パーフェクト・アフォーダンス

 敵襲!敵襲!総員持ち場につけ!カンカン!顔は洗ったか!歯は磨いたか!心の準備はできたか!カンカンカン!

 けたたましい金属音が寝室にひびく。新参兵が叫ぶやたら親切なアラームで目が覚めた。

 体が浮かんばかりに飛び起きる。男だらけの小さな寄宿舎の寝室、ごちゃごちゃの部屋の真ん中にいた新参兵は、ぼくが起きると静かになった。

「今日は早えな」

 心臓がばくばくしているぼくに、横から声がかかった。同室に住むひょろっとした色黒の男、バーリーがぼくの服を肩からひっかけて、ベッドの脇に立っている。

「今警報が鳴ったろ」

 ぼくはイライラして返す。バーリーはぼくに、肩にかけた服を差し出した。

「鳴ってから起きるまでの話だよ。ほれ、お前の服。さっさと着ろ」

 バーリーから服を受け取ると、超スピードで袖を通す。バーリーは、羽織っていたぼくの服の下には何も着ていなかった。警報が鳴ったというのに、のんきに裸で突っ立っている。ぼくはボタンをかけ終わると、

「服は?」

「お前のしか持ってねえ。どうしような」

 バーリーはしれっと答える。ぼくは呆れた。

「早くしてよ、時間ないんだから……洗濯場から取ってきてやるよ。じゃあな、服ありがと」

 そう言うと、ちゃっちゃとぼくは寝室を出る。出たところは生活スペースなのだが、あまりに狭くて宿舎の玄関が丸見えだ。そしてそこには、ぼくの仕事の相棒であるルーズベルト兄弟の二人が待っているのが見えた。全くそっくりな背格好に、瓜二つの顔がぼくをじとじとと追う。全身黒色の妙に小綺麗な格好で、さもずっと前から起きていましたって感じにじっと肩を並べている。ぼくは顔を逸らして、玄関のすぐ横にある洗濯場に向かった。

 洗濯場には、朝の早い洗濯夫の爺さんがいた。真っ白な髪に口ひげをたくわえて、洗濯洗剤でコッテコテの青い帽子を頭に乗っけている。滑稽な後ろ姿のまわりに、洗いあがった洗濯物が山を作っていた。ぼくが近づくと爺さんは振り返って、

「おう、今洗いあがったぞ」

「乾いたやつはないの?」

 ぼくが早口で尋ねる。爺さんは皺だらけの眉間にさらに皺を寄せた。

「乾燥なんて贅沢なもん、わしにはできん」

「わかった、じゃあなんでもいいや。一枚もらっていくよ」

 ぼくは適当に、洗濯物の山から白いシャツを引っこ抜く。それを見てもいない爺さんに背をむけ、ぼくは大慌てで寝室に戻った。

 寝室では、まだバーリーが裸でうろうろしていた。ぼくはなりふり構わず、持ってきたシャツをバーリーの肩に引っ掛け返してやった。バーリーは大げさに飛び上がる。

「冷てえっ!びしょ濡れじゃねーか!」

「それしかないから我慢して」

 ぼくはそれだけ吐き捨てるように言うと、バーリーを置いて再び寝室を出た。早足で、今度は洗濯場と玄関の向こうの、洗面所に駆け込む。そこでは管理番の爺さんが待っていた。ここの爺さんは洗濯場の爺さんより歳なのに、妙に若々しくて、なんなら肌は陶器みたいにつるっつるで気味が悪い。管理番の爺さんはぼくを見つけると、手に持った歯磨き粉を差し出してきた。

「新商品の歯磨き粉。使いますか?」

「使う、ありがと」

 ぼくは歯磨き粉を乱暴に受け取り、洗面所の脇に置いてあった自分の歯ブラシをむんずと掴むと歯を磨く。その間、管理番の爺さんはにこにこ、いや、にやにやとぼくを眺め回していた。

「髪の毛がはねていますよ」

 ぼくは聞くやいなや、歯ブラシを持っていない手で髪を撫で付けて、櫛でがしがし梳いた。そこまで眺め回しているなら寝癖くらい直してくれてもいのに。管理番の爺さんは、歯磨きが終わると今度は洗顔料を片手で振りながら、

「いつものでいいでしょうか」

 あまりに爺さんがにやにやしているのでぼくは呆れて、返事もせずに洗顔料を奪い取った。三十秒で顔を洗い終わると、ぼくは洗顔料を爺さんに押し付けて駆け出した。

「ちょっとちょっとちょっと!待って!」

 洗面所を出て玄関に向かうところで、後ろから声がかかる。やかましい男の子の声だ。振り返ると洗面所の隣のキッチンから、薄いグレーの制服を着た少年が顔をのぞかせていた。

「何にも食べて行かねーのかよ!お腹空いちまうぞ!」

「そんな時間ないんだよ今!」

 ぼくは叫び返した。少年は小さくうなって、

「わかった、じゃあせめて飲み物だけでも飲んでいって!よく冷えてるから!」

「なんで真冬にきんきんの飲み物なんだ……」

 ぼくはぶつぶつ文句を言いながら、一歩、二歩、引き返す。反対側では玄関のルーズベルト兄弟が、わずかにつま先を床に打ちつけながらイライラとこちらを見ていた。短気なやつらだ。ぼくが顔をしかめている間に少年はキッチンに引っ込んで、きんきんに冷えたお茶のペットボトルを持って出てきた。

「ほらよ!持ってきな!」

 半分投げてそれを寄越す。ぼくはかすめるように受け取ると、片手をひらひら振って踵を返した。走って玄関に向かう。玄関脇に置いてあった黒い革の鞄をひっつかむと、突進する勢いでドアにぶつかって止まった。

「待たせたね。遅くなった」

 ルーズベルト兄弟は全く同時にぼくを睨んだ。何も言わない。

「……さっき起きたんだよ、怒るなよ」

 ぼくが弁解すると、ルーズベルト兄弟は一瞬互いに顔を見合わせてうなずいた。ぼくは鞄を肩にかけ直して、

「もう行くよ。文句があるなら後で言ってくれ」

 釘を刺して、ドアを開けた。ルーズベルト兄弟と一緒に外に出る。

 そこは、一人暮らし用アパートの廊下。コンクリート打ちっ放しの廊下は寒々しく、いくつもの玄関ドアが整然と並ぶ。その一つの前にぼくは立っていた。

 ズボンのポケットをまさぐり、玄関に鍵をかける。履きかけの靴のつま先をとんとんと打つと、ルーズベルト兄弟が顔をしかめた。靴紐を結ぼうとかがんだ瞬間、ふとぼくは起きてから用を足していないことに気がついた。今週のトイレ掃除番、トイレタンクに置くだけ芳香消臭剤のマッキー氏には、帰ってから会わねばなるまい。なんせマッキー氏はあまり来ないと怒るのだ。戻って用を足していては仕事に遅れる。そのうえルーズベルト兄弟にはさらに睨まれるんだろう。ぼくはしかたなく尿意をこらえて、そのまま男だらけの宿舎の前を走り去った。

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