サラブレッド
エコユートピア最終処分場は県内はもちろん全国的にも知られた優良施設だった。竜野社長は国の審議会の委員を務めたり講演会に招かれたりと、産廃業界では知らない者がないひっぱりだこの有名人だった。ダーティなイメージが一切なかったので産廃業界のサラブレッドとも呼ばれていた。
「ようこそおいでくださいました」ホテルの支配人のような口調で竜野社長が自ら監視チームを出迎えた。既にかなりの高齢だが長身で往年の美男子のイメージは残っていた。表情は柔和だが眼光は鋭かった。日頃は本省の官僚と付き合っているせいか市庁の小役人など眼中にないという本音がときおり見え隠れするものの物腰はあくまで慇懃だった。竜野が先に立って現場事務所に案内された。
「質素なプレハブですいません。ここは埋め立てが終わったらできるだけ自然に近い山に戻して地元にお返しするつもりなので堅固な建物は建てられないんです」プレハブと謙遜したが軽量コンクリートパネルを使った立派な建物だった。見学者が多いのか事務所の二階は広々としたプレゼンテーションルームになっていて大きなプロジェクターが備えられていた。
「最終処分場の管理は科学的でなければならないというのが当社のモットーでしてね。そのために大学院卒のスタッフを揃えております」竜野は講演会でもお決まりの自慢話を始めた。学歴主義、エリート主義の嫌いな伊刈はかちんと来るものがあった。
「それでは処分場をご案内する前に施設を紹介するビデオをご覧ください」
「いえそれは結構」伊刈はプロジェクターのスイッチを入れようとする社員を制止した。
「ですがお客様には必ずお見せしておりますものですから」竜野は意外そうな顔で伊刈を見た。
「私たちは見学者ではないですしお客様でもありません。施設の設計も管理状況も承知しておりますので、技術的なご説明はせっかくですがご遠慮いたします。早速ですが場内の状況を点検させてください」
「そうですか、それでは参りましょうか」伊刈があくまでビデオの上映を固辞する姿勢を崩さないので竜野も諦めてスクリーンを片付けさせた。
エコユートピアは扇面ヶ浦の自然の断崖を利用した巨大な最終処分場だった。高低差は五十メートルあり場内に切れ込んだ谷をめぐっていろは坂のような道が続いていた。処分場の入り口は事務所の反対側にあり、歩いて移動できる規模ではないので車での移動になった。峠道を超えて場内に入ると突然処分場全体を見下ろす眺望が広がった。谷底から吹き上げてくる強い潮風に髪がなびいた。
「意外に臭いなあ」それが伊刈の第一声だった。
「水処理施設にご案内しましょう」竜野は埋め立ての現場ではなく水処理施設を真っ先に案内した。
水処理施設は廃棄物の層を通過して処分場の底に滞留した水をくみ上げて浄化し場外に放流する施設である。浄化を続けることでやがては有害な廃棄物が無害になるという理屈だったが、何年できれいになるのか科学的な根拠は実は曖昧だった。とにかく水処理を毎日続けないと汚染水が底にどんどん溜まって最終的には場外に流出する恐れがあった。いわば人体で言えば腎臓の役割を果たしていた。管理型処分場の維持管理費は人件費を除けば大半がこの水処理施設運転の電気代と薬剤代だった。水処理施設のない安定型処分場との料金の差は遮水シートの施工費と水処理施設の建設・運転費にあった。
「この施設では毎日二回水質を検査しております。担当する社員は全員が化学専攻の修士か博士です。下流に放流する水は飲めるくらいにきれいですよ。試しに飲んでみましょうか」竜野がまた自慢話を始めた。
「いえ処理水がきれいなのは維持管理報告をいただいておりますのでわかります。それよりデータのない原水のほうを見せてもらえますか」あくまで竜野の裏を行く伊刈の態度に他のメンバーははらはらしていた。エリートが嫌いな伊刈とエリートを地で行く竜野はそりが合わないようだった。
「それも見ていただくつもりでおりました」竜野も意地になって社員に命じて原水のタンクを開けさせた。とたんに悪臭が鼻をついた。泡立っているところを見るとメタンが発生しているようだった。
「有機物がかなり埋め立てられているようですね」遠鐘が伊刈のかわりに指摘した。
「下水道汚泥がかなり来ております。あとは地元の醤油工場の滓も入っております。ほんとうは塩分が多い廃棄物は受けたくないんですが許可を取るときの地元とのお約束でしたのでやむをえません」
「塩分はまずいですか」
「燃やせばダイオキシンが出ますし埋めても水が汚れます。厄介なものでしてねえ。海にあれば悪さはしないんですがねえ」
「ここの処分場は遮水シートを使っていないのでしたね」
「上部では使っておりますよ。下部は自然の岩盤が不透過層であることを確認しておりますのでね。シートがなくても安全だと科学的検証をして県から許可をいただいた施設でございます」
「もしも今から遮水シートを張り巡らすとしたら何億円かかりますか」
「それはもうムリです。数百万トンの埋立物をすべて掘り返さなくてはなりません」
「最近は水漏れ検知機能のある遮水シートが流行っているそうですね」
「ここは水漏れの心配はございませんのでね」竜野はきっぱりと言い切った。
「最終処分場の状況はわかりました。肉骨粉の処理状況を拝見できますか」
「はあなるほど。それがご来訪の目的でございましたか。それでは焼却場にご案内しましょう」
エコユートピアは管理型処分場に大型焼却炉を組み合わせた総合処分場だった。リサイクルが主流になる以前には自己完結型の処理が可能な究極のビジネスモデルとされていた。
焼却処分場に到着すると化学防護服を来た作業員が厳重に梱包された肉骨粉の袋を炉に放り込んでいるさなかだった。
「これはストーカー炉ですね」遠鐘が炉の構造を確かめながら言った。
「五十トン炉が二基です。今時はもう珍しくないですが建設当時は県下でも最大級の炉でした」竜野社長が自ら答えた。
「肉骨粉の処理を始められたきっかけはなんですか」伊刈が尋ねた。
「環境省に頼まれましてね、仕方なく受けてるんです。焼却処分場全体を陰圧にしているのは県下ではうちだけですからね。しかも最終処分場があるから万が一にも焼却灰が流出することがないという安心感があるのでしょう。補助金が出るとは言っても経営的なメリットはないのですが、これも社会的な使命だと割り切ってお受けしております」
「炉を建屋で覆って減圧までしてるなんて清掃工場並ですね」遠鐘が言った。
「実はすべて清掃工場仕様になっております。焼却炉の余熱で発電もしておりまして場内の電気はほぼ賄えております。産廃の処分場でそこまでやるのかと言われましたが、今からすればリサイクル施設にしておいてよかったと思っております」
「一番気を使っていることはなんですか」
「なんといってもダイオキシンですね。規制が強化されましたからね。法の施行までに基準をクリアしないといけませんでしたので、ほとんど毎日のように測定していましたよ」
「事務所に戻って書類を拝見したいのですが」
「書類と申しますと?」伊刈の言葉に竜野が首を傾げた。
「肉骨粉の受注状況を書類で確認したいのですが」
「それでしたら本社にございますが」
「本社は近いですか」
「東京です」
「それじゃ、今日はちょっと拝見できませんね。後日にお伺いしてもよろしいでしょうか」
「何か問題でも」
「問題がないことを確認するのが検査です」
「私どもの検査のためだけにわざわざ東京まで起こしになるのは大変でしょうから必要な書類があればお届けいたしましょうか」
「いえお伺いしますよ」
「そうですか。私は立ち会えないかもしれませんが本社の部長と日程調整をしてください」帳簿検査をされるなど思ってもいなかったの竜野は慇懃な言葉ながら憮然とした態度で答えた。
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