次はないから

「な、んで……」

「夏希とおにいちゃんは優しいよね……」


 「なんでこんなところにいるの?」と、そう言おうとしてあかりの言葉に遮られる。


 同時に、何の脈絡もないあかりの言葉に目を丸くする亜希。その表情は、まるで何言ってんのと言わんばかり。事実、内心ではそう思っているのだから顔に出ても何ら不思議ではない。


 しかし、いきなり姿を現した少女が訳のわからないことを言い出せば戸惑うのは当然であろう。寧ろ、冷静でいろと言う方が無理な話である。


「……何しに来たのよ? あたしを笑いにでも来たわけ?」

「なんでそんなことしなきゃいけないの? わたしはおにいちゃんを追いかけて来ただけ」

「あっそ。なら早く追いかけたら?」


 あかりの返答に苛立ちを覚えつつ、早く居なくなってほしいと夜と夏希が向かった場所を指さす亜希。


 しかし、亜希は知らない。知るはずもない。


 あかりが、夜の居場所を把握していないわけがないということを。


 あかりなら、真っ先に夜がいる場所へ向かうということを。


 何よりも、あかりの瞳に込められているのが怒気そのものだということを。


「ねぇ、どうして夏希にあんなことしたの?」

「は? あんたに関係あるわけ?」

「うん。だって、おにいちゃんの盟友だから」


 付け加えるならば、おにいちゃんとの恋路を邪魔する邪魔者でもある。


「……あんた的にはあいつが消えた方が好都合なんじゃないの?」


 傍から見ていれば、否、入学式での爆弾発言を聞いていた人ならば誰もが知っているだろう。あかりが兄である夜に対し並々ならぬ好意を寄せているということを。


 だから、あかりからしてみれば夏希が邪魔な存在であるということに気付く人だって少なからずいるだろう。亜希がそうであるように。


 確かに、部活動の時だっていつも夜の傍には夏希がいて、家にいる時だって通話しながら一緒ゲームをしていて。


 妹であるあかり自分よりも夏希と一緒にいる時間のほうが正直長い。


 そのことが羨ましくて、ただただ羨ましくて。それはもう嫉妬したし、今もしている。


 だってそうだろう。好きで大好きで愛しい人が自分のことを意にも介していないのだ。そんなの、悲しいし辛いし妬いてしまうに決まっている。


 だからこそ、亜希は敢えてあかりを煽ったのだ。


 あかりの内心に燻っているであろう『夏希は邪魔者』という考えを刺激するために。


 そんな気持ちが表れているせいか、亜希が浮かべるは嘲笑。反省の色などまったくなく、夜と夏希の言葉はなにも響いてはいないようだ。


 あかりはゆっくりと口を開き。


「……確かに、わたしは何度も夏希に嫉妬したし、いなくなってほしいとも思った……」

「でしょぉ? なら、あたしに……」

「でも、わたしはそんなこと絶対にしない」


 あたしたち、と言わないのは舞と茜音は必要ないと判断したからか、「あたしに協力してくれない?」という亜希の誘惑を一刀両断に断ち切った。


「は、はぁ!? な、んで……あいつが邪魔なんでしょ!? それともさっきの言葉は嘘だっての!?」

「……嘘、じゃない……」

「だったら!」


 あかりの言葉に嘘はない。


 夏希に対する羨ましさも、嫉妬も。いなくなってほしいという気持ちも。何もかもが実際に抱いている気持ちそのものだ。


 だけど。


「夏希がいなくなったら、おにいちゃんはきっと悲しい顔をする。わたしはおにいちゃんの、そんな顔は見たくないの。だから、わたしはそんなこと絶対にしない」


 最愛の兄である夜の悲しむ顔なんて見たくもない、理由なんてそれだけである。それ以外にあるはずがない。


 本音を言ってしまえば、あかりは亜希たちが夏希に何をしようと自分には関係ないと思っていた。


 しかし、この考えを咎められる謂れはないだろう。何せ、大抵の人が同じことを考えているはずだから。


 誰が何を言われていようと、所詮他人は他人。クラスメイトといえど、特に関わりもなければ他人も同然だ。


 そんな他人を救ってまで、自分がヘイトを稼ぐ理由はない。心苦しく思うことはあっても、誰かが行動を起こしてくれるのをひたすら待つ。ただ、それだけ。


 だから、あかりも最初はそうだった。


 だけど、今は違う。


 そのために、あかりは今この場所にいるのだから。


「……それって、本末転倒じゃないの?」


 亜希の言うことも一理あるだろう。


 あかりは夜が好き、だったら願うは特別な関係ただ一つ。


 それを成し遂げるうえで、やはり夏希は邪魔でしかないだろう。


 にもかかわらず、夏希がいなくなれば夜は悲しむから何もしない、否、何も出来ない。


 確かに、それでは本末転倒だろう。


「なんで?」

「は?」


 しかし、あかりは何を言っているの? と言わんばかりに小首を傾げる。


「おにいちゃんに好きになってもらわなきゃ意味がないのに、なんでおにいちゃんに嫌われるようなことしなきゃいけないの?」


 好きな人に好かれたい、それは誰しもが抱いて当然の考えだ。


 だってそうだろう。想いが通じ合わなければ、同じ時を歩めるはずもない。


 一方通行の想いは、片想いは、ただただ辛くて苦しいものだ。


 片思いは楽しいとはよく聞く話だが、あかりはそうは思わない。


 だって、どれだけその人のこと想っていても、どれだけ好意を向けたとしても、相手には何も届かない。そんなの、楽しいわけがないだろう。


 だからこそ、両想いになりたい。今も胸にあるこの好きって想いが通じ合うことを願いたい。


 それの何が悪い。女の子なら、否、一人の人間なら好きな人に好きって思ってもらいたいのは当たり前だろう。


「……そんなの……ただの綺麗事じゃない!」

「それの何が悪いの?」


 綺麗事の何が悪い。希望を持って、夢を見て、願いを抱いて何が悪い。


「わたしはわたしのしたいことをする。それを、他人にとやかく言われたくなんかない」


 したいことをしたいだけする、それは現実的には不可能かもしれない。


 生きていくには、したくないことをしなければいけないのだ。


 だけど、したくないことを無理やりするくらいなら、したいことをしたいだけした方が楽しいに決まっている。


 たった一度きりしかないこの人生、楽しまなきゃ、面白くなきゃ損なのだから。


「……あっそ。なら、あたしの邪魔もしないでくれる?」

「おにいちゃんと夏希にやめてって言われたんじゃないの?」

「言われたけど、それが何? はい、わかりましたなんて素直に言うとでも思ってるわけ?」


 物わかりのいい人間なんてこの世の中にはどうしてか存在はしない。人を蔑むことに何の躊躇いもない亜希のような人間なら尚のこと。


 そう言って、あかりの横を通り過ぎて集合場所へ戻ろうとする亜希にあかりはまるで引き留めるかのように手首をつかんだ。


「……何のつもり?」


 亜希の疑問に対する返答は、亜希の手首を掴む力を強めるのみ。


「――っ、ちょっと痛いんだけどさっさと離して……ひっ!?」


 離してほしいと要求しようと亜希はあかりの顔を見て、恐怖に顔を歪め小さな悲鳴を上げた。


 あかりの、光が一切差し込まない瞳に込められた憤怒に気付いた、否、気付いてしまったが故に。


「まだ、おにいちゃんを悲しませるの?」


 普段のあかりからは考えられないような低い声音。それは言外にあかりが亜希に対して怒りをあらわにしているのだと周囲にいた――取り残されたともいう――舞と茜音に伝えていた。


 事実、あかりは怒っている。


 だって、今、目の前にいる亜希は飽きもせず夏希に嫌がらせなんていう生易しいものではない、いじめを続けようとしている。


 本来なら許されるわけがないのに、夏希の寛大な心に許されたというのにそのことに申し訳なく思うどころか逆上し。


 未だ胸中に燻っているであろう怒りを鎮め、亜希が反省してくれることを、どれだけ時間がかかってもいいからいつか亜希が夏希に頭を下げてくれることを切に願った夜を裏切ったのだ。


 そんなの、夏希の恋敵として、夜の妹として、否、夜を好きな一人の女の子として、許せるわけがない。


「わ、わかったから! も、もう絶対にしないから!」


 亜希の表面上だけの反省の言葉に、あかりは何も言わずにすんなりと手を離した。


 その場にぺたんと座り込み、痛む手首を摩る亜希。よく見てみればあかりの爪が食い込んだ跡がくっきりと残っている。もう少し掴む力が強かったら、血が出ていてもおかしくはなかっただろう。


 あかりは無表情のまま、夜と夏希が向かった方へと歩き出す。


 一歩、二歩、と歩いて立ち止まり、振り返った。


 そして。


「次はないから」


 夜と同じ言葉を言い残した。


 亜希はその言葉をこの先忘れることはないだろう。


 底の知れない、否、知ってはならない張り付いたような笑顔をとともに。




 窓の外の変わらぬ景色を見ながら、夜はふぅとため息をついた。


 あの後、昼間に開催された肝試しは大盛況に終わった。


 ウォークラリーですら目を見張るほどの凝りようなのだ。肝試しに対する旅人の宿の方々の熱い思いなど最早言わずもがなというものだろう。


 寧ろ、肝試しが終わった後の全員の感想が夜間に行われなくてよかったなのだ。その怖さたるや想像に難くない。


 そうして、今。いろいろあった宿泊研修も終わり、バスに乗って柳ヶ丘高校へ向かっている最中だった。


 本来なら企画されていた帰りのバスでのレクリエーションだが、みんな楽しいやら怖かったやらで疲労がたまっていたのだろう。誰もがぐっすり夢の中だった。


 夜の隣に座る夏希も、その中の一人だ。


 こてんと夜の肩に頭を預け、心地よさそうに目をつむっている。


 一体、どんな夢を見ているのか。表情は柔らんでいて、そのことに夜は安心感を覚え、それと同時に押し寄せてきた後悔に表情を曇らせた。


 自分がしっかりしていればあんなことにはならなかった、そんな気持ちは緩和されるどころか余計夜の心を苦しめる。


 夏希が自分の弱い心に打ち負かされ、そして立ち上がり強くなったのは確かだ。


 だが、強くなるためにあんな辛い思いをする必要などなかったのではないか、それが夜の胸に燻り続ける。


 今更嘆いたところで変わりようのない過去だ。けれど、一度芽生えた後悔という花は否が応でも枯れてくれない。永遠に、まるで時が止まったかのように咲き誇ったままだ。


 そんな罪悪感からか、夜が再び窓の外へ視線をやると。


「ねぇ、ナイト」


 眠っていたはずの、否、目をつむっていただけの夏希が夜へと声をかける。


「いろいろあったけど……楽しかったね?」


 いろいろ、なんて言葉じゃ言い表せないほど、いろいろなことがあった。


 だが、夏希にとってはそのほとんどが楽しい思い出、ではなく辛く苦しい思い出だろう。


 いくら割り切れたところで、夏希が自分の心の弱さに向き合い強くなったところで、その事実は変わったりなどしない。


 けれど、それでも。夏希は楽しかったと、そう言った。


 それは、夜に気を遣ってのことか。答えは否、夏希の本心である。


 確かに、夏希にとってこの宿泊研修は辛く苦しかったものだ。


 だけど、それと同時に夜がどれだけ自分にとって大切なのか、そして夜がどれだけ自分を大切にしてくれているかを身に染みるほど痛感したのだ。


 自分が寂しいときには傍にいてくれて、辛いときには駆け寄ってきてくれて、泣いているときには抱きしめてくれて、前に進もうとしたときには隣に立ってくれて。


 そんな夜の行動が嬉しくて。


 そんな夜とともに過ごしたこの時間は、夏希にとってかけがえのないもので、楽しい日々だった。


 だからこそ、夏希は微笑みながらこの数日間を楽しいと評したのだ。


 夜は驚き、夏希へと振り返るとすぅすぅと寝息を立てていた。


 先程の発言が寝言でないことは確かだ。だが、一瞬の合間に夏希は眠りについてしまったらしい。


 幸せそうな表情で眠る夏希に。


「なら、よかった……」


 そう言って、夜も眠りについた。


 まるで、ナイトとアリスが背中合わせで戦うかのように、肩をそっと寄せ合いながら。




~あとがき~

 ども、詩和です。いつもお読みいただきありがとうございます。

 さて、さてさてさてさて! ようやく長かった二章が終わりを迎えました! お付き合いくださりありがとうございます!

 元々書いてたものを改稿するだけなんだからさっさと終わるだろと楽観視していた自分を殴ってやりたいほど、長時間かけてしまった二章ですが……後悔などありません。寧ろ、今は達成感しかありません。

 実をいうと、小説を書き始めて三年は経つんですけど……プロットを本格的に作ったことないんですよね。殴り書きの本当に大まかな流れだけで……しかもそれを守ることは基本ないという……。

 なので、一章に引き続き二章も当時は見切り発車で無理矢理書き連ねてた章だったので欠陥が酷すぎて。

 改稿前に作ったプロットもどきなんか一切使いませんでした。というか、改稿前と改稿後じゃすごい違いようですよ。だから、改稿というよりは新しく書いているという感覚でした。

 でも、本当にやりきった。夏希がどれだけ可愛いか、優しい女の子なのかを皆さんに伝えることが出来た二章だったと自負しています。

 どうです? 夏希、超可愛いでしょ? 作者として言っていいのかわかりませんが、メインヒロインであるあかりよりも俺は夏希のほうが好きです。

 さて、そんな二章が終わり、物語は三章へ突入するわけなんですが……以前近況ノートでも書かせていただいたように、いつまでも「昔の自分の文章力が皆無、だから改稿してから投稿する!」と言っているわけにもいかず、せめてキャラがだいぶ違うからセリフだけちょっと変えて本文そのまま――と言いつつ絶対にちょっとは変えるよこの人――投稿します。なので、なろうのほうに追いつくまでは毎日投稿です。

 今、なろうのほうで三百話はあるので……これからも増えていくことを考慮すると少なくとも半月は毎日投稿が続くと思います。

 バレンタインやクリスマスなどに書いた番外編はあとあと番外編集って形で別に出したいと思っているのでお待ちください。

 さて、本当に長くなりましたが今回はこの辺で。

 それでは次回お会いしましょう。ではまた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る