叢雲

深海冴祈

本編

 街灯に照らされた夜道を二人並んで歩く足音。他に音はなかった。僕は彼女の小さな歩幅に合わせてゆっくり歩く。左隣から聞こえる彼女の足音は、僕の耳に、とても心地良く響く。彼女の身長は低い。僕の足音よりも速いテンポ。でも、鼓動はきっと彼女よりも僕の方が速い。

 風が僕らの髪を揺らす。彼女が纏う淡いピンクのコートは、彼女の耳を見え隠れさせながら揺れているダークブラウンのセミロングに、とても合っていた。

 凍てつく空気の中を舞う白。雪が彼女の肩へと舞い落ちた。雪は彼女のコートにじわりと沁み込んでいき、その箇所だけを濃いピンクへと染める。

 雪は積もるでもなく、アスファルトに斑模様を作っていく。傘をさすほどの雪ではない。田舎の雪のような、ふわりとした雪でもなく、都会らしい水気の多い雪だ。

 今度は強い風が吹いた。向かい風。髪が後ろへ靡く。肩をすくめて、ギュッと目を瞑る彼女の横顔がよく見えた。寒さのせいか、耳がほんのり赤かった。彼女の耳に手を伸ばそうとした瞬間、風が止んだ。風が吹いている間、ずっと目を瞑っていた彼女は二、三度瞬きをした。ややあって、僕の視線に気づいたのか、僕に顔を向ける彼女。

 カールした睫。茶色みがかった瞳。キスの衝動に駆られる形のよい唇には、パールピーチのグロス。パール特有の控えめで上品な輝きを放ちながら、彼女の唇が弧を描く。

 どうかしたの? と言わんばかりの目で僕を見つめる。僕は、何でもない、とでも言うように、首を横に振った。そこに言葉はなかった。とても静かな時間のはずなのに、僕の心臓だけが煩い。

 僕は彼女から目を逸らす。顔が赤くなっていないか気になり、マフラーの生地を口元まで引っぱった。冬の夜空で冴えた光を放つ月もオリオンも、今夜は雲に隠されて見えない。僕の胸の音も、彼女には聞こえない。

 ――彼女の視線を感じた。彼女を見下ろすと、彼女は、何でもない、とでも言うように首を横に振った。戸惑いながら僕が頷くと、彼女は白い息を吐きながら可笑しそうに笑った。

 冬の冷気、白い雪が降る中、彼女の白い息は温もりを含んでいた。僕の顔は、雪も容易く溶かすほど熱かった。

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叢雲 深海冴祈 @SakiFukami

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