作家デビュー

 WIND出版の玉造社長のもくろみどおり幕張メッセ国際会議場で開催されたシンポジウム「産業廃棄物不法投棄問題を巡るリスクマネジメント」が伊刈の文壇デビューの日になった。シンポジウムは環境省の担当係長の基調講演から始まった。これはオフィシャルのコメントだから退屈だった。係長はキャリア官僚の新卒ポストだからほとんど素人だった。二番手としてまだ言論界では無名の伊刈が他の著名な論客を差しおいて壇上に立った。事務局の綴教授の配慮で持ち時間が大幅に延長され準基調講演といった位置づけになっていた。綴は伊刈がVIP待遇に値する特別の存在だと気付いていた。壇上に上がった伊刈は不法投棄の構造を模式化した図を投影して切り出した。

 「これは不法投棄が組織的な犯罪だということを表現した図です。こうした組織が首都圏全域から、北関東、甲信越静、東北にかけて活動しています。不法投棄の構造は四つのネットワークからなっています。一番目に正規ルートで受注した産廃を不正ルートに横流しする処分場のネットワーク。二番目に流出した産廃を不法投棄現場へと運ぶまとめ屋と一発屋のネットワーク。三番目に不法投棄現場を開設する穴屋のネットワーク。四番目に不法投棄の利益を還流させる金融業者のネットワークです。この四つのネットワークが組み合わさって組織的な不法投棄が広域的に行われています」会場が緊張と衝撃で静まり返った。産廃業界に携わるものならうすうすは知っていた秘密が、初めて公の場で暴露された。伊刈は環境省の不法投棄統計が実態の百分の一しか捕捉していないという、さらに衝撃的な説明を始めた。

 「不法投棄量は年間約四十万トンと環境省から発表されています。四十万トンと言いますと多いようですが一日千トンに過ぎないんです。十トン車で百台しかないということになります。これだけ不法投棄問題が大きく取り上げられているのに一日にダンプ百台ということはありえません。都道府県あたりですと一日たった二台ということになります。私は不適正処理は公式統計の百倍の四千万トンあると推定しています。犬咬市では首都圏の不法投棄に関与しているダンプを三千台確認しており全国では一万台になると推定されます。この一万台が連日十トンの不法投棄をしますと一年間で四千万トンになります」

 「実数が統計の百倍だということは逆に言えば発覚率が一パーセントだということです。こんなに発覚率が低いのは偽装工作が横行しているからです。偽装自社処分、偽装リサイクル、偽装残土処分、偽装農地造成、偽装輸出、こういうさまざまな偽装工作を見破って摘発まで持っていくのが大変なのです。不法投棄が四十万トンしかないとすれば産廃の総排出量は四億トンですから、○・一パーセントになります。つまり産廃業界は九九・九パーセント健全だということになります。もしそうであれば今日のシンポジウムを開く必要もないわけです。しかし四千万トンになりますと、四億トンの十パーセントです。産廃処理システムは事実上底抜けしていることになります」拍手のうちに伊刈の発言が終わり、休憩の後パネルディスカッションが始まった。伊刈に質問が集中したのは当然だった。

 散会した後、綴教授が伊刈に声をかけた。「今日はすごかったです。いつもは基調講演が終わるとパネルまでは聞かないで半分以上がメッセに行ってしまって最後は寂しい感じなんだけど、今日は閉会するまで八割以上残ってました。こんなこと初めてですよ」

 責任を果たして伊刈も安堵した。綴とはこの後も長い付き合いになった。開け放たれたドアの先からWIND出版の玉造社長の大声が響いてきた。

 「伊刈先生の御著書はこちらで~す」

 会場となった国際会議場には即売コーナーが設置され、編集担当の月代らが「不法投棄コネクション」を手売りしていた。聴講者二百人余りの中、七十冊も売れるという大盛況だった。なんと壇上のパネラーまで行列に並んで買っていた。

 店じまいをした玉造社長が伊刈に声をかけた。「コメント最高でしたよ。最初の環境省の講演がそらぞらしく聞こえましたね」

 「環境省はあれでいいんです。現場を知らなくても戦争はできますよ。ただしアメリカ製の最新兵器でもゲリラやテロに苦戦しているように現場を知らなくては勝てませんけどね」

 紀尾井町のこじゃれた和食バーに移動して事務局とパネラーの打ち上げとなった。基調講演を勤めた環境省の係長だけは公務を理由に欠席だった。

 「伊刈さんの本、買いましたよ」誰かがそう言うと「私も買いました」という発言が相次いだ。

 「環境省に行きなよ」主催者としてパネルに参加した日本廃棄物連盟専務理事の鷲塚がしきりにそう勧めた。伊刈が著書を出版するきっかけを作った人物の一人だった。

 「伊刈さんは十億円の価値があるよ。これから楽しみだね。長い付き合いになると思うけどよろしく頼むよ」フリージャーナリストの吉倉はだれよりも伊刈を賞賛してやまなかった。その言葉のとおり彼とも長い付き合いになった。

 「私は産廃は素人だから助かりましたよ」コーディネーターを勤めた旭山大学法学部の福永教授は控えめな人だった。

 環境国民会議所事務局次長だという浅間山法律事務所の大代は大変な美人弁護士だった。

 「私はダイオキシンは規制すべきという立場で活動しているけど焼却炉無条件反対論者ではないのよ」大代はシンポジウムでは言い足りなかった持論を披露した。伊刈への賛辞がひととおり終わった後のヒロインは彼女だった。

 伊刈は毎朝新聞の笹川記者から「打ち上げが終わってからでもいいから取材したい」と申し入れられていた。環境省記者クラブに所属する彼は現場の撤去工事の取材で何度か面識を重ねるうちに伊刈の心酔者となってしまい、「親分」、「舎弟」と冗談で呼び合うぶほどの仲だった。

 「打ち上げは紀尾井町だそうですよ」

 「そこなら僕の庭みたいなものですから何時になっても待ってますよ。僕は麹町小学校の卒業生なんです。どうしても今日お話ししたいんです。伊刈さんのデビューの日ですから」

 ほんとうに笹川は打ち上げが終わるまで文芸春秋の前で待っていて行き付けだという小さなおでん屋に誘った。慌しい一日だったがアットホームな雰囲気で舎弟とのビールは格別だった。

 「最初にお会いした時のことを思い出しますね。こんなに偉くなられてほんとにうれしいです」

 「最初はどこでしたっけ」

 「犬咬でとてつもないことが起こっているという噂で地元の記者クラブは持ち切りになっていたんです。たった一人で不法投棄をやっつけてしまった信じられない男が居るって。毎週のようにヤクザな連中に現場を撤去させてるって」

 「一人じゃないですよ。チームでやったんです」

 「チームってたった四人ですよね」

 「一人と四人は全然違いますよ。一人ではムリでしたよ。ほんとうの奇跡はこの四人が集まったことなんです。極端なたとえかもしれないですがビートルズみたいなものです」

 「噂が噂を呼んで環境省の記者クラブまで届いてきたんです。それでどんなすごい人なのか自分で会ってみようと思ったんですよ」

 「取材じゃなかったの?」

 「野次馬ですよ。担当地区じゃないんだから」

 「それにしては何度も来ましたね」

 「伊刈さんの情報は全部上げるように県庁のクラブに頼んでおきましたから」

 「そうでしたか」

 「いつかこんなこと言ってましたよね。法律は十本の指の一本にすぎない。法律で解決できない問題は他の指で解決すればいいって」

 「法律に書いてないことは何もやってはいけないと思い込んでる公務員が多いんですよね。だけど世間の常識は法律に書いてないことは何をやってもいいってことでしょう。成功するベンチャー企業ってたいてい法の条文の隙間で勝負してますよね。まともな条文で勝負してるのは弁護士くらいでしょう」

 「現場主義者なんですよね」

 「現場主義を否定する人はいないと思いますよ。みんな自分は現場主義だって言うんだけど意味が人それぞれに全然違うんです。誰だって現場とかかわっているわけだし、自分の現場がすべてで他人の現場は知らないですからね」

 「現場に行きもしないで自分は現場主義者だって言ってた記者が居ました」

 「現場なんて相対的なものですから。国のキャリアが二年くらい県庁の部長とか課長とかで出向するでしょう。そうすると自分は現場を見てきたというわけですよ。霞ヶ関よりは確かに県庁は現場に近いわけだから」

 「ほんとにそういうふうに県庁への出向時代を肥やしだって言うキャリアは結構いますね」

 「実際には部長に現場の指揮権はないんですけどね。現場にしかないものはなんだと思いますか」

 「やっぱり情報ですか。生の情報は現場にしかないですよね」

 「生の情報ならインターネットでもそれなりに手に入りますよ。現場にしかないものは心境だと思いますね。生身の人間が泣いたり笑ったり騙したり自慢したり悔しがったり頼りにしたりする。そういう心理は現場にしかないと思うんです。不法投棄だっていろんな心境でやられてますよ。ほんとは悪いとわかってるけど上の命令だからしょうがないとか、ダンプの借金を返すまでは目をつぶってがんばるんだとか一人一人みんな気持ちが違う。その心境にちゃんと向き合わないとこっちの言うことを聞いていくれない。だから現場は法律じゃうまくいかないんです」

 「現場の記者を泣かせるようなこと言ってくれますね。やっぱり親分は最高だ」酔いも手伝って笹川の心酔はいよいよ極まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る