六 奈落
一体、何が起こったんだ……。
龍神の手にあるのは、泡のように仄かに煌く結界の薄膜。
だがその中に満ちていた白い光も、明星の如く輝いていた魔修羅の太陽も、今は影も形もなく消え失せていた。
握り潰したのか、封印したのか、あるいは異界へ飛ばしたか。一瞬そんなことも考えはしたが……。
そうじゃねえことはすぐに判った。
何故なら。
「何じゃ……あれは……」
「あり得ぬ。あのような事は絶対にあり得ぬ!」
撫子と地球王が言う通り、そこにはこの世に決してあるはずのねえものがあった。
いや、無かった。
いや……、あれを何て言い表せばいいんだ。
強いて言うなら、そこにあったのは『無』だ。
泡のような結界の中心、橙色に輝く龍神の手の光の中に、そこだけ穴が開いたように小さな黒い点が浮いていた。
光もなく熱もなく……にも
何もねえのに確かにそこにある。確かにあるのに何も見えねえ、聞こえねえ。
あれは一体……。
「そうか! 判ったぞ!」
突然、地球王が叫んだ。
「
だが色はその身に斥力と同時に引力も宿すが故に、斥力に力を与えれば同時に引力にも力を与えることになるのだ。
引力は斥力に比すれば無に等しい弱き力なれど、その及ぶ範囲は無限にして、強さは色の量に比例する。色を圧し、極小の合間に極大の色を詰め込めば引力もまた限りなく増大し、遂にその極限の界を越えた時、斥力は引力に膝を屈し全ては色なる色の内に飲み込まれてしまうのだ!
そして自らを飲み込んでしまった色は、色でありながら空となり、また色でも空でもない色なる空へと成り果てる!」
「とうとう気が狂いやがったか、この化け物め。色とか空とか、一体何を言ってやがるんだ」
「色とは即ち形ある物。空とは形を持たぬがそこにある力、あるいは場を示す」
撫子が呟く。
「お前、あいつの言っていることが判るのか?!」
「色と空は別の概念に属するものと思われがちじゃが、その実、この二つは表裏一体じゃ。
色を完全に擦り潰せば純粋な空となり、空を極限まで押し固めれば純粋な色となる。色即是空、空即是色とはこの
そしてこの宇宙は、色と空とが互いに形を変え姿を転じながら、縷々転々未来永劫へと流れ続ける。即ち、輪廻転生」
「だがあそこにあるのは、輪廻転生の理を根底から破壊するものだ!」
地球王が、撫子の言葉を継ぐ。
「引力に負けた色は己の内側へと閉じこもり、如何なる色も空も、光さえも越えることの叶わぬ万物の地平を形作る!
それは色でありながら姿を持たぬ、空に
そこに落ちた物は再び脱すること
何億年後か何百億年後か、いずれ無限の時の果てにこの宇宙の全ては奈落に飲み込まれ、全てが無に帰すであろう! 即ち、二度と回帰することのないこの世の終わりだ!
ぬわははははははっ! 痛快だ! なんと痛快なことか!
これぞこの世の真実! これが宇宙の終焉の姿だ!」
「あれが奈落だと……? 龍神は、イヅナ兄さんは、そんなとんでもねえ物を
「じゃが、魔修羅を滅するには他に方法が無かったのやも知れぬ。
少なくとも、我等には手も足も出ぬ代物であった」
「確かにな。だが兄さんはあれをどうするつもりなんだ」
「だが……」
ここで地球王は腕を組む。
「それでも解せぬ」
まだ何かあるのか。ったく訳の判らねえ御託を並べやがって、聞いてるこっちが頭がおかしくなりそうだぜ。
「あれほどの引力を発するには、星ほどに及ぶ色無くしては叶わぬはず。
いや、星といえど地球程度では所詮鳥さえ飛べる。大日でさえ熱も光も届く。色の持つ引力とは、それ程までに微弱なのだ。
斥力を凌駕する圧を得るには、星の体裁さえ保てぬ程の、無限に近い量の色が必要。それに匹敵する圧を外から加えようとすれば、加える者自身もまた同等の圧を受けなければならぬ。それでは自身の体裁が保てまい。
だが如何な魔修羅と言えど、そこまでの色も空も備えておる訳ではなく、龍神と言えど星を凌駕するほどの力を有するはずもない。
果を得るには同等の因を与えねばならぬ、それが宇宙の律である。因なくして果を得るためには……。
まさか、龍神は因果を操ったというのか!
因果の律は宇宙の法! だがこれを絶対とするならば、この宇宙は初めから全ての運命が定められていることになってしまう!
ならば始まりも因なくしてはあり得ず、その因もまた別の因の結果に過ぎぬ!
原初の因は誰が定めたのか、その彼もまた因果の内とすれば、因果律は絶対の法でありながら絶対に説明の出来ぬ自己矛盾を孕んでいる!
この矛盾を破るは、率!
因果律は絶対に非ず! 宇宙は不確定の率により統べられている!
賽の目を操るようにこの率を支配することが出来れば、因なくして果を得、越えられぬ地平を越えることも出来よう!
これぞ正に、神の神たる力に他ならぬ!」
地球王が俺にはさっぱり理解できねえ絶叫を放っている間も、奈落を孕んだ結界は龍神の手の中で静かに佇んでいるかに見えた。
ひょっとしてこのまま静かに終わるのかと息を吐こうとしたその時、結界の周りで、吹き荒ぶ瘴気が渦を巻き始めた。
「うん?」
渦は次第に大きくなり、周囲の嵐を巻き込んで行く。同時に、結界が再び光を放ち始めた。
「今度は何が始まるんだ?」
「判らぬ」
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