六 砦



 塀の向こうから、声がかかった。


「おおい、そんなとこ隠れてねえで顔出しなよう」


 どうする、逃げるか?

 声は、塀の真下のあたりから聞こえてくる。やけにのんびりした声だ。中の気配を探ってみるが、大人数がいるような感じはしねえ。

 声色も警戒してる様子はねえし。まあ、見つかっちまったもんはしゃあねえ。

 俺はそっと首を伸ばして、塀の向こう側を覗いてみた。


「あははー、出た出たー」


 ニコニコと笑いながら手を振っているのは、やっぱりあの指なし野郎だった。

 なんてこった、こいつホントに生き返りやがったよ。

 一体どうなってんだ?


「よお、元気かい」


 仕方がねえから、俺も手を上げて挨拶する。

 自分で殺した野郎に向かって「元気かい」もねえもんだが、あんまり暢気のんきそうに笑ってやがるから、つい口から出ちまった。


「あははー、おかげさまでなー」


 おかげさまってのも、なんかおかしい。まったく調子狂うぜ。


「降りてきなよー。御頭が兄ちゃんのこと呼んでこいってさー」

「なにっ、カシラだと?」


 くそっ、どこでバレたんだ。これでも隠形の技には自信があったんだが、まさかこんなにあっさり見つかっちまうとはな。

 俺は諦めて、塀の上から飛び降りた。

 中に入って改めて眺めてみると、この屋敷のどデカさがよけいに感じられる。いったいどうやって、こんな山ん中にこんな馬鹿げた物をこしらえやがったんだ。


「こっちだよー、ついて来なー」


 フラフラと歩きだした指なし野郎の後について行きながら、俺は奴に声をかけた。


「よう、ちょっといいかい?」

「んー、なんだい?」


 野郎は振り返らずに、相変わらず気の抜けた声で返事をする。


「つかぬ事を訊くけどよう。おめえ、死んだんじゃなかったっけ?」

「ああ、そう言えば兄ちゃんに殺されたんだっけなあ」


 そんな事もあったなあ、みてえな言い方しやがって。


「なんで生き返っちまったんだい?」

「御頭に××されちまったんだよ」

「あ? なんだって?」


 よく聞き取れなかった。そういえばあん時もこいつ、そんな事を言ってたような。


「だから××だよ」


 やっぱり判んねえや。


「何だい、そのナントカってのは」

「さあ、知らねえ。御頭にしか判んねえよう」

「そうかい、それじゃあしょうがねえな。ところで、俺の事はどこいら辺から気付いてたんだい?」

「オイラぁ知らねえよう。

 御頭が、面白そうな奴が来たからちょっと迎えに行って来いって。まさか兄ちゃんだとは思わなかったけどよう。

 そんで、オイラ迎えに出たのに見つからなかったから戻って御頭にそう言ったら、もう来てるから早く呼んでこいって」


 なんてこった。じゃあ、山に入った時からもうバレてたのか。

 それにこいつもヤケにキョロキョロしながら歩き回ってやがると思ったら、この俺を探してたって訳か。くそっ。


「その御頭ってのは、何者なんだ?」

「さあ? 知らねえ」

「ああそう。それにしてもこの屋敷は何だい? まるで京の都みてえじゃねえか」

「さあ? 知らねえ」

「おめえさん、どっから来たんだい?」

「さあ? 知らねえ」

「名前は?」

「さあ?」


 まさか、自分の名前まで知らねえとはな。頭おかしいのかと思いながら、俺は別の可能性も考えていた。

 ひょっとしてこいつ、一度死んだせいで生きてる時のことを全部忘れちまったのかも知れねえ。

 だがそれにしては、俺の事は憶えてるみてえだし。

 もう何がどうなってんだか、ますます訳が判らねえ……。


「ほら、ここだよ」


 トコトコと歩いて連れてこられたのは、塀の上からも見えた白砂の庭だった。


「ほらここ、はいいけどよ」


 見渡しても周りには誰もおらず、ただっ広い庭の真ん中に、俺と指なしの二人がぽつんと立っているだけだ。


「その御頭さんとやらはどこにいんだよ」


 すると俺の文句に答えるかのように、正面の寝殿の戸が、音もなく開いた。


「お?」


 真っ昼間だというのに、大きく開け放たれた戸の先は真っ暗で、中の様子は何一つ見えやしねえ。

 それもただ暗いというだけでなく、まるで光そのものが呑まれてしまっているかのような、不気味な暗闇に包まれている。

 そしてその闇の奥に、何かがいた。


 人……。いや待て、これは人なのか?

 姿は見えねえが、そこから感じられる気配はまるで、火口から立ち昇る瘴気のようにドス黒く、ここに立っているだけで背筋が寒くなってくるほど気味が悪かった。

 やがて、闇の表面がザワリと波立ったように見えたかと思うと、瘴気がドッと溢れ出てきた。

 俺は、思わず後ろに下がりたくなる気持ちを無理矢理抑え付け、戸口を睨み付けた。


 瘴気の中から、背の高い男ともう一人、若い女が姿を現す。

 男は公家の衣装を身に纏い、女は白拍子風の衣を着ている。なるほどこの屋敷には似つかわしい格好だが、これが盗賊の頭だと思うと逆に薄気味悪さが増してくる感じだ。

 それに、野郎のあのツラはなんだ。

 赤茶けた髪はいいとして、ヤケに彫りの深い顔立ちに高い鼻、そしてなんと青い瞳。異形だ。

 昨日初めて河童を見たばかりなせいか、こいつもそんな化け物に見えちまうぜ。

 ひょっとしてこいつ、天狗か?


「よく来たな。名は何という」


 男が口を開いた。ザラザラと耳に障る声だ。


「七殺しの狼だ」

「ナナツゴロシノロウ?」

「ロウ。狼と書いてロウだ」

「ほう、狼か。ウハハハッ。面白い、面白いぞ小僧」


 何が面白えのか、男は青い目をギラギラと輝かせ、歯をむき出しにして笑った。


「あー、喜んでもらえて何よりだ。ところでだ、お前さんが盗賊の頭かい?」

「盗賊だと? 馬鹿にするな、儂はそのような者ではない」

「ああこりゃ失礼。そんじゃ何なんで?」

「儂は、真理を探究する者だ」

「真理?」

「この世の真実、宇宙の理、命の根源。この世界が如何にしてこうなったか、さてはどう在るべきか。それら世界の根本原理を求めて、儂は世界中を旅しておるのだ」


 言ってることがよく分からねえ。


「えーと、つまり学者さんで?」

「そのような小物と一緒にするな、馬鹿者め。探求者と言え」

「へえへえ、分かりやした。じゃあついでにお名前なんぞも聞かせていただけると」

「жЯ○※▽ЩФЭХБМ△○□☆XXXXxxx……」

「なんだと?」

「ふん、本名を告げたところで貴様などに理解はできまい。儂のことは、地球王と呼べ」

「チキュウオウさんね。そんで、こんな山ん中で一体何をなさってるんで?」

「真理を探究しておると、先ほど言ったばかりではないか。

 なんという頭の悪い奴だ。貴様の肩の上に載っているのはただの石ころか! この大馬鹿者めがっ!」


 そんなに怒らなくたっていいじゃねえか。


「いいや貴様ばかりではない。何処も彼処も馬鹿者ばかりだ! 何ゆえこの世はこれ程までに馬鹿がはびこっておるのだ!

 儂は馬鹿が大嫌いだ! 当たり前のことを理解できず、いや理解しようともせずに、ただただ快楽のみを求め目先の損得ばかりを追いかけようとする!

 目に映る全ての物にこの世の神秘が、宇宙の真実が隠されておるというのに。なぜ誰もそのことに気づかぬのだ! いや、気づこうとせぬのだ!

 ものを思わぬ輩など獣と何ら変わらぬではないか! ならば偉そうに服など着ず、裸で暮らせばよい! 武器も書物も宝の持ち腐れだ! 全部捨ててしまえ、この下等動物めらが!

 ええいもう我慢ならぬ。この世の全ての馬鹿者共を一人残らずこの足で踏み潰してやりたいわ!

 こうして! こうして!

 このっ! このっ! ええい、このっ!」


 なんなんだ、このオヤジは……。



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