第6話 東京から来た王子様

 新潟県長岡市竹之高地、森緒本家。

 …当時の家族構成は、

 祖父 長太郎。

 祖母 キノ。

 叔父 清吉 (サダジの長兄)

 叔母 ヤイ

 長女 ミツイ (中学生)

 次女 タマイ (小学生)

 三女 ヨシコ (小学生)

 四女 トシコ (4歳)

 山羊一頭、鶏五羽

 …といったところである。


 そんなある日、娘たちが学校から帰ると祖母キノが赤ん坊を抱いている。

 … !! その子は何?と尋ねると、キノは嬉しそうに答えた。

 東京から王子様が来たんだよ!

 …山間辺境田舎の娘たちにとって、東京から王子様が来たというのはとてつもない出来事である。

 私に抱かせてっ!

 私が先よっ!

 私にもっ!

 …少女漫画の瞳のように眼の中に星をキラキラさせて、娘たちは赤ん坊を取り合い奪い合って腕に抱き、もう大興奮である。

 …という訳で、この日からフミとサダジの子の王子様生活がスタートしたのであった。


 転地療養として始まった流れであったが、赤ん坊は新潟の田舎で祖母や娘たちから王子と呼ばれ、質素な生活ながらも愛情をたっぷり注がれ、大事に育てられて行ったのであった。

 …東京からは定期的に、医者が処方した皮膚炎の塗り薬が送られ、祖母キノが塗布する係となった。

 叔母のヤイは山羊の乳を絞って赤ん坊に飲ませた。

 当時携帯もテレビもゲームも無く、都会的な玩具もリカちゃん人形も持たない娘たちにとって、王子は最上の愛玩対象となった。


 …おかげでその後赤ん坊はすくすくと育ち、頭部の皮膚炎もだんだんと治って行った。

 楽しく幸せな生活であった。

 …しかしそんな中、幸せでない者が1人いた。

 幸せを取り戻すべく必死に努力し、耐えている者が1人いたのである。

 それは、他ならぬ王子の母フミであった。

 …生死の境をさまよい、難産の末ようやく得た子供を、何の相談も無く、よりにもよって近所にお使いに出た隙にあっけなく遠い新潟の地に持って行かれたフミは、母親の情念をメラメラと燃やしながら息子の奪還に燃えていた。

 …しかし、息子の頭の皮膚炎 (この頃はまだアトピーという呼び方は無かった) が、都市型環境アレルギーによるものと言われた以上、この東京浅草には戻せないのだ。

 ではどうしたら良いか?

 …答えは一つしか無かった。

「東京の郊外に家を持つ!」

 フミはそう心に決めたのである。

 …だが、サダジの給与だけでは急いで実現するのは難しかった。

 そのためフミは一念発起して、都内江戸川区小岩に店舗を借り、自分で中華そば屋を始めたのである。

 元々フミの実家は、サダジと同じく新潟県にあり、古志郡山古志村虫亀という集落の中で、昔はサイドビジネスとして行商人などのための旅籠をやっていたことがあるので、子供時代に賄いの手伝いをした経験からフミには多少の料理の才があったのである。

 …店は千葉街道沿いの小さな中華そば屋だったが、開業してみるとフミの料理の味が良いとの評判が立って客足が付き、繁盛したのであった。

 …繁盛して忙しくなったのは良いが、そうなると出前の注文も増えてきて、それにも応えなければならない。

 金を貯める目的が明確なフミにとっては出前客も大事な収入源である。

 そこでフミは店先に出前のアルバイト募集の貼り紙を出した。

 …数日後、アルバイトしたいという若い男がやって来たので早速フミは採用したのだが、それがこの後あんな大騒動になろうとは、この時は誰も思っていなかったのである。





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