エピローグ

 デレイヤ帝国旧帝都グロリアス。

 王宮の尖塔には真紅に染め上げられた剣と鎌が交差した旗――魔王軍の巨大な軍旗がはためいている。

 それを忌々し気に見つめながら、貴族軍の将兵が出陣していく。

 多くの者は今回の件に到底納得などしていなかったが、魔王が示した『残る旧帝国軍の掃討さえしてくれれば、我等は領土に引き上げる』という寛大過ぎる戦後案に、自分達が仕えているローザンヌ公爵以下の寝返った貴族達は飛びついてしまった。


 ……事、此処にいたらば、是非も無し。


 誰がどう言おうが、貴族軍が祖国を売ったのは事実。ならば、勝つしかなかった。敗者は何も得られないのだ。

 たとえそれが――国民から敬愛されてきた、キャロル・デレイヤを討つ結果になろうとも。

 

※※※


 出陣していく貴族軍を窓越しに見ながら、魔王は冷たい口調で少年に尋ねた。


「……で、あの屑共が勝つ可能性は? リョウマ」

「皆無です。相手には『策士』『聖女』そして――がいる。勝てる筈がない」

「ならば、何故、行かせるっ!!! これでは戦力の逐次投入にっ」

「――戦場で裏切られちゃたまらないでしょう?」

「…………貴様っ」


 酷くあっさりと『勇者』御剣龍馬は、彼が属している筈の貴族軍を評した。普段、彼にくっ付いている人間の小娘はいない。

 龍馬は微笑を浮かべ、言葉を続ける。


「ですが、全軍の内、半数を未だ領地に温存しているとは、それでも約10万の大軍。数は力ですよ。多少なりとも彼等を消耗させ、戦術を見るくらいは出来る。じゃないと――負けますよ、貴女であってもね。ああ、負けるだけならまだいいかな? 下手すると魔王領まで併合されるでしょうね」

「そのような事が出来る筈」

「出来るんですよ、彼なら――柚子森柚樹なら簡単に、ね。貴女が、魔王軍にとって最大の脅威を『策士』と『聖女』と考えたのは中々の慧眼だったと思います。ですが、見込み違いです。この腐りきった国を滅ぼすのなら、彼が帰って来る前にすべきだった」 

「……そこまで評価しながら、何故だ? 何故、お前は我等についた? 我等はお前にとって仲間を討った仇の筈だ」

「さぁ……何ででしょうね」


 寂しそうに笑いかけるその姿は、とても十代の少年のそれではなかった。

 余りにも――余りにも、重い何かを背負ってしまっている男の顔だった。


「とにかく、この戦、貴女方にとって恐ろしく過酷、かつ、心を圧し折られる類のものとなります。その覚悟をしておいてください――そして、その果てにしか勝機がないことも」


※※※


 魔王との会談を終えた龍馬が部屋を出ると、すぐさま少女駆け寄ってきた。


「リョウマ様! ご、ご無事ですか!?」

「大丈夫だよ、ありがとう。怖かったかな?」

「そ、そんなこと……その、ありませんわ…………ちょっとだけ」 

「君には出来れば、公爵と一緒に領土へ戻ってほしかったんだけどな」

「駄目ですわ。我が名は、ユーリ・ローザンヌ。私がここにいなければ、魔王は御父様を信用などしません」


 愚かな子だ。とてもとても愚かな子だ。国を売った父親を、ここまで純粋に慕えるのだから。

 けれど――少しだけ、羨ましい。

 リョウマは、震えているユーリの髪を撫でる。


「? リョウマ様?」

「魔王は無駄に血を流すような馬鹿な事はしないさ。少なくとも、ここは彼等にとってつい先日まで紛れもなく敵地だったんだからね。治安も回復しているだろう?」

「それは……そうですが……」 


 不服そうに少女が黙り込む。

 グロリアス陥落後、一時的に悪化した治安状況は回復していた。

 占領軍となった魔王軍に反抗する市民は相当数いたが、次々と鎮圧。魔王は、復讐を叫ぶ指揮下の軍に対して野放図な虐殺を決して許さなかった。

 その甲斐もあり、今や魔王領となった旧帝国領各地との商売も再開されつつある。人は食物が足りていれば、ある程度は満足するものなのだ。


「…………魔王がそれを知っていた時点で、帝国に――いや、に勝ち目なんてなかったんだ」

「リョウマ様?」 

「何でもないよ」


 笑いかけ、再度、少女の髪を撫でる。

 ――おそらく近い将来、この地は再び戦場になるだろう。

 その時、この少女は『勇者』と信じる男がメッキ仕立ての紛い物だったことを知る。

 きっと刺されるかもしれないな、そんな事を思いながら自嘲する。

 馬鹿だな……刺されるくらいならいいじゃないか。

 多くの魔物、友人達や将兵を己の我欲で殺して、殺して、殺してっ……信じてくれた仲間達すら裏切って、今や、かつて『御剣龍馬』を構成していたモノは何も、何一つとして残っていない。

   

 ……いや、一つだけ残っている。


 左手を握りしめ、崩れ落ちる橋から落ちて行った少年の笑顔を思い出す。

 ああ、そうだ。残っているとも。

 偽物の『勇者』は足掻いて、足掻いて、足掻ききった後に、本物の『勇者』と対峙しなきゃならない。

 それが、この狂った世界で、俺が演じなきゃいけない役回り。

 ならば――龍馬は笑みを深める。

 演じ切ってみせるさ。そして、あの心底気に喰わない笑顔を歪めてやるとも。この呪われた世界に愛された存在を、この手でっ!!


 

 ――窓から見える空には黒雲。どうやら、雨が近いようだった。

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