三、夢告げ。

「何をいつまでもボケッとなさっているのです。さっさとしゃきっとなさいませ。──カズにいさま

 突然すぐ間近でささやかれた幼い声に、僕はもうろうとした夢心地の状態からたちまち我に返った。

 目の前にいたのは年の頃八、九歳くらいの、つややかな長い黒髪に縁取られた日本人形そのままの愛らしい小顔にツンとすました勝ち気な表情を浮かべた、純白のワンピース姿の絶世の美少女であった。

 きつい言葉を突きつけながらも、こちらを見つめるつぶらな黒曜石の瞳の奥に見え隠れてしている、どこか不安げな色。

「……もしかして……みつ……ちゃん?」

「まあ、兄様ともあろう方が私とすずの区別がつかなくなるなんて、よほど重症のようですわね。頭の打ち所でも悪かったのですか?」

 そう言ってプイッと横を向く少女の言葉に、今まさに地面に尻餅をついた形になっている自分の身体が純白のカッターシャツと紺色のスラックス姿の十二、三歳ほどの少年のものであることと、頭部に原因不明の鈍い痛みがうずき続いていることに気がついた。

「あはははは。しかたないでしょ? カズにいったら私が暴投してしまったバスケットボールから光葉を身を挺して守ろうとして、頭に直撃を受けてぶっ倒れて気を失っていたんだから。光葉だって本当は感謝しているくせに、そんなきつい言い方ばかりしていたら駄目じゃない」

 突然僕らの会話に割り込むようにして焦げ茶色のボールをドリブルしながらやって来たのは、ボブカットの黒髪と端整な小顔を覆う縁なし眼鏡以外は目の前の少女と瓜二つの、Tシャツとホットパンツで小柄な肢体を包み込んだボーイッシュな女の子であった。

「す、涼華ったら。私は別に、兄様に感謝など!」

 真っ赤になって焦りながら双子の姉へと言い返す、妹殿。

「……ああ。僕は大丈夫だよ。別にどこにも異状はなさそうだし。心配かけて悪かったね。さあ、続きをしようか」

 その時いかにも場を和ませるようにして言葉を紡いだ僕の姿に、ようやく心からホッとした表情となる双子の姉妹。

 そうしていつものようにくさなぎ本家の邸宅の広大な中庭での幼なじみ同士の玉遊びを再開しながら、僕は心の中で確信していたのである。


 自分が確かに、過去へのタイムトラベルに成功したことに。


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 平安時代以前から続く我が国においても名家中の名家である我がくさなぎ家には、一風変わった風習があった。

 それは本家に双子の女児が授かった時に限り、必ず分家から歳の近い男子が『やく』に選ばれ、将来当主となる彼女たちの側近くで面倒を見ていくというものである。

 それというのも代々草薙家では双子の女児が誕生するごとに特に興隆を極めてきたので、彼女たちの出生は吉兆の象徴しるしとされ、その健やかな育成には一族の総力を挙げることを習わしとしていたのだ。

 もちろんすずみつの二人が生まれた際も同様で、すぐさま筆頭分家の嫡男であった僕がいまだ四、五歳という幼なさにかかわらず守り役に指名され、彼女たちが小学校に上がると同時に正式にお世話係として引き合わされたのである。

 姉でありどこかませたところのある涼華のほうはすぐに懐いてくれたのだが、いかにも名家のお嬢様然とした妹の光葉のほうは、幼いながらもすでに尊大な態度を垣間見せ常に何だか不機嫌そうな顔をして、僕に対していつまでたっても気を許そうとはしなかった。

 とはいっても長い年月を三人一緒に過ごしているうちに僕らは本家とか分家とかお嬢様とか守り役とかにかかわらず、極親しいまさしく『幼なじみ』と呼び得る関係になっていったのだ。

 ただし、明け透けな性格で夢とロマンと科学を愛し僕同様にSF小説ファンである涼華とは、特に昵懇ツーカーな間柄になったのに対し、何よりも現実性リアリティを尊び読書もミステリィ小説一辺倒の光葉とは、やはりどこか馬が合わないままであったが。

 そんなある日、僕は草薙家に伝わる、もう一つの習わしを知ることとなった。

 何でも守り役となった分家の男子は事実上本家の当主と見なされる、『巫女姫』に選ばれた双子の片方と結婚する定めにあるのだと。

 しかもどちらが巫女姫に選ばれるかも、守り役次第なのだと。

 それを聞いて、僕はすべてを理解した。

 自分は涼華の夫になるためにこそ、守り役に選ばれたのだと。

 何せ涼華のほうとは何かにつけ気が合うものの、もう一人の双子の片割れである光葉のほうはどうにも僕のことが気に入らないようで、たとえ彼女が巫女姫に選ばれても僕と結婚してくれそうには思えなかったし。


 しかしそんな僕の予想を裏切るようにして、姉妹がそろって十二歳の誕生日を迎える頃に至ったまさにその時、三人の運命が激変してしまったのである。


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 その夜僕は、何とも奇妙な夢を見た。


 一言で言えばそれはくさなぎ家の傘下企業における商取引に関することで、いまだ高校生でしかない身には理解の及ばぬところも多々あったものの、要約すればA社とB社とのどちらと事業提携を結べばメリットが大きいかといったものであった。

 しかもどうやらこれは未来の光景らしいのだが、不可解なことにも僕の目の前には次々と、『A社を選んで成功した未来』や『B社を選んで成功した未来』や『A社もB社も選ばないで成功した未来』等を始めとして、数えきれないほどの無数の未来の有り様が走馬灯のように展開されていったのだ。

 とはいえ、そこはそもそも時間と空間の概念自体が存在しない、夢の中といったところか。すべてはあたかも一瞬の出来事のようでありながら、その癖ちゃんと僕の記憶に刻み込まれていったのだ。


『──どう、初めての「ゆめげ」は。楽しんでいただけたかしら?』


 あまりに尋常ならざる怒濤のような情報の奔流に、夢の中だというのに呆気にとられて立ちつくしていたまさにその時、突然すぐ間近からささやきかけてきた涼やかな声。

「──って、みつ⁉」

 振り返ればそこにいたのはこの春に小学六年生になったばかりの、親愛なる双子の姉妹のうちの妹のほうの少女であった。

 ただしその華奢な肢体を包み込んでいるのがびゃくばかまからなるいわゆる巫女装束であるという、何とも珍妙な出で立ちであったが。

 しかもいつもはツンとそっぽを向いてばかりいるはずの日本人形のごとき端整な小顔が、どこか神々しさをかもし出しながら僕のほうをただひたすら見つめ続けていることに何だか落ち着かなくなり、思わず声を荒らげてしまう。

「な、何だ、その奇妙な格好は? それにどうしておまえがいきなり、僕の夢の中に出てくるんだ⁉」

『だってこれは、私がお見せしている夢なのですもの』

「はあ?」

 更なる意味不明な言葉にきょとんとなれば、何と少女が自ら僕の両手を握りしめてくる。

「なっ、ちょっと、光葉⁉」

『──おそらく明日にでも本家からお呼びがかかると思いますが、その際には今宵この夢の中で御覧になったことを、包み隠さずすべてお語りくださいませ』

「へ? それって……」

 面食らう僕へと向かって、少女がおもむろに微笑んだ。

 現実世界ではほとんど目にしたことのなかった彼女の笑顔は、まさしく大輪の花が咲き誇るかのようにあでやかであった。


『本当によかった。私のほうが「ときみの巫女姫」に選ばれて、こうしてカズにいさまの夢の中に現れることができて』


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 次の日早朝からいきなりくさなぎ本家より迎えの車が来て、僕は御当主様を始めとする本家重鎮のお歴々の御前へ引き立てられるようにして連れて来られるや、奇妙なことを問いただされた。

 昨夜見た夢の内容を、細大漏らさずに話すようにと。

 夢の中でのみつの言葉との不思議な符合に驚きながらも、覚えている限りのことを包み隠さず話せば、労をねぎらわれるとともに豪勢な食事を振る舞われ、帰りもちゃんと家まで車で送り届けてくれたのだ。

 ただしその間光葉自身が姿を見せることは、一度もなかったが。

 のちに伝え聞いたところでは、一族の傘下企業の新規の事業提携が大成功を収め、莫大な利益がもたらされたという。


 それからすぐであった。僕と光葉との婚約が取り決められて、一族挙げての大祝宴が催されたのは。


 僕にとってはあまりに寝耳に水の縁組みであったものの、分家の小せがれごときに本家の決定に対して拒否権なぞあるはずもなく、あれよあれよという間に本家の御殿のようなお屋敷の大広間の上座の席に光葉と並んで座らされて、本家分家を問わぬ一族郎党の皆様から口々に祝辞をお受けする有り様となった。

 祝宴の間中光葉のほうは相も変わらず不機嫌な顔をしてばかりで、僕のほうを振り向くことすら一度もなく、婚約したことを喜んでいるようには到底思えなかった。

 やはりこれは家同士が勝手に決めたことで、彼女にとっては不本意でしかないのだろうかと、僕はすっかり気落ちしてしまった。

 だから、気づかなかったのである。

 広間の末席で誰からも相手にされず一人ひっそりと座っていたすずが、これまでにない思い詰めた表情をしていたことに。


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 そして祝宴がつつがなく終了した後で、余人を交えず本家の現当主であられるすずみつのお父上に呼び出された際に、僕は初めてくさなぎ家の秘密を明かされたのだ。

 何と本家において稀に生まれる双子の娘のうちの一人は、初潮を迎えるとともに予知能力に目覚め、以降『ときみの巫女姫』として一族の繁栄の象徴として尊ばれていくというのであった。

 しかも巫女姫は自分が最も信頼する守り役の夢の中でしか未来予知を行わないのであり、それゆえにその者は『かた』と呼ばれるとともに巫女姫の伴侶として、一生お側近くに仕えるのを習わしとしていた。

 つまりこの僕こそが今回、時詠みの巫女姫として覚醒した光葉の語り部──言わば、事実上の夫として選ばれたというわけであった。

 なぜ巫女姫がいちいち語り部の夢を通すといったまどろっこしいことをせずに、普通に自分の口から直接予言を語らないかというと、それは何よりもこの世界の現実性リアリティを守るためなのである。

 SF小説やファンタジー小説やライトノベルでもあるまいし、女の子が突然未来予知なんかをし始めたら、その瞬間現実性リアリティもへったくれもなくなり、文字通り何でもありのはちゃめちゃな世界になってしまうであろう。

 この世界自体が物理法則に支配されている限り、未来予知も物理法則に基づかざるを得ず、一見矛盾しているようだが、現実が現実としてしっかりしているからこそ未来予知をすることができるのである。それが物理法則も何も通用しない有り様となってしまったのでは、そもそもまともな未来の予測なぞ不可能になりかねないのだ。

 更には少々ずるい考え方ではあるが、自分たちだけが未来予知ができるという優位性を保つためにも、その他においては平穏なる日常性を失わないよう、物理法則等の現実性リアリティは堅持すべきなのである。

 よって未来予知はあくまでも語り部が『時詠みの巫女姫から未来予知を語られた』という、いわゆる『ゆめげ』とでも呼び得る形をとるべきなのであり、このやり方ならば巫女姫の予知によって一族が現に利益に与ろうとも、「これは語り部が勝手に夢を見ただけなのであり、その通りにしたらたまたまうまくいったのだ」と頑として言い張ることで、この世界の現実性リアリティを守り抜くことができるのだ。

 そのためいかに巫女姫自身といえども、現実世界においては未来予知の内容について言及することは一切許されず、その結果すべては語り部の胸三寸となり、たとえ彼が自分の都合のいいように嘘の予知を語ろうが誰にもその真偽を確かめられず、好き放題にすることも可能なのであった。

 そしてだからこそ巫女姫はまさしく己の生涯の伴侶ともなり得るほどに最も信頼に値する者の夢の中でしか未来予知を行わないのであり、このことからも語り部が巫女姫の夫として選ばれるのは当然の仕儀とも言えよう。

 またこの現実性リアリティの徹底的な堅持については、未来予知の内容の在り方においても如実に現れていた。

 実は巫女姫が語り部の夢の中で夢告げの形で行う未来予知とは、けして唯一絶対の『神託』なぞではないのだ。

 それはすでに僕が実際に見せられた夢告げのように、いわゆる『あらゆる未来の可能性の予測シミュレート』とでも呼ぶべきものなのであり、データさえそろっていれば現実に存在する超高性能コンピュータによっても十分実現可能なことであった。

 ひょっとすると時詠みの巫女姫とは、自分の夢の中で未来等の可能性として存在し得る多元的な世界を半ば無自覚にシミュレートして観測することのできる、言わば『生きた量子コンピュータ』とも呼び得る存在なのかも知れない。

 というか、そもそもたとえ神懸かりなたった一つの『予言』を為し得たところで、むしろそちらのほうが容易に覆されかねないのだ。

 例えば『明日あなたは分かれ道を右に曲がり大事故に遭う』と予言されたとしたら、馬鹿正直に右に曲がる者なぞいないであろう。

 間違いなく予言を受けた者は次の日に分かれ道に差しかかったら右以外の道を選ぶことになり、その結果予言者の予言は見事に外れてしまうことになるのだ。


 つまり結局のところ、未来を切り開いていくのはあくまでも人間自身なのであり、それゆえに人の意志や行動によってこそ、未来はいくらでも変えていくことができるのである。


 事実僕が光葉に見せられすでに本家の重鎮に伝えた夢告げの内容も、唯一絶対の『巫女姫様の御神託』なぞではなく、一族傘下の企業が間近に迫った重要な業務提携において、『どんな企業を相手として選ぶ可能性があるか』、『その場合のメリットとデメリットはどうなのか』、『提携後の事業展開はどうすべきか』、等々多岐にわたるもので、結局は傘下企業の経営陣自身が僕が与えたデータに基づいて具体的に戦略を詰め最終判断を下したのであり、利益を上げ得たのはあくまでも彼らの手腕によるものなのだ。

 このように薄氷を踏むような危うさで現実性リアリティを守りつつ、その後も光葉は僕の夢の中で夢告げを繰り返し、そしてそれを遅滞なく本家へと伝えることで、僕は語り部としての任をつつがなく果たしていった。

 ちょうどその頃である、すずが本家を出て彼女のためだけに建てられた風光明媚な山あいにある研究所へと居を移し、それ以来学校にも行かず引きこもってしまったのは。

 一見いかにも妹の光葉のほうが未来予知の力に目覚めたために、もはや彼女が時詠みの巫女姫になる可能性がなくなったことにより、これからは自由に振る舞うことが許され以前から望んでいた研究尽くしの日々に自らのめり込んでいったようにも見えるが、うがった見方をすれば、妹とは違って『無能』であることが判明した役立たずの姉娘のほうを体よく本家から追い出してしまったようにも思えるのは、考え過ぎであろうか。

 ただしこのように僕ら三人の立場はこれまでとは大きく様変わりしてしまったものの、少なくとも表面上は相も変わらず幼なじみ同士として付き合い続けていて、僕自身も暇さえあれば涼華の研究所を訪れ量子論やSF小説について語り合ったりしているし、このたび晴れて婚約者同士の間柄となった光葉のほうも夢の中以外は以前通りのツンケンぶりで、まともに会話をすることすら数えられるほどしかないといった有り様のままであった。

 そんな中においても三人共に成長していき、僕は念願叶って物理学の権威であるきゅう大学に入学し、涼華は何と独力で量子コンピュータの開発を果たし国際的に脚光を浴び、そして光葉が十六歳の誕生日を迎えいよいよ正式に僕との結婚式を挙げようとした矢先に、御存じの通り僕は涼華の口車に乗って五年後の未来へと旅立つことになったのである。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「……ちょっと、待て。これって本当に、過去へのタイムトラベルなのか?」

 すでに数十回目となる精神体のみによる時間跳躍タイムリープを終え、現代(つうか僕にとっては五年後の未来)へと戻ってきた僕は、漆黒のカプセルベッドのガラス製の上蓋を開けながら、当のタイムマシンの開発者である白衣美人に向かって問いかけた。

「はあ? 今更何を言っているの、カズにい。今回もちゃんと過去に行けたんでしょ?」

「ああ。確かに記憶通りの過去には行けたんだけど……」

「だったらいいじゃない」

 いまだカプセルベッドの中で座り込んでいる僕を見下ろしながらしれっと言ってのける御本家のすずお嬢様のしらじらしい態度に、ついに僕の堪忍袋の緒が切れた。


「いや、よくないよ! これじゃ記憶通り過ぎるよ! 何でタイムトラベル中にはまったく自分の意志で行動できず、まるでビデオか何かの再生プレイを繰り返すような状態になってしまうんだよ⁉」


 広大な研究室中に響き渡る、僕の魂からの叫び。

 そうなのである。過去へのタイムトラベルができると聞いて、これで元の世界に戻れると喜んだのは当然のこととして、そのためにも試験的にもっと過去の時代へのタイムトラベルを繰り返す必要があるということで、だったら以前からいろいろと心残りになっていたことをやり直せるかも知れないと期待していたのだが、いざ実際に過去へ行ってみればまったく自らの自由意志では行動できず、まさしく小説や映画等の回想シーンの登場人物そのままに、あたかも与えられた役をすでに決定されたシナリオ通りに演じ続けるような有り様であったのだ。

 そんな不満げな青年に対し縁なし眼鏡の女性科学者のほうは、むしろいかにもあきれ果てかのように深々とため息をついた。

「まったく。三流SF小説あたりのインチキタイムマシン設定に、すっかり毒されてしまっているんだから。あのねえ、過去へのタイムトラベルというものは、そもそもそういうものでしょうが?」

「はあ?」

「例えばあなたが最初に過去へタイムトラベルをした時に、私たち三人の人間関係が自分の記憶とまったく違っていたとしたら、どう思う? あなたはそれを本物の過去の世界だと認められる?」

「え? いや、そりゃあ何かの間違いか、パラレルワールドにでも飛ばされたんじゃないかと思うけど……」

「そうでしょう? なのにあなたはせっかくの記憶通りの正しい過去を、自らの手で間違いの過去か別の過去パラレルワールドに変えてみたいと言っているも同然なの。いい? 過去というものは一度でも変更を加えてしまったら、後は未来へ向かってとどまることを知らず変化し続けるしかないのよ。しかも今回のように多世界間のシンクロ率の誤差を調整するために過去へのタイムトラベルを繰り返している場合においては、過去に行くごとに変更を加えていたのではあなた自身の記憶の最終地点である今から五年前の状況を大幅に変貌させてしまって、最大の目標である『今回のタイムトラベルの出発点に戻ってすべてをやり直す』ということ自体が不可能になってしまうわけ」

 ──っ!

「いやでも、SF小説なんかじゃ過去に行っていろいろと改変を加えても、ちゃんと元の時代に戻れているじゃないか?」

「だ・か・ら、SF小説のタイムトラベルなんて、現実性リアリティ無視のインチキでしかないってことなのよ。あんなでたらめなやり方で、真の時間移動なんて行えるはずがないの。それに対して今回私たちが行っているのは、あくまでも現実性リアリティに基づいた実体を伴わない精神体のみの時間転移なんだから、そもそも過去の世界に物理的に改変を加えることなんかできっこないってわけなのよ」

 うわっ。何でこの人執拗に、SF小説のことを全否定するの?

 ……まあ確かに、本職プロの科学者からしてみれば、SF小説なんて読めたものじゃないのはわかるけどね。

「そうは言っても、僕にとっては今まさに未来へのタイムトラベル中であるというのに、ちゃんと自由に行動できているじゃないか?」

「当然でしょ? 未来は現代同様に、これから歴史を創っていくんだから。つまり人の意志すらも今この時作られているのであり、過去から送られてきた精神体であるあなたの意志や行動自体が、この時代のあなたの意志や行動そのものになるってわけなの」

「お、おい、だったら最終目標である五年前の出発時点──つまり今この時よりも『過去』に戻れたとしても、僕は何ら自由に行動することはできず、結局同じことの繰り返しになるのか⁉」

「ああ、それなら大丈夫。今ここにいるあくまでも五年前の精神体としてのあなたの主観では、五年前以降の世界は未来になるのだし。それに前にあなた自身が指摘したようにその時点からあなたが前後不覚の有り様になったのは、今回の精神体のみのタイムトラベルのせいで文字通り魂が抜け落ちた状態になったようなものだから、あなたの精神体が無事復帰したら言うなれば元通りの状態になるわけであり、ちゃんと自由に行動できるようになるから」

「だけど僕が正気を取り戻すということはそれ以降の歴史を変えることになるわけで、さっきのお説によればこの時代にまで改変を及ぼしてしまうことになるんじゃないのか? 下手したらこの未来世界そのものが、丸ごと消滅したりするんじゃないだろうな?」

「あのねえ、そこのところは前提条件から違ってくるの。さっきの話をひっくり返すようで悪いんだけど、やろうと思えばあなたのリクエスト通りに、いくらでも改変を加えることが可能な過去の世界に送ることだってできたの。いわゆるこれぞ先ほどちらっと話に出た『パラレルワールドの過去』であり、そもそも多世界解釈に則って可能性として存在し得るすべての世界とシンクロできる私の開発したタイムマシンなら、パラレルワールドに人の精神体を転移することなんてお手の物なんだし。でもねえ、あなたの最終目標はパラレルワールドなんかじゃなく、間違いなく自分が元いた五年前の世界に戻ることなんでしょ? だからこそ私はあなたにとっての本物の過去──つまり、『同一時間軸上の過去』への転移を繰り返させていたの。よってそこでは未来からあなたの精神体が転移してきたなんて事実はないのだから、いくら当時の自分自身の肉体に憑依しようが自由に行動し歴史に改変を加えることはできなかったわけなのよ。それに対してあなたが無事帰還を果たして正気に戻ってしまう五年前の世界は、私たちのこの未来世界にとってはパラレルワールドでしかなく、いくら改変を加えようが何の影響も受けやしないの。なぜなら私たちにとっての同一時間軸上の五年前の過去とは、あくまでもあなたが前後不覚になってしまう世界なのだから」

 ううっ。ここにきてパラレルワールドまで持ち出してきやがって、完全に頭がこんがらがってしまったじゃないか。

 まあ、言っていることは一応理に適っているし、おっしゃる通りとしか言えないんだけど、何かすべてが僕や涼華にとって都合が良過ぎるように思えるのは、果たして気のせいなのだろうか?

「──というわけで、過去への試験的タイムトラベルも十分こなしたことだし、これでもうシンクロ率のほうも大丈夫なはずだから、このまま一気に五年前の出発時点へのタイムトラベルを実行しようと思うんだけど?」

「ええっ。今この場でやるわけ⁉」

「別に構わないでしょう? せっかくこうして準備も整ったんだから。カズ兄だって一刻も早く、元の時代に帰りたいんでしょ?」

「……それは確かに、そうだけど」

「さあ、善は急げよ。さっさとタイムマシンに入って、蓋を閉めてちょうだい」

 何なんだいったい、この慌てようは。まるで急がないと、邪魔が入るとでも言わんばかりじゃないか。

 そのように僕が疑問を感じながらも再びヘルメットを被り、カプセルベッドへと身を沈めようとした──その刹那であった。


「──駄目よ! タイムトラベルなんて非現実的なことは、この『きょうかいせんしゅしゃ』がけして許しはしないわ!」


 突然研究室中に響き渡った妙齢の女性の声に振り向けば、何と開け放たれた入り口の手前で仁王立ちしていたのは、びゃくばかまという巫女装束に身を包んだ、くさなぎ御本家のお嬢様にして僕の元婚約者殿であったのだ。

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