プロローグ
帝国東北部の都市コーラル。
対魔戦争が勃発するまでは、田舎の一都市に過ぎなかったが……おそらく、戦史においてここは常に研究対象となるだろう。
当然、それは寡兵が圧倒的大軍を破った奇跡の戦場として。
そして……指揮を執った『策士』の名が、魔王軍にとって『死』と同義である、と再確認された土地として。
……ただし、当の本人からすればまったくもって不本意であったろうが。
指揮所で、地図に殺しそうな視線を送りつつ、彼女は通信宝珠へ淡々と告げた。
「各部隊、予定より一刻程遅れている。少し叩いたとはいえ、敵軍は健在。すぐに引き返してくるわ。死にたくなければ、ゆっくり確実に。だけど、同時に急いで乗船させなさい。傷病兵が最初。その次に若い兵と老兵。その次が下士官。士官、上級士官は最後の最後よ。守らなかったら――私が直々に殺すから」
各部隊から次々と『了解』との返事。
それを聞いた『策士』こと、咲森小絵は不機嫌そうに、椅子へもたれる。
脅しはしたが、敵軍は来ないだろう。否、来れないだろう。何しろ、総司令部は勿論、次席指揮官、その次の指揮官、次々の指揮官まで討ったのだ。
未だ数万の兵は抱えていようとも、指揮命令系統が崩壊し、空中戦力も全滅している相手など、怖くはない。
念の為、殿として残しているとわ達と、予備の一個大隊だけでも、翻弄すら出来るだろう。
……問題はそんな事ではない。ないのだ。
長年の不摂生とサボリ、そして戦陣の結果、傷みに傷んでいる自分の髪を触る。
深い深い溜め息。
どうして自分は準備を怠ったのだろうか。
過去の自分を正座させ、延々とお説教したい。あの幼馴染が、あれで思い込みが激しい事は誰よりも知っていたというのに。
天幕に、短い白髪の美少女が入って来た。肩には竜を載せている。
「随分と不景気そうな顔ね。とても、戦史に残る大勝を収めた将には見えないわ」「…………何か用かしら。これでも忙しいのよ。『剣星』ヨル・グリームニル」
「用――そうね。大事な大事な用があってきたわ。『策士』咲森小絵」
おそらく天幕内に誰かがいれば、この瞬間、二人の背後に、何が見えたかもしれないが……残念? なことにこの時、誰もいなかった。
ヨルは微笑を浮かべながら、対面の椅子へ座る。
「単刀直入に聞くわね。『策士』。あんた、私と同盟を結ばない?」
「……同盟ですって? 帝国の人間である私と共和国の『剣聖』たる貴女が? 冗談にしては」
「ねぇ? この場には誰もいないわ。音も――スズシロ」
ヨルの肩にのっている騎竜の目が光り、外の雑音を全て遮断した。
にやり、とヨルが笑う。
「分かっているでしょう? 帝国? 共和国? 馬鹿ね。貴女にとって大事なのは、そんなモノじゃない。大事なのは、異人の仲間と、一緒に戦ってきた兵達。そして――柚子森柚樹」
「…………」
「だけど、貴女は此処で失敗した。大失敗をした。分かるわよ。好きな男に、戦塵にまみれた姿を見せたくなかったのよね? 結果」
「――何が望みなのかしら」
小絵が、にっこり、と笑う。
肩の上でスズシロが身体を、ぶるり、と震わせた。
ヨルは肩を竦め、両眼を閉じ答える。
「さっきも言ったでしょ? 同盟よ。……戦況はあんたが想定しているよりずっと悪いの。いい? 幾ら『剣星』エル・アルトリアと共和国有数の名家である、アルトリア家が背後にいても普通、うちの上層部がここまで一個人の――しかも、役職にもついてない異人の意見を聞き入れるなんて考えられない。まして、帝国軍を救う為に、旧式とはいえ飛空艇船団を派遣するなんて――事前要請があっても、前代未聞よ。しかも、最新鋭飛空艇と私の護衛付きという配慮まで示している」
「……共和国上層部が、このタイミングで柚樹を呼び戻したのは、何かをさせようと画策している、という訳ね?」
「そ。同時にエル・アルトリアからすれば、あんた達と私を、当面の間、ちびっ子から引き離せるってわけ。しかも、私とあんたはそれを飲まざるを得ない。どう? 自分が置かれた過酷な戦況を理解したかしら?」
「……畜生がっ……」
奥歯を噛みしめる音。
そう、この場に彼女の幼馴染にして、この一年探し続け、同時に狂おしい程に恋焦がれていた柚子森柚樹はいない。
会戦終了後、共和国首脳部である賢人委員会直々の命により、エル・アルトリアとその騎竜サイカと共に、首府ランディアへ帰還している。
時間がほとんどなかったにも関わらず、各人に直筆の手紙を残してくれたので、今後の展開にまったく不安はないし、同意もしている。
そこには、個人的なメッセージも書かれていたので、荒れに荒れていた心中も多少沈静化し、頭を抱えた。
ああ、もうっ! どうして、そうなるのっ!! 嫌いになる筈ないじゃないっ!!!
――最初と会戦中に、多少話せたとはいえ、色気も何もない事務的な会話だった。嬉しかったけれども。
加えて、自分以外の仲間達は直接会っている。納得がいかない。不公平が過ぎるっ!
けれど、我が儘を言えば、きっと柚子に伝わってしまうだろう。
同い年だけれど、ここまで保護者兼姉役として、貫いてきた立場もある。勿論、それは崩しても良いのだけれど……あくまでも、二人きりの時にしたい。
が……どうやら、そんな事は言っていられないようだ。
とわからは「あの、エルっていう人はほんとっ強敵だよ」とも聞かされている。
ここは――小絵はヨルに手を差し出した。
「……分かったわ。共闘といきましょう。期間は、そうね。あの女狐から柚子を奪還するまでで、如何?」
「ええ、いいわ。その先は自由競争ね」
「了解したわ」
握手をし、笑いあいながら、目はまったく笑っていなかった。
スズシロが再度、ブルリ、と震え目を閉じる。
――やがて、二人は手を離すと実務者の顔になった。
「で、この後だけれど……共和国はあくまでも介入はしない、と」
「ええ。私達は後ろ盾になるだけ。主戦力は貴女達よ。ただ『玉』は手にしている。兵力さえあれば、貴女がいればどうとでもなるでしょう?」
「……どうかしらね。やってはみるけれど、魔王はかなり手強いわ。それに――大馬鹿な『勇者』様が向こうにはいるから。……ほんとっ! 大馬鹿の、ね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます