本当のミシシッピ
私の生まれはミシシッピだと諸君はは言うが、諸君らの中に実際ミシシッピがどんなところか、本当のことを知っている者はなかなかいない。
皆の言う私の故郷ミシシッピには、巨大な川が流れているという。そこで厳しい気候条件のもと、捕食者に怯えながら暮らすと。
言っておくが、ミシシッピはそんな残酷な場所ではない。そんなのは、この世にない修羅の国だ。
だいいち、川に流されたらどうする。寒くなったら凍えてしまうし、暑くなったらのぼせてしまう。
私を捕らえて食べる生き物が住んでいると言うが、そんなものに捕まったら甲羅が割れてしまうじゃないか。私の大好きな、私の自慢の甲羅が!
実際のミシシッピというのは、気温も湿度も安定しており、やわらかいヤシガラの地面が気持ちのいいところだ。
ミシシッピには水場があって、足がつく程度の深さだ。私の兄弟たち五、六匹そこらが同時に泳いでもぶつからないくらいなので、それなりに広かった。
水場の角では濾過装置がいつもブクブク泡と水を吐き出している。その流れに逆らって泳ぐ鍛錬を積み、私もずいぶん泳ぎが上手くなった。
そこで私は、毎日兄弟たちと飯を争いながら生きてきた。
今考えればそんなに美味い飯でもなかったが、あの頃はそれしか知らなかったので、取り合ってでも食べたかった。その時、私は初めて「生存競争」の意味を知ったように思う。
そんな場所で、明るくなれば起き、暗くなれば眠り、餌を奪い合い、自ら泳ぎの訓練をして過ごした。
それが私の幼年期であり、私の故郷ミシシッピの姿である。
しかし、やはり故郷との別れはいつかやってくるものだ。
雄大なミシシッピとはいえ、スペースには限りがある。私たち兄弟の体が大きくなってくると、だんだん暮らしも窮屈になってきた。
我が故郷ミシシッピには、巨大な体の世話係がいる。いつも水場の水を変えたり、飯を持ってきたりするのは彼であった。
その世話係が、私たち兄弟をミシシッピから連れ出した。
初めて出る故郷の外はおそろしかった。地面が揺れ、昼夜がひっくり返り、想像を絶する天変地異で私は目が回った。
その間に、私たちの兄弟はいつのまにか二匹ぽっちになっていた。
仕方がない。自然というのはそういうものだ。
こういう時生き残るために、私は日々、生存競争を味わってきたのだ。
無事生き残った私がたどり着いたのは、目に見えない壁で区切られた、やたらと明るい場所だった。
故郷ミシシッピと違って、ほとんどが水場になっている。陸地はあるが、よじ登らないと上がれないような小さいものだ。
そこにはやわらかい光が当たっており、硬く大きくなってきた私の甲羅を干して光らせることができる。
そしてまた、暗くて狭い隠れ家もあった。私はその一角にとっておきの場所を見つけた。
一緒にきた兄弟の中には、落ち着きがなくて一日中見えない壁のそばでバタバタやっているのもいたが、私はとっておきの場所で、それを何とはなしに眺めていたものだ。
やがて、新天地での暮らしも悪くないと思えてきた頃。
私たちの棲家を区切る透明な壁の向こうには、さらに広い世界がある。成長するにつれ目が良くなってきて、壁の向こうを見渡せるようになったのだろう、私はそれに気がつき始めた。
例えばそれ、私たちの棲家の隣には、私とは似ても似つかぬ姿をした生き物が住んでいた。
私を縦に三匹並べたくらい大きいが、手足の指が長くて、甲羅がない。
皮膚はてらてらと光る鱗でできており、背中は淡い黄色、腹は白。なかなか洒落たものだ。
おまけに、顎のまわりに鋭いトゲが生え揃っている。
私が思うに、私たちカメが甲羅で身を守るように、彼らはあのトゲで身を守るのだろう。顎周りにしか生えていないから、少し防御力には不安が残るが。
その生き物はトカゲという。そう知ったのはしばらく後のことだ。
トカゲとやらは、ヤシガラの土の上でよく昼寝をしている。それを見ていると、私は故郷ミシシッピで、ヤシガラをしゃぶって寝ていた頃のことを思い出すのだった。
彼もまた私のように、いずれ自然の恐ろしさや生存競争の意味を知り、一人前の爬虫類になることだろう。
しかし、一人前の爬虫類としてここへやってきた私たちには、やって来るべき理由があるのだと、私は何となく勘づいていた。
透明な壁の向こうの世界にいるのは、トカゲだけではない。
私の棲家の前をひっきりなしに行ったり来たりしているのは、私たちの世話係を含む、巨大な生き物たちだ。
彼らは、名をヒトという。ヒトは、私のようなカメの他に言葉を持つ生き物である。
ヒトの言葉は、毎日聞いているからわからないでもない。たとえば、隣の生き物がトカゲという名であることも、ヒトの言葉に準じて理解している。
ヒトたちは、毎日私たちの棲家の中をのぞいては立ち去っていく。覗くだけ覗いて、飯の一つも寄越さないのだから失礼極まる。
しかし、カメの価値観をヒトに当てはめても詮無いことだ。私と彼らは違う生き物なのだから。
私はそう思って毎日飽きもせずやってくるヒトたちを眺めていたが、兄弟の中にはヒトにやたら興味を持つのがいて、ヒトが前を通るたびに腹を見せて喜んでいる。
そうしていた兄弟の一匹は、ある日突然私たちの棲家から連れ出されて、透明な壁の向こうへと出ていった。
彼が狭い箱に入れられて、ヒトと一緒に去っていくのを見ながら、私は理解した。
私たちがここにやってきたのは、新しい世話係を探すためなのだ、と。
ここが我が亀生のゴールではない。私は新天地を切り開くためにここにいる。
それを悟った日から、私は前を通るヒトの顔を熱心に見て、気に入った者には腹を見せて喜ぶそぶりをしてやった。
多少はしたなくも、恥ずかしくも思ったが、これも厳しい自然、生存競争の一環だ。生きるというのはこういうことなのだ。
隣でヤシガラをしゃぶっているベビーになるべき姿を見せるつもりで、私は努力した。
そしてついに、その日気に入ったヒトが、私を透明な壁の中から連れ出しにきた時の――嬉しいことといったら。
これで私は一人前の爬虫類だと、誇らしい気持ちになった。自分で世話係を選び、身を立てたのである。
そうして、私は今の暮らしに至った。
目に見えない壁で仕切られた私の棲家を、水槽という。今ではもう、そういうことも完璧にわかるようになった。
水槽の中を、私は毎日悠々と泳ぎ回っている。一匹だけでだ。
水槽の底にはヤシガラではなく美しい石が敷かれている。隠れ家は少し大きすぎるくらいだが、その上が陸地になっているから、陸地の大きさの方はおおむね満足だ。
そして何と言ってもこの広さ。ここへくる前に兄弟たちと泳いでいたあの透明な部屋の、倍ぐらいは裕にある。それを独り占めだ。隠れ家やインテリアの岩が置いてあるスペースを差し引いても、余ったスペースで勝手に別荘を建てられそうな余裕ぶり。
我が亀生、いっぺんの悔いなし。
毎日の飯は私の好きなものが出てくることになっている。おかげで少し太りすぎ、最近は甲羅の際の肉が気になり始めたところだ。
またこの上なく素晴らしいことに、この家では本物の太陽で日光浴をすることができる。
天気が良ければ日向に出て甲羅に磨きをかける傍ら、運動をして太ったボディを引き締める。美容とダイエットに凝るのはすっかり趣味になってしまった。
そして趣味を楽しみながら、こうやって思索を巡らすのも亀生の醍醐味の一つである。
世話係の観察は、ことさら面白いテーマだ。こう、私が日光浴をしているそばでウロチョロしている世話係を眺めているだけでも、なかなか興味深い。
まず世話係の体の表面。ツルツルしている。触感は私の皮膚よりさらにキメが細かい感じがするけれども、まあ大体同じようなものだ。
しかし色は変わっている。頭や手足が白っぽい。
これは、私の隣の棲家に昔住んでいたトカゲの腹が白かったのと同じだ。爬虫類にはさまざまな色や柄があるものだ。
だがその点については大変不思議なことに、ヒトは一日に何度も脱皮をする。そして、毎日違う色の皮膚に七変化する。
イカしている時もあるが、正直私の好みでない時もある。ただ、どんなに脱皮を繰り返してもヘタらないバケモノのような体力については、感心を通り越して呆れすら覚える。
一方、頭の先には細くてフサフサした飾りがついている。
昔私の隣に住んでいたトカゲにも、アゴ周りにトゲのような突起があった。だから、あれと同じように身を守るため必要なものなんだろう。
しかし、あんなものでどうやって恐ろしい大自然から身を守るのかは、甚だ疑問だ。どう見ても柔らかいし……
そして彼ら最大の特徴は、あと足で立ち上がる二足歩行だ。
尻尾は生えていない。トカゲの仲間には、危機を感じると自分の尻尾を切って逃げるものがいると言う。だから、その名残で尻尾がないのだろう。
本当はしばらくすると生えてくるようだが、可哀想に我が家の世話係は、まだ生え直さない。気の毒なことだ。脱皮をしばらくやめたら、生えてくるかもしれない。
以上、脱皮を繰り返し、尻尾を自切することができる点。
またトカゲには、あと足で立って地面を駆ける者がいると聞いた。
これらを考え合わせると、ヒトというのはかなり大型になるトカゲの仲間なのだ、というのは恐らく事実だろう。
さらなる特徴として、ヒトというのは私よりもかなり大きいというのに、大変優しく温厚だ。トカゲの仲間には凶暴なものもいるというのだから、特別世話係にもってこいの生き物として、ヒトの右に出るものはない。
そういえば、あの昔隣にいたヤシガラベイビーはどうしているかな。良い世話係に巡り会えていればいいが。
やや、話が長くなった。
つまるところ、本当のミシシッピというのは修羅の国でこそないものの、ミシシッピより素晴らしい場所は、世の中たくさんあるということだ。
さて頭を使うと腹が減るので、水槽に戻って飯を待つとしよう。
日が沈んで、日光浴の意味がなくなった頃、世話係は飯を持ってやってくる。
いやはや今日も優雅な一日だった。過酷な生存競争を――あ、肉! 今肉が見えた! 肉だ! 私に肉をくれ! 肉っ! 今日の飯は肉だあっ!
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