第9話 都督官邸

 グリーエルの都督官邸は、都市の丁度真ん中にあります。

 都市外れにある孤児院からだと、歩いたら当然時間がかかります。馬でも少し遠く感じますし。

 けど、今、僕の目の前にこじんまりとした建物があります。ここまであっという間でした。

 報せを伝えてくれた騎士さんは到着されるのは随分後になるでしょう。

 音もなく屋上から、官邸内の正門前に降り立ったエルさんが、守衛の人へ微笑みかけます。


「『剣星』エル・アルトリアよ。呼び出しを受けたのだけれど、都督に取り次いでもらえるかしら?」

「は、はっ! こ、これは『剣星』様!! し、少々お待ちを……」

「急いでね? そちらが呼んだのだから」

「は、はいっ!」


 エ、エルさん、駄目ですっ! も、もっと殺気を抑えてくださいっ!

 守衛さんは悪くないんですから。ああ……あんなに蒼くなって……。

 それと、その、あの。


「エルさん」

「なーに? ユズ、また少し痩せたんじゃない? この前よりも軽くなってるわよ? 駄目よ! 男の子なんだからっ! あ、でも、太るのも駄目。今より少しだけ肉を付けること。今日から、もう少し食事の量を増やすこと、いい?」

「や、痩せてないですよっ! ……その、ほんの少しだけ落ちただけで。そ、そうじゃなくてっ。も、もう、お、降ろして下さいっ!! ほ、ほら、周囲の人達が見てますよぉ……エルさんを知らない人なんて、グリーエルでいないんですから」

「ええ!?」


 エルさんが、『信じられない』、と言った表情で上から僕を覗き込みます。 

 今、僕は俗に言う『お姫様抱っこ』をされている状態だからです。

 確かにエルさんなら、孤児院から官邸まではあっという間ですけど……ぼ、僕だって、最近は少しだけ追いつけるようになりました! だから、自分の足で、って言ったんですけど……。


『だーめ。そうねぇ、それでもユズが自分の足で走りたいって言うのなら……条件をつけましょうか』

『は、はいっ! 僕に出来ることなら』

『ユズが負けたらキスをしてもらうわ。ああ、言っておくけど、私は全身全霊をかけるからねっ! 前『剣星』様に挑戦する時よりも本気で勝負するからっ!!』

『…………ウィラスさん』

『ユズ君――私も参加していい? 久しぶりにやる気が出てきたわ!』

『駄目に決まってるでしょっ! ユズの唇は私の物よっ!!』

『あぅあぅ』


 自分に負けた僕は駄目駄目です……だ、だって、そのキスなんてしたことないですし……恥ずかしいですし……。

 結果、エルさんの当初要求通り、今の形になりました。うぅ……。

 孤児院から、普通の道を通らず、建物の屋根や屋上、路地をを疾走、飛翔することで大幅な時間短縮しています。多分ですけど、着地している事を、建物の中にいた人達は気付いていないと思いますし、飛ぶ姿を目で捉えられた人もいないと思います。

 何しろエルさんは、『風』の『剣聖』様です。既存の風魔法は勿論、大陸でも数える程しかいない飛翔魔法まで使える、凄い人なんです。

 だけど……今は、降ろしてほしいです……。


「もうっ! ユズは我が儘な子ねっ! 帰ったらお仕置きよ! 今晩は一緒にお風呂へ入りましょう」

「……エルさん」

「だーめ。そんな可愛い顔をしても許しません。いいじゃない。もう何度も入ってるんだから」

「あぅあぅ。こ、声が大きいですよぉ」

「うふふ。わざとよ」

「エ、エルさんっ!」


 ようやく降ろしてもらえました。

 でもその代償は大きかったみたいです。

 門の隙間から、先程の守衛さんが戻って来られるのが見えました。隣には、行政官の人でしょうか? 小さな眼鏡をかけた真面目そうな犬族の男の人も一緒です。中から出てくると、エルさんと僕の前に立ち、深々とお辞儀をされました。


「『剣星』様。グリーエル副都督を務めております、ヌークと申します。本日は、急なお呼び出しをしてしまい申し訳ありません」

「内容は使いから聞いたわ。要は――斬ればいいのよね?」

「お、お待ちをっ! 彼等は非公式とはいえ、帝国からの使者です。今は、都督が相手をしていますが……」

「――ヌーク、と言ったかしら?」

「は、はっ!」

「さっき聞いた話だと……その帝国の使者様は、あろうことか、私だけはなく、ここにいるユズを侮蔑したそうじゃない。そんな連中にどうして、私が慈悲を与えると思うのかしら?」

「そ、それは……で、ですが、彼等の言い分にも耳を傾けねば対話が成り立ちません」

「へぇ……都督も同じ意見かしら?」

「わ、私の考えです。けれど、都督も同じ意見かと」

「そ、ならいいわ。案内して。話を聞いて――考えが変わらなかったらその時は、貴方達もただじゃ、むぐ」

「エルさん、駄目です! めっ! です! どうして、そうやって人を虐めちゃうんですかっ! もうっ! そんなエルさんなんて――嫌いですっ!」

「!!!??」


 エルさんが膝から崩れ落ちました。蒼褪めていた副都督様と、守衛さんは呆然としてます。

 ……言い過ぎちゃいました。

 しゃがみ込んで恐る恐る、顔を見ます。ぶつぶつ、と何か小さな声が聞こえるような。


「えっと……エルさん、そのごめんなさい。ありがとうございます。僕の事を心配してくれるのはとってもとっても嬉しいんです。けど……だけど、でも、わぷ」

「……ユズ。お願い、何でもするから嫌いにならないでっ! 斬りたくなっても限界まで我慢するからっ!!」

「言い過ぎでした。僕はエルさんが大好きですし――とっても優しい人だと思ってます。エルさんは僕の大恩人です」

「~~~~!」


 更に強く抱きしめられます。あぅぅ。

 ――暫くそのままの状態が続き、おもむろにエルさんが立ち上がりました。もう、何時ものエルさんです。

 そして、不敵な笑みを浮かべ、副都督に宣言しました。 



「話だけは聞いてあげる。ユズに感謝しなさい。この子を脱走者だなんて……本来なら、問答無用に斬ってるのだから」

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