだろうか。残念ながら、レタスは全てちぎってしまった。

 仕方がないので、レタスを包丁で切ってもらう事にした。かなり危ない手つきだったが、何とか怪我もなく切ることが出来た。


 こうして出来上がった夕食を、テーブルの上に並べた。

 レタスの上に鎮座した唐揚げの山は、中々迫力がある。彼が一生懸命切ってくれたレモンも、彩りを与えてくれる。


「それじゃあ、いただき……」

「あ、ちょっと待って」


 先に座っていた彼の正面に腰を下ろして両手を合わせた途端、彼が突然私の言葉を遮った。

 訝しげに見ている私の前で、彼が背中に回していた右手を前に出した。そこには、何故か余っていたレモンが握られていた。


 まだぽかんとしている私の前で、彼はレモンを思いっきり齧った。

 そして、初めて見るような、とても爽やかな笑みを浮かべる。しかしそれは一瞬だった。


「すっぱ! レモン、めっちゃすっぱ!」

「何やってんのよ」

「いや、レモンの力を借りれば、俺もアイドルのように爽やかになれるかと思って」


 私が呆れ顔をすると、代わりにテレビが笑い声をのっけてくれた。

 完全に出鼻をくじかれた彼が、非常に気まずそうに、ポケットから小さな青い小箱を出した。


「え、うそ、」


 私は目の前にあるものが信じられなくて、自分の口元を覆ってしまう。

 そして彼は、唐揚げの真上で、小箱を開いた。その中で、プラチナ色の指輪が光っている。


「ええっと、結婚してください」

「……」


 私は口を開けたまま、交互に彼の赤くなった顔と指輪を見比べた。

 彼は、私の様子が可笑しいことにやっと気が付いて、申し訳そうに頭を掻いた。


「ごめん、もうちょっと、気の利いた言葉でのプロポーズが良かったよね」

「いや、プロポーズに何と言ってもいいけどさ、」


 私は少し眉を顰めて、彼が差し出した指輪の真下に陣取る唐揚げの山を指差した。


「唐揚げの上でやるのはどうかなって」

「あ、確かにそうかも」


 彼は初めて気が付いたという顔で、何度も頷く。

 昔から変わらない彼の鈍感さに、私がこっそり溜息を吐く一方で、指輪を引っ込めた彼は、首を傾げていた。


「でも、今からはどこにも行けないよ?」

「バルコニーがあるじゃない」


 私は、早めに遮光カーテンを閉めていた窓を見た。

 彼も振り返ってそこを確認し、そうだねと微笑む。


 夕食は一先ず後にして、私たちは立ち上がってバルコニーに向かうことにした。

 テレ東はまだ付けたままで、いつの日かの商店街探索番組を流している。


「でも、プロポーズなんて、唐突だね」

「本当は、半年前から準備していたけれどね、タイミングが合わなくて。それに、」


 彼はそう言いながらカーテンを開けた。

 そして、真っ赤に燃えるような空を見上げた。


「六月に結婚したかったから」

「ああ」


 彼の一言に、納得しながら私は窓を開けた。

 私たちの住むマンションの遥か頭上、地球に覆いかぶさるかのように、クレーターまでもがはっきり見えるほど接近した巨大隕石が浮かんでいた。


 すぐ下には同じ形をしたビルの群れが、視界の奥には空の赤を反射させた太平洋が広がっている。

 五カ月前のニュースが流れるまで、こんな光景を見れるなんて、想像もしなかったなと、バルコニーの柵に身を乗り出して思う。


「今日が地球最後の日かも」

「昨日もそれ言っていたじゃん」


 右手をひさしのようにして隕石を見上げる彼に、私は早速そう突っ込んだ。

 ライフラインの管理やテレビ放送などは機械がすべてやってくれるので、最後の日が近付いているのにも関わらず、いつもの生活を送っていると錯覚している私に言われたくないのかもしれないけれど。


「ニュースで行ってけれど、隕石落下したら、日本は三週間洪水状態らしいよ」

「計る人がいないのに、三週間って分かるんだね」

「それもそうだ」


 そんな風に談笑しながら、私たちはバルコニーの上で向き合った。

 彼が、緊張の面持ちで、指輪の箱を開ける。


「結婚してください」

「はい」


 私が頷くと、彼が息を呑むのが分かった。

 プロポーズ成功の道筋は見えていたはずなのに、彼はまだ笑ってしまうほど緊張していて、指輪を持つ手は酷く震えていた。


 私は、そっと左手を差し出し、指を開く。今日はもうちょっと、凝ったネイルをすればよかったかもと、一瞬後悔した。

 彼の、ふにふにと柔らかい手が、私の左手を包み込み、震えたまま薬指に指輪をはめる。


「――愛してるよ」

「私も、愛してる」


 あなたが欲しい、あなたが大切、色々言いたいことはあったけれど、全てはこの一言に集約されてしまう。

 私たちは見つめ合ったまま、何度も言い続けた。


「愛してる」

「愛してる」


 まだ近付いている隕石のことさえ忘れて。

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