こどもサンタさん
湿気った古い木の窓枠に寄りかかると、ガラス窓の外でしんしん雪が降り積もる音が聞こえてきそうだった。
丸太づくりの大部屋のすみっこで、わたしは静かにドキドキしていた。部屋の反対側では、ぱき、ぱき、と暖炉が燃えている。その前にゆるく群がるように、たくさんの子供たちがさわさわとおしゃべりしていた。
暖炉の柵の端に、小さな毛糸の靴下を下げるちびっこがいる。えんじ色のカーペットに寝そべって、一人で絵本を音読しているお姉ちゃんもいる。部屋の角には大きなクリスマスツリーがあって、ぶら下がっている飾りの位置をひっきりなしに変えている男の子もいる。みんな好き勝手にしているけど、騒いだりする子はいなかった。騒いだら、プレゼントがなくなっちゃうからね。
もう一度わたしは、窓の外に目を向ける。窓の外には、なーんにもない、一面作りものみたいな雪野原が、灰色がかった夜の景色にぼやけていた。窓の前を通る雪の粒が、窓からの暖かい光を受けてきらっきらっと時々かがやいてみえた。
ガチャ……と、部屋のドアが開く音がする。
わたしは振り返った。クリスマスツリーの隣にある小さなドアから、短い金髪の女の子が顔を出していた。
女の子はぐるりと部屋を見回してわたしを見つけると、ピンク色の頬をとろけるように上げて、手招きした。
「キャンベル、あなたの番よ」
わたしは勢いよく立ち上がった。周りの子どもたちが目を上げて、羨ましそうな視線を一瞬わたしに向ける。
わたしは早足で部屋を横切ると、廊下に出た。
狭くて暗い廊下を少し進むと、出てきたのと同じような小さい木のドアがある。小さくノックして、「キャンベルです」と言うと、おじいさんのしゃがれた優しい声で「お入り」と返事があった。
静かにドアを開ける。
そこには、青や緑の、ふかふかした大きな布の山。その隣に、ロッキングチェアに腰掛けた薄い白髪とメガネのおじいさんが、肩から毛糸のケープをかけたまあるいシルエットで、しっぽり笑っていた。
孤児院であるここの家で、この人を嫌いな子どもはいない。みんなが大好きなこの院長先生は、クリスマスの夜には毎年子どもたちを一人ずつ呼び出して、プレゼントをする。
「今年はいい子だったかね、キャンベル」
院長先生が、黒縁メガネの奥からわたしを見た。ちょっと緊張して、手を握りこんだ。
「ちょっと悪い子だったかもしれないです」
院長先生はにっ、と笑った。
「正直でよろしい。みんなそんなもんだ」
院長先生は、隣にあった布の山に手を突っ込んでがさがさすると、そこから服を一着取り出した。夕暮れ前の空みたいな青の、肌触りの良さそうな、可愛らしいフリル飾りのたくさんついた丸っこい形のワンピース。特別な夜の寝巻きに、ぴったりだ。わたしはほっぺたが落ちそうになった。
「君のはこれがいいかね……それとも他のがいいかね?」
聞かれた時にはもう、わたしは手を伸ばしていた。
「これ!」
両手でそれを受け取ると、本当によく眠れそうな肌触りだった。わたしは頬ずりしたいのをぐっと我慢して、「ありがとうございます」と言った。
院長先生はふるふると首を振って、
「それは慈善団体の人に言いなさい。毎年よく作ってくれるもんだ」
ニッコリと笑った。
わたしは待ちきれずに出口のドアノブに手をかけて、
「お手紙書きます」
「そうしなさい。でも今日は早く寝るんだよ。マギーを呼んできておくれ」
院長先生はそう言って手を振った。わたしはすごい速さで一礼して、浮き足立ったまま部屋を飛び出した。
そのあと、すぐにマギーを呼びに大部屋に戻ると、小走りで自分の部屋に戻った。
ベッド二つ分くらいしかないわたしの部屋。寝床の他には、鏡と、小さい机と、ランプだけが置いてある。それと、抱きしめられるサイズのテディベア。湯たんぽが入るようになっている。
わたしはランプをつけるとベッドに飛び乗って、さっそくワンピースに着替えた。動くたびに、フリル飾りが身体の周りでふわふわと舞う。くすんだ灰色をした背中までの癖っ毛はあんまり好きじゃないけど、鏡で見る限りこのワンピースには合っていて、ちょっと好きになった。
わたしはワンピースを着たまま、テディベアを持って部屋を出た。湯たんぽのお湯をもらいに行くのだ。調理場でお湯を調達するまでの間に、すれ違った子たちはみんなそれぞれ違う形の服をもらって着ていた。みんなかわいかった。
お湯の入ったぽかぼかのテディベアを抱いて部屋に戻ると、急に気持ちよくて眠たくなった。
ランプを消して、ベッドに潜り込んだ。すとん、とすぐにわたしは眠りに身を任せた。
夢を見た。
――なんだか、すごくふわふわする。
雲の中に沈んでいるみたい。頭の先から、足の指まで、やさしくて、気持ちよくてあったかい。
辺りを見回すと、白くて柔らかい、綿みたいな布切れの中に、自分の体がおぼれているのがわかった。気持ちいいわけだ。足の裏を柔らかい布の触る感覚が、なんとも言えずたまらない。
よく見ると、ぼんやりと当たりがオレンジ色の光で照らされている。どうしてだろう。ゆっくり見回すと、布の海のところどころに、透明なプラスチックの球に入った小さい照明がころころ転がっていた。どうもそのおかげで、温かい空間がより温かに見える。
薄暗い周囲をぼうっと眺めていると、布の海の外側に、何か大きな影が見えた。
目をゆっくり、何回か瞬く。すると、だんだんその形が見えてきた。
あれは、ぐるぐる巻いたものに細い棒が刺さっていて……ロリポップだ。さらにその周りには、リボンみたいな形をしたチョコレートの包みに、端がギザギザの透明な小袋に入れられたマシュマロ……
どれもこれも、わたしの身長と同じくらいの大きさがある。食べるのに一体、何日かかるかわからない。すごい。すごーい!
クリスマスの夢は、やっぱりひと味違う。布の海は、がさがさ揺れたり、時々がくん!と落ちるように動いたりする。まるで本物の海みたい。本物の海、見たことないけど。
鼻をひくひくさせると、砂糖の甘い匂いがした。耳をすます。波音じゃなくて、しゃんしゃんしゃんしゃん……と鈴の音がした。サンタさんだ。本当にいるんだ。絶対、作り話だと思ってた……
この夢、覚めなきゃいいな。べつに孤児院は嫌いじゃないけど、寒いし。お菓子は独り占めできないし。フェンスの外には行けないから、海の水に触ったこともないし。この方が、よっぽどユメがある。
と思ったその時、ふと揺れが止まった。鈴の音がピタリと止んだ。
なんかさびしい。わたしは目を閉じた。すると、ぴん、ぽーん……とドアチャイムのような音が、どこからかくぐもって聞こえた。
がさがさがさがさ、と再び突然布の海が大きく揺れる。わたしはそれに身を任せて、耳を澄ましていた。
「Ho-Ho-Ho……」
今度は地面の底から響くような低い低い声で、サンタさんみたいな笑いが聞こえた。サンタさんって、こんなに声低いんだ。
サンタさんの声が聞こえるほど近くにいるってことは、わたしのところに来ないかな。そっか、姿を見られちゃいけないから、ちゃんと眠ってなきゃダメなんだ。
わたしはぎゅっと目を瞑る。寝たふり、寝たふり……夢だけど、寝たふり……。がくん、がくんと布の波が揺れる。しばらく息を潜めていると、再び波が止まった。
サンタさん、くるかな? ついに来るかな?
薄眼を開けて、こっそり辺りを伺った――その時。
さっと白い光がわたしの上に差して、ぼんやりした空間の、布の海の真上が、開いた。
「……え」
思わず声が漏れて、目を瞬く。自分の上を見ると、建物の天井みたいな光景が、四角く切り取られてあった。
この明るさならわかる。わたしがいた布の海の周りには大きなお菓子が敷き詰められていて、さらにその外側には白い紙の壁。暗くて、大きすぎてわからなかった。
「ンキギグピ」
鉄が軋むような音で、わたしは飛び上がった。音のする方を見るとーー
ゴボウに似ても似つかない、腐った木みたいに茶色くて太くて、長いものがこちらを向いていた。先っぽを透明の、ゴムボールくらいの半球がブツブツブツブツびっしり覆っていて、トンボの目みたいだった。
下の方へ目を移す。ブツブツのついた長いものは、下の方に四本だだくさにくっつけたような、大根より太い二本の……手?がついている。ひじっぽいところは二箇所あるのに、指は四本しかない。
「ギョギョギ……」
どこからか音を出しながら、それはこちらへ手みたいなところを伸ばしてくる。わたしはそれを、ぼうっと眺めていた。
四本の指が、脇の下から胴体をむんずと掴む。間近で見ると、指の表面は細かい突起が無数に並んだようにザラザラしていて、粉くさいみたいな、変なにおいがした。
ぐいっと持ち上げられて、足が宙に浮く。ものすごい勢いでブツブツの半球が目の前に迫ってきた。こいつの動きからすると、多分ここが目なのかもしれない。そもそも、目とかあるのかな。
正面を向いてられなくて、あたりをぐるりと見回した。
テーブルとか、椅子とかいろんな家具、カーペット、孤児院の大部屋に似た部屋だった。ただ、全部わたしたちが使っていたのの倍くらい大きくて、どれもこれも青や紫や黒のものばっかりだ。眩しいくらい白い照明で、お医者様のところに行った時のことを思い出した。
そして、テーブルの横に二体、目の前にいるこの変な……生き物?みたいなのと同じ形の、茶色くて長い生き物。ブツブツの目をこちらに向けている。身体に青黒い布みたいなのを巻いて……服の代わりだろうか。ヘビに近い下半身をくねらせていた。あっちは、わたしの目の前にいるこいつよりふた回りくらい大きくて、唖然とした。
逃げるように後ろを振り返る。すると、わたしの出てきたふかふかの布の海がーーあるはず。安心できた場所を見て、頭を落ち着かせたかった。けど、そこにあったのはそっけない紙の箱。中にお菓子が無造作に並べられた、安っぽい箱。
その周りには、解けた青いリボンがだらしなく広がっていた。きっとこの箱にかかっていたんだろう。青いリボン。青と紫の部屋。そしてわたしが着ているワンピースも、青い……
頭の中で、なにかがパチンと弾けた。急にどわっと、恐怖が押し寄せて足がすくみそうになる。
「ぶろおおお、ぶんちぴ」
意味のわからない音を立てて、生き物はわたしを床に下ろした。地に足がつく感覚で、心のどこかがほっとした。どうしよう。逃げたほうがいいのかな。逃げないほうがいいのかな。無理じゃないかな。これ、ほんとに夢なのかな?
夢じゃなかったらどうしよう、という恐怖が新しく頭の中を満たした。孤児院に帰りたい。一体ここはどこなんだ? サンタさんになんか会えなくていいから、孤児院に帰りたい。
この生き物はわたしをどうするんだろう。食べるのかな、お菓子と一緒に入ってたということは、食べるのかな。箱を見る限り、プレゼントだったんだから、すぐに食べられることはないかもしれない。
どうやったら食べられずに済むのか。全然頭が回らない。これがどんな生き物なのか、見当もつかなくて……わけわかんなくて、ブツブツの目を見上げてだらしなく口を開けた。
「に、にゃーん」
すると生き物は、ブツブツの目をぐいっと近づけて、
「ぺかぺかぺかぺかぺか……」
「ぺかぺかぺかぺ」
「ぺかぺかぺかぺかぺかぺか」
三匹同時に変な音を立て始めた。一番近くにいたやつが、またわたしの胴体をがっしり掴み上げる。そしてそのままずるずると身体を引きずりながら、部屋の外へ出た。
部屋に残された二匹の発するやかましい音が、わたしたちを追いかけた。
廊下みたいなところは、真っ暗で何にも見えない。というか、この生き物の体が大きいだけあって、動くスピードが速くて、わたしの顔に当たる風が半端じゃない。あんまり目を開けていられなかった。
再びがちゃ、と音がして目を開けられるようになった時には、わたしは別の部屋にいた。
またぞろ青や紫の家具が所狭しと並んだ、そのど真ん中に、円形のふかふかな寝床みたいなものがどでんと置いてある。深皿みたいな枠に巨大なクッションが収まっているようなつくりだ。
生き物はそこへ這い上がると、蛇がとぐろをまくようにそこへ丸まった。そして、その横にわたしの体を押し付けた。クッションが絶妙に固い。寝かせようとしているみたいだ。
わたしは黙って、大人しく横になったまま動かずにいた。
ずっとじっとしていると、寒い。だんだん手足が冷たくなってきた。わたし、そういえば靴下も履いてない。でもこの生き物にくっつくのはまずい。
そろーっと、生き物の様子を確認する。生き物はとぐろを巻いたきり、微動だにしない。どうも、ちゃんとこの生き物も眠るようだ。わたしはそーっと、そーっと、絶対に音を立てないように、体の下にあるシーツみたいな布を、引っ張ってかき集めた。
ちょっとずつ引っ張って、シーツにようやく足を包められるくらいのたるみができる。わたしはほっとして、とりあえず下半身だけシーツ布に包まると、寝返りを打って寝床のふちの方を向いた。
するとふと、クッションと寝床のふちの隙間から、白い紙の角が少しだけのぞいているのが目に入った。
なんだか、それが妙に気になった。ちらちらと生き物の方を見て、やっぱり動かないのを確認する。そして静かに体を起こすと、紙の角へ手を伸ばして、慎重に引っ張った。
衣擦れの音が出来るだけしないように、紙を隙間から引っこ抜く。案外すぐに抜けた。紙は、A3用紙くらいあった。けど、この生き物からしたらたぶんゴミにしちゃうくらいの大きさなんだろう。
そしてよく見ると、端っこの方に何かシミみたいなものが……
汚れじゃない。文字だった。もう一度生き物の方を確認して、文字に顔を近づける。それは、わたしの見慣れたアルファベットだった。孤児院の小さい子が書いた感じの、ちょっと崩れた字。部屋が暗くてよく見えないけれど、字が大きかったから何とか読めた。
"つぎくるひとへ
ちゃいろのがにんげんをたべてるのは、たべるようのだからだいじょぶ。たべるようじゃないのはたぶんだいじょぶ、ちゃいろのはおかしくれます。けどわたしはむりだけどここからでていきます。かわりにだれかくるかもしらないからごめんね。れいぞこのとなりにある きっこきっこ てゆう、びんのやつなら、じがかける。2865ねん12がつ25にち"
言いたいことはなんとなくわかった。けど、小さい子だからか、文章は下手くそだ。
書いてある日付は一年前。小さい子でもここから逃げ出すことはできるのか――たぶん、わたしより小さい子だと思う。じゃあ、たぶんわたしにもできるかもしれない。
がんばろう。がんばったら孤児院に帰れるかもしれない。かわりに誰かここへ来た時のために、この子みたいにちゃんと、ここで分かったことを置き書きしてさ。わたしなら、もうちょっとうまく書ける。鼻を近づけてインクを嗅ぐと、ちょっと生臭かった。
がんばろう――まだこれが夢の可能性だってあるし――私は紙を元の場所に隠して、目を閉じた。
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