第3章
プロローグ
その日、デレイヤ帝国帝都の帝国陸軍参謀本部内会議室では怒号が飛び交っていた。
「馬鹿なっ! コーラルに増援を送らないだとっ!? 貴官ら、狂ったかっ! 状況が分かっているのかっ!!!!」
凄まじい勢いで、その男は机に握り拳を叩きつけた。軍服の色は紺。襟についている、金星の数は一つ。国軍少将だ。
顔は真っ赤に染まり、目で居並ぶ将官、参謀、そして異人達を射殺さんばかり。若手参謀やこういう場に慣れていない異人達は、顔面を蒼白にさせ震えている。
「重ねて言うぞ! デナリが陥落した今、コーラルまで落ちれば……次の戦場は、ここ、帝都だぞ!? そんな事になれば……貴官等、帝都に何人の臣民が暮らしていると思っているのだ!」
「で、ですが……デナリ失陥時に受けた損害は大きく、とてもではありませんが、増援など……」
「確かに国軍は大きな打撃を被った。だが、貴族軍は別だ。国家存亡がかかる今こそ、その実力を示してもらわなければならぬだろう」
「少将、そこら辺にしておけ。如何に貴官が、帝国の功労者とはいえ、貴族軍投入は、そも責を超えているとは思わないかね?」
「思いませんな。此処で投入されないのならば、たとえ、帝都が戦場になったところで、日和見をされるのでは? そして、各国から笑いものになるのでしょうな。特に共和国などは、これ幸いと宣伝すること請け合いです。『無敵帝国大陸軍、案山子であることが判明。なお、案山子教会から抗議多数』と」
「貴様っ!!」
またしても、会議室から怒号。濃い紫色の軍服を着ている貴族出身者達が一斉に立ち上がったが……少将の凄まじい殺気が込められている一瞥に、腰砕けとなる。
会議室全体を見渡す。紺が二割。紫が七割。そして、赤服が一割。
「『勇者』殿はどうお考えか? コーラルには貴殿の友も多数、籠城している。このままでは、皆、確実に死ぬぞ。如何にあの『策士』殿がおられても、兵力差があり過ぎる。未だに持ち堪えていることが奇跡なのだ」
「……俺は」
「そんなの決まっていますわ。増援は送らない。コーラルが持ち堪えている間に、態勢を整え、敵兵力が手薄になっているだろうデナリを奪還し、逆攻勢をかける。これには貴族軍がその総力を挙げて参加をする――既にお伝えした筈ですわ。この決定はもう動かない。そして、その際は国軍も、我が父ブール公爵の指揮下に」
勇者の言葉を遮り、発言してきた赤服を着ているブール家の小娘を睨みつける。
……そうか『個』としての最大戦力は既に掌握済み、ということか。
議長役の老大将――御し易し、と単に貴族側から担ぎだされた予備役の方だ――が会議を纏める。
「では、決を」
――こうして、俺のコーラル救援案は反対多数で否決された。
同時に、無謀極まりない、デナリ奪還作戦が可決。
……本気で国が滅んじまうな、こいつは。
だが、俺はあの『策士』の嬢ちゃんと約束をした。『必ず増援を連れて戻る』。ならば、その責任は取らなきゃ、男じゃねぇよなぁ。
俺は大きく息を吸い込み、懐から用意していた物を取り出した。
※※※
「閣下! お待ちください。閣下!!」
「あん? 何だ、お前か」
会議室を出た俺を追いかけてきたのは、若い女だった。軍服は紺色。銀色の星が一つ。少佐だ。
「何だ、じゃありませんっ! ……何処へ行かれるおつもりですか?」
「決まってるだろうが。コーラルだ」
「御伴します」
「駄目だ」
「なっ!?」
「お前さんには、まだ将来がある。帝都に残り、帝都を、皆を守れ!」
「御断りします! 本官はこれでもデナリの生き残りです。足手まといにはなりません。どうか、御同行をお許しください――勿論、書類は提出済みです。名目は『最前線視察』ということで」
「! ……お前、それが『策士』の嬢ちゃんの薫陶ってやつか、そらぁ」
「まさかまさか。私は、あそこまでにはなりません。ただ、あの人曰く『……私なんか、ユズに比べたら塵よ、塵。あの子は凄いのよ。昔ね――』」
「ああ、言わんでいい。散々聞かされたわ。あの普段は冷たい奴が、柚子森の話をする時だけは、惚気るのだ。……あれは慣れん」
「そうですね。私はそのユズさんという人には会った事がないんですが……本当にそんな方だったんですか?」
「……どうだろうな。俺もそこまで付き合いが長かったわけじゃねぇからな」
柚子森柚樹。約一年前、帝国が召喚した異人達の一人。
ステータス的には際立ったものはなく、目立つ存在ではなかったが、近衛に長年所属する下士官達からは可愛がられ、また信頼もされていた小僧。
その真価は、例の襲撃事件時に発揮され、近衛部隊を見事に救ってみせたが……結果、あの策士の嬢ちゃんに『……これで、帝国の勝ち目はなくなったわ。勝ちたいなら徹底的に探して!』と言わしめる程の人材を喪ったわけだ。
「だが、不思議な小僧だった。いれば妙に安心出来る……そういう奴だった……」
「一度お会いしてみたかったですね」
「……駄目だな、それは」
「な、何でですか!」
「俺はまだ命が惜しい。女を紹介した、なんて知れてみろ……あの嬢ちゃんに殺されちまう。何にも執着心はないようにみえて、あの小僧にだけは異常だったからな。それでいて冷たくするんだぜ? 訳がわからねぇ」
「あ、それ私知ってます! つんでれ、って言うんだそうですよ?」
「つん?」
何だそりゃ。だがまぁ……あの嬢ちゃんには借りがある。
デナリ失陥が確実になった時、囮部隊を率いて魔王軍をコーラルへ誘引、全軍壊滅を――ひいては、俺の部下達を救ってもらった、というでかすぎる借りが。
ならば、それは返す。
陛下が突然不可解な死を遂げられ、次期皇帝の王女殿下は前線視察後に行方不明。
そして、そこに届いたコーラル重囲の報。
帝都が混乱する中、未だ危機的な戦局を認識出来ず、権力ごっこにご執心な貴族共のことなんかしったことかよっ!
予備役編入書も受理されたことだし、こっから先は――俺の好きにさせてもらうぜ。と、その前に、だ。立ち止まる。
「閣下?」
「――話があんだろうが。どうせ、会うのも最後だ。聞いてやるよ。いや、敬語じゃなきゃ駄目か? 『勇者』様?」
「……貴方には敵いませんね。師匠」
後ろを振り返り、黒髪の優男——『勇者』御剣龍馬が儚げな笑みを浮かべて佇んでいた。
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