天空の事務所

 エコユートピアの本社は新宿御苑を見下ろす東国損保ビルにあった。産廃業者が本社を構えるには贅沢すぎる都心の一等地に聳える四十五階建ての超高層ビルの十三階フロアだった。現場の事務所もそれなりに立派だったが都心の超高層と比べたら宮殿と犬小屋くらい差があった。

 「竜野社長らしい見栄を張ってるんですかね」雲をつく高層ビルを見上げながら喜多が言った。

 「どうせあの社長のことだから大企業と付き合うにはこれくらの場所に本社がないと対等に話せないとかってことなんじゃないのかな」伊刈もさすがに皮肉を言ってみたくなった。

 「なるほどそんなこと言いそうな感じですね」

 「それにしても何から何まで気に入らない会社だね」ビルを見上げながら伊刈は本音をもらした。

 「何か問題が見つかったときの社長の顔が見ものですね」

 「二人ともおかしいんじゃないの。とくに喜多さん、なんか最近班長に似てきたんじゃないか」遠鐘が鋭い指摘をした。

 「それじゃ遠鐘さんはどう思うんですか」

 「客観的に見てピカイチの優良業者じゃないのかな。本社が都心にあってどうして悪いんですか。お客さんは都心の会社が多いんだから好都合でしょう。ここがダメってことになったらもう産廃業界なんて全滅ですよ」

 「だからいっそう気に入らないんだよね」伊刈があえて遠鐘の正論に反発した。「学歴主義、エリート主義、成金主義、偽善者ぶった社長の態度のすべてが鼻につくね。社長があんなふうだから社員にもそれが感染して高慢な目でこっちを見てる。こんなに気に要らない会社は珍しいね。ここならまだ穴屋の方がかわいい」

 「上目線は班長じゃないんですか」遠鐘も負けていなかった。

 「二人とももういいんじゃないすか。竜野社長と班長のそりが合わないのはなんとなくわかりますけど、これから検査なんすから」長嶋が大人の意見で仲裁した。

 「今日はどんなことがあっても何か見つけて帰るよ」伊刈が言った。

 「あるかなあ」遠鐘が流し目で喜多を見ながら首を傾げてみせた。

 「あるさ。百点満点の産廃業者なんてあるわけがない。重箱の隅をつついても何か見つける。賭けてもいい」

 「検査を賭けのネタにするのは反対ですが百点満点の業者がないっていう意見には俺も賛成っすね」長嶋がちょっと真顔で言った。

 「そうだろう。なんたって今日は天王山だからね。いくぞ」

 満を持したように伊刈はビルに踏み込んだ。エントランスに張り出された入居者のプレートには電力、通信、IT、外資系投資銀行、保険、製薬など並みいる一流企業名がずらりと並んでいた。その中にエコユートピアのプレートもあった。高速エレベータは音もなく上昇し一瞬で十三階に着いた。

 「十三階ってのはさ、外資が嫌うだろう。だからもしかして売れ残ったのかな」

 「班長、いくらなんでもそこまで言いますか?」遠鐘が呆れたように言った。

 受付の女子社員に身分を告げるとすぐに重役用会議室に案内された。マホガニーの大きなテーブルを背もたれの深い黒レザーの椅子が囲んでいた。

 「ご苦労様でございます。経理部長の積木でございます。あいにく社長は外出しておりますが間に合うようなら戻られるそうです。ご連絡いただいた書類はすべて揃えてございます。会計書類もご覧になられるということですので私も立ち合わせていただきます」中年のいかりもやり手そうな女性部長がかけたCD(クリスチャン・ディオール)のロゴの入った派手なメガネが目に付いた。彼女は挨拶もそこそこにてきぱきと検査書類の運び込みを指示した。傍らには五十がらみの益子専務が座っていたが検査の対応は積木部長が一人で仕切っていった。たちまちテーブルに書類が積上げられた。

 「ありがとうございます。早速決算書から拝見します」伊刈が挨拶した。

 「どうぞなんでもご覧になってください」積木は自信ありげだったが、さすがに緊張していたのか、それとも前代未聞の本社検査を屈辱と感じていたのか、いくらか声が上ずっていた。実際本社事務所は創業以来一度も行政の検査を受けたことがなく、本省の幹部を接待するのは別として地方職員や警察官が足を踏み入れたことがない聖域だった。

 「大変高い利益率ですね」決算書を見るなり伊刈は本音で驚いた。

 「そうでしょうか」積木は当然という顔で応えた。

 「この業界では経常利益率二十パーセント台は珍しくありませんが、四十パーセント台というのは滅多に拝見しません」

 「どんなに利益が高くてもすべて積立金に回してしまいます。最終処分場にはどんな事故があるかわからないですからね。環境事故が起こったら百億円くらいはあっという間に消えてしまいますから、いざというときの備えをしなさいというのが社長の口癖でございますから」

 「なるほど。それにしてもやっぱり高い利益率ですよ。売上高がここの十倍の五百億円の企業と利益額では同等ということになりますよね」

 「お褒めいただいて恐縮ですわ」積木には謙遜など一切なかった。まさに社長譲りの尊大さだった。

 「受入単価表を拝見しますと収集運搬費と処分費を合計して一トン三万円程度ですね」

 「もう少し高いかもしれませんね。二万五千円プラス収集運搬費ですからね」

 「そこから埋立量を推定できますね。売上高を単価で割り算すればいいわけですから単純ですね」

 「おっしゃるとおりです」

 「いま手元でちょっと計算してみたのですが御社から市に提出された実績報告書と数値はぴったり一致しているようです。それからマニフェストの数量、計量伝票の数量もすべて一致していますね。一キログラムの誤差もない。完璧ですね」

 「一キログラムでも合わなかったら違法になるのでしょう」

 「そうです。しかし大抵は一枚くらい記載に漏れがあるものですから」

 「当社に限ってそれはありえません。ほかに何かご指摘はございますか」積木は終止笑顔を絶やさなかったが、やはり検査は早く終わって欲しい様子だった。

 伊刈は決算書をテーブルに戻し計量台帳を取り上げた。その時女子事務員がノックして入室してきた。

 「社長がお戻りです。社長室にご案内してほしいとのことです」

 「わかりました。みなさんどうされます? 検査をお続けですか」

 「いえ、社長室に移動しましょう」伊刈は帳簿を持ったまま立ち上がった。

 エコユートピアの社長室は思ったほど贅沢ではなく実務的な印象だった。成金趣味では反感を買うと自重したのかもしれなかった。

 「ご苦労様です。検査に立ち会えずに失礼をいたしました。なんとか予定を切り上げて帰ってまいりましたよ」竜野は意外にも上機嫌だった。

 「検査がちょうど終わったところでございました」積木が伊刈の代わりに言った。

 「そうですか。お急ぎでなければお茶をしていってください」竜野がそう言うのを待っていたようにコーヒーとショートケーキが出てきた。

 「これは近くのホテルのケーキなんですがなかなかおいしいですよ。どうぞ召し上がってみてください」近くのホテルとは五つ星で有名なインペリアーレホテルのことだろうと察した。

 「ごちそうさまです。遠慮なしにいただきます」伊刈が最初にケーキに口をつけた。果肉がやわらかくて傷みやすいトヨノカを使った贅沢でシンプルなイチゴショートだった。普通のケーキ店は味より持ちを優先して果肉が硬いトチオヨメを使うのだ。

 「ところで当社の書類管理はどうでした」

 「完璧でしたよ」

 「完璧とは具体的には?」

 「検査したすべての書類が一トンの狂いもなく一致しておりました」

 「それは当然のことでしょう。一グラムだって違っていてはおかしい。銀行が一円の違いも見逃しますか? 当社にとっての廃棄物は銀行にとってのお金ですよ」竜野の高説がまた始まった。

 「なるほど。何千社も見てきましたがすべてが一致した完璧な書類を今日初めて拝見しました」

 「それは褒められているんですか。なんだか皮肉を言われているようですが」

 「最終処分場というのは初期投資の償却が終わってしまうと、後は人件費、薬剤費、電気代が主たる経費なんですね」伊刈は話題を変えた。

 「そうですね。当社の場合、営業にはあまり経費がかかりません。安定した顧客ばかりですから」

 「顧客は大企業ばかりということですか」

 「このような過分な場所に本社を構えておりますのも顧客のご都合を考えてのことでございますよ」

 「もうお仕事のお話はよろしいのじゃありませんか」伊刈がまだ最後の帳簿を返してくれないを気にしながら積木が言った。

 「そうでした。一点だけちょっと疑問がなかったこともないんですよ」

 「ほう疑問とは」竜野は真顔になった。

 「これはダンプの計量台帳なんですが積載量が判で押したようにすべて十八トンですね」

 それが言いたかったのかと積木が半ば緊張し半ば安心したような顔をした。

 「ええ十八トンになるようにわざわざ揃えているのですよ。それが何か問題ですか」竜野は警戒心もなく応えた。

 「廃棄物処理法上の問題じゃないですが、積載オーバーなんじゃないでしょうか」

 「それなら問題ありませんよ。地元の警察署長に二十トン以下ならいいと認めてもらっているんです」

 「どういうことですか」

 「二十トン以上になると道路法の特殊車両の通行許可が必要なのだそうです」

 「道路法の二十トンの規制は車両の総重量で積載重量ではないですよ。何か勘違いされていませんか」

 「いえいえ署長がこれでいいということですよ」竜野は全く疑いを持っていない様子だった。

 「積載量が十八トンだと総重量はたぶん二十八トンになります。特殊車両の通行許可が必要になりますね」

 「その許可ならいただいております」積木がたまらずに口を挟んだ。

 「ほうそうなのか」竜野が意外そうな顔で積木を見た。

 「書類をお持ちしましょうか」

 「ぜひお願いします」

 伊刈に促されて積木が特殊車両通行許可の書類を取りに行った。

 「ああなるほど」伊刈は書類を見るなり言った。「これは三十トンのセミトレーラの書類です。普通のダンプのじゃありません」

 「ダンプも必要ですか」

 「十八トン積んだら必要ですよ」

 「わかりました。さっそく明日にでも申請いたします。市のご指導があれば改めることにやぶさかではございません」

 「たぶん十八トンの積載量じゃ書類は通りませんけどね。この話はもうやめましょう」伊刈はほどほどで総括したつもりだったが社長室には冷たい空気が流れた。

 「本日の検査結果は問題なしでした。これで失礼いたします。ケーキごちそうさまです」場の雰囲気を凍りつかせたまま伊刈は立ち上がった。

 「ご苦労様です。またいつでもお寄りください」竜野が社交辞令を言った。社員全員が立ち上がって見送るなか検査チームはエレベータホールに出た。

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