七 首領



 俺は「このっ、このっ」と床を踏みつけながら怒り狂う地球王の姿を眺めながら、心底呆れ返っていた。

 勝手に怒り出して、勝手に暴れ出して。何だかもう俺の事なんか全然目に入ってねえみてえだ。

 まあ、別にいいけどよ。さてどうしたもんか。


 俺は、誰を相手か知らねえが独りで喧嘩している地球王から目を離さぬようにしながら、そっと刀に手を添えた。

 なんとなく、無駄な気がすっけどなあ。一応やってみっか。

 ゆっくりと腰を落とし、地球王が後ろを向いた一瞬の隙を突いて、一気に地面を蹴った。


 一足で壇上まで飛び上がり、地球王の懐に飛び込みざま、振り返った奴の胴体を横殴りにぶった斬る!

 手応え充分。白い砂地に鮮血がほとばしった。

 地球王は、カッと目を見開いて前を向いたまま、身じろぎひとつしねえ。

 と、思ったら。


「貴様、いきなり何をする」


 ジロリと睨まれた。

 俺はそのまま後ろに跳び下がり、再び白州の庭に降り立った。


「あちゃ、やっぱ駄目か」

「なにがあちゃか、無礼者め」


 地球王は大して怒った様子もなく、切り口からはみ出た臓物を無造作に腹の中に押し込むと、己の肉をグイと引っ張って強引に傷口を合わせた。

 すると傷口は見る見る小さくなっていき、あっという間に影も形もなくなっちまった。

 それから後ろを向くと、「蛍火」と女を呼んだ。

 女は「はい」と小さく答え、地球王の正面に回ると腹のあたりをヒラヒラと撫で回す。

 すると呆れたことに、衣装まですっかり元通りになったうえご丁寧に血の跡すらきれいさっぱり消えちまった。


「ええー、なんだよそれ。ずるい」


 隣の指なし野郎を生き返らせちまったくらいだから、どうせこいつも不死身なんだろうとは思っていた。しかしまあ、まさかここまで無茶苦茶とは思っていなかったぜ。


「羨ましくば、貴様も同じ体にしてやっても良いぞ」

「いや、遠慮しとくよ」

「グフ……」


 地球王は、ヤケに愉快そうに笑った。さっきまであんなに怒りまくっていたのに、すっかり機嫌が直っちまったみてえだ。

 ひょっとして、俺が血を抜いてやったおかげか?


「まあいいや。そんな事よりよお、あんたらさっさとこの山から出てってくんない?」

「何ゆえ、この儂が貴様の指図なぞ受けねばならぬ」

「あんたらが悪さばっかりするからさあ、ご近所さんが迷惑だってよ」

「ふん、人の迷惑など知った事か。そもそも近所迷惑というなら、人どもの方こそこの世の大迷惑ではないか」


 まあ、違えねえ。


「そんなこと言わねえでよう。シンリをタンキュウって、こんな山ん中で一体何をやってるってんだい」

「知りたいか」

「いやごめん。全然知りたくな」

「なれば教えてやろう。心して聞くが良い!」


 俺が言い終わらねえうちに、地球王のオヤジは「ウオッホン」と大きく咳払いをしてしゃべり始めた。

 しまった、こいつ演説好きだ。


「ではまず貴様、この地球王という名をなんと思う」

「へ? いや別に。珍しい名前だなあと」


 ああっ、またしまった。つい乗せられちまった。


「この名前にも、この世の真理が込められておるのだ。よいかよく聞け。この世は丸い」

「ああ、それはどっかの坊主に聞いたことがあるな。この世はまあるい盆のようになってて、真ん中に須弥山とかいう山が……」

「虚空に浮かぶ丸い玉だ」

「へ?」

「すなわち大地の玉、地球だ」


 いきなり何言ってんだ、こいつ。


「この大地がまん丸い玉っころだって?」

「うむ」

「宙に浮いてるって?」

「その通り」

「そんな馬鹿な。んじゃなんで落っこちねえんだよ」

「宇宙には上も下もない。一体どこに落ちるというのだ」

「どこって、そりゃあ……」

「なに、驚く程のことではない。これごときは、人の間にあっても既に千年以上も前から知られていたことだ」

「千年?!」

「人の間にも、ごくごく稀に賢い者が現れることがある。まあ、そこが人がただの動物とは違う面白いところではあるのだがな」


 ああもお、ついて行けねえ。


「んじゃまあ。てことは、あんたはその地球とかいうこの世の王だと?」

「その通り!」


 嬉しそうに胸を張るな。


「てことは、鎌倉の将軍より偉いんで?」

「当然だ」

「京の帝より?」

「言うまでもない」

「宋の皇帝よりも?」

「ええい、あのような小国など知ったことか! 人など所詮大地に巣食う虫けらに過ぎぬ! 虫けらの王にどれほどの価値があるというのだ!」

「自分が人間じゃねえみてえな言い方しやがって、この化け物が」

「ふん、化け物か。人どもに言わせれば、人を越え人為らざる者は全て化け物であろうな。

 だが時として、人は同じものをまた別の名で呼ぶのだ。すなわち『神』と」

「あーあ、王様から神様になっちまったよ。えらい出世だな」


「まあ、そのようなことはどうでも良い。ところで貴様」

「あん?」

「儂と一緒に来ぬか?」

「何だよいきなり」

「貴様のことが気に入った。儂の仲間になれ。さすれば共に世界中を旅し、貴様などには想像も出来ぬ世界の果てのその先までも連れて行ってやろう。虫けら同然の人の暮らしなぞ、すぐに忘れてしまうぞ」

「へっ、冗談じゃねえや。なんで俺があんたみてえな化け物の仲間にならなきゃなんねえんだよ。悪いが俺あ人間様で結構だ」

「うはーっ、はっはっ!」


 今度はいきなり大笑いだ。何だってんだよ、このオヤジは。


「笑わせるな、貴様が人だと?」


 なにい?


「そりゃ、どういう意味でえ」

「人などとはふざけたことを。貴様こそ化け物の中の化け物。山の王、犬神ではないか」

「なんだと?」

「その面構え、その臭い。違えようもない。

 我ら一族が生まれしユウロパの地においても、犬神は山の王であった。

 だがその王でさえ、無知なる人どもの無知なる力に打ち勝つことは出来なかったのだ。山を追われ、住処を奪われ、何処へともなく去って行ってしまった。

 どうだ? 種族は違えどこの儂も、お前と同じ山の民だ。せいぜい仲良くしようではないか」


「あーあ、とうとうこの俺まで化け物にされちまったよ。

 犬神だかなんだか知らねえが、あんたなんかと仲良くする気はねえよ。

 つーか、俺は誰とも連まねえ。今までも、これから先もずっとな」

「では何ゆえ、人の味方なぞをする」

「味方なんかじゃねえ。正直な話、俺は村の連中なんかどうだっていいんだ。金の為にやってるだけだよ。

ああ、あんたの言う通りだ。人間なんか……」


 ったく、つまんねえ話になっちまったぜ。


「ぐふふ……、やはり思った通り。貴様、それ程までに人が憎いか」

「憎い? 俺はそこまで言った憶えはねえぞ。いったい何の話だ」

「うはははっ! 貴様も人には言葉に尽くせぬ恨みを抱いておろうが!

 知っておるぞ、知っておるぞ。村を襲った奴らが憎い。仲間を殺した者達が憎い。母を、故郷を奪った人どもは、決して許さぬと」

「っ!」

「だが一番許せぬのは、仲間を捨て母を見捨て一人逃げ出した、おのれ自身……」


「てめえ……」

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