心に刻まれた恐怖

 夜と夏希の二人にとってはやっぱり地獄に変わりなかったドッジボール(?)大会が終わり、何だかんだ時間も経過し、夕食を食べ終わった後。


「……はぁ、どうしてこんなことしてるんだろうな……」


 夜は青くて男湯と書かれた暖簾と赤くて女湯と書かれた暖簾がそれぞれかかっている、つまりは温泉の前にて番頭まがいのことをやっていた、否、やらされていた。


 何故、こんなことになったのかは理事長である慎二の一言のせいである。


 この旅人の宿は宿泊研修や林間学校に利用されることが多い宿泊施設なのだが、人気の理由の一つが温泉が湧いていることなのだ。


 旅人の宿が無駄に山奥に建っているのも、温泉が湧いているとなれば頷ける。まぁ、流石にホテルにある温泉のようにサウナがあったりジェットバスなどの複数の温泉が楽しめるわけではないが、それでも温泉というだけでありがたいことに変わりはない。


 まぁ、そんなことはさておき。温泉である。日本人なら誰もが愛してやまない温泉である。しかも、まさかの露天風呂である。


 そんな温泉に入れるとなれば、羽目を外す生徒がいるかもしれない。そのために、慎二から番頭を任されたという訳だ。


 因みに、それぞれのクラスには入浴していい時間が定められているため、時間が来たら知らせるという目的もある。


 これまた因みに、女湯の方はそれぞれの担任の先生が一緒に入浴しているから夜以外の番頭は必要なかったりする。要は、夜は慎二にいいように使われているだけなのである。


 いつもA組からじゃ……という慎二の謎の配慮によりE組から順に入浴していくことになっている。一クラスの入浴時間が三十分で、五クラスがあるから合計二時間三十分。つまり、夜はそんな長い間ずっといなければいけないのだ。


 かれこれ一時間くらいは経過しているのだが……暇なのだ。日まで暇で仕方がないのだ。

これなら、番頭まがいのことしなくてもよくない? やめてよくない? と思っちゃうほど暇なのだ。


「……はぁ、暇……」


 ここ最近のため息の多さに頭が痛くなる。


 ため息を吐くと幸せが逃げるとよく聞くが、それがもし本当だとしたら、夜はどれだけの幸せを逃がしていることになるのだろうか……。うん、考えたくもない。




 入浴可能な時間までの間、夏希は休憩時間自由時間と同じように広間にいた。


 傍にはリュックが置かれており、中には着替えやタオルにバスタオル、シャンプーやリンスなどが入っている。わざわざ部屋に戻らなくてもいいように持って来たのだ。


 先程とは打って変わって、あかりたちは一緒にUNOやらない? と誘ってくれた。しかし、夏希はそれを断ったのだ。


 勿論、嬉しかった。気にかけてくれて嬉しくない人間などこの世にはいない……いや、世界中探せば何人かはいるかもしれないがそんなことはともかく、大抵の場合は誰であれ嬉しいものである。


 しかし、それでも断ったのは怖いから。


 上辺だけならどうとでも繕える。だが、内心どう思っているかは繕えない。その人の本心だからだ。


 気にしなければいい話なのだろうが、夏希や夜のようにいじめられた経験のある人間はどうしても気にしてしまうもの。


 優しく気にかけてくれるのだって実は上辺だけで、内心では面倒くさいだの邪魔だの思っているのかもしれない。


 そんなこと思っていないよと弁明されても、人は簡単に嘘を吐くことが出来る。その上、その言葉が嘘か真実かなど誰にもわからない。故に、信用ならない。出来るわけがない。


 そんなわけだから、夏希はあかりたちのありがたいお誘いを断ってしまったのだ。それが、誘ってくれた相手に不快な思いをさせてしまうということをわかっていながら。


 しかし、部屋を飛び出して来たようなものなのだ。今更仲間に入れてなんて言えるわけがないし、そもそも言える勇気すら持ち合わせていない。


 そんな勇気があったのなら、今頃友達と楽し気に会話に花を咲かせることが出来ていたはずだ。まぁ、ただの夢物語に過ぎないのだろうが。それに、夜がいれば十分だし。


 自動販売機で買ったコーラをちびちびと飲みながらスマホでマンガを読み時間を潰す。


 何故、ちびちびと飲んでいるのかは、そもそもの話ちびちびとしか飲めないから。コーラやサイダーなどの炭酸飲料が夏希はあまり得意ではない。あの飲んだ時のぴりぴりとした感覚が苦手なのである。


 それでも、夏希がコーラを好んで飲むのにはちゃんとした理由がある。


 角砂糖何個分だの歯が溶けるだのよく聞くが、それが嘘だろうが真だろうがそんなのは関係ない。


 夜が好きな飲み物だから。ただそれだけである。寧ろ、それ以外に理由なんていらない。


 好きな人の好きなものを知りたい。好きな人と同じものを好きになりたい。そう思って、そう願って何が悪い。


「……ナイト、どこにいるのかな……」


 あかりたちから逃げ出すように部屋を飛び出た後、宿泊研修のしおりを頼りに夜の部屋に行ってみたのだ。緊急事態などがあった場合、すぐに連絡出来るように各々の部屋の位置だけでなく引率者である慎二や日葵、夜の部屋の位置もわかるが故に。


 しかし、夜はそこにはいなくて、どこにいるかすらわからなかった。


 今の時間帯はC組が入浴時間、その他のクラスは自由時間。それぞれのクラスの担任の先生は生徒と一緒に入浴することになっているが、慎二と夜は違う。


 五クラス全員+担任たちの入浴時間が終わってからとなっている。ほぼ初対面である先輩と校長よりもお偉い理事長、そんな二人と一緒に入浴とか心休まるわけがない。故に、二人は別の時間帯に入ることになっているのである。そもそも、夜の場合は一年生より夜自身の方が心の負担は大きいかもしれない。


 因みに、その二人も時間帯はバラバラで、慎二はみんなが入浴する前に、夜はみんなが入浴をした後にということになっている。まぁ、一年生が心休まらないというか躊躇うように、夜だって心休まるわけないし躊躇わないわけがないのだ。


 いくら幼馴染の父親で、幼い頃からお世話になった慎二とはいえ、理事長であることに変わりはない。そんな人と一緒に温泉とか無理に決まっている。例え、慎二が構わなくとも夜は構う。それはもう構いまくりなのである。


 よって、二人の入浴時間もバラバラなのである。しかし、寧ろ二人にとってはいいことかもしれない。合法的に温泉を独り占め出来るわけだし。


 まぁ、そんなことはさておき。夜はしおり通りにスケジュールが進んでいるとなれば今の時間帯は自由時間なはずなのである。つまり、部屋にいるはずなのだ。


 だというのに、夜は部屋にいなかった。一応、自動販売機にジュースでも買いに行ってるのかと思って十分くらい待ってはみたけど夜は来なくて。


 もしかして広間に行けば夜がいるかもしれない……と来てみたのはいいものの、結局夜の姿はなくて今に至るというわけだ。


 広間に居続けているのも、夜が通りかかるかもしれないと思っているが故。まぁ、かれこれ一時間以上は経っているというのに夜の姿なんて一度も見かけていないのだが。


「あぁ、あんたこんなとこにいたんだ」


 視線をスマホの画面から声の聞こえた方へと向ければ、そこには亜希と取り巻きかどうかはさておき舞と茜音が立っていた。

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