第9話

 数日後、キュオン邸の訓練場では何度目かになる、ガウレオによる特訓が行われていた。

 ロクサーヌとグリゴリは素手で構えて、向かい合っている。

 ロクサーヌが繰り出す突きをグリゴリは手刀を円を描く様にして、引っ掻けると軌道をずらす。そして、踏み込んできた足に踵を掛けて引っ張ると、ロクサーヌは見事に体勢を崩した。

 

「き、キャッ!?」

「それで何度目ですか、ロキシー。最初の一撃で当てようなんて考えないことです。本命は二撃、三撃目です。戦いは流れです。先ずはその流れを感じなさい。グリゴリ、彼女が反応出来る限界で動きなさい」

「かしこまりました」


 立ち上がる間もなく動き出したグリゴリから、転がることで距離を置こうとするが、服を踏まれて動きが止まる。それに合わせるように顔へ向かって拳が降ってくる。首を傾げることで何とか躱すと、踏まれた服を思いっきり引っ張る。あわよくば体勢を崩せると思ったが、生憎と読まれていた。

 重石あしが浮いたせいで勢い余って、かなり転がってしまう。予定外の回転に少し目を回してしまうが、直ぐに立ち上がって、頭を守る様に両腕をあげて構える。

 しかし、目の前には誰も居なかった。

 虚を突かれた横っ面を腕ごと殴りつけられる。立て直す暇も与えられず、腹に蹴りを浴びせられる。

 思わず腕を下げてしまった所へ、拳が顎の先端を捕らえた。

 

 顔に水を掛けられて、ロクサーヌは気が付いた。

 喉に詰まりかけた水でえずく。


「分かりましたか。流れを読めれば、さっきのグリゴリの様に常に先手を打つことも出来ます。先ずは流れを感じなさい」

「ゴホッ……はい。師匠せんせい


 師匠せんせいというのは特訓を始めるに当り、真っ先にガウレオが要求したことであった。

 呼び方を決めることで優劣をハッキリとさせ、なおかつ、周りにもお互いの関係を理解させる狙いだった。


コイツロクサーヌ、全然ダメじゃん。あんなのも捌けないヤツが勇者なんて可笑しいぜ。オレの方が絶対に強えもん」


 泣きそうになりながらも、立ち上がろうとするロクサーヌに、心ないヤジが飛ぶ。


「静かにしてください、トールくん。君の意見は聞いていません。だいたい、今の彼女は勇者ではありません」

「うっせーな。ずっと観てれば、おままごとみてえな訓練ばっかしやがって。なんで、そんな攻撃も避けれねえんだよ。それでも勇者か! あ!?」


 最初のうちは黙って観ていたトールだが、自分の課せられていた訓練と比べ、余りにも生っちょろい内容と、それに苦戦するロクサーヌに団々と苛立っていたのだ。

 だから、とガウレオが止めようとする前にロクサーヌが爆発した。

 

「私だって、なりたくてなったんじゃない! そこまで言うなら、あなたが勇者になってよ!」

 

 そう叫ぶと、ロクサーヌは走り去ってしまう。


「へっ、こんなので逃げ出すようなヤツが、勇者だなんてお笑い草だぜ。オレの方が強いし、いっそのことオレが勇者になってやろうか」

 

 そんな口を叩くトールの襟をガウレオが掴む。


「! やろうってのか!」

「トール、何度も言わせないで下さい。彼女は勇者ではありません。それに、あなたでは勇者にはなれませんよ」

「なっ、!?」


 言い返そうとするが、何時もよりも暗く見えるその青い目に押され、言葉を飲み込む。

 ガウレオは襟を離すと、仕事終わらせて合流してきたスリーリンを呼ぶ。

 

「すみません。ロキシーが逃げました。私は彼女を追いますので、この馬鹿にお灸を据えておいてください。グリゴリさん、調理場に行ってお菓子を用意してもらって下さい。泣き疲れた彼女には必要でしょう」

「え、あの、事態が飲み込めないのですが、ロクサーヌ様が逃げたって?」


 そう言い残すと、ロクサーヌが走り去ったほうへ急ぎ足で歩いていく。

 混乱している所へグリゴリが耳打ちをして訓練用の剣を手渡すと、スリーリンはゆらりとトールへ剣を構える。


「彼女は我々のような、根っからの戦士ではない。少し前までは剣を握ったこともない、普通のお嬢様だった。それを一つの予言が変えてしまった。なのに彼女は泣き言一つ言わず、剣を取った。そんな彼女に貴様は唾を吐いた!」

「お、おい。いつもと雰囲気違うぞ、オマエ!?」


 目の血走るスリーリンから吹き出る殺気に怯んだトールが思わず、一歩下がる。その瞬間、『狂剣』スリーリンが牙を剥いた。

 

 

 ガウレオは後悔していた。自分は思い違いをしていたのだ。彼女は進んで勇者になったのではない。

 しかし、勇者であろうとしたのだ。握り方が分からずとも、剣を取り。使い方が分からずとも、剣を振るっていたのだ。


「これでは師匠せんせい失格ですね。昔はこんな失敗などしなかったのですが。魂が幼い体に引っ張られているのでしょうか」

 

 思えば、両親を殺してしまった時もそうだった。彼等に自分の実力を認めてもらいたくて、ついやらかしてしまった。その場の感情に任せるなど、そんな非効率なことは昔ならしなかった。

 ガウレオは頭を振って、思考のもやを飛ばす。


「いえ、今は彼女を捜すのを優先すべきです。彼女なら、きっと理想の勇者に……」

 

 いつの間にか、止まっていた足を前に踏み出す。

 ガウレオは気付かない。自分の偏執とした勇者への執着が一体何時からだったかを。その勇者像は一体、誰を元にしているのか、彼は気付かない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る