八 補陀落
「ああ……今こそ、今こそ儂は全てを理解した」
地球王が感動に打ち震えながら、声を放つ。
「結界に押し込められた魔修羅の瘴気は、奈落の持つ無限の引力に引き寄せられながらも、遂にその地平を越えることは叶わぬのだ。
何故ならば、魔修羅なる
外界に漂う色が万物の地平に極限まで近づく時、受ける圧もまた極大となる。そこでは色は色たる姿を失い、更には空も、時すらも擦り潰されて全ては宇宙誕生以前の混沌へと回帰する。
だが力は速さに等しく、混沌となり果てた空なる色が地平に触れる時、極なる速さを得るが故に遂にそれを越えて内側へと達する事は叶わず、触れると同時に色なる宇宙へと再び弾き返されてしまう。
すなわち奈落とは、
そして内なる空の地平から弾き飛ばされ無限の圧から解放された時、外なる空は再び色たる姿を取り戻す!
だがそれは元の色とは無関係の、混沌から生れ出た新しき色!
なれば生まれ変わった色が織りなす世界もまた新しく、前世の穢れも
これを補陀落浄土と呼ばずして、何と呼ぶべきかあああっ!」
また訳の判らねえことを。
だが気狂いオヤジが妄言をたれている間に、龍神の結界の方は大分落ち着いてきたらしく、気付けば初めの頃と同じような安定した光を放ち始めていた。
それにつれて俺達を守ってくれていた緑光の盾も次第に輝きが薄れ、やがて陽炎のごとく静かに消え去って行く。
ああ、有難うよ。マリモ……。
龍神は今や完全に魔修羅の瘴気を浄化し、龍の気へと昇華させて結界に封じ込めた。さっきのとんでもねえ神気の嵐は、その過程で生まれた欠片がほんの少し溢れただけだったんだろう。
結界の内側では、奈落に囚われた神気が際限なく消滅と生成を繰り返し、僅かに漏れ出す光を静かに放つのみ。
その輝きは太陽と呼ぶには穏やかに過ぎ、龍神の掌の中で、天空に浮かぶ巨大な真珠とも言うべき幻想的な煌きを保っていた。
「ああああっ……!」
地球王が両手を掲げて、再び慟哭の声を上げる。
「あれぞ、あれぞ
あそこには世界の終わりと始まりがある! 龍の宝珠とは、奈落を秘め補陀落を纏う、宇宙の真の姿を形に
うおあああああーっ!!」
絶叫が山中に木霊する。
「ああああ……。なんと、なんと狂おしいのだ!
あれこそ儂が生涯を掛けて求め続けた、この世の真実! 宇宙創成の秘密を解き明かす究極の秘宝ではないか!
もはや月などどうでもいい……!
儂はあれが欲しいぃ! なあああぁー……あれがああ欲じいいいいぃぃ……」
魔修羅の力を失い、逆に龍神の力で全身を焼かれてしまった奴は、今や顔面も溶け崩れ全身から黒い煙と炎を立ち昇らせてただ立ち竦むのみの、見るも哀れな肉の塊と成り果てている。
だが今まさに命尽きようとしているその
こりゃあもう、俺が手を下す必要はねえかな。
「があああぶぐああばあああ……」
耳障りな慟哭に、ボタボタと血肉の滴り落ちる音が混じる。
正視に堪えぬ凄惨な光景だが、俺は眼を逸らすことなくじっとその様子を見つめ続けた。
「狼よ、あれを」
一方、撫子は宝珠を見上げていた。
声を掛けられて漸くそちらに眼をやると、龍神に何やら動きがあるようだった。
「下がって来ているな。今度こそ終いか、イヅナ兄さんが良くやってくれたな」
「うむ。それにあの狼王も」
「そうだな」
龍神の腕が、再び大穴の中へと沈もうとしている。
目の前を、橙色に輝く龍神の腕と共に、緑色の光の輪が通り過ぎて行く。その光芒を見つめながら、イヅナ兄さんと共に大穴に消えた狼王の姿を思い浮かべた。
兄さんもそうだが、あいつもこの様子では無事に生き残れたとはとても思えねえ。この戦いに身を投じた以上は、死ぬ覚悟なんかとっくに出来ていたに違いねえが。
だが本当にこれで良かったのか。
撫子の隣で、ただ一頭残された白狼も、それが穴の中に沈んで行くのを身じろぎもせずに見つめていた。
続いて、純白に輝く宝珠がゆっくりと降りて来る。
間近に、というほど近くはねえはずなんだが、山よりも大きな光芒が目の前を通り過ぎていく光景の壮大さには、人間の感覚なんてとても追い付いていけるもんじゃねえ。
手を伸ばせば届きそうなくらいの錯覚を憶えていた。
緑の輪は穴の縁に届いたところで留まり、宝珠を迎え入れようとしていた。
大穴をすっぽりと覆い隠す真白と、それを縁取る鮮やかな緑。その神々しいまでの煌きは、かつてそこにあった風景を思い起こさせる。
いつかもう一度、あの景色を目にすることが出来る日は来るんだろうか……。
「ああ……、あああ……あ……」
俺と同じような錯覚に眼が眩んだのか、地球王は両手を前に伸ばし何かを掻き抱くような仕草を繰り返す。
というよりも、もう何も見えてはいねえのかも知れねえ。そうだな、いっその事ここで止めを刺してやるのも慈悲ってもんだろう。
そう思い直し、十文字の聖剣を構え地球王に近づこうとした時のことだった。
地球王の全身の皮がズルリと剥け、一気に崩れ落ちる。
後に残ったのは真っ赤に爛れた肉の柱。その醜悪な姿に、これで最期かと息を吐きかけた瞬間。
その肉塊から閃光が迸った。
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