第7話 砦の魔術師
エルバニア帝国は四方を他の小国に囲まれた内陸国である。その中で、ノッカ村はウルクスタン王国に接する南部の辺境マダラス地方に位置している。
山岳部が国土の半分以上を占めるウルクスタンは数少ない鉱物資源を利用して高性能な武器を製造し、度々エルバニアに侵略を試みてきた。エルバニアもウルクスタンの資源目当てに兵を送り込んでおり、その戦いは俺がウルクスタンに住んでいた頃から続いている。
マダラス地方の南部、国境線沿いには乾燥した平野が広がっている。かつては村落もいくつかあったが、何度も戦いが繰り返されるせいで人々は住処を追われた。
その国境線沿いにウルクスタンが強固な砦を築いたということで、エルバニアの軍部が砦の占領に躍起になっているという状況だという。
「──ということなのですが、ご理解いただけましたか?」
馬を並走させながら、アルカヴァリオは戦いの背景や現状を説明した。
家から出発して丸二日。俺たちはほとんど不眠不休で馬を飛ばしていた。俺とアルカヴァリオは問題ないが、後続の騎士たちの顔には疲れが見える。
二日の間にエルバニアが抱える問題や戦況について、俺はアルカヴァリオから耳にタコができそうになるほど細かく聞かされていた。軍部の都合などどうでもいい俺にとっては、あまり関係のない話なのだが。
「理解した。それで、俺は砦の制圧を支援するだけでいいんだな?」
「はい。平野における戦線は我々が何とか維持します。ただ願わくは、ヤスヴァル殿には我々が敵を食い止めている間に砦内部へ侵入し、魔術師を討ち取っていただきたいのです」
家でも聞いた話だが、砦を丸ごと防御できるほどの力を持つ魔術師は今時竜より珍しい。少し手こずるかもしれないと、俺は馬上で身を引き締めた。
「間もなく見えます!」
アルカヴァリオが鋭く言った。遠くから聞こえてくる鬨の声が徐々に大きくなり、目の前に戦場が近づいていることを俺たちに告げている。
小さな林を抜けると、途端に視界が開けた。
次の瞬間、顔に乾いた熱風が吹きつけた。
至るところから火の手が上がり、剣や盾を打ち合わせる音が響いてくる。
人間と人間が殺意をぶつけ合い、溶鉄のように熱く醜い感情が渦巻くそこは、紛れもなく戦場だった。
「まずは戦線を指揮している将軍の下へ参りましょう。そこで作戦を練って──」
アルカヴァリオがすべて言い終える前に、俺は馬を下りて脱兎の如く駆け出していた。悠長に作戦を練っている時間が惜しい。さっさとエルのもとに帰りたいのだ。
アルカヴァリオの後ろから騎兵が追ってきたが、馬蹄の音はすぐに遠のいた。
多少疲れはするものの、馬に乗るより自分で走った方が小回りが利くし、何より速い。
「何だあいつは!?」
「止めろ! 砦まで行かせるな!」
矢のように疾駆する俺に驚いたウルクスタンの兵士たちが立ち塞がる。
俺は剣を鞘ごと腰帯から抜き、棍棒のようにして敵兵を打ち据えた。致命傷を与えることはできないが、俺の仕事は兵を減らすことではない。これでも問題はないだろう。
背中と脚に何本か矢を受けたが、走りながら抜いて構わず敵をなぎ倒す。俺の心境は淡々と田畑に鍬を打っているときのようで、激しい殺意も死への恐怖もない。戦場にあるべき感情がない俺の挙動は、敵からすれば恐ろしいに違いない。その証拠にかなりの数の兵士が俺の前で尻込みし、砦への道を開けてくれた。
思ったより早く砦を囲む外壁の前にたどり着いた。外壁の上から飛んでくる矢を躱しながら全体を見る。
正門では先の尖った巨大な丸太──破城鎚を持った複数の兵士が扉を破ろうと丸太の先端を門に叩きつけている。門は鉄でも何でもなく、金具で補強しただけの木製の扉だったが、どういうわけか傷ひとつ付いていない。おそらく件の魔術師に仕業だろう。
破城鎚が効かないとなると、さすがに正面突破は難しい。アルカヴァリオの話では、外壁にはネズミ一匹出入りする隙もないというから、脆い部分を切り崩して侵入するのも諦めた方がよさそうだ。
そうなると、やはり外壁を登るよりほかない。
「とりあえずやってみるか」
俺は近くに転がっている兵士の死体から槍を拝借し、外壁に向かって思い切り投げつけた。積み上げられた石材の隙間に、槍の穂先が上手く滑り込む。さすがに外壁全体に結界を張り巡らせてはいないらしい。
ならばあとは簡単だ。俺は最初に打ち込んだ槍の斜め上に、別の槍を拾って打ち込んでいった。外壁に突き刺さった槍がちょうど階段のように並んで、外壁上部への道となった。
「あいつ、まさか!?」
「お、おい! 早く岩を持ってこい! あの槍を折るんだ!」
外壁の上で兵士たちがあたふたし始めたがもう遅い。
「よっと」
俺は壁に刺さった槍を踏んで、階段を駆け上がる要領で次の槍まで跳躍した。
頭上から雨あられと矢が降ってくるが、頭を貫かれようが肩を射抜かれようが気にせず上っていく。
最後の槍を力強く踏み締め、外壁の遥か上まで跳躍。落下の勢いを利用して、防衛の指揮を執っていると思しき兵士の頭上に鞘付きの剣を振り下ろす。昏倒する指揮官を横目に見ながら呆気に取られている弓兵を一掃し、無事砦の内部へ侵入した。
「敵が侵入したぞ!」
「西側に兵を集中させろ!」
四方八方からわらわら敵兵が湧いてくる。壁の外側で戦っている兵と合わせたら万は下らない数だ。戦のことはよくわからないが、兵力を見る限りここは相当重要な拠点に位置付けられているのだろう。
俺の前に現れたのは人間の兵士だけではなかった。硬い地面からボコッと人間の手の骨が無数に飛び出したかと思うと、錆び付いた兜を頭に置いた骸骨兵がぼろぼろの剣と盾を手に襲いかかってきたのである。この平原で延々続いている戦争で命を落とした者たちの魂を利用しているに違いない。
反魂の魔術はエルフの間で禁忌とされているため、魔術師の正体は人間、またはエルフの中でも異端者か。どちらにせよ、かなりの手練れのようだ。
死者の兵の実力は人間の兵に劣るため大した問題はないが、魔術師の場所を特定しないことには出現に歯止めをかけられないのが厳しいところだ。
問題は魔術師がこの広い砦のどこにいるかである。いちいち建物内を隈なく探すのは面倒臭い。
俺はポケットから群青色の宝石が付いた指輪を嵌めた。家の武器庫から持ち出した代物で、宝石が魔力に反応して光るようになっている。光が強くなる方へ向かえば、自ずと魔術師のもとへたどり着けるはずだ。
押し寄せる敵兵をなぎ倒しながら移動し、指輪の石を確認する。
砦の北側に向かったところで、石の輝きが強まった。
「こっちか」
北に向けて足を速めながら、相手が人間だろうと骸骨だろうと関係なく鞘付きの剣で退ける。兵士たちは連携が取れておらず、死者の兵士が勝手気ままに動き回るせいで攻め方もちぐはぐだ。崩すのは容易い。
指輪の光はどんどん強くなっていく。それに連れて地面から湧いてくる死者たちも歩兵だけでなく、騎兵や犬まで現れ始めた。もはやまともな人間の兵士は俺の周辺に一人もいない。まるで地獄で戦っているかのようだ。
だが、これはむしろ好都合だった。エルが案じていたように、俺もできるだけ人を殺したくはない。人形のように操られている骸骨が相手なら手加減は不要である。
鞘から剣を抜き、死者たちを片端から斬り伏せながら前へ前へと突き進む。エルフの魔術で鍛えられた祝福の剣によって死体は解呪されるため、骸骨兵は一度斬ればその場で糸の切れた傀儡のように崩れて元には戻らない。俺の後ろには瞬く間に骨の山が作られた。
ようやく体が温まり、汗が頬を流れ始めた頃、目の前に木製の大扉が見えてきた。扉を斬り壊し、砦の最奥へ侵入する。
そこには、闘技場を思わせるような何もない空間が広がっていた。どういうわけか亡者は一体もいない。
代わりに、如何にも魔術師然とした漆黒のローブを纏う人物がいた。
異様につばの広いとんがり帽子を目深に被っており、顔は見えない。
「お前がこの砦を防衛している魔術師か」
「…………如何にも」
魔術師の声はまるで洞窟内で大声を出したときのようにウワンウワンと反響して、俺の耳に届いた。歪んだ声のせいで性別すら判然としない。
「あれほどの亡者の大群を退けるとは……お前、ただ者じゃないな?」
「お前こそ、あれだけの死者を操りながら砦に結界まで張り巡らせるとは大したものだ。だが、それもここまでだ。私怨はないが、ここで討ち取らせてもらう」
「余程自分の腕に自信があるようだが、もう勝った気でいるのか?」
「そのつもりでいる」
「ふふふ……あなた、少し性格が変わったわね」
突然口調が変え、意味深長な言い方をする魔術師に俺は首を傾げた。
こいつは俺のことを知っている──?
次の瞬間、俺はハッとして後ろに飛び退いた。
俺の立っていたところに無数の大剣が降り注いだのだ。
およそ人間が使うものとは思えない、俺の背丈の倍はある巨大な剣が縦横無尽に宙を舞い、俺を串刺しにしようと飛来してくる。
「ほら! もっと速く逃げないとトゲネズミみたいになるわよ!」
魔術師は哄笑しながら大剣を俺にけしかける。
これほどの剣を何振りも一遍に操るとは、魔力だけならシルヴァにも匹敵するかもしれない。
だが、剣を操ることに集中し過ぎて防御が疎かだ。
俺は無防備な魔術師に向かって突撃する。
「そう簡単にはいかないわよっ!」
魔術師の剣の内、四振りが俺を追うのをやめ、奴の周りの地面に突き刺さった。
瞬く間に魔術師を中心とする魔方陣が剣によって形成され、周囲に青い稲妻を放つ。
「ぐあっ!」
稲妻の直撃を受け、全身に激しい熱が走る。
雷撃の威力は普通の人間なら即死する域に達していた。
「隙があったら罠かもしれないって考えた方がいいわよ。そういうところに頭が働かないのは相変わらずね」
まただ。まるで俺のことを知っているような口振り。
魔術師と呼ばれる者たちには何度も会っているが、もう何百年も前の話だ。
知り合いはとっくに死んでいる。
「お前、何者だ。どうして俺のことを知っている」
「そうね……私に勝ったら教えてあげる!」
魔術師がバッと両腕を広げた瞬間、天空から雷がゴロゴロという音を響かせて降ってきた。俺の脚でも回避が間に合わず、魔術を打ち消す剣でなんとか防ぐ。
しかし雷にばかり気を取られていると、飛来する剣を躱しきれない。剣はあまりにも大きく、一振り一振りの衝撃はまるでトロルが振るう棍棒のようで、とても剣では受けられない。
「ほらっ! 避けてばかりじゃ勝てないわよ!」
喋り方からしておそらく女。女で、俺のことを知っている魔術師。
……一人だけ心当たりがある。が、浮かんだ魔術師の顔をすぐに頭から追い払う。
いや、そんなはずはない。あいつと出会ったのは千年以上前だ。生きているはずがない。
だが、もし本当にあいつが生きていたとしたら──。
「試してみるか……」
本来なら子ども騙しもいいところの技。
しかしこの魔術師が俺のよく知るあいつなら、これ以上ないほど効果があるはずだ。
俺は魔術師から少し離れたところで動きを止めた。
不意に立ち回るのをやめた俺の意図を測りかねたか、魔術師も攻撃の手を休める。
「あら。本当に諦めちゃったの? どんなときでも手負いの狼みたいに食らい付いてくのがあんただったのに。そんな根性無しになり下がってたなんて、がっかりね」
「好き勝手言っていられるのも今のうちだ」
「首を差し出す覚悟でもできた?」
「いいや。お前を死ぬほど驚かせる準備ができた」
「何ですって?」
俺は素早くポケットからある物を取り出し、魔術師のすぐ手前の地面に放った。
バンッという破裂音と閃光が戦場を占め、魔術師は手で顔を覆う。
すぐに手を下ろし、魔術師は目の前に現れた物を見た。
そして──
「いぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
この世のものとは思えない悲鳴を上げた。
目の前に現れたのは、魔術師の体より一回りも二回りも大きい毛むくじゃらの蜘蛛だった。
もちろん俺に魔物を召喚するような高等魔術の知識も技術もない。これは魔石を使って見せている幻影で、触っただけですぐ消える脆弱なものだ。魔術師ならこの蜘蛛が幻影だとすぐに気づく。
冷静でいられればの話だが。
「いやあああああ!! 蜘蛛! 蜘蛛おおおおおおっ!! 来ないでええええ!! こっち来ないでええええええええええ!!!」
魔術師は完全に我を忘れた様子で、大剣や雷、槍や炎をすべて蜘蛛に注ぎ込んだ。あらゆる天変地異が一度に起こったような凄まじい轟音が耳をつんざく。これなら巨竜も殺せるのではないかという怒濤の攻撃である。
猛攻に巻き込まれないよう遠巻きに魔術師へ迫り──
俺は背後から首筋に剣の刃を添えた。
「ぎゃあああああああああああああああぁぁぁぁぁ…………あ?」
ひんやりしたものが首に当てられているのに気づくと、魔術師はべそをかきながらゆっくり両手を挙げた。
「……蜘蛛嫌いは相変わらずだな」
俺は呆れた言いつつ、魔術師のとんがり帽子を取った。
現れたのはローブと同じ漆黒の長髪が美しい女だ。
切れ長の目に、彫りの深い整った顔立ち。
白紙に落としたインクのような口元の黒子。
何もかも、俺がよく知る相棒の特徴と合致していた。
凜とした美貌が、今は涙と鼻水で台無しになっているが。
「久しぶりだな、ユト。まさか生きてるとは思わなかったよ」
俺の言葉に応える代わりに、魔術師ユトはズズーッと思い切り鼻を啜った。
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