同時多発テロ

 日曜日、伊刈が大西敦子の部屋で寝坊をしながら薄目を開けると、少し前に起きた大西がスポーツジムに行く支度をしているのが見えた。携帯のメール着信音がしたので伊刈は枕もとの携帯に手を伸ばした。


 緊急通報 米国のペンタゴン(国防総省ビル)が何者かに攻撃を受け炎上しています。米国政府は緊急声明を発表し…


 一瞬、新手の迷惑メールだと思った。

 「テレビをつけてみて」伊刈の言葉に大西がリモコンのボタンを押した。飛び込んできたのは航空機に突入されて炎上している世界貿易センタービルの映像だった。目を疑う光景とはこのことだった。しかも直後に二機目の航空機がもう一棟のビルに突入した。実況中継のさなかにだ。ほとんど映画のシーンだった。

 「これってどういうこと」大西が絶句して伊刈を見た。

 「わかんないけどペンタゴンも攻撃されたみたいだ」

 「世界戦争が起こるの」

 「その可能性もあるってことでボーダホンから緊急通報があったみたいだ」

 「あたしどうする?」

 「すぐに日本にミサイルが飛んでくるわけじゃないだろう。ジム行ってくれば」

 「今日はやめた」大西はテレビの前に座り込んだ。

 「すごいね、これ映画じゃないんだね」

 「うん」伊刈も言葉がなかった。

 「これからどうなるの」

 「アメリカの株価が急落するだろうね。いや日曜日だから最初に開くのは東京だ。明日の東京市場は大変だな」

 「それからどうなるの」

 「株から逃げた資金が金や石油に向かう」

 「どうして?」

 「現金で持っていてもしょうがないからとりあえず金を買うだろう。でもそのあとは石油を買うよ。イスラム過激派のテロだとすれば中東で戦争になる。当然石油価格が上がるだろう」

 「それからどうなるの」

 「石油を持ってるやつだけが儲かってあとは不景気」

 「いいことは起こらないんだね」

 「アメリカの時代が終わるのかも」

 「それはいいことじゃないのかな」

 テレビをずっと見ていると、アルカイダとか、オサマ・ビンラディンとか、イスラム復興運動の組織や人物が出始めた。初めからわかっていたように情報が早かった。

 「やっぱり石油が上がるみたいだ」

 さすがの伊刈もその後の展開は読めなかった。ニューヨークのテロを契機として日本の産廃不法投棄問題が解決に向かうなど誰がこのとき予想できていただろうか。だがこの日から始まった流れが数年後にはあらゆる業界に大きな変化をもたらした。石油価格に連動してあらゆる資源価格が上昇した結果、廃棄物の資源としての価値が高まり、リサイクル産業や資源ごみ輸出産業の採算性が劇的に向上し、その結果として不法投棄問題が終息したのだ。伊刈と大西は、世界経済の流れを変え不法投棄の流れも変えてしまった事件をテレビの実況中継を通じてリアルタイムに目撃していた。

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