七 焼灼


 俺と撫子がじっと見つめている内にも、結界を中心に巻き起こったその渦はどんどん大きくなって行った。

 そして遂には元の嵐を完全に飲み込んでしまい、新たな嵐となって山々の上を吹き荒れた。

 上空を覆う黒雲も同様に嵐に取り込まれ、以前にも増して激しく渦を巻く。

 やがて、その中心が地上に向かって角を伸ばし始めた。


「竜巻か」


 これもまた、龍を表す一つの形。だがその先端は龍神の掌の上、結界に届いたところで途絶えた。


「あれはひょっとして、結界に吸い込まれているのか?」

「そのようじゃな」


 嵐はただの風の渦ではなく、結界が周りの大気を吸い込んでいる為に生じたものだった。

 龍神の腕輪が更に明るさを増し、するとそれに応ずるかのように周囲の山々が一斉に緑色に輝き始めた。

 俺達の足元でも、地面がボウッと光を放ち大気を照らし出す。いや、大気そのものが光っている!


「何が……」


 俺は、光の嵐が渦を巻いて結界の中へと吸い込まれて行く様を見ながら、さっきの地球王の言葉を思い起こして、背筋が寒くなるのを感じた。

 本当に、世界が全部吸い込まれちまうのか……。

 だがその時になって、俺は気付いた。

 見れば俺の体の表面からも、吐く息の中にも光は混じり、風に吹かれた藤菜ふじなの綿毛ように上空へと舞い上がって行く。

 だが全てが吹き飛ばされてしまいそうな激しい嵐の中、実際に吸い上げられているのは光だけで、俺の体まで持っていかれるような気配は少しも感じられなかった。


「これは……、いったい……」

「おそらくこの光は、魔修羅の瘴気が変じた姿なのであろう。龍神は、撒き散らされた毒まで清めようとしておるのか」


 なるほど、言われてみれば確かにこの色味はあの龍神の腕輪と同じだ。

 それにさっきから、体の中から毒が抜けて心持ちが軽くなって行くような感じがしている。

 そうか、これなら瘴気に犯された山を生き返らせることが出来る。

 流石だぜ、イヅナ兄さん。


「ぐおおおお……おお……」


 その一方で、地球王は体を抱え込むようにして苦しんでいた。

 見れば、その体からも大量の光が吸い上げられている。そうか、あいつにとって瘴気は力だ。それを失うということは!


「ぬははは……。素晴らしい、素晴らしいぞ龍神。これが神の力か。

 構わぬ、思う存分奪い取るがいい。

 だが儂は負けぬのだ。例え魔修羅を失ったとしても、我が妖力と知力は少しも損なわれはせぬ。最後に勝つのは、この儂なのだ」


 おこりに罹ったようにブルブルと震え、今にも膝を付きそうなくらいに弱り切っているかに見えるが、その口振りにはただの強がりとも思えぬほどの自信が溢れている。

 くそ、隙が見えねえな。


 気付けば、頭上を覆っていた黒雲はすっかり消え去り、夕立が上がった後のような綺麗な夜空が見えていた。

 眼前には橙色に輝く龍の腕がそびえ立ち、鋭い鉤爪を天に向けて翳(かざ)す。

 その先には、満天の星屑を背景に、純白の光芒を纏う結界。そして大空に舞う緑光の渦。

 先程までの地獄のような光景が嘘みたいに思える、幻想的な景色が広がっていた。

 やがて緑の光は全て結界の中へと吸い込まれ、結界が更なる輝きを放ち始める。


「イヅナ兄さん、とうとうやったか」


 ホッと息を吐きかけたのも束の間、俺と撫子は眉をひそめた。

 いや待て、光がどんどん強くなって来る。

 光だけじゃなく熱もだ。それどころか、魔修羅の瘴気とは違うが何かが似ている、訳の判らねえ強烈な気までもが放たれているのを感じる。

 これはっ!


「まずい! 皆固まれ!」


 撫子の声に、俺と四頭の山神は一か所に集まり、結界を一つにした。


「どういうことだ。龍神は魔修羅の瘴気をあの奈落の中に押し込めて、綺麗に消し去るつもりじゃ無かったのか」


 その間にも、龍神が放つ不可思議な気はますます威力を強め、俺達六体分の結界をも突き抜けて猛烈な光と熱を浴びせかけて来た。


「くくっ!」


 思わず両腕を上げて顔を覆ったが、その腕の表面がジリジリと焼け焦げて行き、更には頭髪までもが煙を上げ始める。


「あるいは……、全てを焼き尽くすつもりやも……知れ…ぬ……」


 撫子も同じように体を丸めて身を守ろうとしているが、既に黒髪は燃え、白い衣装にも火が移ろうとしていた。

 くそっ、もはや逃げることも出来ねえ。

 ここまでかっ……!


(((大丈夫……。狼さんの狼さんはマリモが守るよ……)))


 突然、頭の中でその言葉が響いた次の瞬間、目の前の景色が鮮やかな緑色に染まった。


「なにっ!!」


 思わず隣を見ると、撫子も驚愕に目を見開いて前を見つめている。


「今の、聞こえたか?」

「ああ」


 同じ緑色でも先程の魔修羅を浄化した光とは明らかに違う、目にも鮮やかな新緑の輝き! 紛れもねえ、マリモの色だ!

 そして横を見て気付いた。この光は俺達を包んでいるのではなく、盾のように前に立ちはだかり、龍神の力から守ってくれていた。

 同時に、俺のみならず盾の影に隠れた全員の体が緑色の光を放ち、焼け爛れた体が見る見る癒されて行く。


「マリモ」


 声に出して呼びかけても、返事はねえ。

 だが俺の脳裏には、あの懐かしい、初夏の日差しにも似た眩しいほどの笑顔が焼き付いていた。


「ああああ……素晴らしい……。なんと素晴らしいことか……」


 俺達の隣では、地球王が全身を焼かれながら恍惚の声を漏らす。

 瘴気を奪われ、逆に龍の神気を容赦なく浴びせかけられたその体はブスブスと音を立てながら煙を噴いている。

 今にも崩れ落ちそうな両腕を龍神に向けて差し伸べながら、醜く爛れた顔には天に昇らんばかりの愉悦を浮かべていた。

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