完敗宣言

 「せっかく新宿まで来たんだ。軽く厄払いでもしていこう」東国損保ビルを出るなり、伊刈が三人を振り返った。

 「いいですね。それで電車で来いって言ったんすね」長嶋が真っ先に同意した。「でもどうして厄払いなんすか」

 「ほんとは祝杯のつもりだったんだけど完敗だったよ」

 「それじゃ自棄酒ですか」遠鐘が機嫌よく言った。喜多との賭けに勝ったせいだった。

 「いいから行くぞ」

 四谷三丁目の焼き肉屋街はまだ宵の口で人影もまばらだった。四人はジンギスカン店を選んで小さなテーブルを囲んだ。わざとアナクロな裸電球を下げた煤けた感じの薄暗い店内は五時を過ぎたばかりとあってまだほとんど空席ばかりだった。メニューがかなり複雑で選ぶのが面倒だったので、一番割安なラム焼肉とジンギスカンのセットを四人分頼み生ビールで乾杯した。ただし遠鐘だけはバナナジュースだった。

 「それにしてもエコユートピアの書類は完璧だったな。正直驚いたよ」

 「そうですよね。やっぱり完璧な処分場ってあるんですね」完璧というNGワードを繰り返しながら遠鐘が勝ち誇ったように喜多を見た。

 「それでも班長は竜野社長が嫌いなんですよね」喜多が負け惜しみのように言った。

 「今日の検査でちょっと好きになったかな」

 「そうなんですか」

 「ケーキうまかったし」

 「ああそれはありました」

 「冗談だよ。敵もさるものってやつだよな。だけどやっぱり嫌味な会社なことは確かだったな。大企業しか相手にしないってのが一番頭に来るな。社長がこないだなんていったか聞いたか?」

 「なんでしたっけ?」

 「中小企業を相手にしないのは差別してるわけじゃないんですよ。大企業でないと排出する産廃を科学的に管理できないですからなんですとさ。それを差別って言うんですよってよっぽど言いたかったよ。あんなに儲けてるんだから中小企業には検査料くらいサービスしてやったらいいだろう」

 「それは大きなお世話なんじゃないですか」遠鐘がバナナジュースのストローを子供みたいに甘噛みしながら言った。

 「でもね最終処分場の管理がいくら完璧だとしたって、存在そのものが完璧じゃないんだよ」

 「それどういう意味すか?」長嶋が尋ねた。

 「最終処分場は存在しないことがベストなんだよ。どんなに科学的に管理された絶対安全な最終処分場だって存在しなことにはかなわないだろう。つまりねほんとうにベストな最終処分場ってのは存在しない最終処分場なんだ。逆本体論とでも言うかなあ」焼肉を食べているせいじゃないが伊刈は哲学用語を使って三人をけむに巻いた。

「つまり存在するどんな完璧な最終処分場よりも存在しない最終処分場のほうがもっと完璧だって意味ですね」喜多が哲学談義についてきた。

 「最終処分場が必要ないって言ったら環境団体と同じになりますよ」遠鐘が釘を刺した。

 「産廃行政の最終目標はね、立派な最終処分場を作ることじゃないだろう。そうじゃなく最終処分場が必要ない循環型社会を構築することじゃなかったかな」伊刈が切り替えした。

 「百パーセント資源が循環する社会なんてありえないですよ。百パーセント完璧な産廃業者はないっていうのと同じですよ」遠鐘も負けてはいなかった。

 「だけどあったじゃないか。完璧はあるんだろう」

 「あっ」遠鐘は自己矛盾に気付いた。「それは法律の基準を満たしているという意味の完璧ですよ。論理的な完全性を言ってるんじゃありません」

 「班長もういいんじゃないすか。結局班長が言ってることも遠鐘さんが言ってることも同じっすよ。エコユートピアには完敗だったってことっすよね」長嶋が総括しようとした。

 「うんまあそうだね」伊刈はあっさり負けを認めた。

 「班長それよりシンポジウムはどうするんすか。もう来週っすよね」

 「ああそれねえ。行政と産廃業者の癒着を断ち切ってゴミのない日本を取り戻そうってサブタイトルが気に入ないから出ないって言ったらね、あっさりと行政と産廃業者のという枕を取られてしまったんだ」

 「それで出ることにしたんすか」

 「まあね」伊刈は生返事をした。

 「そっちこそ班長の完敗っすね。やっぱ班長は女にはダメっすねえ」

 「そんなことないよ」

 「みんなで聞きに行きますよ。楽しみにしてるんです」喜多が言った。

 「環境団体相手に班長が何を言うのか僕も楽しみです。ヤクザよりずっと手ごわいと思いますよ。ヤクザは自分が悪人だってわかってるでしょう。だけど環境派は自分が善人だと思ってますからね」遠鐘も喜多に加勢した。

 「善人より悪人のほうが往生しやすいってことか」伊刈が親鸞を引き合いに出して応戦した。

 「善人はなかなか往生しませんよ班長」長嶋までからかうような口調で言った。三人同時に攻められた伊刈の完敗だった。

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