第10話 監視哨

 コーラル南方秘密監視哨。

 上空の蛾から発見されぬよう徹底的に偽装され、一見、放棄された廃墟にしか見えないこの住宅では、一人の少女が望遠鏡を片手に空を睨んでいた。

 本来、2階建だった筈なのだが既に2階部分は崩落、上を眺めると空が覗いている。

 この状況下、どのような手入れをしているのだろう。長い黒髪は、濡れ羽色を保っていた。

 少女が呟く。


「……見えぬ、か」

「そりゃ、そうだろ。さっきのも見間違いじゃないのか? 距離30000って……お前は、旧海軍の夜間見張り員の末裔かなんかかよ」

「先人に比べれば私など。それと見間違えではない。確かに見えた。あれは飛空艇だった。ただ」

「ただ?」

「……帝国の船にしては洗練されていたような気がする」

「おいおい。今度は魔王軍が飛空艇まで投入したってのか? 勘弁だぜ」

「まだ分からぬ。……田口、貴様、その軽口一向に直らんな。だから、女子にモテぬのだぞ?」

「う、うっせぇ。ほっとけよっ。そ、そんな事言ったら、八重垣だってそうだろうが。何時もキツイ言い方してっから……外見はいいのに……」

「はっ! 何を言うかと思えば。私は男なぞいらぬ。私は、弓と共に生き、弓と共に死ぬのだ」

「…………」


 田口と呼ばれた中肉中背で、腰に短剣を下げている少年が、少女――八重垣蛍をジト目で見る。

 今、この場にいるのは彼と彼女、そして部下として配置されている十数名の帝国兵。二人のやり取りは日常茶飯事であり、この後の展開も毎度の事だった。


「……何だ。何が言いたい」

「別に何も。だけどなー。ああ、いいや。悪い悪い。監視を続けようぜ」

「……言いたい事があるならはっきり言えっ」

「柚子森にも同じ台詞を言うのかな~って」

「…………い、言う。だ、第一、何故、そこであの、軟弱者の名が出てくるのだ。あいつはもう」

「俺は死んでないと思うけどね。あいつはそう簡単に死なない。いい加減、ひょっこり帰って来るんじゃねぇの?」

「根拠は」

「ししし、んなの勘だよ、勘。俺の勘は当たるぜ。な、お前らもそう思うだろ?」


 突然、話を振られた下士官と兵達は、愛想笑いを浮かべ、目を逸らす。

 この田口という少年の勘を信じた結果、彼等はこの一年間、悪戦に次ぐ悪戦を経験する羽目に陥っている。とてもじゃないが賛同は出来なかった。どうせまた、ろくでもない事を呼び寄せるに決まっている。

 しかし同時に、この少年と少女は共に戦場で、兵を一人も餓死させず、かつ負傷者も見捨てなかった歴戦の野戦指揮官でもあり、何だかんだ兵達の信頼は厚い。

 兵達の反応を見た、八重垣が鼻で笑い、肩を竦める田口。

 ――まったくもって何時もの光景だった。兵が鋭い報告をするまでは。


「南西、距離20000! 高度2000で何か光りました!」


 即座に、全員が同方向へ望遠鏡を向ける。

 今日は雲が多く、視界が悪い。

 それでも、そこに多数の『蛾』―—忌々しい魔王軍の航空部隊が展開しているのが見えた。

 目を凝らす。


「……蛾が撃墜されている?」 

「やっぱ、そうだよな。おい、誰か、違うものが見えてる奴はいるか?」

「おりません。大尉殿」

「そうだよな。目出度い。減ってくれる分には何だっていいからな。問題は、だ……墜としている、奴の姿が見えない事だ。八重垣?」

「―—雲の中から狙撃してるんだろう。魔力も感知出来ない。恐ろしく静謐性が高いな」

「敵か?」

「私に分かるわけがないだろう。取りあえず、本部へ連絡。ありのままを伝えろ」

「了解であります」


 八重垣は下士官へ命令しながら、もう一度望遠鏡を覗き込もうとし――愛弓を構え、前方へ鋭く警告した。


「誰だっ! 魔王軍ではないようだが……出て来なければ撃つ!」

「―—へぇ。少しはやるじゃない。私の偽装魔法を見破るなんて。まぁこの距離なら、本気だったらとっくに全滅させてるけど」

「エ、エルさん、喧嘩は駄目ですよぉ」

「!?」

「おー」


 前方の色が変化し、二人の人――エルフと肩に蜥蜴を乗せている小柄な少年の姿が現れた。

 少女は呆然とし動けない。少年は少し驚いた後、すぐに満面の笑みを浮かべながら、手を振った。


「柚子森! こっちだ、こっち」

「田口君!」

「まだ駄目よ、ユズ。こいつらが味方かどうか分からないでしょう?」 

「田口君は何があっても味方です」

「どうして、そう言えるの? この一年で心変わりしてるかもしれないじゃない」

「えーっと……田口君だからですっ! 彼は、男の中の男ですからっ!」 

「あーえー……柚子森、久々だと恥ずいんだが……」

「? 本当の事だよ?」


 田口が彼にしては珍しく、恥ずかしがっているのを見た兵達は笑いを噛み殺しつつ、立ち上がりユズへ敬礼する。彼等は一年前、この少年が何をしたかを知っていた。不格好な返礼。ユズがエルの手を引く。


「エルさん、行きましょう。どうせ、隠れないといけません」

「……いい? ぜっったいに私の傍を離れちゃ駄目なんだからね? サイカ」

「グルル!」 

「う~。い、幾ら僕でもこんな所で、迷子になりませんよぉ」

「駄目。本当なら、上で待っててほしいところなんだから。それに……ユズは、ここにはいない、って言うけど、裏切り者がいないとも限らないんだからねっ」

「……はい。えっと、田口君」 

「お、おう」


 二人のやり取りについていけない、田口と兵達へユズが声をかけた。

 ……八重垣は未だ硬直している。



「小絵ちゃんは何処かな? 相談したい事があるんだ――殲滅戦について」

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