十五 決着



 ::眠:れ:: ‥ ‥


 ん?


 ::眠:れ:: ‥ ‥


 今、何かが聞こえたような。


 ::眠:れ:: ‥ ‥


 ::愛:し:子:よ:: ‥ ‥


「何だ?」

「む?」


 地球王も訝し気に声を漏らす。


「聞こえたか」

「うむう」


 どこからともなく流れ来る声が、頭の中に鳴り響く。

 もしやこれは……。


 ::眠:れ:: ‥ ‥

 ::愛:し:子:よ:: ‥ ‥

 ::夢:安:ら:か:に:: ‥ ‥


 子守唄か!


 龍神と巨人が天をも揺るがす激しい戦いを繰り広げる最中さなか、突如として沸き起こった何者かの唄声が、木霊のように野山を駆け巡った。


 ::陽光ひかり:は:胸:に:揺:ら:ぎ:: ‥ ‥

       ::眠:れ:: ‥ ‥

 ::風:は:掌:に:遊:ぶ:: ‥ ‥

          ::愛:し:子:よ:: ‥ ‥

 ::水:は:舞:う:: ‥ ‥

        ::夢:安:ら:か:に:: ‥ ‥

 ::木:々:は:唄う:: ‥ ‥

      ::眠:れ:: ‥ ‥

 ::こ:の:世:に:あ:ら:ん:全:て:の:命:に:: ‥ ‥

          ::愛:し:子:よ:: ‥ ‥

 ::笑:み:を:送:ろ:う:: ‥ ‥

     ::眠:れ:: ‥ ‥

 ::野:に:満:ち:る:全:て:の:心:と:: ‥ ‥

         ::眠:れ:: ‥ ‥

 ::安:ら:ぎ:を:分:か:と:う:: ‥ ‥

       ::愛:し:子:よ:: ‥ ‥


 滔々と……。

 浪々と……。

 幾重にも重なるその声が、目に映る空間の全てを満たしていく。

 風のように……水のように……心の奥底にまで滲み渡る旋律に、魂が震える。

 これは、ただの唄じゃねえ。

 言霊……。間違いねえ、撫子だ。


 ::眠:れ:: ‥ ‥

      ::水:は:舞:う:: ‥ ‥

 ::愛:し:子:よ:: ‥ ‥

    ::安:ら:ぎ:を:分:か:と:う:: ‥ ‥

 ::夢:安:ら:か:に:: ‥ ‥

       ::眠:れ:: ‥ ‥


 猛烈な眠気が襲って来た。瞼が鉛のように重くなり、体中から力が去って行く。

 見れば、地球王までもがフラリフラリと体を揺らしている。あいつにまで効いているのか。

 くそっ、こんなことをしている場合じゃねえってのに……。

 だが俺は気付いていた。この唄は、俺達に向けて放たれたものじゃねえ。

 見ろ、龍神と巨人の頭上に薄紅色の雲が掛かっている。

 そしてその雲から降り注ぐ粉雪のような光が、巨神達の体を包み込もうとしていた。


 唄声に合わせて、ゆらゆらと光が躍る。

 いつしか龍と巨人も戦いを止め、薄紅の光に導かれるようにゆっくりと身を離し、雲を見上げて静かに佇んだ。

 空を覆う雷光が消え、宝珠の輝きも薄れていく。

 あいつめ……、まだこんなとんでもねえ大技を隠し持っていやがったとは……。


 ::眠れ:: ‥ ‥


 ::眠れ:: ‥ ‥


 だが待てよ、あいつは義経との戦いで力を使い果たしていたはずだ。こんな、龍神を鎮めるほどの力なんて出せるはずが……。

 そうか! 蓬子だ!

 村で戦った時と同じだ。撫子は俺から力を吸ったように、蓬子の力を吸い上げて使っているんだ。

 そして光の巨人の無謀とも思える戦いは、撫子が技を繰り出すまでの時間稼ぎ。

 村が襲われたあの時も、あいつが準備を整えるには相当の時間が掛かった。増してや今回は神を従えるほどの……。

 そうか、そういうことだったか……。


 ::眠:れ:: ‥ ‥


 ::愛:し:子:よ:: ‥ ‥


 ::夢:安:ら:か:に:: ‥ ‥


 ::眠れ:: ‥ ‥


 ::眠れ:: ‥ ‥



 ::眠れ:: ‥ ‥



 :: :: ‥ ‥



 龍神が少しずつその身を光の海の中へと沈め、金色の巨人もまた空を仰いだまま、次第にその姿が薄れていく。

 そして更に、光の津波までもが静々と山の奥へと引き始めた。

 風も止み、ずっと鳴り響いていた地鳴りも静まる。

 野山に、忘れかけていた夜の静寂が戻ろうとしていた。


 あいつら、とうとうやりやがったか……。

 俺は遠くの空に浮かぶ薄紅色の雲を見上げながら、息を吐いた。

 最後に、神の暴威から人里を守り抜いた金色の薄膜も、大気に溶け込むように消え去って行く。


 全てが去った後、そこに残されていたのは、光の波の下敷きとなり金色の壁の内側に押し込められていた、大量の土と瓦礫と、そして水。

 その壁が無くなった今、積み重なった土砂は自身の重さを支えきれずに、一気に崩れ落ちる。

 そして本物の山津波となって、野に押し寄せ始めた!


「ちくしょうあの馬鹿娘め! 最後の最後でやらかしやがった!」


 目の前に巨大な土の波が迫る。

 寝呆けてる場合じゃねえ! くそっ、今度こそ逃げられねえ!


「ぬおっ!」


 地球王も眼を覚まし、押し寄せる脅威に慌てて背を向けた。

 その時の俺に、深い考えがあった訳じゃねえ。気付いたら身体が勝手に動いていた。

 俺は地球王が後ろを向いたのを見た瞬間に、その背中に飛び掛かった。


「ぬがあっ!」


 気配を察した地球王が大太刀を振るい、火鏢の一撃を食い止める。


「愚か者! こんな事をしておる場合か!」

「うるせえっ! 大人しくくたばりやがれっ!」


 そうだ、ここで逃がしたら終いだ。

 例え山津波の下敷きになったとしても、不死身のこいつは平然と生き返りかねねえ。そうなったらまた同じことの繰り返しだ。

 命に代えても、今ここで始末を付ける!


 俺は地球王の顔めがけて火鏢を投げ付け、奴が太刀でそれを弾いた隙に、懐から柄だけになった聖剣を取り出した。


「ぐはは、血迷ったか。今更そんなもので何をしようと……。っっ!」


 大猿の嘲笑に耳を貸さず、真正面から踏み込む。

 そして右手を大きく振りかぶり、全身の気を滾らせ足先から胴肩腕へと体中の光を一気に流し込み、その先にあるただ一点、固く握りしめた拳の中心へと全てを集中させる。

 その瞬間、身体を包んでいた結界は全て消え去り、代わりに柄の先の何もない空間に、銀色に輝く光の刃が姿を現した!

 今の俺だからこそやれる。この川原でマリモが見せてくれた、あの技だ!


 無防備になった俺の腹を、地球王が突き出した大太刀が貫いた。

 だが構うもんか! 俺は腹に力を込め、背中まで突き抜けたその刃を己の体で抑え込んだ。

 地球王が慌てて引き抜こうとするが、犬神の強靭な筋肉でがっしりと咥えてそれを許さず、俺はニヤリと笑いながら、別れの言葉を告げた。


「あばよ、次は地獄で会おうぜ」

「ま、待て」

「やなこった」


 月光一閃!

 猿野郎の首を斬り飛ばす!



 斬撃を受けた首が、ゆっくりと宙に舞う。

 その顔は満面に驚愕を湛え、大きく開いた口で何かを叫ぼうとしている。

 切り離された胴体が見る見る黒ずんで行き、土くれの如く崩れ去る。

 見開かれた両眼を間近に見据え、その中央に光剣を突き立てると、そこから顔全体にひび割れが走った。

 蒼眼が光を失い、大太刀と共に粉々に砕け散っていくのを確かに見届けた。

 その直後……。


 真っ黒い怒涛が俺達の上にのし掛かり、全てを押し流して行った。


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