第6話 Nishi-Azabu 2:02-2:44
”レイザー”は六本木通りから一本ウラに入ったところにある。
地下二層になっていて、地下一階のほうにバーカウンターとソファ、それと小さなフロアがある。
アラタ「今日、いい音楽やるの?」
ユウ「さあ。なんとなく良さそうだったけど、こういうのは勘だから」
バーカウンターで酒を受け取ると、アラタとユウはさらに階段を降りた。
地下二階がメインフロアで、直方体のシンプルなハコが二連結された形になっている。
そのうちDJブースが付いているのは片方だけだ。
アラタ「なんだこれ。こっちのフロア何?」
DJブースがついてないほうの直方体をのぞきながら、アラタが言った。
ユウ「さあ? 休憩スペース?」
ユウはさっさと爆音があふれてくるメインフロアに入った。
そこは薄暗く、まるでスタジオのように何の飾り気もなく黒いばかりのだだっ広い四角い箱だった。
ほとんど目の前も見えないような闇の中に、ミラーボールだけが光を照らしている。
たまに思い出したようにスモークが「シュー」と音を立てて天井から噴射される。
広いフロアに、客は数組しかいないようだった。
ユウ「いい感じだ」
ユウは全身に浴びせられる音を感じながら言った。
アラタ「いい感じなのか?」
爆音に負けないようにアラタは叫んだ。
ユウ「ハコはね。DJは微妙。あとは待つだけ」
ユウも叫び返した。
アラタ「ちょっと上にいるから、良くなったら呼んでくれ」
アラタが音に負けないように耳元で言うと、ユウは親指を立てた。
アラタはエントランスの係員に合図して外に出た。
タバコの煙を胸に入れて吐きながら、六本木の裏通りの夜を眺めた。
街の空間は平面ではなく立体的にアラタを取り囲んでいた。
黒い夜の中に無数の白や赤の光が浮かぶ、静かな夜だった。
低音と高音に分かれて「ゴー」と鳴る都市の音は絶えず響いていたし、誰かのバカ笑いや叫び声もそこには混じっている気もした。
それでも、たしかに静かな夜だった。
アラタを脅かすものは何もなかった。
歩きたい方向に歩けたし、入りたい店に入れたし、タクシーを止めればすぐに家に帰って休むこともできた。
そんな夜の中で、アラタはわざわざこの六本木の裏通りのクラブに数千円を払い、何かを待っている。
ナンパ系のハコの”キャメル”や"K2"に行って、女の子を引っかけてたほうが有意義だっただろうか。
それでも結局は、ゴムの袋をかぶせた自分のペニスを誰かのまたぐらに突っ込んで射精するだけだ。
少しずつ相手がよがってくるのが良いとか、最初に相手の乳首を露出して口に含む瞬間が最高とか、それはそれなりの楽しみはあるにはあるが、ただそれだけだ。
どうせ同じぐらい無意味なら、ユウとこうして良い音楽を求めてアテもなくフラついているほうが、今夜のアラタにはなんだか愉快なことのように思えた。
ユウ「来たぞ」
地下一階のソファに座って酒をなめていたアラタのところに、下のフロアからユウが上がってきて声をかけた。
アラタはずいぶん待たされた気がした。
下のフロアの重低音に共鳴して響くソファの横のシャッターの音の耳障りに、嫌気がさし始めたところだった。
アラタ「行こう」
メインフロアに着くと、たしかに何かが変わっていた。
さきほどまでのブリブリに支配してくる重低音が消えて、スウィートなシンセサウンドがまるで空中を漂うかのようにふんわりとアラタの体を包み込んだ。
包み込まれて浮遊しかけた尻をそっと支えるかのようにあてがわれる低音のビート。
アラタはクラブミュージックに詳しくなかったが、これまでの音楽とはたしかに何かが違うのを感じていた。
蕩けるように音に身を任せているアラタの気持ちを、だんだんと焦らせるかのように少しずつビートが細かくなり、曲のテンションが高まった。
そして最高にアゲてくれる!と思った瞬間に、肩透かしするかのように急に低音と高音が省かれ、体を包んでいた音が霧のように消えた。
あらわになる簡素なグルーヴの骨組み。
そこに新たなビートが差し込まれ、先ほどとは異なるスウィートなシンセサウンドが降りてきた。
曲が変わったのだ。
離れたところにいたユウが近づいてきて、アラタの耳元でささやいた。
ユウ「クイーン」
レディオ・ガ・ガのイントロだ。
その音に包まれながら、アラタには急にいろいろなことがわからなくなった。
どうして2010年代後半の平凡な夜に、クイーンの一曲がこんなにもフィットするのか。
今がどんな時代で、自分がどんな生き方をしているのか。
自分がこれまで、何を目指して生きてきたのか。
明日、何かをする予定だったのか。
何もかもわからなくなった。
わからなくなり、どうでもよくなった。
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