1月22日 転調:音楽について

 パッフェルベル!

 雪車町地蔵だ。


 音楽というものは佳いものだ。

 少なくとも、佳いと思うものにとっては。


 親類の一人が、おおよそ初めて真っ向からヴァイオリンを聴いた。

 音楽を好む親類だったが──ヴァイオリンが好きなわけではなかった。

 流行の歌が好きなやつだった。

 けれど、いまややつはヴァイオリンに夢中だ。


 表現の幅が違うという。

 これまで耳にしてきたものがぜんぶ、偽物のようだという。

 これが本物だと、譲らない。


 否定しない。

 否定はできない。

 音楽は佳いものだ。

 真っ向から聴き、目の前の演奏が大気を震わすのなら、同じように聴くものの血潮を、心を震わせるだろう。

 否定はしない。

 それが間違いだとも思わない。


 ならば、オーケストラならどうだろうと言った。

 太鼓ならばどうだろうとも言い募った。

 それはきっとおまえの体を震わせるだろうとくどいほどに。


 親類は答えた、違うと。

 ヴァイオリンだからいいのだと。

 自分はいまだ、ヴァイオリンを演奏すらできないが、持ってすらいないがそれでも。

 ピアノよりも、多くが合わさったオーケストラよりも。

 独りで奏でるヴァイオリンの音色に、その幅広い悲鳴に惹かれたのだと。


 音楽は佳いものだ。

 累ていうまでもなく、素晴らしいものだ。

 世界を彩る真理の一つだ。


 けれど、私は、こう思うのだ。

 親類よ。

 きみは、音楽に惹かれたのではなく。

 きっとヴァイオリンに、恋をしたのだろうと。


 音楽は、佳いものだ。

 否定はしない。

 否定はできない。

 けれど──佳いものだからこそ、それは奈落のように深い沼でもある。


 親類よ。

 きみよ。

 佳いものを、佳いものままにする努力を、ゆめゆめ忘れることなかれ。

 佳き隣人であれと。

 でなければ、いつか足元を踏み外すからと。


 私はそう、案じずにはおれぬのだった。




(夢追い人はおまえも同じだろうが)

(恋は盲目ですよ、見えなくなるのは怖いことです)

(手を取ってやればいい。そばにいてやればいい)

(そうですね。きっと、それが佳いことなのでしょう。それでは、アデュー!)

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