10月30日 これは英雄の物語ではない

 英雄を志す者は、無用である。

 雪車町地蔵だ。


 装甲悪鬼村正の話をしよう。

 村正レビューは論理的に構築されなくてはならない。

 ニトロプラス製作、メインライター奈良原一鉄のスラッシュダークADVこと、暗黒大河「装甲悪鬼村正-FullMetalDaemon MURAMASA-」の発売から、ちょうど今日で9年の月日が流れた。


 ……正直な話をしよう。

 私はもう、第一章が終わるまえに心が一度折れた。それほどまでの〝悪〟がそこにあった。

 けれど、フルプライスどころか限定版を購入したということもあり、プレイを続けた。

 邪悪、邪悪、邪悪。

 どこを切り出しても、そこにあったのは人間の邪悪だ。

 悪性と呼ばれる部分のみが、日常非日常を問わず溢れていた。地獄のようなノベルゲームだった。

 けれど、正義はあった。


 刃の報いは己に還る。悪に報いはあるのだ。悪に報いは必ずあるのだ──その言葉の通り、邪悪は正義と対面する。


 ……正義こそが、もっとも悍ましきものだった。

 これは通俗的な、さいきん風潮の性善説だとか性悪説だとか、誰かにとっての悪ですら誰かにとっては正義であるとか、正義の味方にも未熟ゆえの悪い部分はあるとか、そんなどうでもいいレベルの話ではない。

 村正という物語は、一心不乱に悪を描き──だからこそ正義を名乗るだけでは何の意味もないのだということを突き付けてくる。


 それ以前の大ヒット作、デモンベインにおいてあれほど正義の味方を描き切ったニトロプラスが。

 今度は悪とはなんであるか、というテーマに一歩どころか大股で踏み込んできたのである。


 だが。

 それでも。

 正義だ、悪だという問題は、ひどく些細なものでしかなかった。


 村正の話をしよう。

 愛の話をしよう。

 この物語は、徹頭徹尾──ただ愛を証明するために用意された舞台装置なのだから。


 絶望も、希望も。

 葛藤も、成功も。

 明日も、過去も。

 すべて、すべてが一つきりの不確かな要素を──〝愛〟という夢や幻のような曖昧な代物を、厳密に定義し、誰であっても理解できる形に落とし込める──そのためだけに存在したのである。


 愛はあった。

 確かにあった。

 ならば、よし──


 プレイヤーは心の底からそう理解するとともに──最後には再び、己の邪悪を信じることになる。

 私は曖昧なことしか書かなかった。

 論理的を謳いながら、論理のかけらもない本編とは対極のレビューをここに認めている。


 だから、どうか読者諸氏自身の目で、この物語がいかなるものであるかを、見定めてほしい。

 決してみだりに薦められるゲームではない。

 おぞましく、苦しく、忌まわしく、呪わしい、どう控えめに見積もっても、あなたが大事にしているだろう大切なものを破壊しつくす物語だからだ。


 それでもと、私はあえて言おう。

 それでも、どうか一度、痛感してほしい。

 なにものにも勝る、愛の証明を。


 以上だ。



(さすがに好きなものは熱が入る)

(私の構成要素の一つですからね。傑作にして、鬼作です。それでは、アデュー!)

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