四、境界線の守護者。

 考えてみればこうしてかつての記憶より大人びて成長した彼女の姿を目にするのは、この未来世界に来て以来初めてのことであった。

「……ええと。おまえ、みつだよな。何だよ、その格好は。夢の中でもあるまいし、巫女服なんか着て。何かのコスプレか?」

 あまりにも思いがけない事態の急展開に思考が追いつかず、ついどうでもいいような質問をしてしまった僕に対し、たちまち火がついたように顔を真っ赤にする元婚約者のお嬢様。

「あなた、五年ぶりの感動の再会だというのに、事もあろうに最初のセリフがそれなのですか⁉ せっかく大ピンチのところを助けに来てあげたというのに。これは断じてコスプレなんかじゃありません。きょうかいせんしゅしゃとしての正装なのです!」

 ムキになって言い募ってくる、自称何たらの守護者。どうやら御本人も、いかにもコスプレっぽく見えることを気にしているようだ。

「それで、大ピンチのところを助けに来たってのは、どういう意味なんだ? せっかく今度こそ、念願の五年前の世界に戻ろうとしていたところだったのに」

「まあ、何というのん気なことを。カズにいさまはまさに今危うくすずに昏睡状態にされて、永遠に過去の夢の無限ループの中に閉じ込められるところだったのですよ?」

「はあ?」

 夢の無限ループって、何だそりゃ?

「あのねえ、兄様は本当にタイムトラベルなどというものが、現実にあり得ると思っておられるのですか?」

「いや、思うも何も。すでに実際に体験しているわけだし……」

 この大詰めにきての今更な質問にしどろもどろに答えを返せば、とたんにくわっと目を見開く巫女姫様…………ちょっと、怖いよ。

「何と浅はかな。いいですか? 一度でもSF的なことを認めるということは、この世界の現実性リアリティを否定するということなのですよ? 特にタイムトラベルなぞもっての外なのです。そんなものの実現を認めるということは、この世界がSF小説そのものになってしまうのを、みすみす許してしまうも同然なのですよ⁉」

「なっ⁉」

 おいおい。言うに事欠いて、SF小説になってしまうはないだろう。まさかいきなりメタ展開でも始める気じゃないだろうな?

 しかし僕の当惑は次の彼女の一言で、木っ端みじんに粉砕された。


「ようくお考えになってみてください。古今東西タイムトラベルなぞという非現実的な絵空事が実現されたのは、SF小説か、それに影響を受けた漫画やアニメや映画やライトノベルやゲーム等の世界の中だけではありませんか? つまりタイムトラベルを体験したなどと主張することは、兄様自ら自分がSF小説の主人公であることをお認めになられているようなものなのです」


「──あ」

 そ、そうだ。言われてみれば、まさにその通りだ。

 SF小説を始めとする創作物フィクションの中ではタイムトラベルが実現されることがいかにも当たり前のように書かれているからつい忘れてしまうけど、タイムトラベルなんて現実世界ではけして起こり得るはずがないんだ。

 極論すればタイムトラベルが実現されてしまえば、その世界がSF小説そのものであることを証明するようなものなのだ。

「いやでも、これがタイムトラベルではないのなら、いったい何だと言うんだ? 僕は確かに五年前の世界からこうしてこの時代に来ているんだし、短期的な実験とはいえ過去へのタイムトラベルも体験しているんだぞ? それに今回涼華が新たに考案したタイムトラベルの実現方法自体も、量子コンピュータの多世界間シンクロ能力を利用した人の精神体のみによる時空間転移という、実効性が高く一応現実性リアリティの維持にも配慮したものだし」

「だからそもそも涼華が発明したのは、タイムマシンなんかじゃなかったのですよ。本物の量子コンピュータかどうかはさておき、そちらの大型コンピュータに接続されているカプセルベッド自体は、実は心理療法学に基づいて造られた超高性能の催眠誘導装置に過ぎないのです」

「さ、催眠誘導装置だってえ⁉」

「催眠誘導とはつまるところは俗に言う催眠術のことですが、けしていかがわしいまやかしなんかではなく、心理療法という正式な医学に基づいた術式であり、欧米においてはすでにカウンセリング等の現場で積極的に用いられていて、患者さんを半睡眠状態にしていろいろと質問を交えながら、忘れ去っていた過去の記憶を掘り起こしたり心の奥底に隠されていた無自覚な願望や傷を見いだしたりして、患者さんの病んだ精神の治療に役立てているのです」

「へえ、それは大したものだ。でもそれが、タイムトラベルとどう関わってくると言うんだ? まさか催眠術でタイムトラベルを実現するとか言うんじゃないだろうな?」

「さすがはカズ兄様。まさにその通りですわ」

「へ?」

「実は時間移動を実現するのに、タイムマシンなぞ必要ないのです。未来へのタイムトラベルを行おうと思えば、人を一定期間だけ記憶喪失にすればいいのだし、過去へのタイムトラベルを行おうと思えば、人に過去の夢を見せればいいのですから。つまり高性能の催眠誘導装置があればそれだけで、すべて事足りるのです」

「は? タイムトラベルを実現するのに、記憶喪失にさせたり過去の夢を見せればいいって……」

「何度も申しますように、この現実世界ではSF小説に出てくるようなタイムマシンなぞ実現できませんが、タイムトラベルという現象自体のほうはそれがあくまでも『主観的』なものであることを理解できていれば、けして実現不可能とも言えないのです。例えばいわゆるSF小説的なタイムマシンで五年後の未来に行こうと、五年間記憶喪失になってしまおうと、本人の主観では一瞬にして五年後の未来に跳躍ジャンプするという認識においてはまったく同じなのであり、ゆえに一定期間人を記憶喪失にさせる装置を造り得たとしたら、それこそがこの現実世界における最も理想的かつ実現性のある未来への転移装置と呼び得るでしょう」

 ──なっ⁉

「これは過去へのタイムトラベルの場合も同様です。もしも超高性能な催眠誘導装置によって、その人自身すらも忘れ果てていた過去の記憶を鮮明に蘇らせてそれを夢として見せることができれば、夢を見ている間はまさしく本人にとっては過去へのタイムトラベルそのものともなり得るのです。なぜなら個人にとっての世界とは、その人の脳内の記憶と知識のみから成り立っているのですから。よってそれを完全に映像として再現して夢として見せられれば、本物の過去の世界として認識することになるのです。ひょっとしてカズ兄様も過去へのタイムトラベル中には、御自分の意志ではまったく行動することができなかったのではないですか? 実はそれこそが本物のタイムトラベルなぞでなく、夢の中での単なる過去の記憶の再生プレイに過ぎなかったことの証しなのです」

 あっ。そ、そういえば。

「つまり涼華はその催眠誘導装置を使って、カズ兄様をまんまと記憶喪失にしてしまったわけなのです。五年前の実験直後にあなたが前後不覚の廃人状態となったのは何のことはない、それまでの御記憶をすっかり失ってしまったからだったのですよ。しかもそれ以降も御家族からも見放された兄様を自分の手元に置き治療と偽って催眠誘導をし続けむしろ記憶喪失状態を保ち、計画通りに五年後の今になって催眠術を解き、あなたにいかにも未来への精神体のみによるタイムトラベルを行ったように思わせたという次第なのです。そして当然の流れとしてあなたが過去へ帰すように頼み込んできた際には、同じく催眠誘導装置によって今度は過去の夢を見せることで過去へのタイムトラベルを行っているように信じ込ませて、いよいよ今日この時に至っては『念願の五年前の世界に帰してあげる』と偽って、これまた催眠誘導装置を使ってあなたを昏睡状態にして、永遠に過去の夢の無限ループに閉じ込めようとしていたのですよ」

 ……何、だと。

 しかしそう言われてみると、納得できるのも事実であった。

 考えてみればこの現実世界でタイムトラベルなぞ実現できるはずがなく、あのカプセルベッドを介して催眠術をかけられて単に記憶喪失にされたり夢を見せられたりしていただけと言われれば、よほど腑に落ちるものがあった。

「……だけど何で涼華が、わざわざ五年もの年月をかけて、こんな大仕掛けなペテンのようなことをする必要があったんだ?」

「実は今回の一連の出来事はすべて、彼女にとっての復讐だったのです」

「ふ、復讐だってえ⁉」

「そう。『無能』ゆえにときみの巫女姫になれなかったことと、そのため『かた』であるあなたを自分のものにできなかったことに対してのね」

 ──‼

 思わず涼華本人のほうへと振り向くが、そこには悠然と腕を組み深紅の唇にうっすらと笑みを浮かべている、白衣美人がたたずんでいるだけであった。

「だからこそ彼女は未来を予知できる私に対抗心を燃やし、科学という現実の力を使いインチキなタイムトラベルを実現することにより、自分自身の手であなたとのとしたのです。そして最終的にはあなたの病状が悪化したと偽って、催眠誘導装置によって昏睡状態にさせて過去の夢の世界の中に閉じ込めて、あなたを永遠に自分だけのものにしようとしていたのですよ」

 な、何だってえ⁉

 あまりに信じられない事実の発覚に完全に言葉を失う、インチキタイムトラベルの被害者の青年。

 その時突然けたたましい哄笑が、広大な研究室中に響き渡った。

「……ふふふ。うふふふふ。あはははははは! さすがは境界線の守護者、よくぞ見破った。すべてはあなたの言う通りよ」

 それはこれまで完全に沈黙を守り続けていた、縁なし眼鏡の復讐者によるものであった。

「おいおい。あんなに自身満々だったタイムトラベルがイカサマであったことを、あっさりと認めるのかよ⁉ ところでいったい何なんだ、さっきから聞いていれば、その境界線の守護者ってのは?」

「境界線の守護者とは時詠みの巫女姫である光葉のもう一つの顔で、未来予知と勝るとも劣らない重要な務めのことなの。巫女姫ならではの己の夢の中での多世界の観測能力と予知の力で、ありとあらゆる世界とこの現実世界との境界線を監視し続け、間違っても他の世界からの干渉のために我々の現実世界の中で、SF小説的な物理法則を無視した現象が起こって現実性リアリティが損なわれたりしないように、未然に防いだり事後的に解消したりしているわけ。特に未来が視える時詠みの巫女姫はこれから起こり得る事件を事前に察知することなぞお手の物なのであり、実際に事に至る前にその原因となり得るものを根こそぎ排除することすらも可能なの」

「なっ。時詠みの巫女姫って、そんなことまでしていたのかよ⁉ いやでも、何で一応は一介の現代人の女の子が、そんなタイムパトロールか何かみたいなまねをしているんだ?」

「というか、むしろこれこそが未来予知を司る時詠みの巫女姫であり続けるための、必要不可欠な務めなのよ。カズ兄だって当然御存じでしょう? 未来予知が有効なのはこの世界の現実性リアリティが堅持されているからであり、もしもSF小説そのままに物理法則等が崩壊した状態になってしまったんじゃ、未来予知もへったくれもなくなってしまうことを」

 ……そういえば、そうでした。

 そのように年上の男性を巧みに言いくるめるや、ここでようやく双子の片割れのほうへと瓜二つな黒曜石の瞳を向ける、女性科学者。

「まあ確かに私の今回のたくらみはすべて完全に暴かれて、せっかくでっち上げたSF小説的世界もこうして現実世界へと引き戻されてしまったのは認めるけど、それで時詠みの巫女姫様としては、これからどうするおつもりなの?」

「決まっているでしょう? ようやく御記憶を取り戻されたようですし、語り部殿を返していただくのですわ」

 そう言ってちらりと、いかにも躾のなっていない駄目な飼い犬を見るような冷徹なまなこをこちらへと向けてくる、巫女姫様。

 ひいいっ。本家に帰った後で、いったいどんなお仕置きが⁉

「あらあら。それはちょっとばかし、遅かったようね」

「は? 遅かったって、どういうことですの?」

 そしておもむろに己の下腹部にそっと手を当てながら、本日最大の爆弾発言を投下する、白衣美人。


「実は私のお腹の中には、カズ兄の子供が宿っているの」


 な、何だと⁉

「ちょ、ちょっと! 言うに事欠いて、何ということを! 悪ふざけでしたら、許しませんよ⁉」

 これまでの落ち着き払った態度が嘘だったかのように、泡を食って双子の姉を問い詰める妹殿。

「本当よ。考えても御覧なさい。男と女が五年間も、事実上二人っきりで暮らしていたのよ。何もないほうがおかしいでしょ。それに記憶喪失になったことで本家はおろか自分の家族からも見捨てられてしまったカズ兄にとっては、私だけが生きるよすがだったんだから、私に対して絶大なる依存心と思慕の念を抱いてしまうのも、至極当然の成り行きじゃない」

 それを聞いてキッと僕のほうを睨みつけてくる、元婚約者殿。

 ……いや、そんなに責められても。すべては催眠誘導装置とやらの仕業であり、わたくしにはまったく記憶がございませんので。

「というわけで、今更カズ兄をあなたにお返しすることはできないの。残念だったわね。でもこれもすべてはたかが記憶喪失になっただけだというのに、巫女姫のプライドだか本家次期当主の意地だかのために、五年間もカズ兄を放ったらかしにしていた、あなた自身が悪いのではなくって?」

「くっ」

 いかにも痛いところを突かれたかのように言葉に詰まる、妹殿。

「……ちょっと待ってくれ。確かに自分の子供が知らぬ間にできていたこともショックだけど、それよりも何よりもこれまでのタイムトラベルがすべてインチキだというのなら、僕はもう五年前の元の時代には戻ることができないってことなのか? これからこんな自分の与り知らぬところで何もかもが変わり果ててしまった世界で、生きていかなければならないってわけなのか⁉」

 思わず口をついて出た僕の心からの悲痛な叫びに、喧々諤々の口論をし続けていた双子の姉妹が押し黙る。

 特に同じようにこの五年間をまったくの無為無策で過ごしていたために取り返しのつかない事態を招いてしまった妹のほうは、鮮血のごとき深紅の唇を噛みしめ慚愧の念を隠そうともしなかった。

 このまま重苦しい空気に覆い尽くされるばかりかと思われた、まさにその時。


「いいえ、そんなことはないわ。生きた量子コンピュータとも呼び得る時詠みの巫女姫の『世界の入れ替え能力』だったら、あなたをちゃんと元の五年前の世界に送り届けることができるのだから」


 思わぬ言葉に咄嗟に振り向けば、白衣美人の縁なし眼鏡の奥の黒曜石の瞳が、いかにも思わせぶりに艶然と微笑んでいた。

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