第5話 フミの追跡
…その日の午前中、フミは近所に用足しに出掛けたが、昼少し前には社宅に戻ってきた。
しかし、朝一番で医者に行ったサダジと赤ん坊の姿が部屋には無かった。
「…まだ医者にかかっているのかなぁ?しかし多少混んでたにしても帰りが遅すぎるわねぇ…」
不安を感じたフミは社宅から再び外に出て建物前の通りを見回すと、隣の部屋の奥さんを見かけたので声をかけた。
「奥さ~ん!…ウチの主人をそこらで見なかった?」
「えっ !? 旦那さんならとっくに帰ってきたけど、また赤ちゃん連れて出掛けたわよ!…」
隣の奥さんはフミにそう言っていぶかしがった。
「また出掛けたって…どこへ?」
フミが訊くと、
「これからちょっと実家に行くとかって言ってたけど…!」
奥さんはそう答えた。
「 !! …」
フミはそれを聞いて衝撃を受けた。
…サダジの実家というのは新潟県長岡市竹之高地という所で、遠い山間の辺境である。…ちょっと行ってくるなどと言えるような近所ではないのだ。
…とりあえずフミは急いで簡単な旅支度をするとタクシーで上野駅に向かった。
慌てて切符を買って駅の浅草口から中央コンコースを走って長距離列車の発着する11~18番線(低いホーム※当時) に出る改札口を入ると、ホーム上には列車名の記された札がずらずらと並んで下がっていた。
たくさんの人々が行き交う中、
「まもなく~××番線より急行▲△号発車しま~す!ご乗車お急ぎ下さ~い!」
と、駅員の声がベルの響きとともに聞こえた。
…フミが慌てて列車内に駆け込むとベルが止み、ゆっくりと車両は動き出していた。
「…なぜ実家に?」
訳が分からぬままに座席に腰を下ろすと、昨夜からの疲労がたたり、間もなく睡魔が襲って来て、フミはいつのまにか眠りに落ちて行った。
…どのくらい眠ってしまったのか、ハッと気が付くと列車は見慣れぬ山中の林間を走っていた。
窓の外を不安げに眺めていると、座席に車掌が回って来たので、フミはこの列車が長岡駅まであとどのくらいかかるのか訊いてみた。
すると、
「お客さん!列車を間違えましたね!…これ、新潟方面に行く路線じゃないので長岡には着かないですよ!」
車掌の言葉はフミにあまりにも無情な現実を返したのであった。
何しろまだ新幹線も高速道路も無い時代である。…全く致命的なミスをやってしまったフミはもう諦めてそのまま東京の自宅に引き返すしか無かった。…
…翌日、傷心のまま自宅で待つフミのもとに、ようやくサダジは新潟から帰ってきた。
サダジは医者からの示唆により息子を実家に預けてきたことを妻に告げ、フミはやり場の無い憤りを覚えながらもやるせない思いを胸にしまい込んで嗚咽を洩らしたのであった…。
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