第9話 策士

 帝国東北部の主要都市コーラルは今や、血で血を洗う死戦場に他ならない。

 十重二十重に囲む魔王軍主力、約10万。

 それに対するは、帝国東方方面軍の残骸約8000。

 既に重囲されてから約一ヶ月が経っており、航空戦力すら持つ魔王軍からすれば、帝国軍はもう殲滅されていて然るべきだったろう。


 ……が、現実はより凄惨だった。


 固く閉ざされた城門を、魔王軍が突破したのは攻囲戦開始から10日目。

 それから今日まで、市街地の一区画を奪い合う激戦が繰り広げられている。

 巨大な斧を振り回し黒髪で長身な戦士が、陣地から飛び出し狭隘な通路に侵入した十数体のゴブリン達をなぎ倒す。


「よゃしゃぁっ! おらおら、まだまだいくぜっ!」

すぐる、突出しないでよ。もうっ! ――各個射撃、急いでください! 全滅させて退きますよ。そろそろ、蛾が来ます」


 戦士をたしなめた、茶髪でショートカットの少女が兵士達に号令を下すと、周囲の建物各所から、投げ槍、矢、魔法が降り注ぎ、次々と一方的にゴブリン達を殲滅していく。

 少女は油断なく周囲――特に上空を警戒。目を細めると、叫んだ。


「退避! 皆さん、また後でお会いしましょう! 傑!」

「おうよ、とわ」


 先頭で勇戦していた少年は陣地へ戻ると、とわと呼ばれた少女を背中に乗せ、建物の窓へと飛び込んだ。兵達も三々五々散っていく。

 直後、轟音と共にその建物が崩壊。瓦礫の山と化した。

 

 ――遅れてやって来た、魔王軍航空部隊で運ばれてきたゴブリン空挺兵が見たのは、通路に残る百体近い同胞の死体。敵兵の死体は無し。


 空挺兵達は、人の耳では奇妙な摩擦音でしかない彼等の言語で悪態を放つ。

 魔王軍は勝っている。少なくとも、帝国軍を追い詰めつつある筈。

 だが、その自信は日々揺らいでいる。

 ……罠にかかったのは、もしや自分達ではないのか? 

 そう思わずにはいられない程に、損害は少しずつ少しずつ不気味に積みあがっているのに、人間の死体は殆どない。

 戦勝によりあれ程旺盛だった士気も落ち、撤退論すら出て来る始末。

 それもこれも、何もかも……あの化け物のせいだった。

 この10年間、常に魔王軍と対峙してきた帝国東方方面軍は既に残骸。虫の息。 

 現実はその残骸だけで、魔王軍主力はいい様に翻弄されている。

 

 ここで、攻囲を解きあの化け物が帝国軍を掌握して、戦場に戻ってきたら……。


 空挺兵達は不吉な予感に身を震わせる。

 ここまでの戦力差があるにも関わらず、それを覆そうとしているあの化け物――帝国軍が『策士』と呼ぶ人族の雌は一刻も早く殺さなければならない。

 たとえ、如何なる犠牲を払おうとも。ここで、一軍が磨り潰されたとしても。



※※※



 コーラルの地下には、縦横に広大な地下通路が張り巡らされている。

 魔王軍が、この世界においては画期的と言える航空戦力の創出――巨大な『蛾』の集団運用を成し遂げた後、とある異人の強硬的な発案があり、偏執的とも言える大工事につぐ大工事の結果、この時期、世界唯一の地下要塞都市として変貌を遂げていたのだ。

 無論、魔王軍も市街へ突入した後、この事に気付いており、帝国軍本営直撃を目指したが……地下は、地上以上の地獄だった。

 投入された魔王軍の数個大隊は一兵も戻らず。それどころか、死体すらも発見されなかった。

 辛うじて幾つかの通路入り口を発見占拠してみても、その悉くが罠であり、後方から忍び寄った帝国軍によって包囲殲滅される始末。

 

 帝国軍は勝っていた。間違いなく勝っていた。


 おそらく、この状況において彼女にもう1000……否、数百の十分な休息と訓練を受けた余剰兵力か、帝都に留まっている『勇者』達がいれば、戦争はここで終わりを告げていたかもしれない。

 が……地下通路の最奥で戦況図をじっと眺めている、眼鏡をかけつつも眼光の鋭さがまったく隠せていない、ぼさぼさな長い黒髪が印象的な少女――咲森小絵さきもりさえは幹部達に対してあっさりと告げた。


「……駄目ね、これは。兵の数がどうしたって足りないわ。今のまま、もう一ヶ月、傑を生贄に捧げればもう+5日程度は伸ばせるけれど、その後は消耗戦。あの魔王なら、こっち一人に対して、自軍十名の損害すら許容するでしょうし」

「マジかよ……数字が具体的過ぎてひくんだが。つーか、俺、生贄なのか⁉」

「もしくは、羊さんかも?」

「とわ、こんなごつい羊なんていないわよ。むしろ、ゴリラじゃない」 

「あ、そっか。他の子達は?」 

「損害無し。大尉!」

「はっ!」


 汚れた紺色の軍服を着た若い軍人が立ち上がる。若いと言っても、小絵とは、十歳以上年上だろう。しかし、大尉はその点について何ら疑問を抱いていない。

 この場にいるのは、十数名。内、異人は三名。

 正規軍人達の中に、将官はいないどころか、佐官ですら二、三名しかいない。

 高級将校はコーラルまで退く過程で、戦死したか、行方不明になったか、兵を捨てたか、帝都へ逃したか……ここにいるのは、その激戦場を生き延びてきた歴戦の野戦将校達だった。


「兵の中から、一番若い子達と一番歳上の下士官達を調べておいて。余裕がある内に脱出させる。責任は私達だけで見るべきだから」

「―—失礼ですが『策士』殿。一番年下は、貴女方かと」


 大尉は極々真面目な顔で告げた。

 小絵はきょとんしていたが、やがてくすくすと笑いだした。


「ああ、そう言えばそうだったわね。こんな場所にいると、自分はうら若き乙女であることを忘れてしまって困るわ」

「つーか、小絵は柚子がいないからずっとサボってぇぇぇぇ!」

「……傑、言葉というのは考えて使うものよ?」

「柚子っち、今頃どうしてるかなぁ。会いたいなぁ……」


 兵が駆け込んでくる。入り口で敬礼。

 大尉が尋ねる。


「伝令!」

「どうしたか」

「南地区監視哨におられる『弓士』殿からであります。『南方距離約30000、高度6000以上にて、謎の飛行物体を一瞬目視した。すぐ雲に隠れたが船のように見える』とのことであります!」

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