第5章 『英雄戦役』

プロローグ

「――では、ローザンヌ公爵はあくまでも、領地に留まれるのだな?」

「はっ! 御耳を」


 公爵からの使者は小声になり、耳元で囁いた。


「……お館様におかれましては、グロリアスの、魔王軍の動きを注視されております。全軍を動かすことは余りにも危険。また、反乱軍を討つにしても短期決戦で勝利をおさめるのは困難であろう、との御言葉でした」

「だろうな」


 貴族軍指揮官、ゴドブロワ中将は頷いた。

 皇族でありながら戦場逃亡という重罪を犯したとされ、敗残兵を集めグ・オンに立てこもっているキャロル・デレイヤ元皇女。これを討て、との命を受けた貴族軍の士気は高くない。

 何しろ、キャロル皇女は劣勢が続いたこの戦争において、重傷を負い孤立した兵士達を助ける為に自らの身が危険に曝されるのを恐れず、何度も敵軍に突撃し、多くの兵士を救ってきた英雄の一人。

 貴族軍は、公爵の判断により矢面には立たず温存されてきたものの、負傷し故郷へ帰った元兵士達の口は閉じられない。兵士達は英雄と戦うことに、大きな疑問を抱えている。どうして、自分達は魔族相手じゃなくて、同じ人族と――しかも、英雄相手に戦うのだろう、と。

 加えて、グ・オンには、元皇女以外にも異人達が――字義通り、帝国軍最強部隊がいる。

 中将は深く深く息を吐き、禿げあがった頭を撫で回す。


「『策士』『聖女』を含め、独立第一親衛中隊もあちらについている。嘘か真か、コーラルの生き残り達もだ。……公爵はお分かりだと思うが、奴等は強い。恐ろしく強い。何しろ、魔王軍の最精鋭と互角以上に渡り合ってきた連中だ。グ・オンに至るまでにある七都市を攻略するのにどれ程、時がかかるかも分からん。損害は覚悟する必要がある……兵站は問題ないだろうな?」

「抜かりはありません。ただ、長期戦ともなれば……グロリアスにいる、あの連中が動く可能性もあります」

「分かっている。公爵の懸念はもっともだ。最善は尽くす」


 ローザンヌ公爵事実上率いる、正統デレイユ帝国の現状は決して良くない。

 帝国東部の貴族派領土は握っているもの、帝都グロリアス以西は魔王軍の占領下。

 南西部にはキャロル元皇女を旗頭にした反乱軍が着々と兵を集めている。

 表向きは友好関係を結んでいるものの、魔王は魔王。こちらが油断すれば、あっという間に帝国東部は蹂躙されるだろう。そうなれば……この国は滅びてしまう。神に愛されたこのデレイユ帝国が!!

 魔王の動きに備え『勇者』殿は我が身も顧みず、グロリアスに留まられているが……激戦に次ぐ激戦を潜り抜けて来られた結果、既に彼のパーティは壊滅している、と聞く。如何な帝国軍最強の勇士と言えど、単身で魔王に届き得るかどうか。


「公爵には、吉報をお待ちください、とお伝えしてくれ」 


※※※


 その晩、貴族軍宿営。

 中将他、各軍の幹部が集まり作戦会議が開催された。

 多くの者が困惑仕切っている。


「……つまり、だ。守備隊がいなかった? 一人もか?」

「の、ようです。本日、我が軍の先遣隊が都市ザールへ偵察攻撃を試みました。無論、反乱軍の反応を見る為です。が――魔法どころか、矢による反撃すらなく。小当たりしただけで、すぐさま開門となりました」

「罠ではないのか?」

「先遣隊もそのように思い、ザールからの使者を拘束、尋問したところ……どうやら、反乱軍はグ・オンに兵を集中。他の都市には『抵抗せず、降伏を』と告げたそうです」

「ふむぅ……」


 中将は、自分の頭を何度も叩く。敵軍の意図が分からなかったのだ。

 こちらの補給線に負担をかけさせる策なのは分かる。帝国北西の果て、グ・オンにまで十万の兵を動かすのは、それだけでも相当な壮挙。

 が、しかし。参謀に尋ねる。


「都市の食糧や水は?」

「一つとして持ち去られていませんでした。井戸と水源も調べさせましたが、汚染された様子もありません」

「分からんな。どうして、そのまま放置したのだ? 時間は十分にあった筈だ。他におかしなことは」

「一点だけ――都市にいたのは、老人と少数の男だけです」

「……何だと?」


 中将は、頭を叩くのを止め、参謀を見た。

 つまり。


「女子供と、若い男がいない、と?? ザールは帝国内で見れば、それ程、大きい都市ではないが、それでも数万。下手すれば十万以上の男と女子供がいた筈だ。いったい、何処へ行ったのだ??」

「……分かりません」

「分からない、だと? どういうことだ。先遣隊からの報告は?」

「ザール陥落後、即座に街道筋に騎兵を放ち山間部にも兵を送り、偵察を行ったも模様です。ですが……何も見つかりませんでした」

「ふむ……」


 宿営内に更なる困惑が広がる。

 少なくとも数万に及ぶ人間を、短時間で痕跡も残さず移動させる――そんな魔法は存在しない。

 部隊長の一人が発言する。


「都市に残った者達はなんと?」

「グ・オンから使者が来て、若い男と女子供全員、そして老人の希望者は、夜間の間に都市の外へ出よ、と告げたそうです」

「で?」

「……分かりません。何があったのかを把握している者はいませんでした」

「分かっていることは、だ」


 中将が重々しく告げる。

 心中に不安が広がっていく。まさか、これから先の五都市も。 


「我々は、ザールで労働者を徴用出来ない、ということだ。兵站計画を練り直す必要があるぞ。兵站参謀」 

「はっ! ……ですが、正直、困難です。我が軍の兵站計画は、各都市で一定量の労働者徴用を前提にしていました」

「分かっている。詳細分かり次第、ただちに報告してくれ――諸君、取り合えずだが、我々は七つある都市の一つを奪還した。この調子でグ・オンまで突き進むぞ」

『おおっ!』


 少なくとも食料、水の現地徴発は可能だろう。公爵から送られてくる物資も含めれば、当分、量に不安はない。

 だが……何だ、この不安は。

 

 こうして――後に『戦争芸術アートオブウォーの傑作』と讃えられることになる、『英雄戦役』は静かに開始された。

 グ・オンを目指す貴族軍約十万。

 対するは、キャロル率いる帝国軍残余と歴戦の異人達。

 背後ではレヴィーユ共和国が、不気味に鳴動している。

 そして――未だ歴史の表舞台に上がっていない少年と二人の『剣星』。


「はぁ……やっぱり、私のユズは天才ねっ!!」

「エル・アルトリア! 誰が『私』のよっ!!」

「あぅあぅ、御二人共、喧嘩はダメですよぉぉ」


 この後、世界は震撼することとなる。

 少年と、彼がもたらした圧倒的な力に。 

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