前言撤回

 大久保、水沢、池沼の三人の立会いを求め、旧白川建設の自社処分場があったという現地の調査を実施した。そこはかつて透明人間嵐山が掘った穴のすぐ隣だった。伊刈のチームは何度もその前の農道で夜パトの張り込みをしたことがあったが、白川建設の資材置き場のことなど気にも留めたことがなかった。嵐山の掘った穴は三十メートルの深さがあったはずだ。ところがいつの間にか道路の高さまで完全に埋立てられ、跡地は中古建設機械の展示場に転用されていた。夜パトは結局、嵐山の活動を阻止できなかったのだ。白川建設の現場はどう見ても処分場ではなく、もともとは木杭に番線を張った簡単な柵で囲われた資材置き場だったようだ。少なくとも最近の数年間使われた形跡がなかった。荒れ果てた場内のところどころにコンクリートガラが投げ捨てられており、奥は三十メートルの崖地になっていた。崖っぷちに立つと眼下に小川が流れているのが見えた。水沢らが自社処分場だったと申し立てたのは敷地の奥に残っていた穴だった。巻尺を当ててみるともともとは三十メートル四方の穴だったことがわかった。その半分ほどに土砂が流し込まれ雑草に覆われていた。伊刈たちは残った穴の底に降りてみた。穴の深さは八メートルほどで削られたままの斜面の角度は六十度近くあった。埋め立てられていたのは建設残土で若干のコンクリートガラが混入していた。残土捨て場であり、そこに廃棄物を処分していたというなら不法投棄だった。

 「どうだい立派な穴だろう」穴から上がってきた伊刈に水沢が声をかけた。

 「確かに穴には違いないですが穴があればなんでも処分場ってわけじゃありません。過去の経過を調査してみますよ」

 「なんだい過去の経過ってのは」

 「この穴が掘られた経過ですよ」

 「捨て場に違えねえだろう。明日から埋めてもいいのかい」

 「今日の結果を本課に報告しますから、それまで待ってください」

 「役所ってのはなんだね、ダメって言うのは早いけどいいって言うのは面倒だねえ」水沢には珍しく気の聞いた皮肉を言った。勘のいい大久保は様子が変なのに気が付いたのか最後まで一言も口を利かなかった。

 伊刈は土地登記簿、航空写真、市と県に残っている指導経過記録など考え付くかぎりの資料を集めた。その結果穴を掘ったのは白川建設ではなく矢島工務所だとわかった。猿楽町の穴を嵐山に売った会社だ。伊刈はさっそく矢島社長を訪ねた。矢島は小柄で短気そうな男だった。一時期は市議を勤めていたこともあった人物だが残土条例違反でたびたび指導を受けたことをきっかけに議員を辞職した。伊刈が環境事務所だと告げると二階に案内された。階段の踊り場を改装してソファーを置いただけの応接室があり、奥には社長室があるようだった。

 「森井町の白川建設の資材置き場に穴を掘ったのは矢島さんですね」ソファで応対した矢島に伊刈が言った。

 「ああそうだよ。確かに残土処分のためだと白川から頼まれて穴を掘ったね」

 「何年頃ですか」

 「そうだねえ、平成八、九年かね」

 「航空写真で調べてみると平成八年の暮れですね」

 「だったらそうなんじゃない」

 「大きさはどれくらいでしたか」

 「一反くらいかな」

 「深さは」

 「二段堀りだよ」

 「だいたい現場の様子と一致しますね。縦横三十メートル深さ八メートルの穴でした」

 「ああそんなもんだな」

 「工事代金はもらいましたか」

 「もらわないよ。そのかわり掘り出した土砂こっちで売らせてもらったよ」

 「無認可採取ですね」

 「まあそう固いこと言うなよ。昔のことじゃないか」

 「産廃の処分場だったと白川は言ってるみたいですが」

 「処分場なら許可がいるだろう」

 「当時は三百坪までなら許可はいりません」

 「そうなんだ」

 「残土を処分すると言ってたんですよね」

 「そうだよ。産廃って話は聞いてないねえ」

 「現場にはいくらかガラが投棄されているようですが」

 「不法投棄したんだろうよ。不法投棄現場が処分場になるっていうんなら俺の持ってる穴だってどこもガラくらい入ってるから処分場ってことにしていいかい」

 「それはできません」

 「だったらやつの穴も違うんじゃないかい」

 「それはそうですね」

 「どんなことになるか、あんたらの指導を楽しみに待ってるよ」矢島は意味ありげににやりと笑った。

 白川建設の資材置き場に残っていた穴が掘られた平成八年当時には既に県の処分場設置要綱があった。県に問い合わせて設置要綱の届出書が提出されていないことは確認済みだった。それに加えて穴を掘った矢島工務店が残土処分の穴を掘ってくれと頼まれていたという証言を得られたことから、伊刈は自社処分場として設置された穴ではなく残土処分の穴だと結論付けた調査報告書を産対課に提出した。これに基づいて産対課の校倉が見なし許可施設だという前言を撤回し、既設処分場でもないし、みなし許可施設でもないと改めて大久保に通告した。しかし既に多額の資金を投じてしまった大久保が納得するはずもなかった。

 大久保と水沢は連日のように産対課にねじこんだ。そのしつこさはゴキブリさながらだった。ヤクザが役所に圧力をかけるときには組織を相手に勝負しない。いかに広域暴力団でも役所や警察といったお上を相手にしては勝ち目がない。だからヤクザは個人攻撃に徹する。最初に二人のターゲットになったのは一旦は見なし許可施設と認めた担当者の校倉だった。

 「どうしてくれるんだよ.あんたがいいと言ったから土地を買ったんだ」

 「みなし許可になると言ったのは確かですが、設置年度が違っていましたからみなし許可の対象にはなりません」

 「設置したのは平成四年なんだよ」

 「事務所が測量会社から入手した平成四年の航空写真にはなんにも写ってませんよ」校倉は伊刈が取り寄せた航空写真を見せながら言った。

 「写ってないけどあるんだよ」大久保は開き直った。

 「どこにあるんですか。樹しか写ってないですよ」

 「樹の下にあるんだよ」

 「登記簿によると白川建設が土地の名義を取得したのは平成八年の四月、航空写真に工事現場が写っているのは平成八年の十二月が最初です。つまり平成八年に土地を買ってその年の暮までに着工した。これ以上の証拠があるんですか」

 「白川が平成四年からあったって言ってんだからそれでいいんじゃねえのかよ」

 「そうはいきません。平成八年なら県の要綱に基づいて設置届けが必要なんです」

 「それは法律なのかよ」

 「違いますよ。だけど届出があれば既設処分場だったことを証明できます」

 「あんた一度男がいいって言ったものをそんなに簡単に撤回できるのか。俺の損害はどうするんだ」

 「どんな損害ですか」

 「土地を買った損害だよ」

 「土地がなくなったんですか」

 「土地はあるよ。あんた何言ってんだ」

 「土地があるのなら損害はないでしょう」

 「処分場として使えないなら買う意味がないだろう」

 「土地の用途は処分場だけではないでしょう」校倉の対応ははなかなかのものだった。怖いもの知らずと言うべきか前言を撤回したことになんの咎めも感じていない。校倉では交渉相手として不足だと二人は悟った。

 校倉の次にターゲットになったのは平河主幹だった。

 「平河さんよ、阿武隈運送の処分場を認めたのはあんたなんだろう」大久保の攻めどころは阿武隈運送だった。

 「私じゃないですよ。課として認めたんです」

 「だけどあんたが担当主幹だろう」

 「それはそうですが」

 「ありゃあどう見たってただの土採り場じゃねえかよ。地元の水沢さんがよ、あそこには処分場なんかなかったって言ってんだよ。あんたの目にはどこが処分場に見えたんだよ」

 「現地は見ていません」

 「見もしないで認めたのか」

 「書類がきちんとしていましたから」

 「じゃあ白川建設だっておんなじだろうよ。書類はちゃんとしてんだろう」

 「間違いがありますから」

 「どんな間違いだよ」

 「設置年度も設置目的も違います」

 「それを証明できんのかよ」

 「証明するのは申請者ですよ」

 「だからちゃんと証明はついてんだろう」

 「ついていません」

 「俺は知ってんだぜ」

 「何をですか」

 「岩見にコレ貰ったんだろう」大久保は指を丸めてコインのサインを作った。

 「何言ってんですか。侮辱罪で告訴しますよ」

 「ほうやるならやってみろよ。あんたが貰ってなくったって誰かが貰ってるはずなんだよ」

 「ありえません」

 「あそこには穴すらなかったんだってよ。それがいつの間にか柵で囲って看板立てて、それで既設処分場でございって届け出たんだろう。誰が柵で囲えって指導したんだよ」

 「柵はあったそうですよ」

 「あんたがそうしろと指導したんだろう。ちゃんとわかってんだよ。出るとこ出りゃあはっきりすんだよ。それでもいいのかい」

 「私は現場に行ってませんからわかりません」

 「じゃあなんで白川の現場には来たんだよ」

 「事務所が調べたいというのでね。私は行ってませんから」

 「行ってねえ行ってねえって、そんなことで処分場認めちまっていいのかい。どっちみち事務所には権限がないんだろう」

 「そうです」

 「じゃああんたがいいと言えばいいんだろう」

 「私の権限じゃなく組織の権限です。事務所には権限がないですが調査結果は正しいものと受け止めていますから」

 「事務所より本課が上じゃねえのかよ。あんたが判子押せばいいんだろう。阿武隈の現場には穴すらなかったのに認めたんだ。白川の現場にはよ穴があるんだよ。事務所も確認してんだ。どうなんだよ」

 「穴はあったそうです」

 「そうだろう。じゃあ処分場ってことでいいじゃねえかよ」

 「それはできません」

 「じゃあ誰がいいって言えばいいんだよ。組織組織ってあんた言うけど組織に口がきけんのかよ。阿武隈はいいって組織が口をきいたのかよ」

 「書類を認めたんです。口でいいって言ったのではありません」

 「役人てのはすげえなあ。主幹ともなるとよそうやってごまかすのかよ」

 「ごまかしてはおりません」阿武隈運送の経過を知っている平河はのらりくらりとはぐらかすのが精一杯だった。

 大久保と水沢の最後のターゲットは鎗田次長だった。阿武隈運送の自社処分場承継を認めたのは鎗田が産対課長だったときだからである。議員から鎗田に働きかけがあったことを二人が嗅ぎつけたかどうかはわからない。確証はなくても、つけこむ隙が見つかるまでターゲットを攻め続け、どうとでもとれる曖昧な言質を取るのが役所を落とすコツだった。同じことを何度も何度もしつこく聞いて前言との矛盾をついていく警察や検察の尋問とある意味では共通だ。

 「鎗田次長さんよ、課長んときにあんたが認めた阿武隈運送のことを聞きたいんだよ」

 「どんな案件か覚えていませんね。担当主幹に任せていましたからね」

 「ざけんじゃねえよ。あんたが判子を押したんだろう」

 「文書をご覧になったんですか」

 「見なくたって押したに決まってんだろう」決裁文書に判子を押したかどうかは左翼政党や市民団体なら行政文書開示を求めるのだがヤクザはそんな面倒なことはしなかった。

 「認めたんなら判子は押したと思いますよ」

 「だったらあんたの責任てことだろう」

 「どんな責任ですか」

 「処分場じゃないところを処分場だって偽装したってことだよ」

 「証拠はあるんですか」

 「水沢さんが不法投棄で捕まった隣の土地なんだよ。水沢さんは毎日見てんだよ。これ以上の証拠があるかよ」

 「処分場の話なら産対課長を呼びましょうか」

 「今の課長はどうだっていいんだよ。それにあんたが上だろう。白川建設のことは聞いてるだろう」

 「既設処分場の承継届けが出ている件でしょう」

 「わかってんじゃねえか」

 「それはそうですよ。毎日その件で来られてるんですから」

 「で、どうなんだよ」

 「みなさんは平成四年に設置されたとおっしゃってるそうですが課としては平成八年に設置されたと考えているようです」

 「四年の違いだろう。なんでそれにこだわるんだよ」

 「県の要綱が適用されるかどうかってことなんですよ」

 「ここは市だろう。県の要綱は関係ねえだろう」

 「県から事務を引き継いだわけですから県が認めていたものなら認めますよ」

 「ほうなるほど県がいいっていえばいいのか」大久保が意味ありげに水沢を見た。

 「平成四年にしろ八年にしろ当時の担当は県ですから、要綱を適用するもしないも県の判断です。県が既設処分場だったと言えば市は逆らいません」

 「県庁がいいと言えばほんとに市はいいんだな」鎗田が苦し紛れに言った言葉に大久保が食らいついた。

 「県庁がいいというなら市は異存ないです」

 「わかったよ。じゃあこれから県庁に行ってくるよ」大久保はけつをまくって県庁に向かった。もちろん県庁が簡単に落とされるはずもなかった。

 二時間後、県庁産業廃棄物課の小糸から伊刈の携帯に電話があった

 「大久保と小沢ってヤクザがかったやつが今来ていて、なんかやばそうな話をしてるんですが状況はどうなんですか」

 「まだそこにいるの?」

 「ただじゃ帰れない、課長を出せといきまいてるんですが」

 「課長は?」

 「副課長が機転を利かせて逃がしました」

 「なるほど」

 「どうしたもんですか」

 「既設処分場偽装だよ。残土とガラを棄てた穴が残ってたのを既設処分場に仕立てて何億かで売り飛ばそうとしてるんだ」

 「やっぱり」

 「もう金が動いちゃってるんでね簡単には諦めないよ。大久保って若いほうは本物のヤクザだよ。水沢は不法投棄で許可を取消した業者の社長でまだ執行猶予中だ。見た目はヤクザっぽいけど構成員じゃないよ」

 「なんでうちに来たんですか。市の管轄ですよね」

 「それはわかんない。市の産対課で県庁に聞いてくれとか何か余計なこと言ったのかもな」

 「認める余地はないですよね」

 「不法投棄現場を既設処分場にしていいのか」

 「そりゃそうですよね。だいたいわかりました。権限は市にあると説明して今日は帰ってもらうことになると思います。また後でかけます」小糸は声をひそめて電話を切った。

 大久保と水沢は県と市の両面作戦で毎日圧力をかけ続けた。これ以上話が大きくなると阿武隈運送の問題に飛び火すると思ったのか、とうとう鎗田が陥落し妥協策を提示した。

 「既設処分場ってのはですね、あくまで現状で使うだけで拡張ができないのは知ってますね」

 「ああわかってるよ」大久保が答えた。

 「それなら現状の穴だけなら既設処分場として認めないでもないですね」

 「ほんとか」

 「私の一存ではムリですよ。市長まで諮ってみましょう」

 「よしわかった。吉報を待ってる」いい返事をもらった大久保はあっさり引いた。それがヤクザの交渉術だった。

 鎗田次長が白川建設の自社処分場の承継を認めるため新妻部長を籠絡して市長レクの日程を取ったという情報が環境事務所に届いた。これを聞いた仙道が激怒した。

 「あんな連中に少しでも譲歩したらなし崩し的に拡張されるのが落ちだ。あれを認めたら次々と同じ申請が来て収拾がつかなくなるのがわからないのか。せっかく静かになった犬咬の不法投棄が再燃してしまう。絶対に認められん」

 「私もそう思いますよ」安垣所長も仙道に同意した。「伊刈さん、悪いですが明日部長にかけあって市長レクを中止させてくれませんか」

 「部長に僕がですか」伊刈が意外な顔で聞き返した。部長を相手に出先の班長の伊刈では役不足は明らかだった。

 「この際役職ではありません。伊刈さんが適任ですよ。私の代理だと言ってください。伊刈さんの意見は所長の意見だと言ってかまいませんよ。新妻部長とは同期なんです。しかも学校も同じでね。いろいろ貸しがあるから私の意見には逆らえないはずです。もちろん鎗田次長にも同席してもらってください」

 「わかりました。行ってきます」

 翌朝一番、伊刈は部長室に単身で乗り込んだ。

 「安垣所長の意見をお伝えに参りました。私の言葉を所長の言葉だと思ってください」遥かに格下の伊刈が部次長と渡り合う前代未聞のパフォーマンスだった。

 「今度の案件は一歩も譲歩してはいけないというのが所長の意見です。譲歩すればなし崩し的に自社処分場偽装型不法投棄が再燃する恐れがあります」

 「合法的なものはやむをえないんじゃないか」部長や理事など個室に居合わせた幹部の前で鎗田次長が苦い顔で反論した。

 「次長も自社処分場が不法投棄の抜け道になっているというお考えで産廃条例の制定を市長に進言されたんじゃないのですか。その次長が自社処分場の既設偽装に二度までも譲歩されるんですか。いま白川建設の現場がどうなるかみんなが注目しているんです。ここで譲歩したら第三第四の申請が来て収拾がつかなくなります。問題はこれで終わりになるわけじゃないんです。そのことは次長が一番よくご存知では」

 「二度までとはどういう意味かね」鎗田が顔色を変えて反論した。

 「阿武隈建設です」

 「君にまでヤクザと同じことを言われるとは心外だね」

 「阿武隈建設が偽装だってことは地元で知らない者がないんです。阿武隈建設は市民まで買収しているんです。役所や議員にも実弾が撒かれたという噂が出るのは時間の問題ですよ」そこまではっきり言われて、さすがの鎗田も絶句した。

 「次長、事務所長が反対の立場を貫けると保証できるならいったん市長レクを中止してもいいのでは」たまりかねた新妻部長が仲裁に入った。裏社会とのトラブルを市長室に持ち込むのはタブーであり、事務所長が市長に直談判でもしたら、部長としても汚点になると恐れたのだ。

 「鎗田さんの立場はどうなりますか。レクの説明者は次長ってことじゃなかったですか。こっちからキャンセルするっていうのは前代未聞ですよ」温厚な徳富理事が慎重な意見を出した。

 「ほんとに事務所ですべて責任を取れるんですね」新妻部長は徳富の進言を無視して伊刈を見た。

 「約束します」伊刈はきっぱり断言した。

 「わかりました。次長、今日の市長レクは中止にしましょう」伊刈の捨て身の交渉で市長レクは土壇場で阻止された。鎗田次長は唇をかんだまま無言で伊刈を睨みつけていた。

 「あの伊刈が市長レクを潰したってよ」僅か一時間後にはそんな噂が庁内に出回った。本課と環境事務所なかんずく鎗田と伊刈の確執はもはや決定的なものになった。

 市長レク中止以来消息がなくなっていた水沢が一人で伊刈を訪ねてきた。気のせいか一回り痩せたように見えた。

 「伊刈さんなんとかしてくれよ。伊刈さんがいいって言えば産対課もいいって言うはずなんだよ。伊刈さんに逆らえるやつはいないよ」水沢は必死で訴えた。鎗田が計画した市長レクを伊刈がぎりぎりのタイミングで潰したことは知らない様子だった。

 「そう言われても事務所には権限がないですからね」

 「そんなこと言わねえでなんとか頼むよ」

 「大久保さんはどうしたんですか。土地を買ったのは大久保さんでしょう」

 「ああいう人はね、とんでもねえんだよ。俺は毎日ケツを持てって脅かされてんだよ」

 「ケツですか?」

 「処分場がだめんなったんなら一億円で土地を買戻せって言うんだよ。俺にそんな金あるわけねえだろうよ」

 「どうするんですか」

 「俺はこのままじゃマグロ船に売られちまうよ。麗子だってよ、どこへ売り飛ばされっかわかんねえよ。なあ助けてくれよ」

 「マグロ船ですか?」

 「あそこはムショよりひどいんだぜ。船員はビザもなんもねえ外国人ばっかの寄せ集めでよ、半畳もねえ船倉の三段ベッドに押し込まれてよ、漁になれば何日も働きづめだし港に入ったって上陸はできねえんだ。病気になったって医者はいねえし、おっちんだら海に捨てられちまうんだよ」

 「いまどきそんなところがあるんですか。なんだか小説の蟹工船みたいですね」

 「そんな小説は知らないけどよ、なあ頼むよ助けてくれよ」水沢は泣きごとを言いつづけた。

 「水沢さんが一億円払わなかったら大久保さんはどうなるんですか」

 「やつだって上があっから危ねえんじゃねえか。組の金使ったらしいからよ、金作らねえと破門だって言われてるみてえだからな。ヤクザも所詮金だわな。だからやつも死にもの狂いだわ。これがうまくいきゃあ青梅の若頭だったのになあ」

 「大久保さんの上って誰ですか」

 「さあなあ俺には雲の上の上だわ。なあ伊刈さんよ、俺はいいからよ、女だけでも助けてくれよ」

 「池沼さんはどこですか」

 「逃げもしねえで毎日泣いてらあな」

 「連絡先教えてくれたらなんとかしますよ」

 「ほんとかよ。じゃ処分場なんとかなんのかい」

 「違いますよ。彼女だけです」

 「そっかわかったよ。それだけでもいいやな」

 その直後水沢は姿をくらました。ほんとうにマグロ船に売られてしまったのか、それとも逃亡したのかはわらかなかった。伊刈がどんな手を回したのか大久保は池沼麗子には手をつけなかった。

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