第3話  無双の不死人

 群れの先頭にいたユキオオカミが咆吼と共に走り出す。

 無謀にも、俺の喉笛に食いつこうと飛びかかってきた。


 狼の突撃を刃で受け、鼻の先から尾にかけてを両断する。真っ二つになった肉体は血飛沫を散らしながら、村の外壁にベチャッという嫌な音を立てて叩きつけられた。


 だが、ユキオオカミは仲間の無残な死に怯えるような魔物ではない。後続の奴らも速度を落とさず、松明の間に立つ俺目がけて一直線に駆けてくる。どうやら俺を最初に殺すべき人間と認識してくれたようだ。


 できるだけ一箇所に留まらないよう移動しながら、津波のように俺を飲み込もうとする狼どもの群れを受け止める。

 同じところに留まれば囲まれ、剣をいくら速く振っても間に合わない。外壁の周囲を走り回って、飛び掛かってくる狼どもを着実に処理していく。


 頭を叩き斬り、腹を引き裂き、松明を口に突っ込み、槍で串刺しにし、首をへし折り、一頭一頭確実に殺す。

 血と脂にまみれ、何が何だかわからなくなっていくが、技の切れは鈍らない。頭は冴え、思考は冷え、剣の速度が増す。


 千年前、魔物狩りを共にしていた相棒が言っていたことをふと思い出した。


『普通、人は緊張や怒りに駆られると技の切れが鈍るものよ。無茶な使い方をして切れ味の鈍くなったナマクラみたいにね。けどあなたは違う。魔物を殺すたびに頭が冷えて、剣閃が加速する……特異な才能よ。怖いくらいね』


 そう。魔物を斬るほど心が静かになっていくのを感じる。

 魔物の穢れた血が熱くなる俺の頭を冷ましてくれているかのようだ。

 だからこそ、狼どもにもみくちゃにされているこの状況でも、周囲の様子がはっきり見える。


 俺を食い殺すのが難しいと判断した群れの一部が俺を避け、外壁に直行し始めた。

 壁に飛び付き、爪を立ててよじ登ろうとしている。


「させるか」


 俺は外套の内側から手斧を取り、投げた。

 斧の直撃を受けた狼がキャンッという悲鳴を上げて落ちる。


 続けて手近の槍を引き抜いて放つ。

 槍で貫かれた狼どもが壁に釘付けにされ、血を流す気味の悪い装飾と化した。

 松明の明かりも減り、闇に閉ざされた中でも、鋭さを増した感覚で狼どもの殺気を捉え、使えるすべての武器で返り討ちにしていく。


 一頭、二頭、三頭、四頭、

 五頭六頭七頭八頭九頭十頭、

 十一十二十三十四十五十六十七十八十九二十……。

 休むことなく突く。絞める。砕き割る。斬る斬る斬る斬る。


 俺の腕に食らいついた一頭の脳天に剣の柄尻を叩きつけたところで、ようやく俺は「フゥ」と息を吐いた。


 気が付くと、俺はユキオオカミの死体の山に立っていた。呼吸している奴は一頭もいない。正確な数は不明だが、三百頭くらいはいただろうか。

 こういう巨大な群れには狼どもを統べる主がいる。だいたい体格の大きい一頭が主として君臨しているのだが、見た目はどれも似たり寄ったりである。気付かないうちに殺してしまい、死体の山に埋まっているのか。

 それとも──


『やりおるな、人間』


 ゾッとするような重苦しい声が響いた。

 顔を上げると、いつの間にか雲の切れた夜空に月が浮かんでいるのが見えた。

 その月を背負って、積み上がった狼の死体の山に一際大きなユキオオカミが立っている。


 四肢を支える強靱な筋肉。

 口元から伸びる鋭く、長い牙。

 何より、漂う気配の濃密さがほかの狼とは明らかに違っていた。


『我が同胞をここまで無残に屠るとは。魔物狩りを名乗る愚かな人間を数多食らってきたが、貴様ほどの者は初めてだ』

「人の言葉がわかるとは大したものだ。命乞いでもするつもりか?」

『あまり我を侮るなよ。貴様が屠ってきた有象無象と我は違う』

「それは見ればわかる。だが、俺に殺されるという結果は変わらん」

『その威勢……いつまで続くか楽しみだな』


 ユキオオカミの主は徐に口を大きく開いた。

 口に赤い光が見えた瞬間、俺はその場から右へ飛び退いた。


 主の口から紅色の火炎が迸る。

 竜の吐く炎ほどの熱はないが、人の肉を焼き、骨にするには充分な火力だ。

 炎を躱したところで、俺は自分が下手を打ったことに気付いた。


 この炎はあくまで陽動だ。俺の虚を突き、回避を誘発するための。

 今まで殺してきたユキオオカミとは比べ物にならない速さで、主は俺との距離を詰めた。


 ガッ――。


 俺の首に、主の鋭い牙が突き刺さった。

 鋼すら噛み砕きそうな顎の力で、瞬時に俺の喉笛を潰す。

 そのまま首の骨を砕き、完全に息を止めようと力を込めてきた。


『たわい無い……所詮は脆弱な人間よ』


 首から流れ出る夥しい血を飲み、喉を鳴らしながら主は言う。

 グルルという低い唸り声は、狼特有の笑い方だろうか。

 獣のくせに、一丁前に自分の勝利を確信して笑っているのか。

 腹立たしいことこの上ない。

 力の差も弁えず、首の骨を砕いた程度で笑うなど。


『っ!?』


 飲み込んだ俺の血と一緒に、主は自身の血を喉奥から吐き出した。

 俺が手に持つエルフの聖剣が主を腹から背中まで貫いていた。


『ごほっ! あ……が……!?』


 掠れた呻き声と共に、主の牙が俺の首から離れた。

 俺は骨の欠片が交ざった血を大量に吐いた。

 ついでに主の牙に塗り込まれていた毒も吐き出す。


 自分の血と主の血と、これまで殺してきた狼どもの血で全身真っ赤だった。

 臭いもきつく、このまま家に帰ったらエルに閉め出されるのは確実だろう。


『馬鹿な……確実に息の根を止めたはずだ! 何故立っている!?』

「げほっごほっ……あー、あ、あ、ううん。うん、よし」


 喉の傷が癒え、発声を確認してから喋り出す。


「お前が殺し切れなかったからだろう」

『そんなはずはない! 間違いなく貴様の喉笛を潰し、首の骨を噛み砕いたはずだ! それで生きていられるはずがない!』

「残念ながらこうして生きてる。さっき言った通りだ。お前が殺される結末は変わらない。たとえ俺の全身を引き裂いたとしてもな」

『化け物め……!!』

「化け物はお前だろう」


 絶望を前にして、主は後ずさる。

 鋭い牙は健在だが、主の心は完全に折れているようだった。

 そんな主に情けはかけない。


 俺は主の目と鼻の先で身を屈め、顎から脳天を剣で貫いた。

 素早く引き抜き、続けざまに頭を叩き斬る。

 顔面を両断された魔物の主は、呆気なく死んだ。


「はぁ────…………」


 長い長いため息の終わりに、月を見上げた。

 見事な満月だ。綺麗な真円から白い光が漏れ出ている。

 ただ、美しいとは思うのだが、光の青白さに少し寒々しさを覚えた。


 戦っている間に火照った体が夜気で急速に冷え、べとべとするユキオオカミの血が冷えを加速させていた。自分の意思に反してブルッと体が震る。

 報告を済ませたらさっさと帰ろう。さすがに疲れた。

 俺は剣に付いた血を払って鞘に戻し、一度村に戻った。


     ◆


 俺は寝ずに起きていたワムダのもとを訪ね、ユキオオカミの群れが予想通り現れたことと、奴らを全滅させたことを告げた。ワムダも、傍にいた寝間着姿のアーシャも膝に額が付きそうなほど深く頭を下げて、何度も何度も礼を言った。


「今からお礼の宴を開きましょう」とワムダは言ったが、俺はユキオオカミの死体を早く燃やすよう伝えて、すぐに森へ帰った。

 魔物の死体がそのまま腐ると土が汚れ、周辺の田畑の収穫に影響を及ぼしかねない。燃やして灰にすれば無害だから、処理自体は簡単だ。

 という理由を付けて早々に帰宅したが、その実、魔物の血を一刻も早く洗い落として家で休みたかったのだ。不老不死とはいえ、長く戦えば体に疲労が溜まる。


 月明かりを頼りに森へ戻り、森の中を流れる川で血と脂を洗った。水の冷たさが疲れた体に染みたが、臭いが長く残るよりマシである。服はどうしようもないので、そのまま着ていることにした。


 家は川から歩いてすぐのところにある。家が見えてくるとドッと疲れが肩にのしかかってきて、早く床に就きたいという思いが強まった。

 エルはたぶん先に夕食を済ませて、もう眠っているだろう。小腹は空いているが、横になれば睡魔が空腹を打ち消してくれるはずだ。


「ただいま」


 一応言ってから玄関の戸を開ける。家の中は真っ暗──ではなかった。

 玄関から正面に見える台所に明かりが見える。

 さらに、トントンという包丁の小気味良い音まで聞こえてきた。


 こんな時間に誰が料理しているのかなんて、馬鹿みたいな疑問が湧く。ここは俺とエルの家だ。料理しているのはエル以外いない。

 問題は寝ているはずのエルがどうして料理を作っているのかということだ。早寝早起きが習慣のエルなら、とっくに寝ている時間である。


 俺は幽霊に怯える子どものように、恐る恐る台所を覗いた。

 そこにいたのは紛れもなく、野菜を丁寧に刻む前掛け姿のエルだった。


「おかえり。思ったより遅かったわね」


 包丁を動かす手を止めずにエルは言った。


「お前、これから夕食か? ずいぶん遅いな」

「誰かさんを待ってたせいで、遅くなったのよ」

「いつ帰ってくるかわからないから、俺の分はいらないと言っただろう」

「それでもあなたのことだから、早く帰ってくると思って待ってたの。夕食はまだでしょ?」


 唐突に、冬の寒い日に体を湯に沈めたときのような温かさを胸の奥に感じた。

 どうやら千年連れ添った妻は、俺のことなんて何でもお見通しらしい。

 彼女の気づかいは素直に嬉しい。


「ありがとう。ちょうど小腹が空いてたところだったんだ」


 自然と感謝の言葉が出た。台所に立つエルの表情は見えないが、先程よりも包丁の調子が少し狂っているところを見るに、満更でもないらしい。


「ちょっと血生臭いわよ。早く着替えてきて。もうすぐできるから」

「はいはい。わかったよ」


 エルを台所に残して、俺は自室に着替えを取りに行った。


 重くのしかかっていた疲れはもう消えた。

 正確には消えていないのだが、体は重さを感じてない。

 家に帰るまでに見た、雲の晴れた夜空のように胸の中がさっぱりしている。

 細やかな気づかいでこんなにも気分が良くなってしまうのだから、我ながら単純だと思う。


 今なら、エルと食べる夕食も美味いに違いない。

 俺は訳もなく、そう思った。

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