樹海ババアバンドフェス2018
「ギイ”エエエエエァァァァァァァァ‼」
樹海の暗闇に響きわたるけたたましい絶叫。
「お前らア!調子乗ってんじゃねえぞオオオオオ‼」
「うるせえクソババアァ‼」
一段低い別の絶叫が答え、同時にバシャアアン!と激しい金属音。ペヨオォォン、と情けない電子音がそれに続く。最初の絶叫の主が今度は少し声を低めて、
「お前らはぁ、黙ってわっちのケツでも拭いてナアア――」
バーンバシャンドンドンドコドコドコドコシャァァァンドドドドカンカンカンギイイイイエエ‼ズドドドドドゴドゴドゴギィアアアア……
耳をつんざくような電子音と金属音が絶叫をかき消す。絶叫の主も負けじとその騒音に乗っかって、もっとギンギン叫ぶ。何を言っているかはもはや聞き取れない。コンクリのビルでも音圧で倒壊しそうな騒音は、樹海の木々に反響してどんどん大きくなっていく。
日本列島某所の樹海、自殺の名所でもある深い森の周辺では、毎晩不気味な女の叫び声や打ち付けるような金属音、地鳴りに似た低いうなり声が夜通し聞こえるのだ……という話が人々の間では近頃有名になっている。人々は大抵自殺者の怨霊だろうと推測するのが常だが、実際の出所は、見ての通りのこのありさま。樹海の「騒音オバサン」どもである。
樹海のど真ん中にあるちょっと開けた木の隙間で荒れ狂うのは五人のババアども。全員すり切れたキモノか汚い洋服を着て、長いガサガサの白髪を振り乱し、手に楽器を持って狂ったように叫んでいる。真ん中にいるのはスタンドマイクを持ったババア。その後ろには傷だらけのエレキギターを持ったババアと、表面に穴の開いたベースを持ったババア。三人とも汚いアンプを足蹴にして、時々手に持った楽器を振り回す。その後ろではサビサビに錆びたドラムセットを叩きながら頭を振り回すババア。その横で、顔を真っ赤にしながらなぜか必死で自転車を漕いでいるババア。
ババアどもはリズムにならないリズムをバラバラに刻みながら、全員がそれぞれの音をかき消そうとどんどん音量を上げる。ベースのババアが演奏を放棄してスタンドマイクのババアに楽器で殴り掛かると、スタンドマイクのババアは振り返ってブチブチィ!と自分の前歯を引っこ抜いて投げつける。
「イ”テ”エ”エ”エ”エ”エ”‼」
「ギョオオオオアアアア‼」
ベースのババアが絶叫しながらそれを楽器でドラムの方へ打ち返した。
「キエエエエエエエエエエイ‼」
ジャガジャガジャガドシャアアアアン‼ドラムのババアは怒り狂ってシンバルを叩きまくる。パシャン、となさけない音がしてシンバルが割れた。
ドラムのババアが手を止める。突然静かになったので、ほかのババアも驚いて叫ぶのをやめるとドラムの方を見た。
頭がおかしくなりそうなくらいの静寂。ドラムのババアはふらふらと立ち上がり、真っ二つになって地面に落ちたシンバルを拾った。
「アチキのシンバル……」
そしてクワッと顔を真っ赤にすると、地の底から響くようなしゃがれ声で叫ぶ。
「割れちまったじゃないのさアァァ‼」
曲がった背と異様に平べったい顔のせいで、血走ったぎょろ目が今にも飛び出しそうに見える。スタンドマイクのババアが、すっと背の高い体を伸ばしてドラムのババアを見下ろした。
「知らねえやい。オメエが割ったんじゃねえか」
「明日のライブはどーすんだよ!」
ドラムのババアが地団駄を踏む。ベースを持ったずんぐりむっくりのババアが、くつくつと笑って言った。
「明日のライブは静かだねえ」
「うるせえ!お前ら全員アチキのお札で火葬にしてやらァ!」
ドラムのババアは懐から三枚のお札を取り出した。すると、自転車に乗っていた筋骨隆々のババアが降りてきて、ドラムのババアの手からお札を奪ってビリビリに破り捨てた。
「ジブン、まだそんなもん持ってたんかい。オニババはやめるんじゃなかったんかい」
「やめられるわけあるか!」
ドラムのババア、オニババは顔を真っ赤にして叫んだ。
「アチキだって好きでオニババやってんじゃないんだよ!札を返せ、シンバルを明日までに盗ってくるんだよ!おいネズ公!」
オニババは後ろにいたギターのババアを振り返る。ネズ公と呼ばれたギターのババアは出っ歯をキチキチ鳴らして、
「うるせえなあ」
「オメエ、打ち出の小槌はどうした。今すぐアチキの札を元に戻しな!」
ケケケケッとネズ公は笑った。
「ばっかデェ。シンバルを出せって言やぁすぐなのによぉ」
「じゃあシンバルを出しな」
「ムリだね、打ち出の小槌はうちのジジイが勝手にドブネズミの穴に返しやがったんだって言っただろォ。頭の悪いケダモノめ」
キチキチキチキチ……とネズ公は前歯を軋ませて、にやりといやらしい笑みを浮かべた。
「こ、こんっの汚ねぇクソネズミィ"!前歯ひちきぢってケツの穴に突っ込んでやらアア"!」
オニババはシンバルの破片を武器にネズ公に摑みかかる。すかさず横から自転車のババアが飛び出して、オニババを殴り飛ばした。
「ギイヤアアアア!」
金切り声を上げながら吹っ飛ばされたオニババは、近くの木に思い切り叩きつけられた。ミシミシミシ……ザアァァァ、ドオオオン!
オニババがぶつかった木が倒れる。
「ジブン、すぐ手ェ出すからアカン」
自転車のババアがつぶやいた。オニババはのっそりと立ち上がり、髪を振り回して葉っぱを払うと地獄から響くようなうめき声で、
「この野郎、モモ女ぁ……ツケ上がりやがっ――」
オニババのがふと口をつぐむ。そのギラギラした視線の先には、倒れた木の横で縮こまる痩せた中年の男がいた。
ベースのババアが、目をくちゃくちゃこすってじろりと男を見る。
「へへへへ、人間だァ」
「ホォォ」
オニババも男をじろじろ見ながら、ドタドタと詰め寄る。男はガタガタ震えながら、手に太くて長いロープを一本だけ持っていた。
「いいことを思いついたぞ……オメエ、ちょぉどいいモン持ってるねェ」
「ヒッ」
男は小さく甲高い声を上げたが、腰が抜けたようで動こうとしない。オニババはニタニタしながら男が持っているロープをギチギチギチギチ、と握りしめた。
「オメエ、このヒモでここいらのタヌキを一匹捕ってこい、生きたまんまな。捕ったらアチキのところに持ってくるんだよ。明日までに」
男は縮み上がって何度も頷いた。オニババは踵を返すと、落ちていたシンバルを拾い上げて、
「オメエらのせいで気分が悪りイから帰る」
と言い残すと、ドラムセットを置いてどこかへ去っていった。
残されたババアどもは顔を見合わせる。やがてスタンドマイクのババアが、顔を歪めてクチャクチャやりだした。
「アイツのせいでわっちの見せ場がなくなっちまったよ」
びよんびよん弛んだ喉仏の皮をひっぱったかと思うと、ウ"オ"エ"エ"エ"!ボドボドッと胃液と一緒に口から魚を一匹丸々吐き出す。胃液を泥だらけの洋服の裾で拭うと、突然服を全部脱ぎ捨ててガリガリのすっ裸になり、ぱっ!と一瞬でツルに変身して、ボロ切れみたいな羽でどこかへ飛んでいった。
「……タ、タヌキって、どどどうやって捕る、るるんですか」
ネズ公、モモ女、ベースのババアが残った広場に、か細い声がした。三人の視線が一斉に中年の男へ向く。ヒヒヒヒ、とベースのババアが笑った。
「明日までにタヌキなんか獲れっこないよ、諦めな」
「言うてやるな、浦サン」
モモ女は答えると男の方へ手招きした。男は脂汗を流しながら、足を引きずって寄ってくる。モモ女は男の手からロープを奪い取ると、片方の端を輪っかにして結んだ。
「この輪っかを地面に置いて、もう片方にエサをくくりつけて木の上からつるす。腹が減ったタヌキなら運がよきゃかかる」
「エ、エサ?」
呆けたように男が聞くと、モモ女はツルが吐いていった魚を指差した。ネズ公と浦サンがキチキチ、ヒヒヒヒ、と笑った。
男は真っ青になりながら、胃液でベタベタの魚をつまみ上げた。半分腐ったような生臭さと酸っぱい臭いに顔をしかめる。
「むこうに川がある。洗って使いな」
モモ女はドラムセットの奥を指差す。男はネズ公と浦サンのニタニタ顔を背に、あたふたと木の陰へ消えていった。
**********
翌日、日が暮れる頃。暗くなった森の、昨日と同じ開けた木の間に、中年の男はポツンと座っていた。片手にはロープの端。その先に、両足を体良く括られた若いタヌキがいた。
「ヒヒヒヒ、本当に捕ってきやがったよ」
どこからか耳障りなしゃがれ声がした。男が慌てて見回すと、置きっ放しのドラムセットの奥から浦サンのずんぐりむっくりした影が出てきた。
ガサガサっ!同時に別の方向から音がして、ザッザッザッザッ、大股の足音とともに今度はオニババがやってきた。その後ろからモモ女も姿を現わす。オニババは男からロープを奪い取ると、タヌキを逆さまに吊るし上げる。
「できるじゃねえかァ、人間のわりに」
オニババはタヌキの尻尾を掴んで、タヌキの頭を自分の目の前まで持ち上げた。
「おい、タヌキ。今すぐシンバルに化けるんだよ」
キエッカカカカ!と鋭い笑い声。いつのまにかツルがオニババの後ろにいた。
「バカ言うんじゃねえよ、テメエの力で叩きつけたら死んじまうに決まってんだろ」
「うるせェ!オメエ早く化けなァ、できねえってんならツルの餌にしちまうぞォ!」
オニババに怒鳴りつけられて、タヌキはブワッと毛を逆立てた。そして慌てて手元をもぞもぞすると、ボンっ!一瞬白煙に包まれたタヌキは、黒光りする茶釜になってロープに括られていた。
「なんでぇそれは!」
ブチブチブチィ!怒り狂ってオニババがロープの先を引きちぎる。タヌキはもう一度ボンっ!と音を立ててタヌキに戻り、ボンっ!さらに再び茶釜に化けた。ボンっ!……タヌキ、ボンっ!……茶釜、ボンっ!…….タヌキ、ボンっ!茶釜……
「ええいもういい!」
オニババが叫んだ。茶釜のままのタヌキをひっつかんでロープを投げ捨てる。バリバリバリ!と自分の白髪をひと束抜いて、茶釜の取っ手に通すと、シンバルのスタンドにくくって吊り下げた。
「今日はこれで勘弁してやる」
ドカッとドラムセットの椅子に座るオニババ。いつのまにか来ていたネズ公が、ニヤニヤして言った。
「お似合いだねェ」
「うるさいよ、次はオメエをシンバルにしてやるからな」
オニババはネズ公を睨みつける。ほかの三人は何事もなかったかのように置いてあった楽器を拾って持ち場に着く。モモ女は自転車に乗ると、真っ先にペダルを漕ぎ始めた。ウィィィィィ……とモーター音がして、やがてブッブブッ、と各々のアンプの電源が入りだす。モモ女の並み外れた筋力で、自家発電が始まったのだ。ツルがスタンドマイクを握って、腹の底からガサガサ声を張り上げた。
「いいかお前らァ、今日はわっちより目立つんじゃねえよォ!」
カーーーン!オニババが茶釜をスティックで叩くと、なんとも間抜けな金属音が響いた。
「早く始めろ、トリ頭!」
オニババの叫びを皮切りに、全員の楽器がうなった。今夜の演奏もヒドイどころでは済まない。浦サンがアンプの上からネズ公に飛び蹴りを入れて、ネズ公がそれをギターで殴り返す。その間にツルは二人の取っ組み合いのど真ん中へ、今朝食べた焼き魚を一匹丸ごと器用に吐いて飛ばした。ネズ公はギターをギコギコやりながらツルに頭突きを喰らわせようと頭を振り回し、浦サンはなぜかオニババの方へ突っ込んでいく。ライブと称した大乱闘はヒートアップし、ギエエエエエエアアアアア‼︎と誰かが発した断末魔のような叫びを最後にふっ、と静かになった。どうやら一曲の区切りがついたらしい。
全員が楽器の手を止め、ぜえぜえ息を荒げるライブ会場。今までの大騒音がウソのような静けさがしばらく続いたそのとき、ライブ会場の隅の方で小さくガサ、と音がした。
「あ、あの」
タヌキを捕まえた中年男だった。
「ろろ、ロープを返してもらえますか。自殺しにいいい、いくので」
今にもちびりそうな姿勢で、男はおそるおそる言った。ツルが振り向いて、胃液まみれの口でニタリと笑う。
「どうだ、わっちたちのロックは」
「ロックじゃねえ、メタルだ」
浦サンが金切り声で言い返す。
「うるせえ、なんでもいいんだよバカども!」
ツルは浦サンと一緒にほかの三人も睨みつける。ネズ公が足元に落ちていたロープを拾って、男の方へ投げつけた。男はネズ公とツルの顔をちらりと見ると、小さく何度も頷いた。
「そうかいねェ」
ツルは満足げに言うと、ニタニタ笑いながら男に中指を立ててみせた。
「じゃあな。GO TO HELL、さっさと死ぬんだよ」
男はツルの言葉に震え上がって、ついに小便をちびった。じんわり股間に広がるシミをかばいながら、男は慌てて樹海の奥に去っていった。
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